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悪用された社員カード
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わたくしは約まる所わたくしとあずさが抱き合うはめになったそのとてつもない背景と公明正大な目的を彼女へ向かって耳を揃えて説明する事も許されないまま、石動刑事とその部下によってわたくしは神輿でも担ぎ上げるようにして雪の外へ連れ出され玄関に横付したミニバンの後部座席へ押し込まれた。
「こら! 俺に自由はないのか!」
わたくしは閉じたスライドドアのガラスを手の平で叩いた。助手席へ乗り込む若い男の刑事へ首を回すと、隣りのシートに女性が座っている事に気付いた。お互い視線を合わせて「あっ」と言う顔をした後、何となく居住まいを正した。彼女は確か、昨夜の総合病院の病室に同席していた、羽賀と言う女性刑事だ。彼女はすぐに軽い会釈をし、わたくしも戸惑いながら同じ動きをした。
体格の良い若い刑事が、助手席から後ろを振り返った。
「あなたが敷島レナのお知り合いと言う宗村さんですね。俺は加藤です。そっちは羽賀」
「は、はあ。どうも」
加藤がシートベルトを締めると、石動はギアをバックに入れて、車の方向転換をさせた。
「宗村さん」
ハンドルを切る石動が、自らのシートベルトを掴んで見せた。わたくしは慌てて左肩にあるベルトを引く。
「すいません宗村さん、突然の事できっとひどく驚かれたでしょう」
と、隣りに座った羽賀が、わたくしに警察手帳を見せながら、
「石動から大体の事情は聞いていると思いますが、私たちはこれから、連続殺人犯の容疑者を追って、スキー場に隣接したインターネットカフェへと向かいます」
ショートボブで色白の女性の顔写真と、羽賀希という名前と、その下の黄金の旭日章に、警視庁の文字が見えた。
「あのう、やっぱり、県警の方ではないんですね」
助手席の加藤が再び振り返り、同じく警視庁の手帳を見せた。
「この地で起きた事件に関しては、当然県警が担当します。しかし、晦冥会が生み出した史上最悪の暗殺者をとっ捕まえるのは、我々警視庁の出番と言うわけです」
羽賀は加藤からわたくしへ顔を戻して、
「これから私たちが向かう、通称ネットカフェの回線から、容疑者によるものと思われるハッキング、正式にはクラッキングと言いますが、その悪意ある不正行為が、現在でも複数確認されています。昨日の時点で既に同様の不正アクセスが確認され、次の機会を探っていた所、つい先頃からハッキング行為が再開されました。
その連絡を受けた我々は、非常に緊急を要して、アミューズメント施設全体に包囲網を張る事を決断しました。つまり、連続殺人犯の身柄を確保する為に、警視庁主導の極秘捜査を開始したのです。
施設の全ての開口部、インターネットカフェエリアの出入口に、一人以上の刑事を待機させた関所を設置し、施設への立ち入りは基本的には禁止され、現在容疑者は正に袋の鼠状態となっています。私たちが施設に到着したのと同時に、早速今回のハッカーを絞り込む作業に入ります。ここで重要になって来るのが宗村さん、容疑者の素顔を目撃しているあなたの存在と言うわけです。身長、風貌、性別、年齢など、昨日目撃した女の特徴と最も当て嵌まる人物を、少なくとも五人以内に絞り込めれば、その中から我々は容疑者を特定できると自負しています」
警察の話を聞く限りでは、閉鎖されたネットカフェに於いて、虱潰しにインターネット利用者を当たれば、バイフーの身柄は確保できるかのように聞こえた。
わたくしは用心深く頷いて見せてから、
「これから向かうネットカフェで、繰り返しハッキング行為をしている人物が、今回の犯人という保証は?」
この質問に対して羽賀が答える前に、ハンドルを握った石動が口を開いた。
「宗村さん、やけに疑いますね。昨日からハッキング行為を繰り返している人物が、連続殺人犯である保証は、一枚のカードの存在です。
宗村さんはご存じでしょう。昨日ゲレンデに於いて椎名美咲さんと衝突した女。その不可解な女は、椎名さんと衝突した衝撃で、自分の所持品をゲレンデにばら撒いた。その女は、周囲に散乱した自分の所持品を拾う際、誤って椎名さんのSТGの社員カードを持ち去ってしまった。なんて運命の悪戯でしょうか、反対に、椎名さんはその女が所持していた晦冥会の会員証を拾った。ああ、それを拾ったのは確か宗村さんでしたか」
『これは、晦冥会のシンボルの入った会員証です。しかも、幹部以上の人間のみが所持する事のできる、晦冥会でも特別なカードです』
昨夜の美咲は、黒いクレジットカードのようなものを一枚、人差し指と中指の間に挟んでいた。
「そんな事まで。その話は、美咲から直接聞いたんですか?」
「いいえ。敷島さんです」
「?」
敷島? 彼は警察と情報を共有しているのか?
