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1巻
1-2
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サンタクロースに夢を託し、クリスマスを心待ちにしていた日々が、まるで遠い昔の話のように感じられた。
「いや、サンタさんは実在してますよ。ほら、見てください!」
私はスマートフォンでネット検索をして、画面に表示された公認サンタクロースの記事を宮原さんに見せる。
「公認サンタクロースになるには厳しい試験があるそうです。合格すれば宮原さんもなれますよ」
私が説明すると、宮原さんの目が輝き始めた。
「本当だ! いないだなんて決めつけて申し訳なかったです」
「いえいえ。ボランティアみたいな職業なので無償みたいです」
子どもたちに夢を与える役割のサンタクロースの存在が、どれほど特別であるかを思い巡らせる。
「そうなんですね。それでもやっぱり、サンタが大好きな人にとっては憧れなんだろうなぁ」
宮原さんは興味深そうに記事を読みながら、微笑む。
「でも、サンタさんの話をしながらトナカイのお肉を食べちゃうだなんて……何だか罪悪感がありますよね」
「それは言わない約束でしょ」
宮原さんがそう返して、私たちは苦笑いをした。
「明日なんですが、吉野さんのこのあとの予定はどんな感じですか?」
私は突然の質問に驚き、「え?」と思わず声を漏らした。
「すみません、驚かせちゃいましたよね。もしも……もしもですよ? 吉野さんが嫌じゃなければ、買い付けについて行ってもいいですか?」
「えぇ、もちろん! このお店を紹介してくれたご夫婦が経営する雑貨屋さんに顔を出す予定です」
私は胸を躍らせながら即答した。
宮原さんとは会ったばかりなのに、私はさっきまで感傷に浸っていたというのに、今こんなにも楽しい時間を過ごせているなんて……
「今日はご馳走様でした。結局、宮原さんにご馳走になってしまってすみません」
「いえいえ、明日から同行させていただくので、せめてものお礼です」
ブッフェレストランを出た私たちは、お互いにお礼を言い合った。
ピンチを救ってくれたお礼として、私がご馳走するはずだったのに、宮原さんが支払ってくれたことに何だか申し訳ない気持ちがある。
宮原さんの優しさに胸が温かくなる一方で、今後どうにかしてお礼をしたいと考えていた。
「ツアーも申し込まず、ノープランで来てしまって……どうしようかと思っているところに、吉野さんに出会って助かりました。明日からも楽しい旅行になりそうでよかった」
「ふふっ、実は私、来る前に落ち込むことがあって、一人でどんよりとしてました。でも、宮原さんに会えて少しずつ元気になってきました。明日もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
お互いに自然と笑みがこぼれる。何気ない会話の中に、小さな絆が生まれているような気がしていた。
「吉野さんの宿泊先はどこですか?」
「私はこの近くなんです。宮原さんはどの辺ですか?」
「海が見える客室がいいなと思って、ネットで探したこのホテルにしました」
宮原さんはスマートフォンの画面で、宿泊先のホテルの概要を見せてくれた。
オーシャンビューでスパもあるラグジュアリーなホテルの情報を見て、思わず目を奪われる。
「わぁ……! 素敵なホテルですね。私は毎回おなじみのホテルなんです」
初めて買い付けに来た時に泊まった、そのホテルが今でも私の定宿だった。
初めてのフィンランドは美緒と一緒に訪れた。
二人で過ごした思い出が甦り、あの頃の旅行気分が懐かしく感じる。親友との思い出が心を満たし、再び旅のわくわく感が高まっていく。
「毎度おなじみっていうのも安心感があっていいですね。食事もしたし、部屋に戻っても風呂に入って寝るだけなんで宿泊先まで送りますよ」
「え、でも、すぐ近くなんで……」
「吉野さんがまた事件に巻き込まれても心配なので、送らせてください。あ、決して、送り狼とかじゃないんで! そこは誤解なきように」
宮原さんが慌てて否定をしている。その様子が少し可笑しくて、私は思わず微笑んでしまった。宮原さんが送り狼になるような人ではないと信じている。
「ふふっ、安心してください。宮原さんはそんな風には見えませんよ。じゃあ、お願いしようかな」
「はい、お任せください!」
明日も会う約束をしているのに、何故だか離れたくない気持ちが湧いている。
宮原さんは今日会ったばかりで、友達と呼ぶにはまだ早すぎる存在。でも、ただの知り合いというわけでもなく……カテゴリー分けをするならば、〝恩人〟かな?
