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秘密の部屋
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美咲は、テーブルに用意された陶箱灰皿に指を掛け、そのままわたくしの前へ移動させた。
「宗村さん、別に無理をしなくてもいいですよ。部屋で吸われるのはあれですけど、ここだったら広いですから」
どうやらわたくしのヤニ切れの様子を見るに見かねたらしかった。
「あ、そう? じゃあ、遠慮なく」
わたくしは頭の後ろに手を当てて、面目ないといった顔をして、ズボンのポケットから煙草を取り出した。
「しかしその記者を名乗る男、ちょっと話を聞いただけでも、相当怪しいな」
ライターの火に煙草の先端を当てた。
「週刊誌の記者って話だけど、そもそも何で君にそんなやばい話を持ち掛けて来たんだ? もしも君が、骨の髄まで晦冥会に精神を支配されていたとしたら、そいつは間違いなく君に密告されていただろう」
空いている席に向かって煙を吐いた。
「その男だって、馬鹿ではありません。ある程度の調べを進めた上で、わたしに接近して来たのだと思います。なぜなら、当時のわたしは、婚約者の行方不明になった経緯や、晦冥会がひた隠しにする裏の顔を、潜入調査までしても一向に暴く事ができず、次第に焦りの色が見えて来ていましたから。必要以上に精舎をうろついているわたしの姿を、きっと彼の鋭い眼光が見抜いていたに違いありませんし、それに、晦冥会の秘密の話をほのめかした時の、わたしの惹きつけられるような表情が、彼の予想を確信に変えたのだと思います」
美咲は、首筋の髪を左手に掴んで、そのまま肩から胸へと梳かしながら落とした。
「にしたってさあ、施設の地下にある、秘密の鉄扉の向こうへ入る方法だなんて、正にそいつが危険を冒して入手した極秘情報じゃないか? そんなのさあ、自分一人で鉄扉の向こうへ忍び込んで、晦冥会の秘密をそっくり持ち出せば、潜入調査としての目的は果たされるだろうし、何よりも潜入記者にとってこれ以上の偉業はないだろう」
わたくしは既に一本を吸い終わり、陶箱灰皿に吸殻を投げた。
「その男はわたしの両肩を掴んで、無精髭の顔を近づけてこう力説しました。その鉄扉の向こう側へは、自分一人では忍び込めないからくりになっている、二人掛かりでなければ簡単に足が付いてしまう、そこであなたのような同じ目的を持った同朋の手助けが必要なのだ、と。それから二人は、一旦は別々に廊下を歩いて行って、他の信者に怪しまれないような、受付からも目の届く一階のロビーで再び落ち合い、もう少し詳しい内容を話しました。その話の詳細とは、つまりこういう事でした」
わたくしは一度食堂の入口を振り返ってから、姿勢を正した。
「晦冥会の幹部たちは、ここF支部精舎を月一回のペースで訪れている。彼らの名分は一応、地区単位の信者たちの宗教活動をその目で巡視しているとなっているが、その実彼らは修行の場には姿を見せず、どうしたかと思えば、信者たちの瞑想の時刻を待つように、廊下に人影が無くなる頃を見計らって、やっと表に姿を現す。彼らの行方を柱の陰から見ていると、その足は、地下室へ下りた先にある謎の鉄扉の前で止まる。そこでは既に支部リーダーが待ち構えていて、無言でダイヤル式の扉の鍵を開錠する。幹部も別にキーを取り出して扉を開錠する。そして彼らは扉の向こう側へと消えて、約一時間は中から出て来ない。どうもその中で行われている何かが、晦冥会の秘密と大きく関係しているらしい。そしてここからが本題だが、閉じた鉄扉を根気良く待っていると、中から幹部の一人が扉を開錠して出て来る。そしてそのまま地上階へと階段を上って行く。こここそが、晦冥会の秘密の間に忍び込む絶好のチャンスとなる。一度出て来た幹部は、約五分後には元の通り鉄扉の中へ戻り、今度は施錠をする。この約五分の間、鉄扉の鍵が開きっ放しだと、男は言うのでした」
