フラワー・マリッジ ― 咲かぬ花嫁は、王のために咲く ―

霜月@如月さん改稿中&バース準備中

文字の大きさ
19 / 83
第一章 本物の婚約

第十八話 『沈黙の中で、咲いた傷』

しおりを挟む


「……お……お久し……ぶり……です……お母様、ノエル……」


 礼服の裾をぎゅっと握りしめ、頭を下げる。真紅のドレスを纏った母と、整った金髪を揺らすノエルがいて。ふたりは俺が家を出たあの日と、何ひとつ変わっていなかった。


 ノエルの、自信に満ちた笑みさえも、ブランシェ家で見た、『弟の顔』そのままだった。


「……今日は、お父様も……?」
「そのへんで挨拶でもしてるんじゃない? まあ、あんたには関係ないでしょ」


 母が、扇子を開いたまま、まるで扇ぐことさえ煩わしいとでも訴えるように、冷ややかに言い放つ。


 その声音は、感情を凍らせる氷みたいで。否定も拒絶も、語る価値すら与えなくて、喉が、ひたりと凍りつく。ブランシェ家にいた頃の日々が、乾いた埃のように胸に蘇った。


「……そう、ですね……」


 ただ、肯定するしかなかった。反論を許さない空気が、当たり前のようにそこにある。


「それよりもさーーあんた、もう殿下の婚約者やめていいから」
「……っ?!」


 あまりにも唐突にほうられた言葉の冷たさに、胸を締め付けられる。混乱する俺に、返す暇さえ与えず、ノエルが笑いながら割り込んできた。


「そんなに驚くこと? だって元々、僕の縁談だったんだよ? 正しい婚約者に戻すだけ。ねえ、お母様?」


 母は、ちらりともノエルを見ず、表情ひとつ変えずに答えた。


「最初から、あなたに期待はしていなかったけれど……少なくとも、ノエルの方が『見られる』ものね」
「……でも、ノエルはアルヴァ公爵様と……!」


 かろうじて声を絞り出すと、ノエルがあからさまに鼻で笑った。


「あっ、知ってたんだ? じゃあ、都合いいね。だってさ……」


 その口調には、明らかなあざけりと見下し、そして汚れ物でも扱うような軽蔑が滲んでいた。


「また僕の身代わり続けられるもんね……得意でしょ、そういうの」


 ーー“そういうの”。


 指が、ふるふると震える。否定したくても、声が出なかった。母は扇子をひと振りし、まるで埃でも払うように、つまらなそうに言い捨てた。


「そもそも、ルイスには『咲く』才能がないでしょう? ならば、王に嫁ぐ価値などないわ。王家の名を汚す前に、さっさと下がりなさい」

「大丈夫よ、ルイス。殿下の力があれば、婚約者の変更など簡単にできるわ。……だから、帰ってきなさい。ブランシェ家に。今度こそ、母が『正しく』可愛がってあげる」


 また、あの家に……?


 息を殺し、心を隠して生きる日々。言葉ひとつで叩かれ、笑顔ひとつで睨まれ、耐えることしか許されなかった、あの檻の中へ……?


(……嫌だ)