心の中で、宮原さんとの距離が少しずつ縮まっているのを感じていた。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょうか?」
私の宿泊先のホテルまで歩いて向かっている最中に、宮原さんがポツリと口にした。
「吉野さんは落ち込むことがあったって言ってたので。何があったのかな? って気になってました」
「あぁ、そのことなら、吹っ切れそうです。実は……買い付けに来る少し前に、結婚が秒読みだと思っていた彼氏に振られました」
気まずい雰囲気にならないよう、私はわざと明るい声で笑いながら伝える。
「そうだったんですか! デリカシーもなく、聞いてしまってすみません!」
申し訳なさそうな表情を浮かべながら、宮原さんは慌てて謝る。
「いえ、いいんです。ずっと鬱々してましたが、宮原さんと一緒に大使館に行ったり食事をしたりしている間に落ち込む気持ちも薄れてきましたから」
「少しでも気が紛れたならよかったです。日本に戻る頃には、もっと元気になれるようにフィンランドを楽しみましょうね! ……って、吉野さんは仕事で来てるのにすみません!」
「仕事抜きで楽しんでるのは私の方ですよ。元彼のことなんて早いとこ忘れます」
お互いに笑い合う中、ついに宿泊先のホテルの前についてしまった。
「今日はありがとうございました!」
「こちらこそありがとうございました。それから、明日の連絡もありますし、連絡先を交換していただけますか?」
「はい、電話番号とメッセージアプリのIDを交換しましょう」
私たちはお互いの連絡先を登録して、この日は別れた。
心の中に高鳴る鼓動と宮原さんの気遣いが残した穏やかな余韻を抱え、ホテルのドアを閉めた。明日も会えることが、何よりの楽しみになっていた。
冷たい風が街を吹き抜けていた昨晩、ベッドに入っても私はなかなか寝つけなかった。
思い出すのは宮原さんのことばかりで、胸が高鳴ってしまっている。
彼の笑顔や優しい言葉が、頭の中をぐるぐる巡ってしまう。
失恋したばかりなのに、宮原さんのことばかりを思い出す。それほど、彼は魅力的な男性なのだ。
***
夜が明けてフィンランド二日目の朝。
寝不足のままで身支度をする。
鏡の前で自分の顔を見つめた。
疲れた目元が映っているけれど、それでも宮原さんに会えるのかと思うと、勝手に胸がキュンとしてしまう。
彼と過ごす時間が特別になっている気がする。
フィンランドで宮原さんと出会ってから、弘樹のことなど微塵も思い出さなくなっていた。あんなに大好きだったのに、宮原さんによってその存在が掻き消されてしまっている。
そういえば、私は弘樹のどんなところが好きだったんだろう?
優しいといえば、そうだけれど……
今思うと、見ないふりをしていただけで、元々意見の違いは多かったかもしれない。
振られてしばらくは目を腫らすほど泣いてしまったけれど、今ではもう泣かなくて済みそうだ。
心の中が少しずつ軽くなっていくのを感じるのは、きっと宮原さんに出会ったからだよね?
好きとか嫌いとかいう感情ではなく、宮原さんの人柄が気になっている。
一緒にいると落ち着くから。
宿泊先のホテルのレストランで軽く朝食を済ませ、待ち合わせの時間まで部屋で待機する。窓の外には静かな街の景色が広がっている。
待ち合わせ場所は私の宿泊しているホテルの前。約束の時間まではまだ早いけれど、部屋に籠っていても落ち着かないので外に出ようと思った。
まだ十五分前だから、宮原さんは来ていないかもしれない。けれど、それでもよかった。
そわそわして落ち着かない心を、外の新鮮な空気で少しでも和らげたい。
エレベーターのドアが開くと、冷たい空気が流れ込み、思わず身を震わせる。ホテルの外に出ると天気は曇りで、人々が忙しそうに行き交っていた。
「おはようございます、吉野さん。早めに来てしまい、ご迷惑かと思ったのですが……」
外の壁沿いにスマートに立っている男性がいると思ったら、宮原さんだった。
咄嗟のことに驚いてしまい、心臓がドキリと跳ねる。
「え、あ、宮原さん! お、おはようございます」
まさかこんなに早く会えるとは思っていなかったので、しどろもどろになってしまう。
宮原さんは知らない土地に来たせいか昨晩は寝つけなくて、朝も早起きしてしまったと恥ずかしそうに続けた。
「旅行が楽しみで子どもみたいにわくわくしすぎて……すみません」
彼のしゅんとした表情を見ると、親しみを感じる。
「ふふっ、私も初めての土地に行く時はそんな感じですよ。知らない国のことが早く知りたくて、飛び出して行きたいんですよね。分かります」
「よかった、分かってくれる人がいて」と、宮原さんは安心したように笑う。
彼の表情に少しホッとしながら、「では行きましょう! 今日も一日よろしくお願いいたします」と声をかけ、ぺこりとお辞儀をしてフィンランドの街中を歩き出す。
その後ろから宮原さんがついてくる。
「やはり、日本より寒いですよね……」
宮原さんがボソッと呟く。
彼は暖かそうなダウンジャケットを羽織っているが、昼間でも氷点下の気温に身震いしている。
「実は私、東北生まれなんです。寒いのは慣れてるつもりだけど、やっぱり寒いものは寒いです!」