美咲は喉を休めるように、コップの水を口にした。わたくしはそれを見て、同じように珈琲を一口飲んで、
「その幹部が何をしに地上へ行くのか、気になる所ではあるが、それはまあ置いておいて、きっとそいつは鍵を持たずに、内側からの鍵を開けて扉から出て行くんだろうな。出て行く時には施錠できず、中に入った時だけ施錠する」
「その通りだと思います。とにかく記者が調べた話というのは、ここまででした。そして、これらの情報を聞いたわたしは、今まさに晦冥会の闇を暴く新しい道が開けたのだと、天に向かって祈るような思いでした。この後で男がわたしに協力を求めたのは、自分が見張り役を引き受けるから、鉄扉の鍵が開きっ放しの五分の間に、あなただけ扉の向こうへ忍び込んで欲しい、そして、その中から晦冥会の秘密の物的証拠を持ち出して欲しい、こう両手を合わせるのでした」
わたくしは煙草に火を点けもせず、険しい表情で話を聞いていた。
「実に興味深い話なんだけど、君の話を聞いた限りでは、俺は何だかその男に違和感を覚えるな。だってさあ、そいつはいざとなったら、君を見捨てて逃げる事ができるじゃないか」
美咲はこちらの意見に対して、同意するようなしないような、曖昧な受け流しを見せた。
「一年前のわたしはとにかく時間を焦っていました。何でも良いから晦冥会の秘密に近づきたい一心で、その為だったらどんな危険をも顧みないつもりでいました。それなものだからわたしは、彼の依頼に対して二つ返事で承諾しました。そして、待ちに待った月に一度の幹部たちの訪問日がやって来て、わたしたちは、月瑛の間の瞑想中の列から、こっそり二人だけ抜け出しました。影から影へと走って、施設の地下の講演用の演説台の裏に隠れて、じっと息を殺していました。
果たして男の言った通り、幹部たちは地下に靴音を響かせて、大きな鉄扉の前で立ち止まりました。無言で解錠を済ませると、幹部たちが中へ入ったのと同時に、重々しい音を立てて扉が閉じて、最後に内側からの施錠の音が響き渡りました。一人扉の外側に残された支部リーダーは、自分の役目を果たしたとあって、特に変わった様子もなくその場を立ち去りました。後は無音の時間が長らく続き、わたしと男は少し肩の力を抜いて、幹部の一人が出て来るであろうその瞬間を待ちました。男はよほど用心深いのか、演説台の裏では一言も口を利きませんでした。それくらい恐ろしい秘密に手を出しているのだと、わたしは改めて気の引き締まる思いがしました。どれほど時が流れたのか、突然鉄扉の開錠の音が響いて、一人の幹部が中から出て来ました。そして後ろ手に扉を閉じると、彼はそのまま地上への階段を上って行きました。今だ、と男がわたしの背中を叩きました。わたしは修行服を翻して、重く錆びた鉄扉に隙間を作ると、その中へと体を忍ばせました」
わたくしは指の間に煙草を挟んだまま、火を点ける事も忘れて、真剣に話を聞いていた。
「鉄扉の向こう側は、コンクリート壁の一本道となっていて、通路は奥にある木製の開戸へと真っ直ぐに延びていました。輸入などに使う胴桟付の荒材の木箱が、通路の隅にずらりと並んで置いてあるのを見て、わたしはその場の瞬時の判断で、箱の蓋を手で確かめて回りました。その内の一つに、釘の抜かれた古い蓋を見つけて、その木箱によじ登って中へ飛び込むと、後は頭から蓋を閉めて元の通りにしました。つまりわたしは、通路の木箱に身を隠して、誰もいなくなる時間までじっと待つ事を決心したのです。木箱の内側の様子に目を凝らしていると、先程鉄扉から外へ出て行った一人の幹部が、再び通路を引き返して来て、そのまま奥のドアを開けて中へ入っていきました。それからと言うもの、木箱の隙間に出来た細長い通路の光に目を近づけて、わたしは物音一つ立てずにじっと息をひそめていました。