 リアム殿下のもとで初めて知った。誰かの隣で、安心して微笑むということ。守られ、信じ、支え合うということを。


 たとえこれが『身代わり』の婚約だとしても。それでも、自分は殿下の力になりたいと、心からそう思っていたのに。


「ルイス。家に帰ってくるわよね?」
「もちろん。僕のために、婚約破棄してくれるよね?」


 重ねられる言葉は、絹のように滑らかで、鋼のように重かった。返答を探す前に、喉が締め付けられていく。


 ーーそのときだった。背後に、あたたかな気配が触れた。


「……ひとりにして、すまなかった。大丈夫か?」
「……リアム殿下……」


 肩越しに届く、微かな甘い香りに、胸が揺れる。それだけで、ずっと泣きそうだった心が、じんわりと溶けた。


「まあ……ここにいらしたのですね、殿下」


 母は即座に態度を切り替え、つくり笑いを浮かべて深く頭を下げた。ノエルが金髪を揺らしながら、花の咲く手の甲を見せつけるように差し出す。


「ああ、これはこれは。お母様に……ルイスの弟君ですか」
「はい。ノエルと申します。……お初にお目にかかります、殿下。兄がいつも大変お世話になっております」


 その言葉に、胸の奥がきゅっと縮む。『兄』としての顔も、『花嫁』としての誇りも剥がされていくような、薄ら寒さがあった。


「まさか、『血塗れの花嫁喰らい』様にお会いできる日が来るとは。……本当に光栄です」


 明らかな皮肉を織り交ぜたその一言に、リアム殿下は眉ひとつ動かさず、ただ静かに見つめ返した。


「……それで。ルイスと、何の話をしていたんだ?」
「お兄様が殿下をずっと騙していたことを、お詫びしようと思いまして」
「……えっ?」


 ノエルを見ると、彼は『芝居がかった』仕草で涙を浮かべていた。


「本来の婚約者は僕なんです。兄に、無理やりその席を奪われたんです。……殿下、ご存知ないですか? 兄は……花が咲かせられない、『枯れ生み』なんですよ」
「ノエル、それは言うなと……っ!」


 母が小声で制止するが、ノエルは止まらなくて。まるで、それを言う機会をずっと狙っていたかのようだった。


「兄に騙されている殿下が心配で……だから、僕が嘘を正そうと話していたんです」


 リアム殿下は黙ったまま、何も言わなかった。


「そして、兄は『家に戻る』と、さきほど確かに言いました」
「そ、そんなこと……!」


 言いかけた言葉を、母の睨みが封じ込める。その一瞥いちべつにすら、体が凍る。


「殿下さえ望まれるなら、僕が『正式な花嫁』としてお仕えします。花生みとしても、家柄としても……。ーー『枯れた兄』より、僕の方がふさわしいでしょう?」


 刃ような言葉が、胸を鋭く抉る。気づけば、手の甲から、白い花弁がひとひら、風に舞って落ちていた。


「ね、殿下?」


 ノエルがすっと殿下に身を寄せる。その姿は、まるで最初から『正しい席』にいたかのように美しく映った。


(……やっぱり、俺は身代わりだったんだ)


 殿下が、否定してくれない。ただ沈黙するその姿が、何よりも痛かった。


(……もう、ここにいられない)

 
「……失礼、します……っ!」


 息が詰まるような、掠れた声しか出せなくて。誰かの手を振り払うように、大広間を後にする。背後から漂う、咲き乱れる花の香りが、遠ざかっていった。

 
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

辺境の酒場で育った少年が、美貌の伯爵にとろけるほど愛されるまで

月ノ江リオ
BL
◆ウィリアム邸でのひだまり家族な子育て編 始動。不器用な父と、懐いた子どもと愛される十五歳の青年と……な第二部追加◆断章は残酷描写があるので、ご注意ください◆ 辺境の酒場で育った十三歳の少年ノアは、八歳年上の若き伯爵ユリウスに見初められ肌を重ねる。 けれど、それは一時の戯れに過ぎなかった。 孤独を抱えた伯爵は女性関係において奔放でありながら、幼い息子を育てる父でもあった。 年齢差、身分差、そして心の距離。 不安定だった二人の関係は年月を経て、やがて蜜月へと移り変わり、交差していく想いは複雑な運命の糸をも巻き込んでいく。

嫌われた暴虐な僕と喧嘩をしに来たはずの王子は、僕を甘くみているようだ。手を握って迫ってくるし、聞いてることもやってることもおかしいだろ!

迷路を跳ぶ狐
BL
 悪逆の限りを尽くした公爵令息を断罪しろ! そんな貴族たちの声が高まった頃、僕の元に、冷酷と恐れられる王子がやって来た。  その男は、かつて貴族たちに疎まれ、王城から遠ざけられた王子だ。昔はよく城の雑用を言いつけられては、魔法使いの僕の元を度々訪れていた。  ひどく無愛想な王子で、僕が挨拶した時も最初は睨むだけだったのに、今は優しく微笑んで、まるで別人だ。  出会ったばかりの頃は、僕の従者まで怯えるような残酷ぶりで、鞭を振り回したこともあったじゃないか。それでも度々僕のところを訪れるたびに、少しずつ、打ち解けたような気がしていた。彼が民を思い、この国を守ろうとしていることは分かっていたし、応援したいと思ったこともある。  しかし、あいつはすでに王位を継がないことが決まっていて、次第に僕の元に来るのはあいつの従者になった。  あいつが僕のもとを訪れなくなってから、貴族たちの噂で聞いた。殿下は、王城で兄たちと協力し、立派に治世に携わっていると。  嬉しかったが、王都の貴族は僕を遠ざけたクズばかり。無事にやっているのかと、少し心配だった。  そんなある日、知らせが来た。僕の屋敷はすでに取り壊されることが決まっていて、僕がしていた結界の魔法の管理は、他の貴族が受け継ぐのだと。  は? 一方的にも程がある。  その直後、あの王子は僕の前に現れた。何と思えば、僕を王城に連れて行くと言う。王族の会議で決まったらしい。  舐めるな。そんな話、勝手に進めるな。  貴族たちの間では、みくびられたら終わりだ。  腕を組んでその男を睨みつける僕は、近づいてくる王子のことが憎らしい反面、見違えるほど楽しそうで、従者からも敬われていて、こんな時だと言うのに、嬉しかった。  だが、それとこれとは話が別だ! 僕を甘く見るなよ。僕にはこれから、やりたいことがたくさんある。  僕は、屋敷で働いてくれていたみんなを知り合いの魔法使いに預け、王族と、それに纏わり付いて甘い汁を吸う貴族たちと戦うことを決意した。  手始めに……  王族など、僕が追い返してやろう!  そう思って対峙したはずなのに、僕を連れ出した王子は、なんだか様子がおかしい。「この馬車は気に入ってもらえなかったか?」だの、「酒は何が好きだ?」だの……それは今、関係ないだろう……それに、少し距離が近すぎるぞ。そうか、喧嘩がしたいのか。おい、待て。なぜ手を握るんだ? あまり近づくな!! 僕は距離を詰められるのがどうしようもなく嫌いなんだぞ!