私は笑いながら答える。
首元にマフラーを巻き、長めのコートにブーツを履いて防寒対策をしていても、寒さには勝てない。息が白くなるのを見ていると、フィンランドの冬の厳しさを改めて実感する。
寒空の下、手袋をしていても手先が冷たくなり、耳が痛むような寒さに、少しずつ足取りが重くなるが、隣に宮原さんがいるから頑張ろうと思える。
宮原さんと一緒に大通りの道沿いを進みながら歩く。
何度か訪れているので、街中の景色も見慣れてきた感じがする。
そして来るたびに親切にしてくれる大好きな雑貨店のご夫婦にもうすぐ会えるという、再会の瞬間を待ちわびる気持ちが込み上げてきた。
「あのお店です!」
私が指さすと、宮原さんも微笑んで頷く。
年に二回、買い付けに来ているこの街で、約半年前に出会ったご夫婦の顔が、心の中に鮮明に浮かんできた。
早く彼らの顔を見たくてしょうがない。
「こんにち……」と言葉に出しながら店の扉を開いた瞬間、奥さんが私を見つけて、笑顔と共に飛び込んできて抱きしめてくる。
「わぁ! アカリ! いらっしゃい!」
その声には温かさと半年ぶりの再会を心から喜ぶ気持ちが溢れていて、私は彼女の小さな身体をぎゅうっと抱きしめ返す。
「この方は? もしかして、旦那様? まぁ、素敵な方ね。ちょっと、あなたー! アカリが旦那様連れて来たー!」
奥さんの言葉は純粋な喜びに満ちていたが、完全な勘違いだ。
彼女はフィンランド語ではなく、私に合わせて英語で話してくれる。英語はとても流暢で、私たちの会話は自然とスムーズに進む。
「アカリ! おめでとう!」
奥から店主の旦那さんが現れ、少しぎこちないが心のこもった日本語で祝福を述べてくれた。
彼の身体はがっしりとしているが、その表情にはどこか子どものような無邪気さが滲んでいた。
「ちょっと待って! ち、違うの! この人は宮原さんという方で、私を助けてくれて……」
急いで説明をしようとするが、動揺のせいで上手くまとまらない。そんな私に宮原さんは、優しい視線を向けてくれる。
私の動揺した心は、少しずつ落ち着いていく。
「初めまして、アカリさんの友人の宮原と申します。興味本位でアカリさんと一緒についてきてしまいまして、買い付けの様子を見せていただければと思います」
宮原さんは目の前にいるご夫婦の言葉にまったく動じることなく、淡々とした態度で英語を話し始めた。まるでどんな状況にも動じない強さを彼から感じる。
「まぁ! そうだったのね。アカリの旦那様かと思って舞い上がってしまったわ。ごめんなさい」
奥さんは勘違いしていたことを照れくさそうに謝ってくる。
宮原さんが出会った経緯を彼らに説明すると、二人はゆっくりと頷き、納得の表情を見せた。
その後、宮原さんと一緒に店内を見学し、私はじっくりと買い付ける商品を選んでいた。私はふとした瞬間に彼の後ろ姿を見つめてしまう。
「アカリ、彼、とてもハンサムね」
奥さんが私の耳元で囁く。
もしかして、宮原さんを目で追っていたのを気付かれたのかな?
彼女の声はまるで秘密を共有するかのように聞こえて、思わず心がドキリとした。
「二人、とてもいい雰囲気よ」
その言葉に動揺して、手から商品が滑り落ちそうになり、私は慌ててそれを掴み直した。
危ない、落ちなくてよかった。
心臓が高鳴るのを感じつつ、宮原さんの姿をちらりと見ると、やはりどの角度から見ても彼はハンサムそのものだった。高身長で凛とした顔立ちが際立っていて、彼がただそこにいるだけで周囲が華やいで見える。
私が宮原さんのことを気になっていると、きっと奥さんは気付いているのだろう。
奥さんが茶化すような言葉を投げかけるたびに、私は変に意識をしてしまい、恥ずかしさが心の中でくすぶっていた。
「あ、これ、可愛い!」
宮原さんを視界に入れないように意識して、商品を見ながら私が目を輝かせて言う。
「それね、帽子は私が作ってる。可愛いでしょ?」
奥さんは優しい笑みを浮かべ、答えてくれた。
「すごく可愛い! これ、納期はゆっくりでもいいからお願いしたいなぁ」
目の前にあるのは、木でできた起き上がりこぼしのような小さな人形。
色とりどりのとんがり帽子を被り、髪型がお下げの子もいて、その愛らしさに思わず笑みがこぼれた。
他にも色々と見せてもらいながら、仕入れるものを選んでいると、宮原さんも甥っ子と姪っ子にあげたいと、じっくりと商品を選んでいる姿が目に入った。
彼の真剣な表情と、子どもたちへの思いが詰まった選び方に心が温かくなる。
買い付け商品を選び終わり、私たちは雑貨店の外へ出た。
「アカリ、また夕方に来てね! ミヤハラも一緒に!」
奥さんの声が歩道まで響き、明るい笑顔が私たちを見送る。
「はい、ありがとうございます。では、またのちほど伺います」
私は心を込めて返事をしながら、少し名残惜しく感じた。雑貨店を出ると、ひんやりとした空気が身体に纏わりつく。
このあと宮原さんと一緒にランチをしてから、クリスマスマーケットの準備状況を確認しに行くことにした。
それでも夕方までは時間が余っていたので、目新しい雑貨店を物色したり、家具店を覗いたりした。色とりどりの雑貨や、木のぬくもりを感じられる家具たちが、私の心を奪って離さなかった。