「まあとにかく、椎名さんとその謎の女の衝突事故が起きた、その数時間後の事です、椎名さんのSТGの社員カードの情報を利用したハッキングが開始されたのは」
「え」
話の途中で羽賀は、腿の上にエディターズバッグを置いて、中から透明なビニール袋を取り出した。その中には、二枚の黒いカードが入っていた。羽賀はビニール袋をわたくしの目の前へ上げて、
「こちらは晦冥会の会員証と、SТGの社員カードです。無論これらはサンプル品になります。この二つのカードは、一見見分けがつきません。よく見て下さい、一方のカードには、晦冥会のシンボルである、半月と七紋がエンボスとなって入っています。一方はSТGのアルファベットを簡素化したロゴが記載されている。非常によく似ていますね。敷島さんからの情報提供によりますと、晦冥会の会員証を作った人物と、SТGの社員カードを作った人物は、同じだそうです」
「はあ?」
晦冥会に身柄を拘束された美咲は、敷島の裏取引によってその身柄をSTGに引き渡された。そして、晦冥会の会員証とSТGの社員カードを作った人物は、同一人物だと言う。どうも晦冥会とSТGは、全くの無関係とは思えない。
羽賀は黙り込んだわたくしの顔を下から覗き込むように、
「つまり、椎名さんの社員カードの情報が悪用され、昨日からハッキング行為が繰り返されていると言う事は、その回線元であるネットカフェに潜伏しているハッカーこそ、昨日椎名さんと衝突した女と言う事なんです。ご理解いただけましたか?」
透明なビニール袋に入った、二つの黒いカードを見比べて、わたくしは深く唸った。
「なるほど。今回本庁の刑事たちが、緊急を要してネットカフェへ向かう理由が、これで大体分かりました。そして、俺がその捜査に駆り出される背景も、まあ分かりました。
しかし、戦後最大級の連続殺人犯を捕まえると言う、相当な規模の極秘捜査は良いんですけど、そもそもあなた方警察は、晦冥会の暗殺者バイフーと言うものが、一体どこの誰なのか、そこを明確にしてあるのでしょうか?」
ルームミラーに石動の視線があった。
「実に鋭いご指摘だ。あなたは今我々警察に対してとんでもなく難しい質問をされた。バイフーとは一体誰の事なのか。名前は、年齢は、国籍は、性別は。その秘密を知った者、その多くは既に命を落としています。我々警察にとって、晦冥会の信者にとって、バイフーと言う女は、まるで『戒め』という言葉そのもののような、実体を感じさせない存在だ。
宗村さん、では反対にこちらから質問させてもらいます。バイフーとは一体、誰の事なんですか?」
加藤も羽賀も、わたくしの顔に注目をした。
「バイフーの正体」
『そんな、馬鹿な。だって、一年半もペンションに住み込んでバイトをしていながら、その姿を写した写真が一枚も残っていないだなんて』
『天道葵の姿を写した写真は、見つからなかったんです。岸本さんに至っては、彼女との思い出の写真まで、今は行方が分からなくなってしまっている』
「それは」
「不知火忍ですか」
「!」
なぜ、その名前を。
ルームミラーにある石動の目が、鋭くわたくしを観察していた。
「宗村さん、あなたは本当に正直な人だ。不知火忍と言う名前、あなたは既にご存知のようだ」
わたくしは隣りの羽賀を見た。彼女もわたくしの表情を観察していた。
「ご存じ、と言う程でもないです。知っているには、知っていますけど。でも、偶然に知ったと言うか。しかし石動さんは、どうして不知火の名前を知っているんですか?」
石動はドアガラスを少し開けて、片手で煙草に火を点けた。
「我々もただ遊んでいたわけではないと言う事です。晦冥会の暗殺者、バイフーの素顔を暴こうと、僕らは日夜靴底を減らし、彼女の足取りを追っているんです。まあ尤も、こんな雪国で靴底は減りはしませんがね」
羽賀が咳払いを一つした。
「まあ、そうした足を使った聞き込み捜査の中で、我々はようやく不知火忍という一人の女の存在に辿り着いたんです」
車はスキー場の方角へとひた走っていた。遠くの山を見れば、疎らに雪は降っているようだったが、ワイパーを動かす程でもなかった。
「あ、もしかして、昨夜の意識不明の女性が、目を覚ましたとか」
わたくしは再び羽賀の顔を見た。彼女は首を横へ振って、静かに口を開いた。
「宗村さん、残念ながら昨夜の女性は、今なお意識障害がある状態です。ECSの意識レベル評価値は非常に深刻で、恐らくは今頃、ご家族の方が見えられて、インフォームドコンセントに基づき、担当医師から詳しい病状と、今後の治療計画の説明を受けているでしょう」
「じゃあ」
何で不知火の名前を?