一時間でしょうか、二時間でしょうか、やがて幹部たちの笑い声が聞こえたかと思うと、奥のドアが開く音が聞こえ、複数の靴音がわたしの隠れる木箱を通過して、鉄扉の閉じる重い音と施錠の音とが、コンクリートの通路に響き渡りました。わたしは修行服の帯に忍ばせた懐中電灯を口にくわえて、両手でゆっくりと木箱の蓋を押し上げると、真っ暗闇の世界に顔だけ出しました。懐中電灯の小さな丸い光は、コンクリートの壁を滑るように動き、ヒビ割れた湿っぽいコンクリートの様子を照らしました。その光の輪を頼りにわたしは、奥の木製のドアの前まで進み、冷たいドアノブを手にして、そっと回してみました。こちらは施錠はしないようで、何の抵抗も無く簡単にドアは開きました」
突然廊下から電話の音が鳴り響いた。わたくしはその方向を振り返りもせず、美咲の次の言葉を待った。
「窓のない地下室は、当然明りの一つもない暗黒の世界でした。しかも煙草の煙と人いきれと地下の湿気が混ざって、わたしは思わずハンカチで口を覆いました。手探りで内側の壁を確かめると、照明のスイッチらしきものが指先に当たりました。しかし、このスイッチが引き金で、侵入者の情報が遠隔の地に連絡されてはまずいと、わたしは壁から手を離し、改めて懐中電灯を握り直しました。部屋全体を懐中電灯の光で照らすと、室内の広さは学校の教室と言った所で、奥には図書室に見るような書棚が三列に並んでいました。中央にはブラウン管のテレビ電話や灰皿や紙が置かれたテーブル、右手には二つの肖像画が飾られた仏壇、左手には壁一面にびっしりと地形図が画鋲で留められていました。先ずわたしは、テーブルの上に懐中電灯の光を当てて、一枚の紙を手に取りました。その紙には、ずらりと名前が印刷されていて、それは何かしらの名簿のような形式になっていました。懐中電灯を動かしても、その紙には名簿の題名がなく、しかし名前の書かれた項目の横に、×印がびっしりとつけられていました。この時のわたしはまだ晦冥会の暗殺者の存在を知りませんでしたから、この×印に込められた深い意味にピンとは来ませんでしたが、今にして思えば、その時に手にした名簿とは、晦冥会を脱会した幹部の暗殺リストだったのではないか思います。とにかくその時は、名簿の中に太古秀勝の名前がない事を確認しただけで、そのままテーブルの上に紙を戻しました。がしかし、やはり×印がどこか引っ掛かる感じがして、わたしはもう一度懐中電灯の光を名簿に当てて、名前と×印を指でなぞりながら、文字通り二つの項目を照らし合わせていきました。そして、名簿の最後の列に、×印の付いてない人物が二人、唯一存在しているのを発見しました」
わたくしは眉間に人差し指を当てて、頭を斜めに傾けた。
「ちょっと待ってくれ。晦冥会の秘密の部屋で見つかったと言う、その謎の名簿というのが、君が今言ったような晦冥会の暗殺リストだとすると、この二人の名前というのが」
美咲は背筋を伸ばした姿勢から、真っ直ぐにわたくしの顔を見つめて来た。
「お察しの通りです。わたしは、今回の天道葵と木原正樹の心中事件を調べている間中、ずっとその事が気になっていました。わたしが一年前の晦冥会の秘密の部屋で見た、あの謎の名簿の×印がなかった二人、この二人こそが、今から四週間前に発生した心中事件の当事者だったのではないかと」
わたくしは顎に手を当てた。
「天道と木原って、偽名を使っていたって話だっただろう? だからその謎の名簿には、天道とは別の名前が記載されていたという事なんだよね?」
美咲は微かに目を大きくした。
「宗村さん、御名答です。その時の名簿には、全くの別名が記されていました。ですからわたしは、天道と木原の心中事件と、謎の名簿にあった二人の名前が、中なか頭の中で繋がらないでいたのです。そしてあの時は、それほど重要な名簿だとは認識せずに、わたしはざっと名前の連なりを目にしただけで、正直はっきりとはその二人の名前について頭に残っていませんでした。それでも、唯一頭に残っていた二人の内一人の名前は、不知火忍と言う変わった名前の女でした」
