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第二章 セレスティアの伝承
第三十八話 『夕映えに咲く、ひと夜の約束』
しおりを挟む日が傾き、王宮の石畳に橙色の影が長く伸びていた。文書室で交わした言葉が、胸でゆるく余韻を引く。
思い返しながら歩くうちに、あたりはすっかり夕暮れに染まり、少し冷えた風が頬をそっと撫でる。
「ルイス様」
ふいにかけられた穏やかな声に振り向く。庭の片隅で、花壇に向かって屈んでいたロジェが、手を止めてこちらを見上げた。
夕陽を浴びた横顔はやわらかで、俺もつられて優しい顔になる。
「おかえりなさいませ。今日は……文書室に?」
「うん、ちょっと調べもの。本も借りてみました」
本をぎゅっと胸に抱えたまま、ロジェの傍に寄る。手元には白い花が風に揺れていて、緩やかな香りを漂わせていた。
「ねぇ、ロジェ。……ロジェの実家って、どんなところ?」
ふと気になって尋ねると、ロジェは一瞬だけ瞬きをしてから、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「……田舎です。ただ、代々王宮の庭師を務めてきた家系でして。男ばかりの家なんですよ。少々、堅苦しいかもしれません」
「男ばかり? じゃあ、俺が行っても大丈夫だね!」
ぱっと笑顔を向けると、ロジェは少し驚いたように目を見開いて、くすっと喉の奥で笑った。
「ええ。ルイス様は……男性ですから。歓迎されるかと」
「よかった……!」
安堵の吐息とともに胸を撫で下ろした、そのときだった。ふいに背後から腰へと腕がまわされ、ぐいと体が引き寄せられた。
「……よくは、ないだろう」
耳元をくすぐるような低い囁きに、肩がびくりと跳ねる。驚いて振り返ると、そこには執務服姿のリアム殿下がいた。
「わっ……! リアム殿下……っ!」
「おかえり、ルイス」
柔らかな微笑みとともに、そのまま、頬へそっと口づけが落ちる。あたたかな感触に、じんわりと熱が広がった。顔を上げて、にっこりと笑う。
「ただいまです……っ!」
「……可愛い……」
「~~~っ!」
顔が熱くなって、片手で目元を隠す。けれど、その手を殿下がゆっくりと外した。翠の瞳と目が合う。
「こんな可愛い花生みが来たら……どんな男でも放っておけなくなるだろう」
「っ……」
「だから、一人で行かせるなんて、できない」
「あっ、ちょっ……」
首筋に、柔らかな唇が触れ、びくんと肩が震える。逃げ出す間もなく、甘い熱を孕んだ口付けが、首筋を這った。殿下の唇が何度も触れ、ゆっくりと、赤い花を咲かせていく。
「っ、やっ……で、殿下……っ、ロジェが……っ」
必死に言葉を絞ると、ロジェはしゃがんだまま、柔らかく微笑みながら花へ視線を落とした。
「……僕は花しか見ていませんので。お気になさらずに」
「な、なにそれ……っ!」
羞恥で全身が熱を帯び、耳の先まで真っ赤になる。そんな俺を見つめながら、リアム殿下は口元を緩め、顔を寄せてきた。
「……可愛いな、本当に」
甘く囁かれた言葉が、耳朶を撫でる。殿下の指先が、腰から下腹へ滑り込むようになぞった。コート越しにも伝わる指先の熱に、全身がびくりと跳ねる。
「あっ……そこ、っ……だめ……っ」
抱えていた本がぐらりと傾き、思わず腕に力が入る。けれど、殿下の手はそのまま、太腿の内側を撫でた。
「……ルイスはここが敏感だったかな?」
「っ……殿下っ、こ、ここ……外、です……っ!」
息を詰めて懇願するように見上げると、殿下は小さく笑い、腕を緩めた。
「……すまなかった、ルイス。今日は約束していたのに、どうしても執務が片付かなくて」
「いえ……っ、俺の方こそ。帰りが少し遅くなっちゃって……」
熱くなった身体を隠すように、胸に抱えていた本を差し出した。
「で、でもっ、これ借りてきました! 一緒に読みませんか? 夜にっ!」
殿下は受け取った本の表紙を見て、くすりと微笑んだ。
「『花の図鑑』か。寝る前に読むには穏やかで、いいかもしれないな」
「でしょう!」
「……ふふ。図鑑をそんなふうに嬉しそうに抱えている君は、まるで子どもみたいだ」
「ちょっ、なんですかそれ~~っ!!」
ぺしぺしと図鑑で殿下の胸を軽く叩くと、殿下はくすくすと笑って身をよじった。
「君は次期国王を図鑑で叩くのか。大胆だな」
「笑う殿下が悪いんです~~っ!」
ぷいっとそっぽを向いた途端、また大きな腕が俺を抱きしめた。熱い腕に包まれ、思わず動きを止める。
「……怒るな、ルイス。こっちを向いてくれ」
優しく顎を持ち上げられ、殿下の顔が近づく。鼻先が触れ合いそうな距離に、息を止める。
「……だ、だからっ、ここ……外っ……!」
「……少しだけだから。それに、今日はまだーーキスしていない」
次の瞬間、唇が啄むように降りかかった。触れては離れ、触れては離れ、また重なる。熱が、吐息が、じわじわと心を溶かしていく。
名残惜しげに唇を離すと、殿下が耳元で囁いた。
「……続きは、寝る前にするとしよう」
「~~~っ?! ね、寝る前は『読書』ですっ!! 花の図鑑ですっっ!!」
「そうだっけ?」
「そ・う・で・すっ!! も、もぉ~~っ、殿下はもう……っ!」
頬を膨らませ、図鑑をぎゅっと抱きしめると、殿下は笑いながら俺の髪をそっと撫でた。
「……本当は今すぐ一緒に行きたいところだが、残念だ、ルイス。まだ執務が残っている」
「……そうですか。がんばってください。……でも、寝る前までには……絶対、終わらせてくださいね」
「終わらせるよ。君が、待っているから」
頬に指先が触れて、最後にひとつ、軽いキスが落ちた。離れがたそうに腕がほどかれ、殿下は執務へ戻っていった。
手を振ってその背を見送ったあと、本を胸に抱えて、俺はひとり、中庭を抜け、廊下を歩き出す。
夕暮れの王宮はとても静かで。遠くから侍女の足音だけが微かに響く。床を擦るような、足音が背後から届いた。
ーーギ……。
(……風じゃない。誰かが……つけてきている?)
振り返っても、誰もいなくて。けれど、足音は確かに聞こえた。息を潜めると、廊下の角で、影が人の形に揺らぐ。冷たい風が背筋をなぞった。
「……おや。おひとりですか? ルイス・ブランシェ様」
灯りの届かない柱の陰から、静かに現れたのは、漆黒のマントを纏った男で。琥珀色の瞳が、冷ややかに笑っていた。
「……カミュ・アルヴァ公爵閣下……?」
「ご挨拶が遅れて、申し訳ありません。お会いできて、光栄ですよーー『咲かぬ花嫁』様」
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