プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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バイフーからの手紙

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 厨房の外倒し窓に、吹き回す雪の影が動いていた。食堂や廊下、談話室や二階からは、話し声や物音などが一つもなく、このペンションには我々以外誰もいないように思われた。
「協力者って、一体どう言う意味だ」
 背後にあるコールドテーブルに、わたくしは右手を置いた。
「ですから、あたしはバイフーに協力をしているんです。このペンションの様子や、宿泊者の滞在情報を、定期的にバイフーへ連絡しているんです」
 コールドテーブルに置いたわたくしの右手が、重ねられたソテーパンの柄に当たり、同じように重ねられたテーパーパン、ソースパンが一気に崩れた。銅鍋を打つけたたましい音が食堂に鳴り響いた。
「宗村さん、静かにして下さい」
「わ、分かっている」と、わたくしは両手を広げて、銅鍋を左右から押さえながら、
「君は、君が、今回の一連の事件の黒幕なのか? 君の働きによって、四人もの罪もない人間が」
 あずさは水溜り一つない衛星的な床を蹴った。
「違います。元はと言えば、高田さんがバイフーの協力者だったんです」
「高田さん?」
「そうです。高田さんは今までずっとバイフーに情報を流していたんです」
 銅鍋の正しい重ね方が分からず、わたくしは慌てた手つきで適当にソテーパンを並べていった。
「高田さんが、バイフーの協力者だった? でも、どうして。彼女、ごくごく普通の従業員に見えたけど」
 あずさはニットの袖口を片方ずつ伸ばしながら、
「高田さんは、バイフーに憧れていたみたいなんです。これは聞いた話なんですけど、高田さんは晦冥会に入信した後、密かに幹部を通じて、晦冥会の暗殺者であるバイフーに志願したそうなんです」
「!」
 高田はやはり晦冥会の信者だった? 今回の江口変死について、石動刑事から事情聴取を受けた中で、信仰宗教を問われた際、彼女は晦冥会と回答した。そして。
「でも、当然の事ながら、高田さんはバイフーになんかなれるはずがなかったんです。理事長に話が通る前に、幹部から門前払いをされたそうなんです」
 あずさは話を続けながら、大理石仕様のアイランドをゆっくりと時計回りに歩き始めた。
「待て待て。一体どこでそんな話を」
「岸本鈴子さん、オーナーの奥さんの話です」
 ガスフィントップレンジ、ガスオーブン、ガスローレンジなど、あずさは、炎が好きそうな岸本の厨房を見て回った。
「岸本の嫁だって? 彼女は確か、夫の不倫に怒って、今は実家に帰っているはず」
「オーナーがそう言っているんですか? そうですか。でしたら、それはオーナーの思い違いか、鈴子さんの口実です。鈴子さんはいま、娘の柚希ちゃんと一緒に、都内の或るマンションに避難しているんです」
「避難?」
 慣れた調子で厨房内を見て回るあずさの姿に、わたくしは目を動かしていった。
「あたし、昨日の高田さんの異常なまで怯えた姿が妙に引っかかって、今朝ここへ来る前に、鈴子さんの携帯電話に電話を掛けたんです。高田さんのおかしな様子と、今の警察に保護されている事を手短に話したら、鈴子さん、他でもないあたしだからって、色々打ち明け話をしてくれました。今までの高田さんの異常な行動を」
 何食わぬ高田の笑顔の裏には、もう一つの顔があったというのか?