「不知火忍?」
わたくしの頭にその名前の漢字が出て来るまで、多少の時間を要した。
「へえ、確かに一目で覚えそうな独特な名前だな。不知火か。それが、天道葵の本名?」
「現時点ではその可能性は非常に高いです」
わたくしは煙草をくわえて、カチッとライターの火を点けた。
「そして、その名簿にあった不知火ともう一人の男は、結局それから一年後の今から四週間前に、晦冥会の暗殺者バイフーによって殺されてしまった、そう言う事なのか。今ではその名簿には、二人の名前の横に×印が追加されているのかもな」
わたくしの頭の中に、暗闇からすっと白手袋の手が表れて、名簿に×印を書き入れる不気味な影が浮かんだ。
「そうかも知れませんね。天道も木原も、結局二人は既に死んでしまっているのですから」
「他には? その秘密の部屋には、他に何があった?」
あたかも自分が晦冥会の秘密の部屋に入ったような、そんな興奮をわたしは覚えた。
「謎の名簿をテーブルに戻して、次にわたしは左手の地形図の壁まで歩いて行って、一面に波を打つ等高線に光の輪を動かしました。地形図のその殆どが登山地図で、ざっと見た感じでは、全国各地の登山地図が無作為に画鋲で留められているようでした。けれどもこれらが、晦冥会の秘密の物的証拠とは、あまりに不釣り合いに感じられましたから、わたしはまた別の場所を調べようと、背後の仏壇の方へと足を向けました。その仏壇は晦冥会の宗派のもので、中心にある本尊台には、晦冥会の統主、不破昂佑の肖像画があり、香炉、燭台、仏器膳、高杯、瓔珞、吊燈籠、経机などが、懐中電灯の光を受けて不気味に光って見えました。そして、その仏壇の中で一際わたしの目を引いたのは、統主とほぼ同等の位置に飾られた、若い女性の肖像画でした。その女性の顔を見てわたしは、思わず「あ」と声を漏らしました。
ちょうどその時でした。室内の照明が一斉に点灯し、立ち去ったはずの幹部たちが、荒々しく部屋の中へと雪崩れ込んで来たのは」
「宗村さん、別に無理をしなくてもいいですよ。部屋で吸われるのはあれですけど、ここだったら広いですから」
どうやらわたくしのヤニ切れの様子を見るに見かねたらしかった。
「あ、そう? じゃあ、遠慮なく」
わたくしは頭の後ろに手を当てて、面目ないといった顔をして、ズボンのポケットから煙草を取り出した。
「しかしその記者を名乗る男、ちょっと話を聞いただけでも、相当怪しいな」
ライターの火に煙草の先端を当てた。
「週刊誌の記者って話だけど、そもそも何で君にそんなやばい話を持ち掛けて来たんだ? もしも君が、骨の髄まで晦冥会に精神を支配されていたとしたら、そいつは間違いなく君に密告されていただろう」
空いている席に向かって煙を吐いた。
「その男だって、馬鹿ではありません。ある程度の調べを進めた上で、わたしに接近して来たのだと思います。なぜなら、当時のわたしは、婚約者の行方不明になった経緯や、晦冥会がひた隠しにする裏の顔を、潜入調査までしても一向に暴く事ができず、次第に焦りの色が見えて来ていましたから。必要以上に精舎をうろついているわたしの姿を、きっと彼の鋭い眼光が見抜いていたに違いありませんし、それに、晦冥会の秘密の話をほのめかした時の、わたしの惹きつけられるような表情が、彼の予想を確信に変えたのだと思います」
美咲は、首筋の髪を左手に掴んで、そのまま肩から胸へと梳かしながら落とした。
「にしたってさあ、施設の地下にある、秘密の鉄扉の向こうへ入る方法だなんて、正にそいつが危険を冒して入手した極秘情報じゃないか? そんなのさあ、自分一人で鉄扉の向こうへ忍び込んで、晦冥会の秘密をそっくり持ち出せば、潜入調査としての目的は果たされるだろうし、何よりも潜入記者にとってこれ以上の偉業はないだろう」
