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第二章 セレスティアの伝承
第二十一話 『無防備な笑顔が、私を壊す』
しおりを挟む朝の陽光が、食堂の大きな窓から差し込んでいた。白いカーテン越しの光が、紅茶の水面を揺らす。俺はひとり、その静けさの中でカップを口元へ運んだ。
唇に残るのは紅茶の香りーーのはずなのに、どうしても昨夜の残り香が思い出される。リアム殿下の手の温もり、唇の柔らかさ、荒い吐息。そして、エリオットの乱入。
(……あんなところ、見られるなんて!)
記憶がループするたびに、顔が熱を帯びていく。
「おはようございます、ルイス様」
後ろから、穏やかな声が届いた。振り返ると、いつもの控えめな笑みを浮かべたエリオットがいた。
「あ……おはようございます」
「紅茶、お気に召しましたか?」
「はい。昨日いただいたものと同じですか?」
「ええ。ですが、今朝は少し目覚めに良いよう、濃いめに調整しております。ルイス様、もう一杯いかがですか?」
「お願いします……!」
エリオットが優雅な所作でティーポットを傾ける。琥珀色の液体がカップへと注がれた。香りがふわりと立ち上る。
「ルイス様。……もしよろしければ、今日は庭の手入れなど、いかがでしょう?」
「……庭の?」
「はい。王宮に咲く花々は、花生み様の力で手入れされております。花生み様の触れた花々はとても綺麗に花を咲かせるのですよ」
俺の手元に視線を落としながら、エリオットはやんわりと続けた。
「嫁いできた花生み様が、趣味としてガーデニングを始められることは多いのです。花は、触れる手が優しければ優しいほど、よく咲くものでして……ルイス様も、きっと、花々に好かれますよ」
その言葉に、カップを持つ手が少し揺れる。
……咲かせられない自分が、花の手入れなんてしていいのだろうか。そんな気持ちが、喉元まで上がってくる。
「……俺なんかで、役に立てるでしょうか」
言った瞬間、恥ずかしさと後ろめたさが交ざり合う。けれど、エリオットはすぐに首を縦に振った。
「ルイス様には、咲かせる力がありますよ! 花だけでなく、人の心にも……!」
静かな声が、まっすぐ胸へ落ちてくる。その優しさに、ぎゅっと胸が締めつけられた。
「……少しだけ、やってみようかな?」
「ええ。どうぞ、気負わずに」
エリオットの笑顔に背を押されるように、俺は立ち上がった。
ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーー
庭園の一角。朝露がまだ残る花壇のそばに、ひとりの青年が膝をついていた。丁寧に、苗の根元へ指を添え、そっと土を押さえている。
「……おはようございます」
声をかけると、青年は振り返り、ぱっと顔を綻ばせた。
「おはようございます! わっ、ルイス様……! お会いできて光栄です!」
立ち上がった青年は、作業着の上から土を払いつつ、軽く頭を下げた。がさつさはなく、むしろどこか気品が漂っている。
「初めまして。ロジェ・エメリックと申します。王宮の庭師をしております。花生みとしてはまだ未熟ですが……こうして王庭を任されております」
「……ロジェさん」
「ロジェとお呼びください、ルイス様」
柔らかい物腰に、自然と表情が緩む。
「花を咲かせるだけが、花生みの務めではありません。毎日こうして、根に触れ、土に耳を澄ますこと。それもまた、花を知るひとつの道なのだと思っています」
その言葉に、思わず息をのんだ。
(……咲かなくても、花生みとして出来ること……?)
「……一緒に、やっても?」
「もちろんです! 今朝の作業は水やりと、春めきの気候に咲く花の間引きです。よろしければ、お話ししながら、やりましょう!」
ロジェの瞳が、まっすぐこちらを見つめる。初めて友達が出来たみたいで、少しだけ心が軽くなった気がした。
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ーーーーーーーー
ーーーー
*
ーー執務室。
書類に目を通していた手が、ふと止まる。ブランシェ家の系譜を記した記録の一節に、はっきりと刻まれていた。
ーー『死の花』。
(……やはり、そうか)
無意識に、眉間に皺が寄る。指先に力が入り、書類の端がわずかに歪んだ。そんな私の気配を察した専属従者、ザイン・アベルが、控えめに問いかけた。
「……本当に、ルイス様と婚約なさるおつもりですか?」
「当然だ。彼は、私の花嫁だ」
「……ですが、婚儀でブートニエールを結ばれた際、必ず『セレスティアの伝承』が持ち出され、ルイス様は世間から非難されます」
「ーーそれでも、彼を守るのが私の役目だ」
静かに、強く言い切り、私は窓辺へと歩を進めた。
ガラス越しに広がる庭園の一角で、朝の光を浴びながらしゃがみ込み、楽しげに微笑むルイスの姿が目に入った。
「……ルイスは、今なにを?」
「お庭にて、花の手入れをなさっております」
「……誰と?」
「王宮付きの庭師、ロジェ・エメリック。平民出身の花生みですが、彼が手をかけた花は、まるで蕾が綻ぶように咲き誇ると評判の者です」
庭師がルイスの手元に手を添え、間近で苗の位置を示し、顔を寄せては何かを囁いている。楽しげに笑うルイスの表情は、まるで無防備な子供のようだった。
(……近すぎる)
そして、庭師の指先が、ルイスの頬へと触れた瞬間、怒りが激しい波のように全身を駆け巡った。振り返り、背後に控えていたザインを真っ直ぐ見据える。
「……ザイン」
「……はい」
「ルイスを、すぐ執務室に呼べ。個人的な話があると伝えろ」
「……殿下。嫉妬しているようにしか見えませんが」
「そう見られて困ることではない。……他の男の手が、ルイスに触れるのを、私は許せない」
「……感情的に動けば、嫌われますよ」
忠告を受け流すように、私は再び窓の外へと視線を戻す。柔らかな陽の下、笑顔で庭師と談笑するルイスの穏やかな横顔に、激しく胸がざわめいた。
あの笑顔は、私だけのものだ。他の誰にも、向けてほしくはないーー。
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