石動はドアの隙間に向かって煙を吐いた。
「いいでしょう。これから宗村さんには、バイフー身柄確保の大一番において一翼を担って頂くのです、我々警察が、不知火忍と言う一人の女の名前に辿り着いた、その経緯を少しお話しておきましょう」
「石動さん」
加藤は石動の腕を掴み、次には小声で、
「幾ら何でもこれ以上は」
石動はその手を見下ろして、
「加藤君、君の言いたい事は分かります。羽賀さんの言いたい事もね。しかしここは、僕の好きにさせて下さい。
僕はね、今回の極秘捜査に全てを掛けているんです。バイフーがこれ程まで表舞台に出て来た事は過去に例がありません。これを逃してはなりません。そこへ来て、宗村さんを強い味方につけておけば、今回のバイフー捕獲は、ある一定以上の成果を上げる事が出来る。宗村さんは、今回の事件のキーパーソンなんです。我々の大捜査線を引いた上にも、更なるプラスαと成り得る大切な存在なんです。バイフーさえ捕まえる事ができれば、僕は刑事罰だって何だって、甘んじて受ける覚悟はありますよ」
「しかし」
わたくしは首の後ろに手を当てて、前席の険悪なムードを眺めた。どうやら加藤は『職務上知り得た秘密を漏らしてはならない』守秘義務について石動を諌めているようだった。
石動は、ごねる加藤の肩に手を置いて、整った横顔をわたくしに見せた。
「宗村さん、僕がバイフーの名前を突き止めたのは、倉石留美に目を付けたからです」
「こら! 俺に自由はないのか!」
わたくしは閉じたスライドドアのガラスを手の平で叩いた。助手席へ乗り込む若い男の刑事へ首を回すと、隣りのシートに女性が座っている事に気付いた。お互い視線を合わせて「あっ」と言う顔をした後、何となく居住まいを正した。彼女は確か、昨夜の総合病院の病室に同席していた、羽賀と言う女性刑事だ。彼女はすぐに軽い会釈をし、わたくしも戸惑いながら同じ動きをした。
体格の良い若い刑事が、助手席から後ろを振り返った。
「あなたが敷島レナのお知り合いと言う宗村さんですね。俺は加藤です。そっちは羽賀」
「は、はあ。どうも」
加藤がシートベルトを締めると、石動はギアをバックに入れて、車の方向転換をさせた。
「宗村さん」
ハンドルを切る石動が、自らのシートベルトを掴んで見せた。わたくしは慌てて左肩にあるベルトを引く。
「すいません宗村さん、突然の事できっとひどく驚かれたでしょう」
と、隣りに座った羽賀が、わたくしに警察手帳を見せながら、
「石動から大体の事情は聞いていると思いますが、私たちはこれから、連続殺人犯の容疑者を追って、スキー場に隣接したインターネットカフェへと向かいます」
ショートボブで色白の女性の顔写真と、羽賀希という名前と、その下の黄金の旭日章に、警視庁の文字が見えた。
「あのう、やっぱり、県警の方ではないんですね」
助手席の加藤が再び振り返り、同じく警視庁の手帳を見せた。
「この地で起きた事件に関しては、当然県警が担当します。しかし、晦冥会が生み出した史上最悪の暗殺者をとっ捕まえるのは、我々警視庁の出番と言うわけです」
羽賀は加藤からわたくしへ顔を戻して、
「これから私たちが向かう、通称ネットカフェの回線から、容疑者によるものと思われるハッキング、正式にはクラッキングと言いますが、その悪意ある不正行為が、現在でも複数確認されています。昨日の時点で既に同様の不正アクセスが確認され、次の機会を探っていた所、つい先頃からハッキング行為が再開されました。
その連絡を受けた我々は、非常に緊急を要して、アミューズメント施設全体に包囲網を張る事を決断しました。つまり、連続殺人犯の身柄を確保する為に、警視庁主導の極秘捜査を開始したのです。
