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第三章 王都編
第六十話 『君を守るための、政と誓い』
しおりを挟む重厚な扉が、鈍く低い音を響かせて閉じる。王都中央庁舎ーー政務庁会議室。そこに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
冷え切った部屋の奥から、刺すような視線がいくつも突き刺さる。座に並ぶのは、王政を揺るがそうと目論む面々。その中心に、カミュ・アルヴァ公爵がいた。
濁流のように膨れ上がる敵意は、もはや隠すそぶりすらない。
「……お集まりいただき、感謝する」
淡々と口を開くと、声が重なった。
「感謝? そんな言葉より、まずはその座を降りるべきではないか」
「毒花を黙認していた証拠が見つかっている。王立植物調香研究局の予備文書庫から、貴殿の署名付きでな!」
写しを掲げた男の手が、勝ち誇ったように震えていた。ーー精巧な偽造。明らかだ。だが、『偽造だ』と口にすれば、その証明責任はすべてこちらにのしかかる。
「リアム=アッシュフォード殿下。あなたは、禁制植物の流通を黙認していたのではないか?」
「そのような事実はない」
ひとつひとつ、丁寧に否定する。だが、聞く耳を持つ者はない。既に用意された筋書きに、ルイスの名すらねじ込まれていた。
「そもそも、貴殿が迎えた『ブランシェ家のルイス』という者は、忌むべき花を咲かせた『枯れ生み』ではないのか!」
「なぜ、王家にそのような者を入れた?!」
「咲かぬ花嫁であり、死の花ーーそれは王政の腐敗では?」
「黙れ」
ひときわ低い声で、遮った。
「貴族の不安を煽るような発言は慎め。虚偽を積み上げて、誰を王から引きずり下ろすつもりだ?」
「虚偽かどうかは、証拠が語る。貴殿は『咲かぬ花嫁』とともに、滅びの種を抱えているのだ!」
怒声が飛ぶ。罵声が飛ぶ。けれど、ただ静かに、真正面を見据えた。
(……これが、政の本質。耳障りのよい正義で、誰かを踏みにじる世界だ)
それでも、ルイスの名前が穢されるのを、黙って見過ごすわけにはいかない。
(こんな声を、彼に届かせるものか。私がーーすべて引き受ける)
「……ならば、私からも問おう」
ゆっくりと、静かに。覚悟を決めて、一言ごとに明確な重さを込める。
「この国が抱えているのは、『咲かぬ花嫁』か、それとも『腐り果てた根』か。毒を撒いているのは、果たして誰だ?」
静寂が落ちた。誰も動かない。その刹那を、逃さず、視線を巡らせる。
(……ルイスの潔白は示せる。だが、私の立場を守るには、足りない。毒花の密売帳簿ーー確かな証拠が必要だ)
拳を握る。読みが甘かったからこそ、先手を打たれたのだ。完全にこちらの失策でしかない。このままでは、ルイスも、すべてが押し潰される。
「……政務庁としての正式判断は、保留としよう」
「だが、調査のための停職要請は免れまいな」
「アッシュフォード殿下、今後の振る舞いには、くれぐれも慎重に」
曖昧な言葉に包んだ牽制が次々と投げられる。そのすべてを真正面から受け止め、静かに席を立った。
「本日は、ここまでとする」
背後で扉が閉ざされた音が響く。暗がりの廊下を、ひとり歩いた。誰もいない空間が、鼓動を映す。
(負けられない。ルイスを、未来を、守るためにーー)
指先に、ルイスへ触れたときの温もりが残っていた。守ると誓ったその手を、もう二度と手放さないと決めた。
だからこそ、この泥の中でも、歩みを止めるわけにはいかなかった。
ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーー
*
リアム殿下の執務室の扉の前まで来ると、ザインが無言のまま立ちはだかった。衛兵のように、ぴたりと扉の前に立ち、通せないという意志を全身に張りめぐらせている。
