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七 新しい出発
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「いらっしゃいませ」
「おばさん。今日の昼の日替わりのメニューは?」
「煮込みシチューです」
――私、ナターシャ・サザンプトン元伯爵令嬢は下町の食堂で働いていた。元といっても伯爵家はあるのだけれど戻ることはあのおば様達がいて今はどうにもならないことぐらい世間知らずだった私でも分かる。
そして、先程、おばさんと呼ばれたのは私のこと。愛想が無い、硬い返事で私はおばさんと呼ばれるようになっていた。
衛生観念とかいうことで頭は白い三角巾で覆われ、顔も布巾で口を覆っている。さらには眼鏡という重装備仕様。きっと今までのナターシャを知っている人が見ても分からない自信があった。
――もう優しい言葉や笑顔に騙されない。しっかりするのよ。ナターシャ。そう鼓舞し続けて、ここで生活して早一月が経とうとしていた。
元貴族令嬢を売りにして娼館に売られるよりは食堂を選んだのは良かったと思うけれど、毎日慣れない労働でくたくたに疲れる日が続いている。
ここは無口な料理人の大将と奥さんのお女将さんが切り盛りする食堂だった。そこそこ繁盛しているお店で、特に日替わり定食が人気を呼んでいる。
最初は皿洗いから始まり、割ったら給金から引かれると言われ冷や冷やしながら洗っていた。慣れないため時間がどうしてもかかり、お昼時や夕食の出された汚れた食器や鍋も休みなくひたすら洗い続けた。
ここに来た最初は洗い物を私がするなんてと抵抗があったけれど今では大分慣れてそこそこ手早くできるようになってきた。そして、ホールの掃除にも出るようになった。まだ注文を取るところまではいけないけれど料理を運ばせてもらえるようにもなった。
お客さんも悪い感じの人はいない。元々客筋はいいみたいだった。そうあの借金のカタにされた人の行きつけの食堂でもあったのだ。
あの日、おば様達の借金のカタに売られるため馬車に乗せられてきたところは、
「よう、お邪魔するぜ」
「ああ、旦那。もう昼の営業は済んだとこで、夕方まではまだ」
「いや、飯はいい。それよりこの娘をここの手伝いにどうだ?」
「はあ?」
愛想笑いしていた恰幅の良い女性がじろじろと私を眺めた。伯爵家から出てきたままなので私は派手ではないけれどドレスのままだし、手には縄をかけられていた。
「旦那。あたし達は真面目にやっているんだよ。どこで攫ってきたお嬢様なんだい。どうにもこうにも手を出すと面倒な感じしかないよ」
「まあまあ、女将さん。その通りなんだか、借金のカタに預かったものの、売り飛ばすのもなんだし、家に連れて帰るのも大ごとにになるしで参っちゃってね」
「借金のカタだって?」
「あのバークレイ男爵から取り上げてやったんだよ。あのままだとこのお嬢さんはどの道もっと酷いことになってただろう」
――あのっておば様達のことなの? そんなに有名だったの。
「バー……、そりゃ、災難だったというか……。本当に良いのかい?」
「娼館よりはと本人も言うし、お女将さん、頼むよ。面倒かけるけどさあ」
「そりゃあ。旦那にはいろいろお世話になっているからなんとかしてあげたいけどねぇ」
「あの、私、すみません。何もできないかもしれません」
身の回りのことは全て侍女や使用人にしてもらっていたからこんな庶民の店で生活なんて……。でも、この方の言う通りあのままだといずれはおば様達に別の形で売り飛ばされていたかもしれない……。この方はお顔は怖いけどこうして私の意見も聞いてくださっている。案外良い人なのかもしれない。
「何もできないって? どうみても健康そうで、手足もしっかり動くだろう?」
「ええ、まあ、それはそうですけど」
「はあ、貴族のお嬢さんで使用人に傅かれていたんだろうね。娼館の方が楽だったんじゃないかい?」
「……」
私は女将さんに言われて項垂れた。
「嫌なんです。その……」
私は俯いた顔を上げて女将さん達の方を見た。
「そういうことは好きな人じゃないと出来ません」
一瞬、皆ぽかんとした表情をしていた。
――ジョンのことは嫌いじゃなかった。寧ろ好きになれるかなと思って婚約していたのだから。でも、私は小さな頃にお母様に読んでいただいていた童話のように王子様が迎えに来るのを夢見ていたの。こんなときにと思われてもそれでもやっぱり好きと思える人と一緒になりたい。
「こりゃあ。魂消た! 気にいったよ。お嬢さん、あたしがあんたの面倒見ようじゃないか。ええ、任せておき!」
「お、おお、女将さん。そうしてやってくれ。俺もこれで安心だ」
そうして、男性はしっかりしなよと挨拶をして出て行った。
――あ、まだ十分お礼も言えてない。私は慌てて走り寄った。
「ああ、また来るよ。ここでよく食べているからね」
「そうですか。ありがとうございます」
「さあ、ここに来たからにはしっかり動いてもらうよ。そうそう、そのドレスからどうにかしないとね。うちは貴族に媚売る娼館ではないからさ! あははは」