溺愛極道と逃げたがりのウサギ

イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。 想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。 悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。 ※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。 二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。

【完結】「奥さまは旦那さまに恋をしました」〜紫瞠柳(♂)。学生と奥さまやってます

天白
BL
誰もが想像できるような典型的な日本庭園。 広大なそれを見渡せるどこか古めかしいお座敷内で、僕は誰もが想像できないような命令を、ある日突然下された。 「は?」 「嫁に行って来い」 そうして嫁いだ先は高級マンションの最上階だった。 現役高校生の僕と旦那さまとの、ちょっぴり不思議で、ちょっぴり甘く、時々はちゃめちゃな新婚生活が今始まる! ……って、言ったら大袈裟かな? ※他サイト(フジョッシーさん、ムーンライトノベルズさん他)にて公開中。

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。 これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。 無自覚両片想いの勇者×親友。 読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。

陰日向から愛を馳せるだけで

麻田
BL
 あなたに、愛されたい人生だった…――  政略結婚で旦那様になったのは、幼い頃、王都で一目惚れした美しい銀髪の青年・ローレンだった。  結婚式の日、はじめて知った事実に心躍らせたが、ローレンは望んだ結婚ではなかった。  ローレンには、愛する幼馴染のアルファがいた。  自分は、ローレンの子孫を残すためにたまたま選ばれただけのオメガに過ぎない。 「好きになってもらいたい。」  …そんな願いは、僕の夢でしかなくて、現実には成り得ない。  それでも、一抹の期待が拭えない、哀れなセリ。  いつ、ローレンに捨てられてもいいように、準備はしてある。  結婚後、二年経っても子を成さない夫婦に、新しいオメガが宛がわれることが決まったその日から、ローレンとセリの間に変化が起こり始める…  ―――例え叶わなくても、ずっと傍にいたかった…  陰日向から愛を馳せるだけで、よかった。  よかったはずなのに…  呼ぶことを許されない愛しい人の名前を心の中で何度も囁いて、今夜も僕は一人で眠る。 ◇◇◇  片思いのすれ違い夫婦の話。ふんわり貴族設定。  二人が幸せに愛を伝えあえる日が来る日を願って…。 セリ  (18) 南方育ち・黒髪・はしばみの瞳・オメガ・伯爵 ローレン(24) 北方育ち・銀髪・碧眼・アルファ・侯爵 ◇◇◇  50話で完結となります。  お付き合いありがとうございました!  ♡やエール、ご感想のおかげで最後まではしりきれました。  おまけエピソードをちょっぴり書いてますので、もう少しのんびりお付き合いいただけたら、嬉しいです◎  また次回作のオメガバースでお会いできる日を願っております…!

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

【完結】幸せしかないオメガバース

回路メグル
BL
オメガバースが当たり前に存在する現代で、 アルファらしいアルファのアキヤさんと、オメガらしいオメガのミチくんが、 「運命の相手」として出会った瞬間に大好きになって、めちゃくちゃハッピーな番になる話です。 お互いがお互いを好きすぎて、ただただずっとハッピーでラブラブなオメガバースです。 ※性描写は予告なくちょこちょこ入ります。

処理中です...