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太古の幽霊
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わたくしはペイント系総柄デザインのウェアを着用し、バートンのスノーボードを片脇に抱えて、スキー・スノーボードレンタル店から出て来た。二名分のリフト券を購入して戻って来た美咲は、レインボーミラーのゴーグルを外した。
「宗村さん意外! 全然似合っていますよ」
グローブの指を顎に置いて、上から下までわたくしのウェア姿を眺めて、うんうんと頷いた。
「無地のウェアが良かったんだが、ど派手なデザインしかないんだもんな。歳も歳だし、完全にウェア負けしている」
美咲はわたくしの足元に屈んで、ブーツの紐を一回解いて結び直した。
「周囲を見て下さい。ゲレンデではそれくらい派手なウェアの方が却って目立ちません」
紐を結び終わると、よし、と美咲は立ち上がって、リフト券の一枚をわたくしに渡した。
「宗村さん、リフト、乗れますか?」
正面にあるペアリフト乗り場を指差してわたくしを見上げた。
「乗れたよ、学生時代にはね」
リフト乗り場の頭上に巨大な車輪が水平に回転して、鋼鉄のワイヤーロープに吊るした座席を次々に送っていた。
「転びそうになったら遠慮なくわたしにしがみ付いて下さい。もし無理なら係の人に言ってリフトのスピードを落としてもらう事も可能です」
「だから乗れたんだって、学生時代には」
わたくしと美咲はボードを小脇に、圧雪の上をブーツで歩いて行った。リフト乗り場の最後尾に並んで、美咲に手伝われながら左足をバインディングに固定した。その時前のスキーヤーの板を踏みそうになって、咄嗟に彼女の小さな肩を掴んだ。
「面目ない、これなら革靴の方がましだ」
美咲はわたくしを抱き起こして笑った。
「恋人同士なんだから、遠慮しないで良いですよ」
わたくしの目の前でスキーヤーが豪快に雪を飛ばして止まった。
「美咲ちゃん?」
声の方向を振り返ると、真っ赤なスキーウェアを着た男が通り過ぎた所から階段登行でこちらへ近づいて来た。胸のゼッケンにスキースクールのロゴが見え、スキーのインストラクターだとすぐに知れた。
「美咲ちゃんだよね? やっぱり、ウェアでわかったよ」
男はゴーグルをヘルメットの上に上げて、雪焼けした顔に深い笑いじわを見せた。
「羽深さん? お久し振りです」
美咲は蹴り足を板に乗せて器用に標識ロープまで滑って行った。
「本当に久し振りだねえ。二年ぶりだよね? 元気してた?」
男は四十代半ばで背がすらりと高く、彫りの深い顔立ちに喫茶店のマスターのような口髭を生やしていた。
「羽深さんは、その様子だと相変わらずって感じですね。スタッフの皆さんもお変わりないですか?」
美咲は強風で顔にかかった髪の毛を右耳にかけた。
「変わったと言えば変わった。レミが辞めた。結婚して鹿児島へ嫁いだ」
「レミりんが結婚? 男なんて興味ないってあんなに言っていのに。いつの話ですか?」
「一年半前。あいつもやっぱり女だったんだ。『いろは』の若いバイトとずっとデキていたんだと。貝ちゃんは前から知っていたんだってさ」
そこへまた真っ赤なウェアを着たスキーヤーが板を揃えて止まった。
「羽ちゃんがまたナンパしていると思ったら、美咲ちゃんじゃない」
「貝沼さん? ご無沙汰しています。こんな吹雪の中ご精が出ますね」
貝沼という女性もゴーグルをヘルメットに上げた。こちらも見事な雪焼けで三十代から五十代まで年齢不詳に見えた。
「昨日今日とまあ吹雪いて吹雪いて、子供たちに教えていても声が通らなくてやんなっちゃう」
「その割に貝ちゃんの怒鳴り声がリフトの上まで聞こえてくるけどね」
おちゃらけた羽深の足を彼女はストックで叩いた。
「それにしても美咲ちゃん、よくこのゲレンデに戻って来てくれたね。二年振りでしょう? 正直あんな事があったから、もう二度とここへは帰って来てくれないんじゃないかって、みんなで心配していたんだよ」
あんな事? 貝沼は美咲の肩にポンと手を置いた。その手を羽深のグローブが掴んだ。
「貝ちゃん、その件はもう良しとしようじゃないか」
「ダメだよ。言い難い事はハッキリ言うのがあたしの主義なの。美咲ちゃん、もう立ち直ったんだよね?」
わたくしはリフト待ちの列から外れて、会話が終わるのを待つだけの存在となった。
「その節は色々とご心配ご迷惑をお掛けしました」
美咲は丁寧に頭を下げた。
「なに頭を下げているんだよ、美咲ちゃんが謝る事はないよ。そもそもはあいつが全て悪いんだ。自分勝手な考えで美咲ちゃんを振り回して、とうとうあんな事故まで起こして」
あんな事故? 美咲の身に起きた二年前の事故?