わたくしは既に一本を吸い終わり、陶箱灰皿に吸殻を投げた。
「その男はわたしの両肩を掴んで、無精髭の顔を近づけてこう力説しました。その鉄扉の向こう側へは、自分一人では忍び込めないからくりになっている、二人掛かりでなければ簡単に足が付いてしまう、そこであなたのような同じ目的を持った同朋の手助けが必要なのだ、と。それから二人は、一旦は別々に廊下を歩いて行って、他の信者に怪しまれないような、受付からも目の届く一階のロビーで再び落ち合い、もう少し詳しい内容を話しました。その話の詳細とは、つまりこういう事でした」
わたくしは一度食堂の入口を振り返ってから、姿勢を正した。
「晦冥会の幹部たちは、ここF支部精舎を月一回のペースで訪れている。彼らの名分は一応、地区単位の信者たちの宗教活動をその目で巡視しているとなっているが、その実彼らは修行の場には姿を見せず、どうしたかと思えば、信者たちの瞑想の時刻を待つように、廊下に人影が無くなる頃を見計らって、やっと表に姿を現す。彼らの行方を柱の陰から見ていると、その足は、地下室へ下りた先にある謎の鉄扉の前で止まる。そこでは既に支部リーダーが待ち構えていて、無言でダイヤル式の扉の鍵を開錠する。幹部も別にキーを取り出して扉を開錠する。そして彼らは扉の向こう側へと消えて、約一時間は中から出て来ない。どうもその中で行われている何かが、晦冥会の秘密と大きく関係しているらしい。そしてここからが本題だが、閉じた鉄扉を根気良く待っていると、中から幹部の一人が扉を開錠して出て来る。そしてそのまま地上階へと階段を上って行く。こここそが、晦冥会の秘密の間に忍び込む絶好のチャンスとなる。一度出て来た幹部は、約五分後には元の通り鉄扉の中へ戻り、今度は施錠をする。この約五分の間、鉄扉の鍵が開きっ放しだと、男は言うのでした」
美咲は喉を休めるように、コップの水を口にした。わたくしはそれを見て、同じように珈琲を一口飲んで、
「その幹部が何をしに地上へ行くのか、気になる所ではあるが、それはまあ置いておいて、きっとそいつは鍵を持たずに、内側からの鍵を開けて扉から出て行くんだろうな。出て行く時には施錠できず、中に入った時だけ施錠する」
「その通りだと思います。とにかく記者が調べた話というのは、ここまででした。そして、これらの情報を聞いたわたしは、今まさに晦冥会の闇を暴く新しい道が開けたのだと、天に向かって祈るような思いでした。この後で男がわたしに協力を求めたのは、自分が見張り役を引き受けるから、鉄扉の鍵が開きっ放しの五分の間に、あなただけ扉の向こうへ忍び込んで欲しい、そして、その中から晦冥会の秘密の物的証拠を持ち出して欲しい、こう両手を合わせるのでした」
わたくしは煙草に火を点けもせず、険しい表情で話を聞いていた。
「実に興味深い話なんだけど、君の話を聞いた限りでは、俺は何だかその男に違和感を覚えるな。だってさあ、そいつはいざとなったら、君を見捨てて逃げる事ができるじゃないか」
美咲はこちらの意見に対して、同意するようなしないような、曖昧な受け流しを見せた。
「一年前のわたしはとにかく時間を焦っていました。何でも良いから晦冥会の秘密に近づきたい一心で、その為だったらどんな危険をも顧みないつもりでいました。それなものだからわたしは、彼の依頼に対して二つ返事で承諾しました。そして、待ちに待った月に一度の幹部たちの訪問日がやって来て、わたしたちは、月瑛の間の瞑想中の列から、こっそり二人だけ抜け出しました。影から影へと走って、施設の地下の講演用の演説台の裏に隠れて、じっと息を殺していました。
