プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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忍びの術

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 枝は、木が伸び育つ方向、いわゆる長さ方向に向かって、傷が付けられていた。それは、野生の熊が、樹皮下のあま皮をなめる、熊はぎと呼ばれる爪痕にも似て、樹皮は破れ、形成層と言われる枝の内部まで露出していた。
 羽賀、加藤、そしてこのわたくしも、その枝の傷が、いったい何を物語っているのか、見極めるつもりになって、お互いに顔を近づけ合った。
「これって、さっきのサークルフックの細工と、何か関係があるんですか?」
 加藤は枝に向かって質問をした。
「あります。ウェアのフードに掛けたサークルフック、そして、この木の枝、この二つのアイテムは、同じ目的で犯行に使用されました」
「同じ目的」
「この枝、どこにあったと思います?」
 加藤は、さあ、と、あてもなく耳を澄ますように、
「座席の隙間?」
「違います」
 また、別の方向へ耳を澄ますように、
「リフト降り場付近?」
「違います」
 すぐ隣で、同じく考えていた羽賀は、ハッと気が付いて、
「リフトの下ですか?」
「下と言うと?」
 美咲から枝を受け取って、羽賀は、それを下に置くように見せながら、
「犯行当時、江口が首を吊った時の、ちょうど真下の雪の上に落ちていた、というのはどうですか?」
 美咲はピンと指を立てた。
「ほぼ正解です。この枝、実は、リフトの真下の枝を切り落として持って来ました。リフトが通過する真下の斜面に、半ば雪に埋もれていた、ウダイカンバの倒木です」
 羽賀は、はいと言って、傷ついた枝を回して来たが、わたくしは素人、傷の詳しい形状を見た所で何も分からないと思い、加藤へ回すよう手のひらで伝えた。加藤は、むんずと枝を掴んで、
「なるほど、犯行が起きたリフトの真下には、おあつらえ向きの倒木があって、そいつが、まあどうにかして、サークルフックの細工と何らかの関係があって、江口殺害のきっかけを作った、と」
「その通りです。その、殺害のきっかけと言うのが、細工が込み入っていて、誤解を招きやすいので、わたしの口からご説明するよりも、こちらのコンピュータ・グラフィクスの映像でご覧いただいた方が、何かと分かりやすいと思いますので、引き続き動画をご覧ください」
 美咲は、動画の再生位置を巻き戻して、再生時間の数値を確認してから、プレイボタンをタップした。ピンクのモデルが、ブルーのモデルの目を盗んで、相手のウェアのフードにサークルフックを掛けた、例の場面から始まる。再生直後から、サークルフックと背もたれが結ばれたロープに、紐か何かが垂れ下がって、空中をさまよっている。モデルの大きさから見て、およそ三メートルの長さはあるだろうか、その紐の先端は、海上に船舶を止めておく、錨に似た形となっていた。
「何だ? これ。ロープ? ワイヤー? 犯人はいったい、何を仕掛けたんだ?」
 加藤はタブレットを両手で掴むという、文字通り動画に噛り付いて見た。
「これは、鉤縄と呼ばれる特殊な道具です」
「鉤縄?」
 耳慣れない言葉に、加藤は大声で聞き返した。羽賀は、タブレットの画面が見たくて、邪魔と言って、加藤の肩を引っ張った。
「鉤縄とは、縄の先端に鉄鉤のついた、忍者七つ道具の一つです。大河ドラマや時代劇などで、頭巾をかぶった忍びたちが、暗闇から走って来て、高い塀に向かって鍵縄を投げる、鉄鉤が塀の瓦屋根に引っ掛って、縄を引いて確認すると、忍びたちはすいすいと高い塀まで登って行く、アレです。今回犯行で使用されたのは、さすがに縄というわけにはいかないようで、ステンレス製のワイヤーだったと推測していますが、原理としては同じです」
「じゃあ、この枝の傷は」
 加藤は、枝の傷を指でなぞった。
「そうです。その枝の傷は、鉄鉤が倒木の枝に引っ掛かって、鉤縄の破断荷重の限界まで力が掛かり、鉄の爪が樹皮を引き裂いたものです。レーザー距離計を使用して、リフトの座席と下の雪面との距離データを集積しましたが、地形的に、リフトと雪面が最も近づく地点に、ウダイカンバの木が倒れているのです。おそらく犯人は、そこまで計算して、鉤縄を垂らしたのでしょう」
 いま言われたような、枝のキズ発生のプロセスが、コンピュータ・シミレーションの映像でも、模擬的に再現されていた。鉤縄と呼ばれる、鉄の爪が逆手にむき出した鉄鉤、これがリフトの真下にある、倒木の枝に引っ掛かって、ワイヤーのたるみは失われ、極限の張力が生み出され、背もたれと江口のウェアのフードを繋いだロープに、支曳索の二〇〇キロワット以上のモーターの動力が、進行方向とは反対方向へ掛かった。次の瞬間、ブルーのモデルは、後ろから首を抱えられ、そのまま背もたれの後方へと引きずり降ろされる格好で、座席の背もたれを乗り越えて、ぐるりと一回転、後方のリフト外へと投げ出された。
〝きっかけがあれば、木の枝に降り積もった雪でさえ、一気に落ちてしまう。最初のきっかけは、野鳥が飛び立つような、些細なもの。それで十分〟
 あの時の美咲のひらめき。
〝一本目の短いロープは、きっかけに過ぎない。そう、それは江口を殺すためのものではなかった〟
 一本目の短いロープは、リフトから江口を突き落とすための物。二本目の長いロープは、確実に彼を殺害するための物。
