プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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パラフィリア

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 そのロープは、座席の背凭れの裏の、骨組み部分のパイプに結ばれていて、その結び方というのが、いかり結びと言う重い物を吊るす結び方だった。そして、ロープの材質は、江口の首吊りロープと同じ、ごく一般的な市販の合繊ロープだった。
「これ、江口の首吊りと関係があるのだろうか」
「わたしにも見せて下さい」
 美咲はゴーグルを上げて、背中を振り返る格好で、短いロープを受け取った。そして、ヒップパックのチャックを開けて、中からコンベックスを取り出すと、素早くロープの長さを測定した。
「ロープの結び目から先端まで、三十七ミリの長さです。思ったよりも短い。ロープの先端は、ナイフか何か鋭利な刃物で、乱暴に切断された破断面となっています。宗村さん、乗客から死角になっているロープを、よく見つけられましたね」
 ロープの破断面を見つめる目が上がった。
「強風で煽られていたんだ。一瞬だけ先端が見えた。やっぱり、江口の首吊りと関係があるかな」
 わたくしは左腕を手すりに乗せた。
「昨夜、石動刑事から見せてもらった、江口サダユキの首吊りに使用されたロープと、この短いロープは大変よく似ています。しかし、あの時見た短いロープよりも、このロープはさらに短いです」
 顎にグローブの手を押し当てて、美咲は真剣に何かを考えていた。
「このリフトが、たまたま江口サダユキの自殺したリフトって事は、ないよね?」
 まさかと思って座席の至る所を見回した。
「支柱と支柱の間に座席は約五台あります。帰りの分と合わせると十台、支柱の本数が二十二本ありますから、単純計算でこのリフトには二三〇台の座席がある事になります。二三〇分の一です。通常ですとありえない話です」
「だよね。だとすると、このロープは別の用途で以前から結ばれていたのかな。全然違う業務用の用途で」
 美咲はあっと手を叩いた。
「宗村さん、前方の座席はどうでしょう、これと同じようなロープは結ばれているでしょうか?」
「前の座席?」
 わたくしはグローブで手庇を作って、降雪に霞む前方の座席に目を凝らした。
「んー。近いようで遠いな。よく分からないや。あるようにも見えるけど、ないようにも見える。細かい雪が邪魔をしてはっきりとは見えない」
 美咲はヒップパックに手を入れて、ポロプリズム式の双眼鏡を取り出した。何でも出て来る四次元ポケットだなまるで。
「あります。同じです、ほら」
 手渡された双眼鏡のレンズの中に、座席の骨組みのパイプに、同じように結ばれた短いロープが見えた。
「本当だ。あるねえ」
「では、後ろの座席はどうでしょうか?」
 わたくしは双眼鏡を覗いたまま振り返り、本体中心軸にあるリングを回して、両方の鏡胴の焦点を調節した。
「パイプに縛り目がかろうじて見えるね」
「なるほど、これと同じようなロープは、前後の座席にも結ばれていると言う事ですね。では、折返しの座席はどうでしょうか?」
 双眼鏡を一回外して、美咲の顔を確認してから、再び双眼鏡のレンズを覗いた。今度は思った以上に距離が近かったので、風で揺れる座席に合わせて、双眼鏡を左右に動かした。
「ないね。ない。どこにもロープは結ばれていない」
 美咲は返事もしないで、じっと何かを考えていた。
「あのさあ。自分で見つけておいて何だけど、この短いロープって、実は事件性が全くないって可能性はない? そもそも全く別の用途に使用されていたロープで、数年前から座席の背凭れにランダムに結ばれている、それをたまたま江口の首吊りロープを発見したタイミングで、同じようにほどかれたものだから、江口殺害に関係がありそうに思われてしまった」