「……あ、あのっ……殿下に、お会いしたくて」
声が、少しだけ上ずった。けれど、ザインのまなざしは揺るがなくて。丁寧な物腰の奥に、極限まで張りつめた緊張が滲んでいた。
「申し訳ありません。殿下は連日、会議の予定が詰まっております」
その声音から、ただならぬ状況が伝わってくる。宮殿の空気が変わったと感じたのは、思い過ごしではなかったのだと悟る。
「でも、どうしても……。伝えたいことがあるんです。ほんの少しだけでも、お時間を……」
懇願するように言うと、ザインの視線が俺の手元に落ちた。強く握りしめた拳を見て、彼は静かに溜息を吐いた。
「……中で、お声をかけてまいります。少々お待ちください」
そして扉をくぐり、数分後。戻ってきた。
「……お通しするようにとのことです。どうぞ」
「ありがとうございます……!」
胸がぎゅっと締めつけられたまま、ゆっくりと扉を押し開ける。軋む音の先に広がるのは、静かな執務室の光景だった。
窓辺に差す陽光のなか、リアム殿下がひとり、執務机に向かっていて。俯きがちな横顔は、どこか痩せたように見えた。
栗色の髪に疲れの影が滲み、ペンを握る指先には、強く力が入りすぎている。
「……ルイスか」
殿下の瞳が、俺を捉えた瞬間、空気がふと和らぐ。緊張がほぐれたように、殿下の表情がわずかに柔らかくなった。
「会いたかった」
それだけで、胸が熱くなる。言葉が、喉の奥に詰まって出てこない。
「……あの……少しだけ、お時間をいただけますか?」
「こちらへ」
促されるままにソファへ向かうと、殿下も隣に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「正直に言えば、限界だった。君の顔を見られて、ようやく息ができる気がする」
囁くような声に、涙腺がつん、と熱くなる。自分が来た意味が、確かにあったのだと、全身が答えていた。
「……俺も、殿下に会いたかったです。戻ってきてからずっと、王宮の空気が、どこかおかしくて」
「ああ。政務庁は荒れている。捏造された文書を巡って、貴族たちが疑心暗鬼になっているんだ」
殿下は目を伏せ、額に手を当てた。その姿があまりにも疲れきっていて、思わず手を伸ばし、頬にそっと触れる。
「……重い話をしてすまない」
「いえ……あの、俺、お願いがあって……」
まっすぐに視線を合わせると、殿下の翠の瞳が深く揺れた。
「……実家に帰りたいんです。ノクティアについて、調べたいことがあります。もしかしたら、証拠になるものが……」
沈黙が落ちる。しばらくののち、殿下は重く息を吐いた。
「……危険だ。できれば行かせたくない。けれど、君がそう望むなら、私は止めない」
言葉とは裏腹に、伸ばされた指が俺の頬をなぞる。少し冷えた指先が、微かに震えていた。
「……出立は明日まで、待ってくれないか?」
「え……?」
「君の体温を……少しだけ、感じていたい」
低く甘い声に、心臓が跳ねる。ふと触れ合った唇は、すぐにほどけ、殿下の腕が背を抱いた。
「お願いだ。ほんの少しだけ、君を抱きしめさせて」
「……はい」
そのまま身を預ける。殿下の鼓動が、こちらに移ってくる。温かくて、少しだけ早くて。でも穏やかに落ち着いていく。そして、俺の中にも、ゆっくりと覚悟が灯っていた。
「夜が明けたら、俺、行きます。絶対に証拠を持って帰ってきますから」
「……待っている。どんな姿でもいい。だから約束して。ーー生きて戻ると」
「……はい。必ず、王都セレスティアに、リアム殿下の元に戻ることを、誓います」
目を逸らさずに、まっすぐ殿下を見つめる。その瞳に静かな光が差し、口づけが、誓いの代わりにそっと落とされた。
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