果たして男の言った通り、幹部たちは地下に靴音を響かせて、大きな鉄扉の前で立ち止まりました。無言で解錠を済ませると、幹部たちが中へ入ったのと同時に、重々しい音を立てて扉が閉じて、最後に内側からの施錠の音が響き渡りました。一人扉の外側に残された支部リーダーは、自分の役目を果たしたとあって、特に変わった様子もなくその場を立ち去りました。後は無音の時間が長らく続き、わたしと男は少し肩の力を抜いて、幹部の一人が出て来るであろうその瞬間を待ちました。男はよほど用心深いのか、演説台の裏では一言も口を利きませんでした。それくらい恐ろしい秘密に手を出しているのだと、わたしは改めて気の引き締まる思いがしました。どれほど時が流れたのか、突然鉄扉の開錠の音が響いて、一人の幹部が中から出て来ました。そして後ろ手に扉を閉じると、彼はそのまま地上への階段を上って行きました。今だ、と男がわたしの背中を叩きました。わたしは修行服を翻して、重く錆びた鉄扉に隙間を作ると、その中へと体を忍ばせました」
わたくしは指の間に煙草を挟んだまま、火を点ける事も忘れて、真剣に話を聞いていた。
「鉄扉の向こう側は、コンクリート壁の一本道となっていて、通路は奥にある木製の開戸へと真っ直ぐに延びていました。輸入などに使う胴桟付の荒材の木箱が、通路の隅にずらりと並んで置いてあるのを見て、わたしはその場の瞬時の判断で、箱の蓋を手で確かめて回りました。その内の一つに、釘の抜かれた古い蓋を見つけて、その木箱によじ登って中へ飛び込むと、後は頭から蓋を閉めて元の通りにしました。つまりわたしは、通路の木箱に身を隠して、誰もいなくなる時間までじっと待つ事を決心したのです。木箱の内側の様子に目を凝らしていると、先程鉄扉から外へ出て行った一人の幹部が、再び通路を引き返して来て、そのまま奥のドアを開けて中へ入っていきました。それからと言うもの、木箱の隙間に出来た細長い通路の光に目を近づけて、わたしは物音一つ立てずにじっと息をひそめていました。一時間でしょうか、二時間でしょうか、やがて幹部たちの笑い声が聞こえたかと思うと、奥のドアが開く音が聞こえ、複数の靴音がわたしの隠れる木箱を通過して、鉄扉の閉じる重い音と施錠の音とが、コンクリートの通路に響き渡りました。わたしは修行服の帯に忍ばせた懐中電灯を口にくわえて、両手でゆっくりと木箱の蓋を押し上げると、真っ暗闇の世界に顔だけ出しました。懐中電灯の小さな丸い光は、コンクリートの壁を滑るように動き、ヒビ割れた湿っぽいコンクリートの様子を照らしました。その光の輪を頼りにわたしは、奥の木製のドアの前まで進み、冷たいドアノブを手にして、そっと回してみました。こちらは施錠はしないようで、何の抵抗も無く簡単にドアは開きました」
突然廊下から電話の音が鳴り響いた。わたくしはその方向を振り返りもせず、美咲の次の言葉を待った。
「窓のない地下室は、当然明りの一つもない暗黒の世界でした。しかも煙草の煙と人いきれと地下の湿気が混ざって、わたしは思わずハンカチで口を覆いました。手探りで内側の壁を確かめると、照明のスイッチらしきものが指先に当たりました。しかし、このスイッチが引き金で、侵入者の情報が遠隔の地に連絡されてはまずいと、わたしは壁から手を離し、改めて懐中電灯を握り直しました。部屋全体を懐中電灯の光で照らすと、室内の広さは学校の教室と言った所で、奥には図書室に見るような書棚が三列に並んでいました。中央にはブラウン管のテレビ電話や灰皿や紙が置かれたテーブル、右手には二つの肖像画が飾られた仏壇、左手には壁一面にびっしりと地形図が画鋲で留められていました。先ずわたしは、テーブルの上に懐中電灯の光を当てて、一枚の紙を手に取りました。その紙には、ずらりと名前が印刷されていて、それは何かしらの名簿のような形式になっていました。懐中電灯を動かしても、その紙には名簿の題名がなく、しかし名前の書かれた項目の横に、×印がびっしりとつけられていました。