施設の全ての開口部、インターネットカフェエリアの出入口に、一人以上の刑事を待機させた関所を設置し、施設への立ち入りは基本的には禁止され、現在容疑者は正に袋の鼠状態となっています。私たちが施設に到着したのと同時に、早速今回のハッカーを絞り込む作業に入ります。ここで重要になって来るのが宗村さん、容疑者の素顔を目撃しているあなたの存在と言うわけです。身長、風貌、性別、年齢など、昨日目撃した女の特徴と最も当て嵌まる人物を、少なくとも五人以内に絞り込めれば、その中から我々は容疑者を特定できると自負しています」
警察の話を聞く限りでは、閉鎖されたネットカフェに於いて、虱潰しにインターネット利用者を当たれば、バイフーの身柄は確保できるかのように聞こえた。
わたくしは用心深く頷いて見せてから、
「これから向かうネットカフェで、繰り返しハッキング行為をしている人物が、今回の犯人という保証は?」
この質問に対して羽賀が答える前に、ハンドルを握った石動が口を開いた。
「宗村さん、やけに疑いますね。昨日からハッキング行為を繰り返している人物が、連続殺人犯である保証は、一枚のカードの存在です。
宗村さんはご存じでしょう。昨日ゲレンデに於いて椎名美咲さんと衝突した女。その不可解な女は、椎名さんと衝突した衝撃で、自分の所持品をゲレンデにばら撒いた。その女は、周囲に散乱した自分の所持品を拾う際、誤って椎名さんのSТGの社員カードを持ち去ってしまった。なんて運命の悪戯でしょうか、反対に、椎名さんはその女が所持していた晦冥会の会員証を拾った。ああ、それを拾ったのは確か宗村さんでしたか」
『これは、晦冥会のシンボルの入った会員証です。しかも、幹部以上の人間のみが所持する事のできる、晦冥会でも特別なカードです』
昨夜の美咲は、黒いクレジットカードのようなものを一枚、人差し指と中指の間に挟んでいた。
「そんな事まで。その話は、美咲から直接聞いたんですか?」
「いいえ。敷島さんです」
「?」
敷島? 彼は警察と情報を共有しているのか?
「まあとにかく、椎名さんとその謎の女の衝突事故が起きた、その数時間後の事です、椎名さんのSТGの社員カードの情報を利用したハッキングが開始されたのは」
「え」
話の途中で羽賀は、腿の上にエディターズバッグを置いて、中から透明なビニール袋を取り出した。その中には、二枚の黒いカードが入っていた。羽賀はビニール袋をわたくしの目の前へ上げて、
「こちらは晦冥会の会員証と、SТGの社員カードです。無論これらはサンプル品になります。この二つのカードは、一見見分けがつきません。よく見て下さい、一方のカードには、晦冥会のシンボルである、半月と七紋がエンボスとなって入っています。一方はSТGのアルファベットを簡素化したロゴが記載されている。非常によく似ていますね。敷島さんからの情報提供によりますと、晦冥会の会員証を作った人物と、SТGの社員カードを作った人物は、同じだそうです」
「はあ?」
晦冥会に身柄を拘束された美咲は、敷島の裏取引によってその身柄をSTGに引き渡された。そして、晦冥会の会員証とSТGの社員カードを作った人物は、同一人物だと言う。どうも晦冥会とSТGは、全くの無関係とは思えない。
羽賀は黙り込んだわたくしの顔を下から覗き込むように、
「つまり、椎名さんの社員カードの情報が悪用され、昨日からハッキング行為が繰り返されていると言う事は、その回線元であるネットカフェに潜伏しているハッカーこそ、昨日椎名さんと衝突した女と言う事なんです。ご理解いただけましたか?」
透明なビニール袋に入った、二つの黒いカードを見比べて、わたくしは深く唸った。
「なるほど。今回本庁の刑事たちが、緊急を要してネットカフェへ向かう理由が、これで大体分かりました。そして、俺がその捜査に駆り出される背景も、まあ分かりました。
しかし、戦後最大級の連続殺人犯を捕まえると言う、相当な規模の極秘捜査は良いんですけど、そもそもあなた方警察は、晦冥会の暗殺者バイフーと言うものが、一体どこの誰なのか、そこを明確にしてあるのでしょうか?」
ルームミラーに石動の視線があった。