 美咲の手の平に双眼鏡を置いた。そこで顔を上げた彼女と目が合った。
「二つのロープの材質は多分同じです。そして、一年以上の経年劣化は見た目からは感じられません。石動刑事も当然その辺りはしっかりと想定しているでしょうし、関係者に聞き込みもしているはずです」
 今度はわたくしが黙る番だった。
「じゃあ、このロープはやっぱり、江口の件と深い関係があると?」
「間違いないと思います。実際に首吊りに使用された長いロープと、背凭れのパイプに結ばれただけの短いロープ、バイフーはなぜこんな複雑な首吊りロープの使い方をしたのか。それはきっと、いつも使用している毒薬が使えない、暗殺者として極めて厳しい条件下での暗殺だったのではないでしょうか」
 青紫色の目を持つ女が、二本のロープを引き摺っている不気味な姿が、わたくしの頭に浮かんだ。
「んー。それって、つまりどんな条件だろう」
「バイフーが暗殺を行う上で、今回の江口はとても手強い相手だったという事です」
 雲の裂けて現れた青空が、恐ろしいスピードで木々の間を通過した。今朝からずっとこのような天候だ。
「江口が手強い相手?」
「そうです。今回バイフーは、二本のロープを駆使して江口を殺害している。相手を油断させての毒殺ではなく、です。これだけ考えてみても、江口がゲームコーナーで密会していた女性が、バイフーである事を彼は承知した上で、最大限に警戒をしながら、密会をしていた事になります。警戒をしているのですから、毒が混入しそうな飲み物は一切飲みません。にもかかわらず江口は、バイフーによってあっさりと殺害されてしまった。それを成せるには、やはりバイフーは、首吊りロープ一本では足りなかったという事です」
 美咲は目の前にロープの先端を上げて、破断面を回転させた。わたくしは煙草を取り出して、美咲の了解を得てから、煙草に火を点けた。
「少し話が混み合って来たから、ここでまたいつものように、話を整理させてもらうよ。
 江口サダユキは昨日、一人でリフト乗り場に現れて、乗客補助を担当していた柵という係員に、座板の雪が付着している事にクレームを付けた。そして、イラつく係員にリフトを停止させてまで、大した事のない雪を払わせると、一人悠然とリフトに乗車して行った。その後彼は首吊りの遺体となって、リフト降り場で発見された。その首吊りに使用されたロープの材質は、量販店などで見られる市販の合繊ロープで、結び方は、ひと結びという手軽な方法で、それはリフトの手すりに結ばれていた。そしてもう一本、このロープと同じような短いロープが、リフトの背凭れの裏のパイプに、いかり結びという、重い物を吊るす結び方で、結ばれていた。そのロープの先端というのが、ナイフか何か鋭利な刃物で、切り刻むように切断されていた。そして、ハングマンズノットという結び方で首に巻かれた傷跡は、ハングマン骨折という、通常の首吊り自殺では見られないような、非常に強い力が脊椎に加わった痕跡が見られた。翌日の今日になって、俺たちがたまたま乗ったリフトの、背凭れの裏のパイプに、全く同じような短いロープが、これまた同じようにいかり結びで結ばれていた。しかしその長さだけは、江口が死んだリフトのものよりも短かった。そして、それは前の座席にも、後の座席にも、同じように見られたが、折り返して来た座席には、全く見られなかった」
 わたくしの吐いた白い煙は、ある一定まで立ち昇った所で、急に激しく姿を変えながら、一瞬で強風に攫われて行った。
「この短いロープの切断された先の部分は、一体どこにあるのでしょうか」
 独り言のように美咲は疑問を口にした。
「言われてみれば、そうだね。長いロープは結び目から結び目まで、切断された痕跡がない。だけど短いロープの先端は切断されて、その先の部分は今の所どこからも発見されていない。という事は、バイフーがそのまま持ち去ったのだろうか」
 でも、なぜ。
