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白虎
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それは一瞬の出来事だった。
すさまじい地吹雪がバーンの雪を剥ぎ取りながら、こちらへ大きく迫って来た。我々は成す術もなく吹雪に飲まれた。生まれて初めて体験する視界ゼロの世界。平均感覚が失われ、立っているのがやっとだった。目の前の美咲が白く塗り潰される。そんな災害に近い状況で、雪煙の向こうから一人のスノーボーダーが飛び出して来た。目の前の美咲が悲鳴もなく消えた。わたくしはゴーグルに付着した雪をこすって、急いで周囲を見渡した。地吹雪が去って視界が戻ると、美咲は五メートル先の前方にうつ伏せで倒れていた。
「美咲!」
衝突して来たスノーボーダーは、少し山側に倒れていた。仰向けの状態から何とか自力で体を起こしている。
「おい大丈夫か!」
わたくしはヒールエッジでサイドスリップを使って、美咲の谷側を回り込むように転倒した。彼女はゴーグルを斜面に押し付けて歯を食いしばった。
「どこか痛い? 足?」
体に触れていいものか、とにかくわたくしは彼女の体を見渡して、骨折などの異常はないか確認した。
「宗村さん、相手は?」
「え?」
子供が蹲るような半腹臥位の姿勢で、彼女は苦悶の表情に片目を開けた。
「ぶつかって来た相手は、どこですか?」
ゲレンデの山側に顔を上げた。驚くべき事に、美咲と衝突したスノーボーダーはすでに立ち上がって、雪の上に散らばった何かを拾っていた。
「おい! 危ないじゃないか!」
わたくしはゲレンデに怒声を上げた。相手はゆっくりと顔を上げて、拾い集める手を止めた。一瞬だけ風が止まった。ゴーグルが外れて見せるその顔は、中国人風の髪の長い女だった。相手はハッとした表情から、次第に白虎が牙を剥くような鋭い眼光に変わった。白虎、まさに女の目は、黒色から青紫色へとその虹彩を変化させた。わたくしはゾクッと背筋の凍る思いをして、それ以上を言えなくなった。
「痛い」
美咲は右脇から臀部を押さえた。無理して立とうとしたらしかった。
「パトロール隊を呼ぼうか?」
わたくしは目の前の美咲と、ぶつかって来た女を交互に見た。
「大丈夫です。衝撃の割に骨はいっていないようです。休めば何とかなりそうです」
わたくしの手を借りながら、雪の上をゆっくりと移動して、美咲は体育座りまで姿勢を変える事ができた。しかし、項垂れた顔はなかなか上げる事が出来なかった。
「二次的な接触事故が心配です。宗村さん、確認をお願いします。ぶつかって来た相手は起き上がっていますか?」
「相手の方が丈夫だよ、だってほらもう」
そう言って再び山側に顔を上げると、そこには誰の姿もなかった。
「あれ? いない! 野郎逃げやがった!」
わたくしはミーアキャットが外敵を監視するように辺りを見回した。風は強いが雪はなく、山の麓のリフト乗り場まで一望できた。
「逃げられちゃいましたか。仕方ありませんね、きっと損害賠償を求められる事を恐れたのでしょう」
わたくしは周囲に睨みを利かせながら、バインディングのレバーを起こして、ヒールカップからブーツを外した。スケーティングとは言い難い片足で歩くような格好で、周囲に散乱した彼女の所持品を拾って回った。彼女が元いた位置から点々と貴重品は落ちていた。
「相当な衝撃だったんだね。これで、全部かな?」
二つ折財布、カードケース、携帯電話などを雪を払ってから美咲に渡した。
「すみません、ありがとうございます」
「中身、確認してみて。小銭なんかはもう拾い切れないから」
「大丈夫です。最低限必要なものは揃っていますから」
しばらくはスキーヤーもスノーボーダーも近くを通らず、わたくしは、美咲とゲレンデを交互に見て過ごした。その内に、クワッドリフトの方角から赤いウェアのスキーヤーが滑走して来た。わたくしはインストラクターかここのスタッフだと思い、両手を振って大声を上げた。赤いスキーヤーは顔をこちらへ向けて、異常のサインを受け取った後、板を方向転換させて直行して来た。
「変な女が急にぶつかって来て」
彼はわたくしを素通りして座り込んでいる美咲の足元で止まった。ゴーグルを上げると、リフトに乗る前に会った羽深という口髭の男だった。
「美咲ちゃん、どこ打った?」
美咲は立ち上がろうとしてすぐに止められた。
「動いちゃダメだ。そのままそのまま」
これは重症だ。
「宗村さん、だったっけ? 彼女、頭打った?」
「猛吹雪の中で、しかも一瞬の出来事だったので、正直分かりません」
羽深は腰に手を当てて溜め息を吐いた。
「とにかく救護室まで負ぶろう。不幸中の幸い、今日は大学病院から医師が巡回に来ているから、すぐに診てもらえる」
羽深は慣れた手つきで美咲の足から板を外し、片手にストックをまとめると、体をねじって山側を背に屈んだ。わたくしは美咲の体をゆっくり抱き起して、羽深の背中に背負わせた。
「宗村さん。救護室、分かるよね。あそこに見えるログハウスだ。先に行っているからすぐに来て」
ゴーグルを被り直して美咲を深く背負い直すと、羽深はプフルークボーゲンを使って、ゆっくりとゲレンデを下って行った。
