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第三章 王都編
第六十四話 『囚われの夜に誓う、ただひとつの未来』
しおりを挟む夜が更け、屋敷は深い沈黙に沈んでいた。石造りの廊下には誰の気配もなく、蝋燭すら灯されていなかった。
俺は寝台をそっと抜け出し、旅装の上着を肩に掛けると、音を立てないよう慎重に扉を開けた。手にした小さなランタンの灯が、闇の中に浮かぶ。
吐く息は白く、空気はひどく冷たくて。まるで、この家の冷たさそのもののように思いながら屋敷の裏へと足を運んだ。
目指すのは、昔、ノクティアを育てていた古い小屋。もう使われていないはずのその場所から、微かに、甘く重い香りが漂っていた。香草とは異なる、記憶に焼きついた、匂いだ。
(……ノクティア。間違いない。あれは、毒花の匂い)
月のない夜が、心細さで襟元を締めつける。それでも進まなければ。殿下のために。自分の意思のために。
冷えた夜気の中を進み、ようやく小屋の前にたどり着く。古びた扉の錠前が妙に新しく光っていた。誰かが最近、手を入れた証だ。懐から取り出した工具で錠前を静かに外すと、ぎ、と音を立てて扉を開いた。
中には、埃っぽい空気と、人工的に整えられた空間が広がっていて。棚に並ぶ木箱のいくつかは真新しく、机の上には筆記具と帳簿らしきものがあった。
古ぼけた革装丁の手帳の表紙には、かすれた金の文字が記されていた。
『夜香草取引記録』
その名を見た瞬間、心臓が跳ねた。指が震えるままページを繰ると、そこには詳細な記録が残されていた。
ノクティア。セリュフィーネ。数や日付、出荷先、購入元。王都の商会や薬師の名に混じって、『アルヴァ公爵家・使者』の文字まである。
(証拠……これさえあれば……!)
思わず、胸の内で叫びそうになるのを飲み込む。震える手で帳簿を抱きしめ、すぐに引き返そうと踵を返した、その瞬間、背後で小屋の扉が勢いよく閉まった音がした。
「夜にお散歩だなんて、王族の躾も、なかなか行き届いてるんだね、兄さん」
扉の外から響いた声は、低く、どこか楽しげだった。声の主の名を、喉の奥から絞り出すように呼んだ。
「……ノエル」
隙間から差し込む灯りの中、扉の向こうには、あの弟の影があった。見下すような声音。言葉の端に滲む侮蔑。それは、兄としての立場を剥ぎ取るかのように鋭かった。
「何を探していたの? 家族の秘密? それとも、ご主人様へのご褒美?」
「…………」
「どちらにしても、惨めだね。兄さんってば、本当に変わらない。昔も今も、知らない方がよかったことに手を出す。だから咲けないんだ」
きゅっと唇を噛む。指の中で、帳簿がふるふると震えた。
「……何がしたいの?」
「さぁ? ただの『家族のご厚意』だよ。懐かしい家に戻ってきた兄さんのために、特別な『お部屋』を用意しただけ。ね、喜んでよ」
言葉とは裏腹に、声はどこまでも冷ややかだった。
「王が君を手放すその日まで、そこで大人しく咲いてなよ。ーーいや、『枯れたまま』でいる方が、兄さんにはふさわしいか、アハハハ!」
最後に冷たい笑いを残して、鍵がかけられた。やがて足音も遠ざかり、もう、誰の気配もない。窓のないこの小屋に閉じ込められたという現実だけが、じわじわと胸を締めつけてくる。
(……俺がいかなきゃ、ダメなんだ)
殿下に、この記録を届ける。そのために、ここまで来た。絶望が喉元まで満ちてくる中、震える指で帳簿をさらに強く抱きしめた。
(負けない。絶対に……)
扉の向こうに残されたノエルの声が、頭の奥で冷たく反響する。
『王が君を手放すその日まで、ずっとそこで咲いていなよ』
ーーそんな未来、要らない。
俺はもう、殿下のそばで、咲くと決めた。誰にどう言われても、それだけは変わらない。
頬を伝う涙を指先で拭い、ぎゅっと目を閉じてから、ゆっくりと顔を上げる。闇の中でも、前を見つめるその瞳は、確かな意志を宿していた。
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