「未だ発見されていないロープの先端にこそ、バイフーの犯行のヒントが隠されているのではないでしょうか」
「なるほど、という事は、江口を殺害した後で、短いロープの先端を現場に残しては、バイフーにとって非常に都合が悪かった」
 煙草の先端を赤くさせてから、わたくしは頭を抱えた。
「ああもう堂々巡りだ。これだけ考えても二本のロープの意味なんて全っ然分からない。腑に落ちない部分はあるけど、江口は首吊り自殺をしたと断言した警察の気持ちが分かるよ」
 わたくしのその大きな声のせいか、高い木の枝で休んでいた野鳥が、翼を羽ばたかせて飛び立った。その些細な反動で枝がしなり、そのしなりによって枝に積もった雪が滑り落ち、下の枝から枝へと雪を落し、最終的には枝の全ての雪がほぼ地面へ落してしまった。大規模の雪煙が、こちらまで流れて来て、頬や額を冷やした。美咲はその様子に目を大きくした。
「雪の重さに枝が耐えきれなくなったんだな。鳥が飛び立つちょっとした反動でも、あんな風に雪が全て落ちてしまう」
 わたくしは煙草の吸殻を携帯灰皿の中へ入れた。
「そう、だわ。そう。きっかけがあれば、木の枝に降り積もった雪でさえ、一気に落ちてしまう。最初のきっかけは、野鳥が飛び立つような、些細なもの。それで十分。それで」
 美咲の瞳が徐々に大きくなっていった。
「一本目の短いロープは、きっかけに過ぎない。そう、それは江口を殺すためのものではなかった」
「そういえばさ。江口の遺体の全身に大小様々な古傷があったじゃない。あれって、もしかしたら遊びでできたんじゃないかな」
 美咲の鋭い目がわたくしの顔を射抜いた。
「宗村さん、少し静かにしてもらえますか。もう少しで何かが分かりそうなんです」
 わたくしは叩かれるのを防ぐような格好で、
「ああ、ごめんよ。ちょっとふいに思い出した事があって、何かのヒントになればと思って」
 美咲はふと我に返るように、
「宗村さん、今、なんて言いました?」
「え? 何かのヒントになればって」
「そうじゃなくて。江口の遺体の古傷がどうのって」
 わたくしは深く腕を組んだ。
「ああ、君も見ただろう? 江口の拷問でも受けたようなおぞましい古傷の数々。あれってさ、俺が以前風俗情報誌の記事を頼まれた時に、たまたま取材に同行した先で、そっくりな古傷を見たんだ」
「風俗?」
 きれいに眉が寄った。
「そいつは加虐被虐性愛に傾倒している性的嗜好者で、アンダーグラウンドの店舗、いわゆる同好の士が集まる場だけを提供し、店側はそこで行われるSM行為に関知していない建前で、性風俗特殊営業に該当しない店に、連日通う極度のマゾヒストって奴がそいつで、ボトムからトップへのセーフワードを決して口にしないで有名なんだとさ。パラフィリアと呼ばれる精神障害として、俺はちょこっと記事を書いた事がある」
 美咲はロープを両手で引っ張った。
「その精神障害者の体の傷と、江口の古傷が似ていた?」
「雑誌には、熱した鉄を押し当てたような、おぞましい背中の古傷の写真も掲載したんだ。それに対して性的嗜好者の男は、全く恥ずかしがる様子も見せなかった。雑誌が発売されて、当時結構反響を呼んだんだ」
 美咲は目を細めて話を聞いていた。
「江口サダユキは、晦冥会の幹部であり、人気お笑い芸人でありながら、密かに性的嗜好者のパラフィリアだった? 極度のマゾヒストは、被虐性愛によって得た古傷を、全く恥じる事がない。江口は、まさか」
 ハッとした表情を見せた美咲は、座板に置いていたデータロガーを手に取ると、レーザー距離計の保存データの確認を始めた。
「宗村さん、もしかしてわたしたちって、推理小説などで大活躍する名コンビなのかも知れません。だってわたし、宗村さんと話している内に、全てが分かった気がするんです。なぜバイフーは二本のロープを必要としたのか。なぜ江口はハングマン骨折をしていたのか。これら全ての答えが」
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