「まああたしらは美咲ちゃんに笑顔が戻れば、それで十分なの。それにしてもあれから全く連絡が取れなくて、本当に心配したんだよ」
美咲は下げた頭をもう一度下げた。
「本当にご心配をお掛けしました」
少し会話が途切れた所で、羽深が首を伸ばしてわたくしの存在に気が付いた。
「あれ? 美咲ちゃん、誰かと一緒?」
美咲は顔を上げてグローブの手のひらをわたくしに向けた。
「紹介、遅くなりました。こちらは今回わたしと一緒にスキー場に遊びに来ている宗村さんです。
宗村さん、こちらが羽深さんで、こちらが貝沼さんです。お二人ともSAJ公認スキースクールのスタッフで、貝沼さんは主任さんです。以前わたしが大変お世話になった方々です」
わたくしはゴーグルを首もとに落として軽く会釈をした。
「どうも初めまして、宗村と言います」
羽深と貝沼はお互いの雪焼け顔を合わせた。
「美咲ちゃん、この人……幽霊」
貝沼はわたくしに対して南無阿弥陀仏と拝みそうな勢いだった。
「なに馬鹿な事を言ってるんですか。違いますよ。この人は東京で記者をしている宗村さんです。『アルプ』の岸本さんの古い友人です」
「岸ちゃの友人? 確かに岸ちゃも東京組だからねえ。そう、太古の幽霊じゃないの。初めまして貝沼です」
貝沼はグローブで顎を撫でながら、わたくしに顔を近付けてきた。太古の幽霊?
「ど、どうも」
「ふーん」
その時ログハウスの軒下から二三人の大声が響いた。見れば羽深たちと同じウェアの四五人の集団が両手を振っていた。
「やーば! 安全職場集会忘れてた! まあとにかくまたね美咲ちゃん、この続きは後でゆっくり聞かせてもらうわ。あたしらどうせいつもの席で飲んでるし、ちょっとは顔を出してね」
貝沼は最後にわたくしの顔を真顔で見てから、羽深の背中を追って蟹股でスケーティングをして行った。
「宗村さん意外! 全然似合っていますよ」
グローブの指を顎に置いて、上から下までわたくしのウェア姿を眺めて、うんうんと頷いた。
「無地のウェアが良かったんだが、ど派手なデザインしかないんだもんな。歳も歳だし、完全にウェア負けしている」
美咲はわたくしの足元に屈んで、ブーツの紐を一回解いて結び直した。
「周囲を見て下さい。ゲレンデではそれくらい派手なウェアの方が却って目立ちません」
紐を結び終わると、よし、と美咲は立ち上がって、リフト券の一枚をわたくしに渡した。
「宗村さん、リフト、乗れますか?」
正面にあるペアリフト乗り場を指差してわたくしを見上げた。
「乗れたよ、学生時代にはね」
リフト乗り場の頭上に巨大な車輪が水平に回転して、鋼鉄のワイヤーロープに吊るした座席を次々に送っていた。
「転びそうになったら遠慮なくわたしにしがみ付いて下さい。もし無理なら係の人に言ってリフトのスピードを落としてもらう事も可能です」
「だから乗れたんだって、学生時代には」
わたくしと美咲はボードを小脇に、圧雪の上をブーツで歩いて行った。リフト乗り場の最後尾に並んで、美咲に手伝われながら左足をバインディングに固定した。その時前のスキーヤーの板を踏みそうになって、咄嗟に彼女の小さな肩を掴んだ。
「面目ない、これなら革靴の方がましだ」
美咲はわたくしを抱き起こして笑った。
「恋人同士なんだから、遠慮しないで良いですよ」
わたくしの目の前でスキーヤーが豪快に雪を飛ばして止まった。
「美咲ちゃん?」
声の方向を振り返ると、真っ赤なスキーウェアを着た男が通り過ぎた所から階段登行でこちらへ近づいて来た。胸のゼッケンにスキースクールのロゴが見え、スキーのインストラクターだとすぐに知れた。
「美咲ちゃんだよね? やっぱり、ウェアでわかったよ」
男はゴーグルをヘルメットの上に上げて、雪焼けした顔に深い笑いじわを見せた。
「羽深さん? お久し振りです」
美咲は蹴り足を板に乗せて器用に標識ロープまで滑って行った。
「本当に久し振りだねえ。二年ぶりだよね? 元気してた?」
男は四十代半ばで背がすらりと高く、彫りの深い顔立ちに喫茶店のマスターのような口髭を生やしていた。