わたくしは美咲のボードを胸に抱いたまま、いつまでも二人の姿を見送っていた。
「あの、こんなの持って滑れないんですけど」
すさまじい地吹雪がバーンの雪を剥ぎ取りながら、こちらへ大きく迫って来た。我々は成す術もなく吹雪に飲まれた。生まれて初めて体験する視界ゼロの世界。平均感覚が失われ、立っているのがやっとだった。目の前の美咲が白く塗り潰される。そんな災害に近い状況で、雪煙の向こうから一人のスノーボーダーが飛び出して来た。目の前の美咲が悲鳴もなく消えた。わたくしはゴーグルに付着した雪をこすって、急いで周囲を見渡した。地吹雪が去って視界が戻ると、美咲は五メートル先の前方にうつ伏せで倒れていた。
「美咲!」
衝突して来たスノーボーダーは、少し山側に倒れていた。仰向けの状態から何とか自力で体を起こしている。
「おい大丈夫か!」
わたくしはヒールエッジでサイドスリップを使って、美咲の谷側を回り込むように転倒した。彼女はゴーグルを斜面に押し付けて歯を食いしばった。
「どこか痛い? 足?」
体に触れていいものか、とにかくわたくしは彼女の体を見渡して、骨折などの異常はないか確認した。
「宗村さん、相手は?」
「え?」
子供が蹲るような半腹臥位の姿勢で、彼女は苦悶の表情に片目を開けた。
「ぶつかって来た相手は、どこですか?」
ゲレンデの山側に顔を上げた。驚くべき事に、美咲と衝突したスノーボーダーはすでに立ち上がって、雪の上に散らばった何かを拾っていた。
「おい! 危ないじゃないか!」
わたくしはゲレンデに怒声を上げた。相手はゆっくりと顔を上げて、拾い集める手を止めた。一瞬だけ風が止まった。ゴーグルが外れて見せるその顔は、中国人風の髪の長い女だった。相手はハッとした表情から、次第に白虎が牙を剥くような鋭い眼光に変わった。白虎、まさに女の目は、黒色から青紫色へとその虹彩を変化させた。わたくしはゾクッと背筋の凍る思いをして、それ以上を言えなくなった。
「痛い」
美咲は右脇から臀部を押さえた。無理して立とうとしたらしかった。
「パトロール隊を呼ぼうか?」
わたくしは目の前の美咲と、ぶつかって来た女を交互に見た。
「大丈夫です。衝撃の割に骨はいっていないようです。休めば何とかなりそうです」
わたくしの手を借りながら、雪の上をゆっくりと移動して、美咲は体育座りまで姿勢を変える事ができた。しかし、項垂れた顔はなかなか上げる事が出来なかった。
「二次的な接触事故が心配です。宗村さん、確認をお願いします。ぶつかって来た相手は起き上がっていますか?」
「相手の方が丈夫だよ、だってほらもう」
そう言って再び山側に顔を上げると、そこには誰の姿もなかった。
「あれ? いない! 野郎逃げやがった!」
わたくしはミーアキャットが外敵を監視するように辺りを見回した。風は強いが雪はなく、山の麓のリフト乗り場まで一望できた。
「逃げられちゃいましたか。仕方ありませんね、きっと損害賠償を求められる事を恐れたのでしょう」
わたくしは周囲に睨みを利かせながら、バインディングのレバーを起こして、ヒールカップからブーツを外した。スケーティングとは言い難い片足で歩くような格好で、周囲に散乱した彼女の所持品を拾って回った。彼女が元いた位置から点々と貴重品は落ちていた。
「相当な衝撃だったんだね。これで、全部かな?」
二つ折財布、カードケース、携帯電話などを雪を払ってから美咲に渡した。
「すみません、ありがとうございます」
「中身、確認してみて。小銭なんかはもう拾い切れないから」
「大丈夫です。最低限必要なものは揃っていますから」
しばらくはスキーヤーもスノーボーダーも近くを通らず、わたくしは、美咲とゲレンデを交互に見て過ごした。その内に、クワッドリフトの方角から赤いウェアのスキーヤーが滑走して来た。わたくしはインストラクターかここのスタッフだと思い、両手を振って大声を上げた。赤いスキーヤーは顔をこちらへ向けて、異常のサインを受け取った後、板を方向転換させて直行して来た。
「変な女が急にぶつかって来て」
彼はわたくしを素通りして座り込んでいる美咲の足元で止まった。ゴーグルを上げると、リフトに乗る前に会った羽深という口髭の男だった。
「美咲ちゃん、どこ打った?」
美咲は立ち上がろうとしてすぐに止められた。
「動いちゃダメだ。そのままそのまま」
これは重症だ。
「宗村さん、だったっけ? 彼女、頭打った?」
「猛吹雪の中で、しかも一瞬の出来事だったので、正直分かりません」
羽深は腰に手を当てて溜め息を吐いた。
「とにかく救護室まで負ぶろう。不幸中の幸い、今日は大学病院から医師が巡回に来ているから、すぐに診てもらえる」
羽深は慣れた手つきで美咲の足から板を外し、片手にストックをまとめると、体をねじって山側を背に屈んだ。わたくしは美咲の体をゆっくり抱き起して、羽深の背中に背負わせた。
「宗村さん。救護室、分かるよね。あそこに見えるログハウスだ。先に行っているからすぐに来て」
ゴーグルを被り直して美咲を深く背負い直すと、羽深はプフルークボーゲンを使って、ゆっくりとゲレンデを下って行った。
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