フラワー・マリッジ ― 咲かぬ花嫁は、王のために咲く ―

霜月@如月さん改稿中&バース準備中

文字の大きさ
64 / 83
第三章 王都編

第六十三話 『記憶と再訪のはざまで』

しおりを挟む


 馬車が止まり、車輪の揺れがふっと途切れる。扉が開くと、湿った灰色の空と、懐かしいはずの石畳が広がっていた。


 けれど胸に浮かぶのは懐かしさではなく、冷たいものが静かに沈んでいく感覚だった。


 門の前には、ブランシェ家の執事が立っていて。背筋をぴんと伸ばし、黒い制服を纏い、表情だけは丁寧に整えている。


「……お帰りなさいませ、『ルイス様』」


 『様』だけが、妙に遅れて落とされる。微笑みは浮かべているが、その目は笑っていなくて。それは、かつて『枯れ生み』だった自分に向けられていた視線と、まったく同じだった。


「……ただいま」


 喉の奥がひりつく。けれど笑みだけは崩さなかった。門が軋み、屋敷の庭が広がる。整いすぎた花々が、息を潜めるように並んでいた。執事は何も言わず、俺の横を抜けて先を歩いていく。


 それはまるで、客人に対するような、あるいはーー家に属さない者への距離に思えた。


(……歓迎されていないのは、わかっている)


 それでも、足を止めることはできなくて。一歩ごとに、忘れたかった記憶が足元から立ちのぼる。


 案内されたのは、西棟の、幼い頃に押し込められていた部屋だった。扉が開くと、埃の匂いが鼻をついた。


 薄いカーテンがわずかに揺れ、空気の冷たさが際立つ。窓辺の棚には、隠すように置いていた押し花のノートがそのまま残っていた。


「ご用があれば、呼び鈴を」


 淡々とした声で執事が告げ、そして、わざとらしいため息を吐いた。


「……式用の礼服など、必要ありませんか? その民族衣装では、ブランシェの『恥』になりますので」


 冷たく放たれたその言葉が、胸にずしりと落ちる。けれど、昔の自分とは違う。ゆっくりと衣装の裾へ手を添え、刺繍されたブランシェの紋章をあえて見せつけるように指でなぞった。


「大丈夫です。用意しているので」


 短くそう返すと、執事は眉をひそめ、それでも頭を下げた。


「……かしこまりました」

 
 扉が閉じる音が、部屋中に響く。この家は何ひとつ変わっていない。空気も、人も、視線も。


 けれどーー変わったのは自分だ。リアム殿下と巡った旅も、触れ合った温度も、あの夜の誓いも。すべてが、昔の自分を越えるための灯りになっている。


(帰ったら……殿下と話したい)


 窓の外を見つめると、曇天の空が静かに広がっていた。その灰色の向こうで、殿下が待っているのだと想うだけで、胸があたたかくなった。


 ーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー
 ーーーー


 荷ほどきを終えて、屋敷の廊下を歩く。足音は石造りの床に淡く響き、すぐに吸い込まれていった。


 すれ違う使用人たちは誰ひとり声をかけてこなくて。まるでそこに俺が存在していないかのように視線を逸らした。


(……変わっていない)


 この屋敷に戻ったのは何年ぶりだろう。けれど、空気の冷たさは、昔のままだった。


「……使用人の数、増えましたね」


 ふと、廊下の端で花瓶の花を整えていた年配の女性に声をかけると、相手は微かに眉をひそめ、短く答えた。


「……ええ。あなたが王都へ行きましたので」


 その言葉に込められた含意は明白で。まるで、『あなたが出て行ったから増員が必要になった』とでも言いたげだった。


(責められる理由なんて、本当は何もないのに)


 ただ生きてきただけなのに。何度もそう思ってきたはずの自分が、まだこうして傷つくことに気づき、そっと胸を押さえ、静かに頭を下げてその場を離れる。


 そのまま足を進めると、ふと、西棟の立ち入りが制限されていた扉が目に入った。


(……あれは、旧書庫?)


