プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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恐ろしき報酬

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 四ストロークエンジンを積んだ国産スノーモービルは、タンデム走行をものともしない走破性で、夜の雪山は白樺の樹間を縫うように走った。暗闇に光るデジタルメーターの速度計は、相当な速度を表示している。グリップを握り、バックレストに背中を預けたわたくしは、シュラウドにぶつかって粉砕した粉雪を顔面に浴びた。
「あそこへは、冬季間は行かないで良い契約になっている。雪崩の危険もあるし、第一、大量の雪によって登山ルートが変わってしまう。だから、雪のある状態であそこへ行くのは、俺もこれが初めてだ」
 岸本は、直立三気筒エンジンに負けない声を出した。
「例の場所って、一体何なんだ? 違法採掘の金鉱か何かがあるのか?」
 わたくしは、一プライ構造のトラックの振動をまともに受けながら、岸本のヘルメットのシールドを覗き込んだ。
「さあな、俺にもさっぱり分からない。山深い大斜面に、人一人通れるくらいの小さい穴が開いている、その中に晦冥会の祠がある」
 ヘッドライトのハロゲンの光は、密林を逃げ惑う野兎の姿を照らした。
「さっぱり分からないって、そんな訳はないだろう、君は何度もそこへ出入りしているのだから」
 エンジンチェーンソーのような一〇〇デシベル以上の音を立てて、スノーモービルは雪のこぶを乗り越え、そのまま中空へジャンプした。
「俺は月に一回、いま言った祠の点検を頼まれている。点検、と言ったものの、やっている事はシンプルで、ただ、祠の中に異常はないか、壁面に伸びた計器類の針が、管理範囲にあるか、それらを目視で確認するだけだ。もしも異常があれば、教えられた電話番号に連絡を入れる事になっている」
「点検? 何だそれは。一体誰にそんな事を頼まれているんだ?」
「宗村、この事はくれぐれも他言無用としてくれ。とにかくヤバいんだこの話は。連絡先は晦冥会だ」
「やっぱり。君は晦冥会の?」
「違う! 断じて違う! 俺は奴らとは一切縁がない。俺をそう言う目で見てくれるな」
「しかし」
 リアサスペンションを軋ませて、スノーモービルは急斜面を登り始めた。バンパーが天を向いて、岸本の背中を両手で支えそうになる程、車体は上体へ反り返ったが、スノーモービルは余裕のパワーを見せた。ウィンドスクリーンには、山向こうのナイター照明に染まった夜空が映る。
「俺はな、宗村、今までずっと奴らに脅されて来たのだ。寝ても覚めても、俺は常に、奴らの視線を意識している。夜、窓の近くを通る時なんか、一番恐ろしい瞬間だ。少しでも暗くなれば、外から自分の居場所が分からないように、早々とカーテンを閉める。そう言った具合に、俺には心の休まる暇がなかった。俺は奴らの監視下に置かれている。自由な発言もできない。もしも俺が迂闊にも、例の場所について口を滑らせるような事があれば、奴らはすぐにここへ押し掛けて来るだろう」
「馬鹿な、特高警察でもあるまいに」
「本当の事だ。数年前の冬、地元の観光局の研修に参加していた俺は、協会の仲間と『いろは』の暖簾をくぐって、珍しく大酒を飲んでしまった。嫁と娘と二人がして韓国へ行って、俺の研修とも日が重なった為、ペンションは数日閉めていた。だから、どこか俺も浮き浮きしていたんだな。いろはが暖簾を下ろした後まで居残って、ふらふらになるまで飲んで、小雪のちらつく駅前の大通りで、チェーンを巻いたタクシーに手を振って大声など出していると、突然背中からどんと男がぶつかって来た。よろけた俺のジャンパーを凄い力が掴んだ。そいつは俺の耳元で、あまり羽目を外すな、と低く呟いて、暗い民家の間へ消えて行った。一瞬で酔いが覚めた。そいつはきっと、いろはの隅の席に座って、俺の言動の全てを検閲していたに違いない。もしもあの時、俺が酒に酔った勢いで『例の場所』について口を滑らせていたのなら、もしや俺は鮮血で雪を汚して倒れていたかも知れない」
「まさか」
「まさかじゃない、本当の事だ。俺は奴らに命を狙われている。考えてみれば、それもそのはずで、もしも俺が奴らを裏切るような事があれば、奴らだって相当ヤバいはずだ。あそこには間違いない晦冥会のヤバい秘密が隠されている。奴らの用心深さから、俺はそう確信しているんだ」
「それだったら、いま俺に話した全てを警察に垂れ込んで、後は警察組織に身柄を保護してもらえば」