この時のわたしはまだ晦冥会の暗殺者の存在を知りませんでしたから、この×印に込められた深い意味にピンとは来ませんでしたが、今にして思えば、その時に手にした名簿とは、晦冥会を脱会した幹部の暗殺リストだったのではないか思います。とにかくその時は、名簿の中に太古秀勝の名前がない事を確認しただけで、そのままテーブルの上に紙を戻しました。がしかし、やはり×印がどこか引っ掛かる感じがして、わたしはもう一度懐中電灯の光を名簿に当てて、名前と×印を指でなぞりながら、文字通り二つの項目を照らし合わせていきました。そして、名簿の最後の列に、×印の付いてない人物が二人、唯一存在しているのを発見しました」
わたくしは眉間に人差し指を当てて、頭を斜めに傾けた。
「ちょっと待ってくれ。晦冥会の秘密の部屋で見つかったと言う、その謎の名簿というのが、君が今言ったような晦冥会の暗殺リストだとすると、この二人の名前というのが」
美咲は背筋を伸ばした姿勢から、真っ直ぐにわたくしの顔を見つめて来た。
「お察しの通りです。わたしは、今回の天道葵と木原正樹の心中事件を調べている間中、ずっとその事が気になっていました。わたしが一年前の晦冥会の秘密の部屋で見た、あの謎の名簿の×印がなかった二人、この二人こそが、今から四週間前に発生した心中事件の当事者だったのではないかと」
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「天道と木原って、偽名を使っていたって話だっただろう? だからその謎の名簿には、天道とは別の名前が記載されていたという事なんだよね?」
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「不知火忍?」
わたくしの頭にその名前の漢字が出て来るまで、多少の時間を要した。
「へえ、確かに一目で覚えそうな独特な名前だな。不知火か。それが、天道葵の本名?」
「現時点ではその可能性は非常に高いです」
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「そして、その名簿にあった不知火ともう一人の男は、結局それから一年後の今から四週間前に、晦冥会の暗殺者バイフーによって殺されてしまった、そう言う事なのか。今ではその名簿には、二人の名前の横に×印が追加されているのかもな」
わたくしの頭の中に、暗闇からすっと白手袋の手が表れて、名簿に×印を書き入れる不気味な影が浮かんだ。
「そうかも知れませんね。天道も木原も、結局二人は既に死んでしまっているのですから」
「他には? その秘密の部屋には、他に何があった?」
あたかも自分が晦冥会の秘密の部屋に入ったような、そんな興奮をわたしは覚えた。
「謎の名簿をテーブルに戻して、次にわたしは左手の地形図の壁まで歩いて行って、一面に波を打つ等高線に光の輪を動かしました。地形図のその殆どが登山地図で、ざっと見た感じでは、全国各地の登山地図が無作為に画鋲で留められているようでした。けれどもこれらが、晦冥会の秘密の物的証拠とは、あまりに不釣り合いに感じられましたから、わたしはまた別の場所を調べようと、背後の仏壇の方へと足を向けました。その仏壇は晦冥会の宗派のもので、中心にある本尊台には、晦冥会の統主、不破昂佑の肖像画があり、香炉、燭台、仏器膳、高杯、瓔珞、吊燈籠、経机などが、懐中電灯の光を受けて不気味に光って見えました。そして、その仏壇の中で一際わたしの目を引いたのは、統主とほぼ同等の位置に飾られた、若い女性の肖像画でした。その女性の顔を見てわたしは、思わず「あ」と声を漏らしました。
ちょうどその時でした。室内の照明が一斉に点灯し、立ち去ったはずの幹部たちが、荒々しく部屋の中へと雪崩れ込んで来たのは」
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