 かつて、家系の古い記録や、花に関する資料が保管されていた部屋だ。引き寄せられるように近づくと、前に立っていた若い使用人が、慌てて一歩前に出た。


「申し訳ありません。こちらは現在、使用できない区域でして……」
「昔は、ブランシェ家の記録が……」


 問いかけを遮るように、背後からぴたりと冷たい声が落ちた。


「兄さん」

 
 その声音に、反射的に振り返る。廊下の先に立っていたのは、弟のノエルだった。黒の正装に身を包み、佇まいには隙がない。表情は柔らかく整っているのに、明らかな敵意を感じた。


「そんなところで何をしているの? 兄さんはもう、ブランシェを出て行ったはずでしょ? 今は『客人』の立場のはずだけど」


 わざと強調された『客人』の響きに、廊下の空気が凍りつく。使用人の視線すらも、自分ではなくノエルの動きに合わせて揺れていた。


「……懐かしくて。少し、見て回っていただけだよ」


 努めて穏やかに返すと、ノエルは口の端を吊り上げ、どこか芝居じみた微笑を浮かべた。


「ふうん……じゃあ、まだ『この家』に未練があるんだね」


 刺すような言葉が、胸に鋭く沈む。けれど、何も返さず、ただひとつ会釈だけを残してこの場を離れた。階段を曲がっても、背中でずっと、ノエルの視線が刺さっている気がして、息が詰まりそうになる。


(俺は、もう後戻りしない。たとえ、過去を突きつけられても……!)


 指先が、民族衣装の襟元に触れる。そこにある刺繍が、まるで『君はここにいる』と告げてくれているような気がして、そっと目を閉じた。

しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

嫌われた暴虐な僕と喧嘩をしに来たはずの王子は、僕を甘くみているようだ。手を握って迫ってくるし、聞いてることもやってることもおかしいだろ!

迷路を跳ぶ狐
BL
 悪逆の限りを尽くした公爵令息を断罪しろ! そんな貴族たちの声が高まった頃、僕の元に、冷酷と恐れられる王子がやって来た。  その男は、かつて貴族たちに疎まれ、王城から遠ざけられた王子だ。昔はよく城の雑用を言いつけられては、魔法使いの僕の元を度々訪れていた。  ひどく無愛想な王子で、僕が挨拶した時も最初は睨むだけだったのに、今は優しく微笑んで、まるで別人だ。  出会ったばかりの頃は、僕の従者まで怯えるような残酷ぶりで、鞭を振り回したこともあったじゃないか。それでも度々僕のところを訪れるたびに、少しずつ、打ち解けたような気がしていた。彼が民を思い、この国を守ろうとしていることは分かっていたし、応援したいと思ったこともある。  しかし、あいつはすでに王位を継がないことが決まっていて、次第に僕の元に来るのはあいつの従者になった。  あいつが僕のもとを訪れなくなってから、貴族たちの噂で聞いた。殿下は、王城で兄たちと協力し、立派に治世に携わっていると。  嬉しかったが、王都の貴族は僕を遠ざけたクズばかり。無事にやっているのかと、少し心配だった。  そんなある日、知らせが来た。僕の屋敷はすでに取り壊されることが決まっていて、僕がしていた結界の魔法の管理は、他の貴族が受け継ぐのだと。  は? 一方的にも程がある。  その直後、あの王子は僕の前に現れた。何と思えば、僕を王城に連れて行くと言う。王族の会議で決まったらしい。  舐めるな。そんな話、勝手に進めるな。  貴族たちの間では、みくびられたら終わりだ。  腕を組んでその男を睨みつける僕は、近づいてくる王子のことが憎らしい反面、見違えるほど楽しそうで、従者からも敬われていて、こんな時だと言うのに、嬉しかった。  だが、それとこれとは話が別だ! 僕を甘く見るなよ。僕にはこれから、やりたいことがたくさんある。  僕は、屋敷で働いてくれていたみんなを知り合いの魔法使いに預け、王族と、それに纏わり付いて甘い汁を吸う貴族たちと戦うことを決意した。  手始めに……  王族など、僕が追い返してやろう!  そう思って対峙したはずなのに、僕を連れ出した王子は、なんだか様子がおかしい。「この馬車は気に入ってもらえなかったか?」だの、「酒は何が好きだ?」だの……それは今、関係ないだろう……それに、少し距離が近すぎるぞ。そうか、喧嘩がしたいのか。おい、待て。なぜ手を握るんだ? あまり近づくな!! 僕は距離を詰められるのがどうしようもなく嫌いなんだぞ!