豪快に笑う女将さんに追い立てられるように私はお店の上階へと向かった。
「おばさん。今日の昼の日替わりのメニューは?」
「煮込みシチューです」
――私、ナターシャ・サザンプトン元伯爵令嬢は下町の食堂で働いていた。元といっても伯爵家はあるのだけれど戻ることはあのおば様達がいて今はどうにもならないことぐらい世間知らずだった私でも分かる。
そして、先程、おばさんと呼ばれたのは私のこと。愛想が無い、硬い返事で私はおばさんと呼ばれるようになっていた。
衛生観念とかいうことで頭は白い三角巾で覆われ、顔も布巾で口を覆っている。さらには眼鏡という重装備仕様。きっと今までのナターシャを知っている人が見ても分からない自信があった。
――もう優しい言葉や笑顔に騙されない。しっかりするのよ。ナターシャ。そう鼓舞し続けて、ここで生活して早一月が経とうとしていた。
元貴族令嬢を売りにして娼館に売られるよりは食堂を選んだのは良かったと思うけれど、毎日慣れない労働でくたくたに疲れる日が続いている。
ここは無口な料理人の大将と奥さんのお女将さんが切り盛りする食堂だった。そこそこ繁盛しているお店で、特に日替わり定食が人気を呼んでいる。
最初は皿洗いから始まり、割ったら給金から引かれると言われ冷や冷やしながら洗っていた。慣れないため時間がどうしてもかかり、お昼時や夕食の出された汚れた食器や鍋も休みなくひたすら洗い続けた。
ここに来た最初は洗い物を私がするなんてと抵抗があったけれど今では大分慣れてそこそこ手早くできるようになってきた。そして、ホールの掃除にも出るようになった。まだ注文を取るところまではいけないけれど料理を運ばせてもらえるようにもなった。
お客さんも悪い感じの人はいない。元々客筋はいいみたいだった。そうあの借金のカタにされた人の行きつけの食堂でもあったのだ。
あの日、おば様達の借金のカタに売られるため馬車に乗せられてきたところは、
「よう、お邪魔するぜ」
「ああ、旦那。もう昼の営業は済んだとこで、夕方まではまだ」
「いや、飯はいい。それよりこの娘をここの手伝いにどうだ?」
「はあ?」
愛想笑いしていた恰幅の良い女性がじろじろと私を眺めた。伯爵家から出てきたままなので私は派手ではないけれどドレスのままだし、手には縄をかけられていた。
「旦那。あたし達は真面目にやっているんだよ。どこで攫ってきたお嬢様なんだい。どうにもこうにも手を出すと面倒な感じしかないよ」
「まあまあ、女将さん。その通りなんだか、借金のカタに預かったものの、売り飛ばすのもなんだし、家に連れて帰るのも大ごとにになるしで参っちゃってね」
「借金のカタだって?」
「あのバークレイ男爵から取り上げてやったんだよ。あのままだとこのお嬢さんはどの道もっと酷いことになってただろう」
――あのっておば様達のことなの? そんなに有名だったの。
「バー……、そりゃ、災難だったというか……。本当に良いのかい?」
「娼館よりはと本人も言うし、お女将さん、頼むよ。面倒かけるけどさあ」
「そりゃあ。旦那にはいろいろお世話になっているからなんとかしてあげたいけどねぇ」
「あの、私、すみません。何もできないかもしれません」
身の回りのことは全て侍女や使用人にしてもらっていたからこんな庶民の店で生活なんて……。でも、この方の言う通りあのままだといずれはおば様達に別の形で売り飛ばされていたかもしれない……。この方はお顔は怖いけどこうして私の意見も聞いてくださっている。案外良い人なのかもしれない。
「何もできないって? どうみても健康そうで、手足もしっかり動くだろう?」
「ええ、まあ、それはそうですけど」
「はあ、貴族のお嬢さんで使用人に傅かれていたんだろうね。娼館の方が楽だったんじゃないかい?」
「……」
私は女将さんに言われて項垂れた。
「嫌なんです。その……」
私は俯いた顔を上げて女将さん達の方を見た。
「そういうことは好きな人じゃないと出来ません」
一瞬、皆ぽかんとした表情をしていた。
――ジョンのことは嫌いじゃなかった。寧ろ好きになれるかなと思って婚約していたのだから。でも、私は小さな頃にお母様に読んでいただいていた童話のように王子様が迎えに来るのを夢見ていたの。こんなときにと思われてもそれでもやっぱり好きと思える人と一緒になりたい。
「こりゃあ。魂消た! 気にいったよ。お嬢さん、あたしがあんたの面倒見ようじゃないか。ええ、任せておき!」
「お、おお、女将さん。そうしてやってくれ。俺もこれで安心だ」
そうして、男性はしっかりしなよと挨拶をして出て行った。
――あ、まだ十分お礼も言えてない。私は慌てて走り寄った。
「ああ、また来るよ。ここでよく食べているからね」
「そうですか。ありがとうございます」
「さあ、ここに来たからにはしっかり動いてもらうよ。そうそう、そのドレスからどうにかしないとね。うちは貴族に媚売る娼館ではないからさ! あははは」
豪快に笑う女将さんに追い立てられるように私はお店の上階へと向かった。
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