そして、ご夫婦が経営する雑貨店で夕飯をご馳走になったあとのこと――
「俺まで、夕食をご馳走になってしまいました。わいわいとしたパーティーみたいで楽しかったですね」
宮原さんが楽しそうに言う。彼の笑顔が、食卓を囲む幸せな時間を思い出させてくれる。
「私がお邪魔する時はいつも、お子さんたちの他に近所の人たちも来て賑やかなんです。ふふっ、宮原さんは子どもたちにも大人気でしたね」
私は微笑みながら返す。楽しそうなご夫婦と子どもたちの無邪気な笑い声が心に残っている。
宮原さんの周りにはいつも人が集まるようで、彼の人柄がその場を和ませているのだろう。
「子どもたちと遊ぶのは、本当に楽しいですよ。無邪気な笑顔を見ると、こちらまで嬉しくなります」
宮原さんが少し照れくさそうに言う。
「明日と明後日も買い付けにご一緒してもいいですか?」
「もちろん、いいですよ。でも、明後日からはオフなんです」
明日まで買い付け巡りをして、明後日と明々後日は観光に充てようと決めていた。
「そうでしたか! 明後日のご予定がなければ、オーロラを見に行きませんか?」
「……はい! 是非」
前回、美緒と一緒に訪れた際にはオーロラを見ることができなかった。
突然の誘いに驚きはしたが、自分自身もオーロラが見たいという想いがあり、躊躇なく承諾すると宮原さんは柔らかい微笑みを浮かべる。
彼の優しい笑顔を見ていると何だかほっとして、私も思わず笑顔になる。
私たちの間に流れる穏やかな空気が、まるで家族のような温もりを感じさせてくれた。
翌日、オーロラを見に行くため、買い付けを早めに切り上げた。その夜、宮原さんと一緒に夜行く列車に乗り、翌日の朝方にロヴァニエミに着いた。
ロヴァニエミはフィンランドの中で最もオーロラが見えやすい場所らしく、その美しさを求める観光客で賑わっている。
夜行列車の寝台は満席で予約が取れず、リクライニングのシートに座った私たち。
隣にいる宮原さんの存在が、緊張感を一層高める。彼の隣に十二時間も座っているなんて、夜間だけれど仮眠さえもできない。
列車の揺れが心地よく、ふと気が付くと宮原さんはいつの間にか寝ている。周りの乗客はまだ話し込んだりしているが、宮原さんは深い眠りについているようで静かに寝息を立てている。
宮原さんの穏やかな寝顔を見ていると、その美しさに心を奪われてしまう。
起きないのをいいことに、あまりに見つめすぎて、彼が目を覚ましたらどうしよう。万が一に目が合った瞬間を考えると、何だか恥ずかしさが胸を締めつける。
そんなことを考えているうちに、ますます彼をじっと見ていたい気持ちが強くなる。
しかし、私はその気持ちを押し殺して、到着してからの予定を考え始める。
朝の光が差し込むロヴァニエミに降り立ったら、宮原さんと一緒にどんな観光を楽しもうか。まずは名所を巡り、夜にはオーロラを観賞する計画だ。
そういえば、明日の夜にヘルシンキに向かう列車はどうだったっけ? 飛行機にするのかな?
全くの思い付きのプランで、オーロラツアーの予約も宮原さんにお願いしてしまったから、私自身は何も考えていなかったことに気付く。
彼が起きたら、確認してみなくちゃ。そんなことを考えながら、心は高鳴り続けていた。
列車の窓から差し込む光が、私を眠りから優しく覚まさせた。
どうやらいつの間にか深い眠りに落ちていたらしい。
ぼんやりと目を開けると、隣の宮原さんは既に目を覚まし、静かに文庫本を読んでいる。
「おはようございます。もうすぐ朝食が届くみたいですよ」
私が起きたことに気付いた宮原さんは、優しく声をかけてくれて文庫本を閉じた。その声は心地よく、安心感をもたらす。
しかし、夢の中の記憶が微かに蘇り、口を開けていたり、ヨダレが垂れたことはないだろうかと不安がよぎる。
普段はイビキをかかないが、時差もあって疲れが溜まっているので、どうだったか……
宮原さんの顔をまともに見られないまま、少し気掛かりになる。
「せっかくヘルシンキから遠出したので、観光しながらここでも仕入れ商品を見ていくのはどうですか? オーロラを見るのは夜なので」
「そうですね。ありがとうございます」
美しい景色や新しい発見が待っていると思うだけでわくわくする。
「ミステリー小説が好きなんですか?」
気になったので、思わず聞いてしまった。
宮原さんが持っている文庫本は、今話題の新人作家のものだ。私はタイトルだけ知っていて読んだことはないのだけれど、たくさんの人が心を掴まれ、夢中になっているらしい。
「はい。犯人を予想しながら読んで、当たった時は最高に嬉しいです」
宮原さんの目がキラリと輝く。彼の表情には人柄が滲み出ているようで、私も思わず笑顔になってしまった。やり取りをしている中のこういう瞬間が、旅の楽しさを一層引き立てているのだと感じる。
少しずつ、宮原さんを知っていくことができて嬉しい。
駅についてからは近場のカフェで時間を潰し、ゆったりとした空気の中で宮原さんとの会話を楽しんだ。
その後、わくわくするような期待感を抱えながら、十時頃にサンタクロース村へと向かう。