「意外と知らない人は多いですが、鈴子さんも高田さんも、晦冥会という大きな宗教の信者なんです。鈴子さんは、元々は紀瑛総連という昔からある宗教の信者でした。でも、月宗冥正会と紀瑛総連が『月下の託宣』の証言通りに、同じ宗派として晦冥会となって以来、そのまま晦冥会の信者となったわけです」
「岸本の嫁が、晦冥会の信者」
 美咲が晦冥会を説明したその通りの事を、今あずさは淡々と話している。と言う事は、いまあずさが話している晦冥会の内情は、あながち嘘ではないと言う事になる。
「一方の高田さんはと言えば、晦冥会が誕生してからの比較的新しい入信者だそうで、恐らく幹部である江口サダユキも知らないくらい新しい顔だったとか。でも、とても熱狂的な信者だったそうで、その信仰の熱は、統主・不破昂佑へ向かうのとは少しかけ離れた方面へ進んで行って、さっきあたしが言った通り、バイフーという晦冥会の暗殺者へ密かな憧れを抱いていたそうなんです。鈴子さんがたまたま高田さんのバッグの中身を見る機会があった時も、中から有害な錠剤が出て来たり、見るもおぞましい拷問器具が出て来たりと、その異常性は常軌を逸していたそうです。更には、天道さんが自殺する前日に、二人の死を嬉しそうにほのめかしていたというので、鈴子さんは、これはいよいよ本格的に危険な人物だと警戒して、柚希ちゃんを連れて、都内のどこかへ身をひそめたというわけです」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いきなりそんな話をされて、俺に信じろと言うのか?」
 わたくしは顔を洗うように、両手の手の平で顔の皮を擦った。
「宗村さんが信じようが信じまいが、これが真実なんです。高田さんはバイフーに強い憧れを持っていた。そして、その思いが高じて、とうとうバイフーと連絡を取るようになった」
 あずさはチュールスカートのポケットに右手を入れて、中から一枚の封筒を取り出した。三角形のフラップで合せ目が斜めになっているタイプ、一般的にダイヤモンド貼りと呼ばれる封筒だ。
「これは?」
「バイフーからの手紙です」
「!」
 半信半疑の手を伸ばして、バイフーから送られてきたと言う封筒を受け取った。一度あずさの顔を確認してから、わたくしはゆっくりとフラップを開けた。
「これは、ペンションの玄関ポーチにある、郵便受けの裏側に、テープ留めで貼られていたものです。通常ですと週に一回程度、ここ最近は二日に一回と早いペースになってきていると、高田さんは話していました」
「高田さん?」
「そうです。この手紙の件も、昨日の高田さんからの仕事の引き継ぎの中の一つでした。もちろん高田さんは、『バイフー』なんて言葉は使いません。これは鈴子さんの話を聞いたあたしの推測で言っています。でも、天道さんの心中事件や、江口サダユキのリフト上での首吊り自殺を考えると、これら警察をも欺く殺人の数々は、暗殺のプロであるバイフーの仕業以外には考えられません。そして、その暗殺を示唆してきた高田さんの連絡相手は、どう考えてもバイフーに違いありません」
「うーむ」
 わたくしは強めに頭を掻いた。
「いま宗村さんが開いている便箋に、色々な質問が印刷されていますよね? この質問に対しての回答を書いて、また同じように郵便受けの下に貼っておくと、次に気づいた時には、封筒はなくなっているんです」
 白無地罫線なしの便箋に、ごく一般的なゴシック体の書体で、十項目ほどの質問が印刷されていた。
「参ったな、これは」
「高田さんは、こうしてバイフーとの連絡を繰り返す事によって、天道さんの心中事件や、江口の首吊り自殺について、事前に知る事ができたわけです。バイフーの協力者として、ある種誇りに思うところがあったと思います。
 ところが最近になって、このやり取りに異変が起き始めたんです。と言うのも、江口サダユキの自殺の予告は、高田さんにとって大きな違和感でしかありませんでした。江口サダユキと言えば、売れっ子お笑い芸能人である傍ら、芸能界での晦冥会の布教活動を行う功労者でもあります。彼の影響でどれだけの入信者が増えたか、支部十個分とも鈴子さんは言っていました。とにかく統主の不破昂佑様からも、大きな賞を受賞していた花形の幹部です。にもかかわらずバイフーは、彼の自殺を平気で予告してきた。そしてそれは、現実のものとなった。