 ピンクのモデルは、一本目のロープの作用を手助けする形で、下から跳ね上がって来るブルーのモデルのスノーボードを回避、それに両手を添えて、投げ出されるブルーの体を後方へと送り出した。ブルーのモデルは、両手を振り回し、後方一回転を見せて、手にした拳銃を手放した。これはいわゆる、不測の事態に直面して、パニック状態になった人間の様だった。
 リフトから転落した江口は、雪山に投げ出される事なく、短いロープに繋がれてそのまま中空にとどまった。背もたれに結ばれたロープ、その先端のサークルフック、その釣り針が食い込んだウェアのフードと、これらが一直線に繋がって、リフトから約一メートル下方で、ぶらぶらと宙づりの状態。鉤縄のワイヤー自体は、支曳索の動力に敗れて、二つに分離して破断、鉤縄の一部は倒木とともに後ろへ去って行く。
 これらの仕掛けと同時進行に、ピンクのモデルは、ブルーのモデルの首に巻かれたロープ、いわゆる長いロープの端末を、リフトの手摺りに結び、この時恐らくひと結びという短時間で結べる結び方でロープを結び、それから、リフトの背もたれとブルーのモデルのフードを繋げた、いわゆる短いロープを伝って、ブルーの頭の位置までスルスルと降りる。驚いた事にこの行動、片足だけスノーボードを装着した状態で、よどみなく連続で行われている。フードに食い込んだ何かを取り外そうと、必死にもがくブルーのモデル、その頭上では、ピンクのモデルがナイフを手に、冷酷にも、短いロープの切断をこころみる。結末はあっけなかった。ウェアのフードとリフトの背もたれを結んだ、命綱の役割を果たしていた短いロープ、それがピンクのモデルによって切断されると、宙づり状態だった二人の人間は、万有引力の法則に従って、長いロープの長さ分だけ自由落下。その物体に重力加速が発生、位置エネルギーを持って、衝撃荷重が発生し、首吊りロープを巻いたブルーの首に、全荷重がのし掛かった。
〝ああ、首吊りによる脊椎骨の骨折です。日本の絞首刑のように、落下するエネルギーを用いて、死刑囚を死に至らしめる時に、よく見られる脊椎骨の骨折です〟
〝今回の江口の場合は、彼の脊椎骨に瞬間的に相当な衝撃が加えられて、即死している。傷口を見ても分かる通り、普段お目にかかる事の少ない首吊りの跡です〟
 これだ。通常の首吊り自殺では、脊椎骨の骨折まではいかない。この、二人の位置エネルギーが、江口の脊椎骨の一点に負荷された時、彼はハングマン骨折をするのだ。
 羽賀の息を飲む音が聞こえる。
 犯行後、ピンクのモデルは、ブルーのモデルの顔からゴーグルを引き剥がし、別物のダイスのゴーグルとフェイスマスクを着用させ、短いロープの切れ端とサークルフックを回収、そのまま目下に広がるゲレンデへと飛び下りた(この時、脱索防止の屈伸運動をしないのは、もはやリフトが停止しようが何しようが構わないと犯人が判断したからだろう)。
 以上が、江口殺害の一部始終となる。わたくしを驚かせたのは、複雑な犯行のプロセスもさることながら、その驚異的な犯行のスピードだった。文章で説明するとなれば、少なくとも数分は掛かってしまう所を、コンピュータ・シミレーションの動画として見る場合には、ほんの数秒の出来事に過ぎない。江口がリフトから転落、犯人が短いロープを切断、その後に江口はハングマン骨折により即死、ゴーグルやフェイスマスクの細工を施し、犯人がゲレンデへ逃走するまで、せいぜい五秒程度。一つとしてよどみない手際の良さ。わざわざ動画にしてまで、今回の犯行を説明した美咲の趣旨とは、犯行のスピード感を伝えたかったからかも知れない。
 首吊り死体となったブルーのモデルが、リフトからぶら下がっている動画が、無情にも流れ続ける。美咲は、ゆっくりとした手つきで、動画再生アプリを終了させた。
「この後、ピンクのモデルは、アゼリアコースの方角へ向かって、猛スピードで逃走、視界ゼロの吹雪の中、偶然そこに居合わせたわたしと、正面衝突をしました。その時の惨劇の一部始終は、こちらの宗村さんが目撃しています。そして、そのピンクのモデルの素顔も」
 加藤は、言葉も無く、あごに手を当てていた。羽賀は、何も映っていないタブレットに目を上げていた。わたくしは、そんなみんなの顔を見ていた。
 美咲は、満を持して、不知火の方へと顔を上げた。
「これが、〇・二%のAIが成功した、江口サダユキ殺害の検証実験です。物理的に可能な理論的なアプローチ、それによって導き出された、今回の事件の真相です。
 どうです、不知火さん。あなたは、昨日の十四時五分に、いまわたしが説明した方法で、江口サダユキを自殺に見せかけて殺害した。この事実に、間違いはありませんね?」
 美咲の視線をたどって、一同が不知火の方をふり返った。彼女は一人ポツンと、我々から少し離れた位置に立っていた。ゆっくりと眼鏡を外して、テンプルを折って目を上げた。その時、羽賀のIP無線機に雑音が入った。彼女は周囲を憚って、背中を見せた。
「はい、ええ、大丈夫です。それで、はい、はい、そうですか、江口の遺品のウェア、そこにはやはり、激しい破損の痕が見られましたか。了解です。もう結構です、ありがとうございました」
 羽賀は、少し上気した表情で、石動に頷いて見せた。間違いない、江口は、〇・二%のAIが実行した殺害方法で殺されたのだ。そう誰もがそう確信した次の瞬間、不知火から思いがけない言葉が返った。
「だいたい合っている、けど、違う所は違う。
 江口は自分から死んでいった。だから、警察の発表はあながち間違いではない。コンピュータ・シミレーション? 所詮、机上の空論ってとこね」
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