ショッピングモールで色々と物色する時間も楽しかった。宮原さんが選ぶアイテムに興味を持ちながら、自分の好きなものも見つけていく。
そんな時、宮原さんがオーロラが綺麗に見えるホテルを予約してくれていたことを思い出す。
何かとお世話になりっぱなしで、彼の心遣いに感謝の気持ちが溢れてくる。
夜、部屋は別々に取ってくれたものの、ルームサービスを一緒に食べるために宮原さんの客室にお邪魔した。
食べ終えたあとも、雑談をするために私は居残っている。
「思い立って行動したのはいいですが、あいにくの悪天候ですみません」
「いえ、誘ってくださり嬉しかったですよ。それにほら、まだ夜明け前に見られる希望が残ってますから」
オーロラを見るためには、天気が良くて空気が澄んでいなければならない。昼間は晴れていたのに、雲行きは怪しくなり、夜九時頃にはオーロラを見ることができなかった。
「いや、サンタさんは実在してますよ。ほら、見てください!」
私はスマートフォンでネット検索をして、画面に表示された公認サンタクロースの記事を宮原さんに見せる。
「公認サンタクロースになるには厳しい試験があるそうです。合格すれば宮原さんもなれますよ」
私が説明すると、宮原さんの目が輝き始めた。
「本当だ! いないだなんて決めつけて申し訳なかったです」
「いえいえ。ボランティアみたいな職業なので無償みたいです」
子どもたちに夢を与える役割のサンタクロースの存在が、どれほど特別であるかを思い巡らせる。
「そうなんですね。それでもやっぱり、サンタが大好きな人にとっては憧れなんだろうなぁ」
宮原さんは興味深そうに記事を読みながら、微笑む。
「でも、サンタさんの話をしながらトナカイのお肉を食べちゃうだなんて……何だか罪悪感がありますよね」
「それは言わない約束でしょ」
宮原さんがそう返して、私たちは苦笑いをした。
「明日なんですが、吉野さんのこのあとの予定はどんな感じですか?」
私は突然の質問に驚き、「え?」と思わず声を漏らした。
「すみません、驚かせちゃいましたよね。もしも……もしもですよ? 吉野さんが嫌じゃなければ、買い付けについて行ってもいいですか?」
「えぇ、もちろん! このお店を紹介してくれたご夫婦が経営する雑貨屋さんに顔を出す予定です」
私は胸を躍らせながら即答した。
宮原さんとは会ったばかりなのに、私はさっきまで感傷に浸っていたというのに、今こんなにも楽しい時間を過ごせているなんて……
「今日はご馳走様でした。結局、宮原さんにご馳走になってしまってすみません」
「いえいえ、明日から同行させていただくので、せめてものお礼です」
ブッフェレストランを出た私たちは、お互いにお礼を言い合った。
ピンチを救ってくれたお礼として、私がご馳走するはずだったのに、宮原さんが支払ってくれたことに何だか申し訳ない気持ちがある。
宮原さんの優しさに胸が温かくなる一方で、今後どうにかしてお礼をしたいと考えていた。
「ツアーも申し込まず、ノープランで来てしまって……どうしようかと思っているところに、吉野さんに出会って助かりました。明日からも楽しい旅行になりそうでよかった」
「ふふっ、実は私、来る前に落ち込むことがあって、一人でどんよりとしてました。でも、宮原さんに会えて少しずつ元気になってきました。明日もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
お互いに自然と笑みがこぼれる。何気ない会話の中に、小さな絆が生まれているような気がしていた。
「吉野さんの宿泊先はどこですか?」
「私はこの近くなんです。宮原さんはどの辺ですか?」
「海が見える客室がいいなと思って、ネットで探したこのホテルにしました」
宮原さんはスマートフォンの画面で、宿泊先のホテルの概要を見せてくれた。
オーシャンビューでスパもあるラグジュアリーなホテルの情報を見て、思わず目を奪われる。
「わぁ……! 素敵なホテルですね。私は毎回おなじみのホテルなんです」
初めて買い付けに来た時に泊まった、そのホテルが今でも私の定宿だった。
初めてのフィンランドは美緒と一緒に訪れた。
二人で過ごした思い出が甦り、あの頃の旅行気分が懐かしく感じる。親友との思い出が心を満たし、再び旅のわくわく感が高まっていく。
「毎度おなじみっていうのも安心感があっていいですね。食事もしたし、部屋に戻っても風呂に入って寝るだけなんで宿泊先まで送りますよ」
「え、でも、すぐ近くなんで……」
「吉野さんがまた事件に巻き込まれても心配なので、送らせてください。あ、決して、送り狼とかじゃないんで! そこは誤解なきように」
宮原さんが慌てて否定をしている。その様子が少し可笑しくて、私は思わず微笑んでしまった。宮原さんが送り狼になるような人ではないと信じている。
「ふふっ、安心してください。宮原さんはそんな風には見えませんよ。じゃあ、お願いしようかな」
「はい、お任せください!」
明日も会う約束をしているのに、何故だか離れたくない気持ちが湧いている。
宮原さんは今日会ったばかりで、友達と呼ぶにはまだ早すぎる存在。でも、ただの知り合いというわけでもなく……カテゴリー分けをするならば、〝恩人〟かな?