 高田さんが憧れていたバイフーとは、晦冥会を欺き脱会した背信者を、地獄の業火へ葬るヒロインだったはず、それがなぜ晦冥会の花形である功労者を暗殺したのか。そもそも自分が連絡を取っている相手とは、本当にあの憧れのバイフーなのか? そう高田さんは混乱し始めたんだと思います。そこへきての江口サダユキの遺品と思われる携帯電話が、突然自分のバッグに入れられていた。これにより高田さんは完全に錯乱してしまったんだと思います。江口サダユキの次の暗殺のターゲットは、まさか自分ではないのか、そう高田さんは恐怖に支配されて、その結果として、あたしが働くふるやに連絡を入れて、あたしにアルプの後任を頼んで来た。バイフーからの手紙の件も含めて」
 あずさは話の中で、骨付き肉や半冷凍物、カニなども切ることができる洋出刃を手に取って、刃先を顔の前に上げた。わたくしは生唾を飲み込んだ。
「じゃあ、バイフーの手紙とやらは、それからも?」
「はい。昨日今日と連日、ペンションに関するあらゆる質問が届けられていました。あたしは不思議に思いながらも、高田さんから引き継ぎされた通り、便箋に回答を書いて、それを郵便受けの裏に貼りました」
 便箋に印刷されたバイフーからの質問に、わたくしは目を動かした。
「それが君の言う、バイフーの協力者という意味か」
「そうです。それこそあたしは、こんな最悪な事態に発展するまで、その手紙の危険性に全く気が付きませんでした」
 続いてあずさは、パティスリーのマーブルトップへと歩いて行った。
「通りで今回バイフーは、首尾良く江口とゲームコーナーで接触できたわけだ。そこには高田さんが一枚噛んでいたと言うわけだな」
 わたくしは膝を叩いた。あずさは樹脂で加工された、銀製のプラッターを収納する棚を引いた。
「あたしは別に、バイフーなんてどうでもいいですし、それがどこの誰であろうとも、あまり興味はありません。もしかしたら高田さんは、バイフーの手に掛かってしまったんだとしても、自業自得なのではないかと思うだけです。
 だけど今、バイフーの次なる暗殺ターゲットが、椎名美咲さんとなっている事について、あたしは深刻に事態を受け止めているんです」
「そこだ。なぜバイフーは美咲を」
 あずさは厨房の品々から手を離し、ゆっくりと顔を上げた。
「美咲さんは、江口サダユキの首吊り自殺について、深く追求し過ぎています。生前の江口サダユキが、天道さんの心中事件を調べていたのと同じです。バイフーが江口の自殺を予告した時も、彼についての質問がとても多かったと言います。携帯電話の番号、スノーボードのウェアの細かい質問など。そして、今度は美咲さんの質問がとても多いのです」
 いまわたくしが開いている便箋の中にも、美咲に関する質問が幾つか見られた。
「とにかく、天道さんや江口サダユキをあっさりと殺した凄腕の暗殺者は、次のターゲットを美咲さんに決めているという事です」
『ただ一つ、これだけは肝に銘じてくれ。どんな事があろうと決して美咲を一人にしないこと。美咲はプライドが高く勝気な性格の持ち主だが、探偵としてはまだ半人前だ。バイフーの方が一枚も二枚も上手だ。だから美咲がなんと言おうと一人にしないでくれ。彼女を守れるのは唯一君だけなのだ』
 敷島の言葉がわたくしの胸に突き刺さった。
「ですから、美咲さんの命を守るためにも、宗村さんはあたしを抱きしめる必要があると言うのです」
「そこだ、そこ。なぜそうなるんだ。確かに俺は、今の話からしてみれば、是が非でもバイフーから美咲を守らなければならない。それは分かる。俺が抱きしめる相手は、少なくとも美咲であるはずだ。君ではない。そこをなぜ、なぜ俺は君を」
「あたしがその気になれば、あたしが本気を出せば、晦冥会の暗殺者バイフーの動きを止められるからです」
「何だって?」
 わたくしの右足は、自然に一歩前へと出た。
「宗村さん、今まで黙っていてごめんなさい。あたし実は、晦冥会の最高権力者、不破昂佑の孫なんです」
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