 そう言い掛けてわたくしは、警察に保護されて行った高田が、その後どのような姿になったのかを思い出した。
「馬鹿を言うな。そんな事が出来るのなら、とっくに俺はそうしている。イタリアのマフィア、カモッラではないが、祠の事を警察に暴露すれば、間違いなく俺は消される」
 これまで順調に不整地走行を続けて来た岸本が、突然急ブレーキをかけた。ダブルウィッシュボーンのフロントサスペンションが縮んで、わたくしは車体から投げ出されそうになった。気が付くとスノーモービルは渓谷の上に顎を出していた。岸本は低速でUターンをして、来た道を引き返した。
「そもそも君は、一体いつからそんな状態に陥ったんだ?」
 スクリーン前面の雪溜まりによって、ヘッドライトの照射能力が低下、岸本はお尻を浮けて、前方へ右手を延ばすと、ウインドシールドに溜まった雪を払った。
「いつからか、そうだな、事の発端は十年前だ。今から十年前と言えば、俺はペンション経営も駆け出しの青二才の頃だ。縁もゆかりもないこの土地で、一から客商売を始めて、毎週のように観光局に頭を下げに行った。老舗店のキャンセル待ちのお客様を融通してもらった事もあった。とにかく一人でも多くの人と知り合って、何でも良いからペンションへ遊びに来てもらった。得意のフレンチを全力で振る舞って、地味ではあるが口コミによって何とか土地の人に輪のようなものが見え始めた、無我夢中の日々だった。
 まあ、そんなしゃかりきだった俺の元に、或る日突然妙な電話が入った。若い男のやけに物腰の柔らかい声で、フルネームで俺の名前を確認した後、一方的に或る要件を突き付けて来た。その要件とは、月に一度だけ、山中にある祠を見回って欲しい、祠の様子に異常がないか、計器類の指針が管理範囲内にあるか、それを見回って欲しい、と言うもの。こちらが何かしら返事をする前に続けて、報酬は毎月、貴殿の口座へ振り込ませてもらう、と。受話器を持ち替えて、どちら様ですかと素性を訊ねても、環境省の者ですとかなんとか、見え透いた嘘を吐いて、すぐに電話は切れた。
 そんなイタズラ電話、今の俺にかかって来たのなら、一笑に付して受話器を置いただろう。しかし、当時の俺はとにかく暇を持て余していて、目がぎらぎらしていた。日々の生活に巻き起こるトラブルに一々首を突っ込んで、余計な事ばかりやっていた。だからこの時も、こいつはイタズラ電話には違いないが、ずいぶん手の込んだイタズラだと、己の中に眠る童心を呼び覚まして、気が変わらない内に俺は、平日の静かな山を選んで、電話で教えられた山の登山地図を開いた」
「行ったのか」
「行った。夏の鬱蒼とした深山に入ってから、地図に掲載された沢登りのルートで行く計画も、行く手に予想以上に大きい花崗岩が現れて、急きょ沢筋から尾根筋へルートを変更、とまあ、人跡未踏の地を行くようなチシマザサの藪漕ぎの果てに、俺は遂に祠の入口を発見した。朝霧の中を登り始めて目的地に到着したのはヒグラシの鳴く斜陽の頃だった。活火山の太古の昔、マグマ噴火による火砕流によって蓄えられた安山岩が、風化しひび割れて出来たような大地の裂け目、その地底湖へ続く洞窟のような闇が奥へと続いている。ヘッドライトのスイッチを入れて、大地の裂け目に体を差し込むと、その奥には紙垂を飾った祠が祀られていた。
 それから翌週には、どこでどう調べたものか、俺の銀行の口座に八〇万円もの大金が振り込まれていた。ペンション経営の思うように行かなかった俺にとって、その報酬は、宝くじが当たったようなハイな気分にさせた。正体不明の不穏なお金に恐れるよりも、若者にありがちなノリの良い欲望が勝ったのだ。
 ところが俺も歳を重ねるに従って、この謎多き報酬の莫大な資金源に疑念を抱き始めた。雪の為に冬季間の点検は免除されてはいたが、それでも毎月きっちり八〇万円の振り込みがあり、ペンションの赤字経営は十分に補填できた。十年でざっと九千六百万円だ。後から返せと言われても、もはや返せる額ではない」
「見回りを断ろうとした事は?」
「ある。大いにある。最近ではもうそればかりを考えている。そう考える至った決定的な出来事は、二年前に起きた。あれは間違いなく異常だった。二年前の春、冬季の見回り免除期間が終わり、俺は春一番で祠へ向かった。そこで俺は、祠の壁に座り込んで死んでいる若い男の遺体を発見した」
「なに」
「男はスノーボードのウェアを着て、壁際に座った姿勢から、がくりと首を垂れて死んでいた」
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