心の中で、宮原さんとの距離が少しずつ縮まっているのを感じていた。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょうか?」
私の宿泊先のホテルまで歩いて向かっている最中に、宮原さんがポツリと口にした。
「吉野さんは落ち込むことがあったって言ってたので。何があったのかな? って気になってました」
「あぁ、そのことなら、吹っ切れそうです。実は……買い付けに来る少し前に、結婚が秒読みだと思っていた彼氏に振られました」
気まずい雰囲気にならないよう、私はわざと明るい声で笑いながら伝える。
「そうだったんですか! デリカシーもなく、聞いてしまってすみません!」
申し訳なさそうな表情を浮かべながら、宮原さんは慌てて謝る。
「いえ、いいんです。ずっと鬱々してましたが、宮原さんと一緒に大使館に行ったり食事をしたりしている間に落ち込む気持ちも薄れてきましたから」
「少しでも気が紛れたならよかったです。日本に戻る頃には、もっと元気になれるようにフィンランドを楽しみましょうね! ……って、吉野さんは仕事で来てるのにすみません!」
「仕事抜きで楽しんでるのは私の方ですよ。元彼のことなんて早いとこ忘れます」
お互いに笑い合う中、ついに宿泊先のホテルの前についてしまった。
「今日はありがとうございました!」
「こちらこそありがとうございました。それから、明日の連絡もありますし、連絡先を交換していただけますか?」
「はい、電話番号とメッセージアプリのIDを交換しましょう」
私たちはお互いの連絡先を登録して、この日は別れた。
心の中に高鳴る鼓動と宮原さんの気遣いが残した穏やかな余韻を抱え、ホテルのドアを閉めた。明日も会えることが、何よりの楽しみになっていた。
冷たい風が街を吹き抜けていた昨晩、ベッドに入っても私はなかなか寝つけなかった。
思い出すのは宮原さんのことばかりで、胸が高鳴ってしまっている。
彼の笑顔や優しい言葉が、頭の中をぐるぐる巡ってしまう。
失恋したばかりなのに、宮原さんのことばかりを思い出す。それほど、彼は魅力的な男性なのだ。
***
夜が明けてフィンランド二日目の朝。
寝不足のままで身支度をする。
鏡の前で自分の顔を見つめた。
疲れた目元が映っているけれど、それでも宮原さんに会えるのかと思うと、勝手に胸がキュンとしてしまう。
彼と過ごす時間が特別になっている気がする。
フィンランドで宮原さんと出会ってから、弘樹のことなど微塵も思い出さなくなっていた。あんなに大好きだったのに、宮原さんによってその存在が掻き消されてしまっている。
そういえば、私は弘樹のどんなところが好きだったんだろう?
優しいといえば、そうだけれど……
今思うと、見ないふりをしていただけで、元々意見の違いは多かったかもしれない。
振られてしばらくは目を腫らすほど泣いてしまったけれど、今ではもう泣かなくて済みそうだ。
心の中が少しずつ軽くなっていくのを感じるのは、きっと宮原さんに出会ったからだよね?
好きとか嫌いとかいう感情ではなく、宮原さんの人柄が気になっている。
一緒にいると落ち着くから。
宿泊先のホテルのレストランで軽く朝食を済ませ、待ち合わせの時間まで部屋で待機する。窓の外には静かな街の景色が広がっている。
待ち合わせ場所は私の宿泊しているホテルの前。約束の時間まではまだ早いけれど、部屋に籠っていても落ち着かないので外に出ようと思った。
まだ十五分前だから、宮原さんは来ていないかもしれない。けれど、それでもよかった。
そわそわして落ち着かない心を、外の新鮮な空気で少しでも和らげたい。
エレベーターのドアが開くと、冷たい空気が流れ込み、思わず身を震わせる。ホテルの外に出ると天気は曇りで、人々が忙しそうに行き交っていた。
「おはようございます、吉野さん。早めに来てしまい、ご迷惑かと思ったのですが……」
外の壁沿いにスマートに立っている男性がいると思ったら、宮原さんだった。
咄嗟のことに驚いてしまい、心臓がドキリと跳ねる。
「え、あ、宮原さん! お、おはようございます」
まさかこんなに早く会えるとは思っていなかったので、しどろもどろになってしまう。
宮原さんは知らない土地に来たせいか昨晩は寝つけなくて、朝も早起きしてしまったと恥ずかしそうに続けた。
「旅行が楽しみで子どもみたいにわくわくしすぎて……すみません」
彼のしゅんとした表情を見ると、親しみを感じる。
「ふふっ、私も初めての土地に行く時はそんな感じですよ。知らない国のことが早く知りたくて、飛び出して行きたいんですよね。分かります」
「よかった、分かってくれる人がいて」と、宮原さんは安心したように笑う。
彼の表情に少しホッとしながら、「では行きましょう! 今日も一日よろしくお願いいたします」と声をかけ、ぺこりとお辞儀をしてフィンランドの街中を歩き出す。
その後ろから宮原さんがついてくる。
「やはり、日本より寒いですよね……」
宮原さんがボソッと呟く。
彼は暖かそうなダウンジャケットを羽織っているが、昼間でも氷点下の気温に身震いしている。
「実は私、東北生まれなんです。寒いのは慣れてるつもりだけど、やっぱり寒いものは寒いです!」
私は笑いながら答える。
首元にマフラーを巻き、長めのコートにブーツを履いて防寒対策をしていても、寒さには勝てない。息が白くなるのを見ていると、フィンランドの冬の厳しさを改めて実感する。