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。 これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。 無自覚両片想いの勇者×親友。 読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。

溺愛極道と逃げたがりのウサギ

イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。 想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。 悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。 ※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。 二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。

辺境の酒場で育った少年が、美貌の伯爵にとろけるほど愛されるまで

月ノ江リオ
BL
◆ウィリアム邸でのひだまり家族な子育て編 始動。不器用な父と、懐いた子どもと愛される十五歳の青年と……な第二部追加◆断章は残酷描写があるので、ご注意ください◆ 辺境の酒場で育った十三歳の少年ノアは、八歳年上の若き伯爵ユリウスに見初められ肌を重ねる。 けれど、それは一時の戯れに過ぎなかった。 孤独を抱えた伯爵は女性関係において奔放でありながら、幼い息子を育てる父でもあった。 年齢差、身分差、そして心の距離。 不安定だった二人の関係は年月を経て、やがて蜜月へと移り変わり、交差していく想いは複雑な運命の糸をも巻き込んでいく。

【完結】「奥さまは旦那さまに恋をしました」〜紫瞠柳(♂)。学生と奥さまやってます

天白
BL
誰もが想像できるような典型的な日本庭園。 広大なそれを見渡せるどこか古めかしいお座敷内で、僕は誰もが想像できないような命令を、ある日突然下された。 「は?」 「嫁に行って来い」 そうして嫁いだ先は高級マンションの最上階だった。 現役高校生の僕と旦那さまとの、ちょっぴり不思議で、ちょっぴり甘く、時々はちゃめちゃな新婚生活が今始まる! ……って、言ったら大袈裟かな? ※他サイト(フジョッシーさん、ムーンライトノベルズさん他)にて公開中。

王宮魔術師オメガは、魔力暴走した王子殿下を救いたい

こたま
BL
伯爵家次男のオメガで魔術師のリンは変わり者として知られている。素顔を見たものは少なく、魔力は多いが魔力の種類が未確定。いつも何か新しい魔道具を作っている。ある時、魔物が現れ、その魔術攻撃を浴びた幼馴染のアルファ王子クリスが魔力暴走を起こしてしまった。リンはクリスを救おうと奔走するが、治癒の為には…。ハッピーエンドオメガバース、魔法ありの異世界BLです。

陰日向から愛を馳せるだけで

麻田
BL
 あなたに、愛されたい人生だった…――  政略結婚で旦那様になったのは、幼い頃、王都で一目惚れした美しい銀髪の青年・ローレンだった。  結婚式の日、はじめて知った事実に心躍らせたが、ローレンは望んだ結婚ではなかった。  ローレンには、愛する幼馴染のアルファがいた。  自分は、ローレンの子孫を残すためにたまたま選ばれただけのオメガに過ぎない。 「好きになってもらいたい。」  …そんな願いは、僕の夢でしかなくて、現実には成り得ない。  それでも、一抹の期待が拭えない、哀れなセリ。  いつ、ローレンに捨てられてもいいように、準備はしてある。  結婚後、二年経っても子を成さない夫婦に、新しいオメガが宛がわれることが決まったその日から、ローレンとセリの間に変化が起こり始める…  ―――例え叶わなくても、ずっと傍にいたかった…  陰日向から愛を馳せるだけで、よかった。  よかったはずなのに…  呼ぶことを許されない愛しい人の名前を心の中で何度も囁いて、今夜も僕は一人で眠る。 ◇◇◇  片思いのすれ違い夫婦の話。ふんわり貴族設定。  二人が幸せに愛を伝えあえる日が来る日を願って…。 セリ  (18) 南方育ち・黒髪・はしばみの瞳・オメガ・伯爵 ローレン(24) 北方育ち・銀髪・碧眼・アルファ・侯爵 ◇◇◇  50話で完結となります。  お付き合いありがとうございました!  ♡やエール、ご感想のおかげで最後まではしりきれました。  おまけエピソードをちょっぴり書いてますので、もう少しのんびりお付き合いいただけたら、嬉しいです◎  また次回作のオメガバースでお会いできる日を願っております…!

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

処理中です...