「羽深さんは、その様子だと相変わらずって感じですね。スタッフの皆さんもお変わりないですか?」
美咲は強風で顔にかかった髪の毛を右耳にかけた。
「変わったと言えば変わった。レミが辞めた。結婚して鹿児島へ嫁いだ」
「レミりんが結婚? 男なんて興味ないってあんなに言っていのに。いつの話ですか?」
「一年半前。あいつもやっぱり女だったんだ。『いろは』の若いバイトとずっとデキていたんだと。貝ちゃんは前から知っていたんだってさ」
そこへまた真っ赤なウェアを着たスキーヤーが板を揃えて止まった。
「羽ちゃんがまたナンパしていると思ったら、美咲ちゃんじゃない」
「貝沼さん? ご無沙汰しています。こんな吹雪の中ご精が出ますね」
貝沼という女性もゴーグルをヘルメットに上げた。こちらも見事な雪焼けで三十代から五十代まで年齢不詳に見えた。
「昨日今日とまあ吹雪いて吹雪いて、子供たちに教えていても声が通らなくてやんなっちゃう」
「その割に貝ちゃんの怒鳴り声がリフトの上まで聞こえてくるけどね」
おちゃらけた羽深の足を彼女はストックで叩いた。
「それにしても美咲ちゃん、よくこのゲレンデに戻って来てくれたね。二年振りでしょう? 正直あんな事があったから、もう二度とここへは帰って来てくれないんじゃないかって、みんなで心配していたんだよ」
あんな事? 貝沼は美咲の肩にポンと手を置いた。その手を羽深のグローブが掴んだ。
「貝ちゃん、その件はもう良しとしようじゃないか」
「ダメだよ。言い難い事はハッキリ言うのがあたしの主義なの。美咲ちゃん、もう立ち直ったんだよね?」
わたくしはリフト待ちの列から外れて、会話が終わるのを待つだけの存在となった。
「その節は色々とご心配ご迷惑をお掛けしました」
美咲は丁寧に頭を下げた。
「なに頭を下げているんだよ、美咲ちゃんが謝る事はないよ。そもそもはあいつが全て悪いんだ。自分勝手な考えで美咲ちゃんを振り回して、とうとうあんな事故まで起こして」
あんな事故? 美咲の身に起きた二年前の事故?
「まああたしらは美咲ちゃんに笑顔が戻れば、それで十分なの。それにしてもあれから全く連絡が取れなくて、本当に心配したんだよ」
美咲は下げた頭をもう一度下げた。
「本当にご心配をお掛けしました」
少し会話が途切れた所で、羽深が首を伸ばしてわたくしの存在に気が付いた。
「あれ? 美咲ちゃん、誰かと一緒?」
美咲は顔を上げてグローブの手のひらをわたくしに向けた。
「紹介、遅くなりました。こちらは今回わたしと一緒にスキー場に遊びに来ている宗村さんです。
宗村さん、こちらが羽深さんで、こちらが貝沼さんです。お二人ともSAJ公認スキースクールのスタッフで、貝沼さんは主任さんです。以前わたしが大変お世話になった方々です」
わたくしはゴーグルを首もとに落として軽く会釈をした。
「どうも初めまして、宗村と言います」
羽深と貝沼はお互いの雪焼け顔を合わせた。
「美咲ちゃん、この人……幽霊」
貝沼はわたくしに対して南無阿弥陀仏と拝みそうな勢いだった。
「なに馬鹿な事を言ってるんですか。違いますよ。この人は東京で記者をしている宗村さんです。『アルプ』の岸本さんの古い友人です」
「岸ちゃの友人? 確かに岸ちゃも東京組だからねえ。そう、太古の幽霊じゃないの。初めまして貝沼です」
貝沼はグローブで顎を撫でながら、わたくしに顔を近付けてきた。太古の幽霊?
「ど、どうも」
「ふーん」
その時ログハウスの軒下から二三人の大声が響いた。見れば羽深たちと同じウェアの四五人の集団が両手を振っていた。
「やーば! 安全職場集会忘れてた! まあとにかくまたね美咲ちゃん、この続きは後でゆっくり聞かせてもらうわ。あたしらどうせいつもの席で飲んでるし、ちょっとは顔を出してね」
貝沼は最後にわたくしの顔を真顔で見てから、羽深の背中を追って蟹股でスケーティングをして行った。
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