寒空の下、手袋をしていても手先が冷たくなり、耳が痛むような寒さに、少しずつ足取りが重くなるが、隣に宮原さんがいるから頑張ろうと思える。
宮原さんと一緒に大通りの道沿いを進みながら歩く。
何度か訪れているので、街中の景色も見慣れてきた感じがする。
そして来るたびに親切にしてくれる大好きな雑貨店のご夫婦にもうすぐ会えるという、再会の瞬間を待ちわびる気持ちが込み上げてきた。
「あのお店です!」
私が指さすと、宮原さんも微笑んで頷く。
年に二回、買い付けに来ているこの街で、約半年前に出会ったご夫婦の顔が、心の中に鮮明に浮かんできた。
早く彼らの顔を見たくてしょうがない。
「こんにち……」と言葉に出しながら店の扉を開いた瞬間、奥さんが私を見つけて、笑顔と共に飛び込んできて抱きしめてくる。
「わぁ! アカリ! いらっしゃい!」
その声には温かさと半年ぶりの再会を心から喜ぶ気持ちが溢れていて、私は彼女の小さな身体をぎゅうっと抱きしめ返す。
「この方は? もしかして、旦那様? まぁ、素敵な方ね。ちょっと、あなたー! アカリが旦那様連れて来たー!」
奥さんの言葉は純粋な喜びに満ちていたが、完全な勘違いだ。
彼女はフィンランド語ではなく、私に合わせて英語で話してくれる。英語はとても流暢で、私たちの会話は自然とスムーズに進む。
「アカリ! おめでとう!」
奥から店主の旦那さんが現れ、少しぎこちないが心のこもった日本語で祝福を述べてくれた。
彼の身体はがっしりとしているが、その表情にはどこか子どものような無邪気さが滲んでいた。
「ちょっと待って! ち、違うの! この人は宮原さんという方で、私を助けてくれて……」
急いで説明をしようとするが、動揺のせいで上手くまとまらない。そんな私に宮原さんは、優しい視線を向けてくれる。
私の動揺した心は、少しずつ落ち着いていく。
「初めまして、アカリさんの友人の宮原と申します。興味本位でアカリさんと一緒についてきてしまいまして、買い付けの様子を見せていただければと思います」
宮原さんは目の前にいるご夫婦の言葉にまったく動じることなく、淡々とした態度で英語を話し始めた。まるでどんな状況にも動じない強さを彼から感じる。
「まぁ! そうだったのね。アカリの旦那様かと思って舞い上がってしまったわ。ごめんなさい」
奥さんは勘違いしていたことを照れくさそうに謝ってくる。
宮原さんが出会った経緯を彼らに説明すると、二人はゆっくりと頷き、納得の表情を見せた。
その後、宮原さんと一緒に店内を見学し、私はじっくりと買い付ける商品を選んでいた。私はふとした瞬間に彼の後ろ姿を見つめてしまう。
「アカリ、彼、とてもハンサムね」
奥さんが私の耳元で囁く。
もしかして、宮原さんを目で追っていたのを気付かれたのかな?
彼女の声はまるで秘密を共有するかのように聞こえて、思わず心がドキリとした。
「二人、とてもいい雰囲気よ」
その言葉に動揺して、手から商品が滑り落ちそうになり、私は慌ててそれを掴み直した。
危ない、落ちなくてよかった。
心臓が高鳴るのを感じつつ、宮原さんの姿をちらりと見ると、やはりどの角度から見ても彼はハンサムそのものだった。高身長で凛とした顔立ちが際立っていて、彼がただそこにいるだけで周囲が華やいで見える。
私が宮原さんのことを気になっていると、きっと奥さんは気付いているのだろう。
奥さんが茶化すような言葉を投げかけるたびに、私は変に意識をしてしまい、恥ずかしさが心の中でくすぶっていた。
「あ、これ、可愛い!」
宮原さんを視界に入れないように意識して、商品を見ながら私が目を輝かせて言う。
「それね、帽子は私が作ってる。可愛いでしょ?」
奥さんは優しい笑みを浮かべ、答えてくれた。
「すごく可愛い! これ、納期はゆっくりでもいいからお願いしたいなぁ」
目の前にあるのは、木でできた起き上がりこぼしのような小さな人形。
色とりどりのとんがり帽子を被り、髪型がお下げの子もいて、その愛らしさに思わず笑みがこぼれた。
他にも色々と見せてもらいながら、仕入れるものを選んでいると、宮原さんも甥っ子と姪っ子にあげたいと、じっくりと商品を選んでいる姿が目に入った。
彼の真剣な表情と、子どもたちへの思いが詰まった選び方に心が温かくなる。
買い付け商品を選び終わり、私たちは雑貨店の外へ出た。
「アカリ、また夕方に来てね! ミヤハラも一緒に!」
奥さんの声が歩道まで響き、明るい笑顔が私たちを見送る。
「はい、ありがとうございます。では、またのちほど伺います」
私は心を込めて返事をしながら、少し名残惜しく感じた。雑貨店を出ると、ひんやりとした空気が身体に纏わりつく。
このあと宮原さんと一緒にランチをしてから、クリスマスマーケットの準備状況を確認しに行くことにした。
それでも夕方までは時間が余っていたので、目新しい雑貨店を物色したり、家具店を覗いたりした。色とりどりの雑貨や、木のぬくもりを感じられる家具たちが、私の心を奪って離さなかった。
そして、ご夫婦が経営する雑貨店で夕飯をご馳走になったあとのこと――
「俺まで、夕食をご馳走になってしまいました。わいわいとしたパーティーみたいで楽しかったですね」
宮原さんが楽しそうに言う。彼の笑顔が、食卓を囲む幸せな時間を思い出させてくれる。
「私がお邪魔する時はいつも、お子さんたちの他に近所の人たちも来て賑やかなんです。ふふっ、宮原さんは子どもたちにも大人気でしたね」
私は微笑みながら返す。楽しそうなご夫婦と子どもたちの無邪気な笑い声が心に残っている。