「実に鋭いご指摘だ。あなたは今我々警察に対してとんでもなく難しい質問をされた。バイフーとは一体誰の事なのか。名前は、年齢は、国籍は、性別は。その秘密を知った者、その多くは既に命を落としています。我々警察にとって、晦冥会の信者にとって、バイフーと言う女は、まるで『戒め』という言葉そのもののような、実体を感じさせない存在だ。
宗村さん、では反対にこちらから質問させてもらいます。バイフーとは一体、誰の事なんですか?」
加藤も羽賀も、わたくしの顔に注目をした。
「バイフーの正体」
『そんな、馬鹿な。だって、一年半もペンションに住み込んでバイトをしていながら、その姿を写した写真が一枚も残っていないだなんて』
『天道葵の姿を写した写真は、見つからなかったんです。岸本さんに至っては、彼女との思い出の写真まで、今は行方が分からなくなってしまっている』
「それは」
「不知火忍ですか」
「!」
なぜ、その名前を。
ルームミラーにある石動の目が、鋭くわたくしを観察していた。
「宗村さん、あなたは本当に正直な人だ。不知火忍と言う名前、あなたは既にご存知のようだ」
わたくしは隣りの羽賀を見た。彼女もわたくしの表情を観察していた。
「ご存じ、と言う程でもないです。知っているには、知っていますけど。でも、偶然に知ったと言うか。しかし石動さんは、どうして不知火の名前を知っているんですか?」
石動はドアガラスを少し開けて、片手で煙草に火を点けた。
「我々もただ遊んでいたわけではないと言う事です。晦冥会の暗殺者、バイフーの素顔を暴こうと、僕らは日夜靴底を減らし、彼女の足取りを追っているんです。まあ尤も、こんな雪国で靴底は減りはしませんがね」
羽賀が咳払いを一つした。
「まあ、そうした足を使った聞き込み捜査の中で、我々はようやく不知火忍という一人の女の存在に辿り着いたんです」
車はスキー場の方角へとひた走っていた。遠くの山を見れば、疎らに雪は降っているようだったが、ワイパーを動かす程でもなかった。
「あ、もしかして、昨夜の意識不明の女性が、目を覚ましたとか」
わたくしは再び羽賀の顔を見た。彼女は首を横へ振って、静かに口を開いた。
「宗村さん、残念ながら昨夜の女性は、今なお意識障害がある状態です。ECSの意識レベル評価値は非常に深刻で、恐らくは今頃、ご家族の方が見えられて、インフォームドコンセントに基づき、担当医師から詳しい病状と、今後の治療計画の説明を受けているでしょう」
「じゃあ」
何で不知火の名前を?
石動はドアの隙間に向かって煙を吐いた。
「いいでしょう。これから宗村さんには、バイフー身柄確保の大一番において一翼を担って頂くのです、我々警察が、不知火忍と言う一人の女の名前に辿り着いた、その経緯を少しお話しておきましょう」
「石動さん」
加藤は石動の腕を掴み、次には小声で、
「幾ら何でもこれ以上は」
石動はその手を見下ろして、
「加藤君、君の言いたい事は分かります。羽賀さんの言いたい事もね。しかしここは、僕の好きにさせて下さい。
僕はね、今回の極秘捜査に全てを掛けているんです。バイフーがこれ程まで表舞台に出て来た事は過去に例がありません。これを逃してはなりません。そこへ来て、宗村さんを強い味方につけておけば、今回のバイフー捕獲は、ある一定以上の成果を上げる事が出来る。宗村さんは、今回の事件のキーパーソンなんです。我々の大捜査線を引いた上にも、更なるプラスαと成り得る大切な存在なんです。バイフーさえ捕まえる事ができれば、僕は刑事罰だって何だって、甘んじて受ける覚悟はありますよ」
「しかし」
わたくしは首の後ろに手を当てて、前席の険悪なムードを眺めた。どうやら加藤は『職務上知り得た秘密を漏らしてはならない』守秘義務について石動を諌めているようだった。
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