宮原さんの周りにはいつも人が集まるようで、彼の人柄がその場を和ませているのだろう。
「子どもたちと遊ぶのは、本当に楽しいですよ。無邪気な笑顔を見ると、こちらまで嬉しくなります」
宮原さんが少し照れくさそうに言う。
「明日と明後日も買い付けにご一緒してもいいですか?」
「もちろん、いいですよ。でも、明後日からはオフなんです」
明日まで買い付け巡りをして、明後日と明々後日は観光に充てようと決めていた。
「そうでしたか! 明後日のご予定がなければ、オーロラを見に行きませんか?」
「……はい! 是非」
前回、美緒と一緒に訪れた際にはオーロラを見ることができなかった。
突然の誘いに驚きはしたが、自分自身もオーロラが見たいという想いがあり、躊躇なく承諾すると宮原さんは柔らかい微笑みを浮かべる。
彼の優しい笑顔を見ていると何だかほっとして、私も思わず笑顔になる。
私たちの間に流れる穏やかな空気が、まるで家族のような温もりを感じさせてくれた。
翌日、オーロラを見に行くため、買い付けを早めに切り上げた。その夜、宮原さんと一緒に夜行く列車に乗り、翌日の朝方にロヴァニエミに着いた。
ロヴァニエミはフィンランドの中で最もオーロラが見えやすい場所らしく、その美しさを求める観光客で賑わっている。
夜行列車の寝台は満席で予約が取れず、リクライニングのシートに座った私たち。
隣にいる宮原さんの存在が、緊張感を一層高める。彼の隣に十二時間も座っているなんて、夜間だけれど仮眠さえもできない。
列車の揺れが心地よく、ふと気が付くと宮原さんはいつの間にか寝ている。周りの乗客はまだ話し込んだりしているが、宮原さんは深い眠りについているようで静かに寝息を立てている。
宮原さんの穏やかな寝顔を見ていると、その美しさに心を奪われてしまう。
起きないのをいいことに、あまりに見つめすぎて、彼が目を覚ましたらどうしよう。万が一に目が合った瞬間を考えると、何だか恥ずかしさが胸を締めつける。
そんなことを考えているうちに、ますます彼をじっと見ていたい気持ちが強くなる。
しかし、私はその気持ちを押し殺して、到着してからの予定を考え始める。
朝の光が差し込むロヴァニエミに降り立ったら、宮原さんと一緒にどんな観光を楽しもうか。まずは名所を巡り、夜にはオーロラを観賞する計画だ。
そういえば、明日の夜にヘルシンキに向かう列車はどうだったっけ? 飛行機にするのかな?
全くの思い付きのプランで、オーロラツアーの予約も宮原さんにお願いしてしまったから、私自身は何も考えていなかったことに気付く。
彼が起きたら、確認してみなくちゃ。そんなことを考えながら、心は高鳴り続けていた。
列車の窓から差し込む光が、私を眠りから優しく覚まさせた。
どうやらいつの間にか深い眠りに落ちていたらしい。
ぼんやりと目を開けると、隣の宮原さんは既に目を覚まし、静かに文庫本を読んでいる。
「おはようございます。もうすぐ朝食が届くみたいですよ」
私が起きたことに気付いた宮原さんは、優しく声をかけてくれて文庫本を閉じた。その声は心地よく、安心感をもたらす。
しかし、夢の中の記憶が微かに蘇り、口を開けていたり、ヨダレが垂れたことはないだろうかと不安がよぎる。
普段はイビキをかかないが、時差もあって疲れが溜まっているので、どうだったか……
宮原さんの顔をまともに見られないまま、少し気掛かりになる。
「せっかくヘルシンキから遠出したので、観光しながらここでも仕入れ商品を見ていくのはどうですか? オーロラを見るのは夜なので」
「そうですね。ありがとうございます」
美しい景色や新しい発見が待っていると思うだけでわくわくする。
「ミステリー小説が好きなんですか?」
気になったので、思わず聞いてしまった。
宮原さんが持っている文庫本は、今話題の新人作家のものだ。私はタイトルだけ知っていて読んだことはないのだけれど、たくさんの人が心を掴まれ、夢中になっているらしい。
「はい。犯人を予想しながら読んで、当たった時は最高に嬉しいです」
宮原さんの目がキラリと輝く。彼の表情には人柄が滲み出ているようで、私も思わず笑顔になってしまった。やり取りをしている中のこういう瞬間が、旅の楽しさを一層引き立てているのだと感じる。
少しずつ、宮原さんを知っていくことができて嬉しい。
駅についてからは近場のカフェで時間を潰し、ゆったりとした空気の中で宮原さんとの会話を楽しんだ。
その後、わくわくするような期待感を抱えながら、十時頃にサンタクロース村へと向かう。
ショッピングモールで色々と物色する時間も楽しかった。宮原さんが選ぶアイテムに興味を持ちながら、自分の好きなものも見つけていく。
そんな時、宮原さんがオーロラが綺麗に見えるホテルを予約してくれていたことを思い出す。
何かとお世話になりっぱなしで、彼の心遣いに感謝の気持ちが溢れてくる。
夜、部屋は別々に取ってくれたものの、ルームサービスを一緒に食べるために宮原さんの客室にお邪魔した。
食べ終えたあとも、雑談をするために私は居残っている。
「思い立って行動したのはいいですが、あいにくの悪天候ですみません」
「いえ、誘ってくださり嬉しかったですよ。それにほら、まだ夜明け前に見られる希望が残ってますから」
オーロラを見るためには、天気が良くて空気が澄んでいなければならない。昼間は晴れていたのに、雲行きは怪しくなり、夜九時頃にはオーロラを見ることができなかった。
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