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第一章 婚礼編
第一話 突然の任命
しおりを挟む「優しい子に育ってね」
記憶の中の母は、いつもそう言って、穏やかに笑っていました。
とても幼い頃の記憶。
それなのに、陽だまりのような母の笑顔は、今でも鮮明に心に残っています。
「たとえ意地悪をする人がいても、疑っては、嫌いになってしまってはだめよ」
そこで母は、私の頭をそっと撫でてくれます。
「何をされても、信じなさい。そして、できることなら、愛する勇気を持つのよ。愛情は繋がって、広がっていくものなの」
幼い私には、母の言葉の意味なんて、半分も分かりませんでした。
それでも覚えているということは、きっと子ども心に思うところがあったのでしょう。
今思えば、母はこの言葉を、自身に言い聞かせていたのかもしれません。
それから暫くして、私は母を亡くしました。
といっても、そのときの様子をはっきりと覚えているわけではありません。
ただ、母の世話係だったばあやが、悔しそうに涙を流していたことだけは胸に残っています。
母はこの国の十番目の側室で、私は二十番目の末の王女でした。
母の両親は既に亡くなっていて、他に移る所もなかったので、私はそのまま王宮で育てられることになったそうです。
そして私は今日、ここで十六歳の誕生日を迎えました。
* * *
「あら、ルコットじゃない」
庭を歩いていると、そう声をかけられました。
二番目のお姉さま、サファイアさまです。
深蒼色の瞳に、漆黒の豊かな巻き髪が太陽の光を受けてきらきらと光っています。
「ご機嫌よう、お姉さま」
こんな所でお会いできるとは思っていなかったので、嬉しくて思わず声が弾みます。
「相変わらず鞠みたいな体ね。そんなだからお父さまに誕生会も開いてもらえないのよ」
私は改めて自分の体を見て、それからお姉さまをまじまじと見つめました。
そう、私は決して美人ではありません。
目はありふれた茶色で小さくて、鼻も低くて、髪もありきたりな焦げ茶色。その上くせ毛なので余計に頭が大きく見えます。
何より、誰に似たのか、体型がまるで丸々とした子熊でした。
お姉さまは皆、それぞれ美しい方なので、私は母に似たのかしら、と密かに首をひねっています。
少なくとも記憶の中の母は、子熊には似ていなかったと思うのですが。
「食べる量は減らしてみたんですけど、なかなか……」
「……しっかりしなさいよ。王族の威厳に関わるわ」
そう、私の外見はやはり目立つのです。
式典などに参列すると、どうしようもなく、皆の目を集めてしまいます。
「申し訳ありません……」
思わずつま先を見つめてしまいます。
「……まぁ、誕生会を飛ばすのは、私も不公平だと思うわ」
お姉さまは「顔を上げなさい」とお命じになりました。
「今から、スノウ、メノウ、フィーユとお茶をするの。あなたもついて来なさい」
そう仰ると、お姉さまは颯爽と来た道をお戻りになられました。
* * *
サファイアさまについて入室すると、歓談されていたスノウさま、メノウさま、フィーユさまは「いらっしゃい」と席を勧めてくださいました。
「相変わらず子豚みたいだわ」
そう言って無邪気に笑う、赤い御髪のメノウさまは三番目のお姉さまです。
「誰に似たのかしらね」
四番目のお姉さまのフィーユさまは、緑色の瞳を細められました。
そして、上座に座られている、スノウさまが、淡い水色の目で私を見つめます。
第一王女である彼女の銀色の御髪は、この国の宝とも言われるほどです。
「早くお座りなさい」
「は、はい!」
この国には私を含めて二十人の王女がいるのですが、私は滅多に他の方とお会いすることはありません。
しかし、上の四人のお姉さまはこうして何かと気にかけてくださるのです。
「あなた今日十六歳の誕生日でしょう?」
私が席に着くと、スノウさまはカップを片手にお声をかけてくださいました。
その声は冬の空のように澄んでいて、思わず聞き惚れてしまいます。
ばあやは冷たくて意地の悪い声だと言いますが、私はやはりそうは思えません。
「はい。覚えていてくださったんですね」
メノウさまが悪戯に、フィーユさまが控えめに微笑まれています。
一方、サファイアさまは少しだけ不機嫌そうに見えました。もしかしたら私の余計な一言を、咎められているのかもしれません。
浮かれる気持ちを落ち着けようと、こっそり深呼吸しました。
しかし、それはかないませんでした。
「成人祝いのプレゼントがあるわ」
そう言って、スノウさまが鈴を鳴らされたからです。
プレゼント。そんなもの、これまでいただいたことがありません。
母が存命の頃は、絵本や手作りの靴下をもらっていたのですが、もう随分久しい記憶です。
目の前に置かれた箱は、とても大きなものでした。
「開けてみなさい」
私はおずおずとリボンをほどきました。
嬉しくて、どうお礼を言えばいいか、分かりませんでした。
お姉さまが、私のことを考えて選んでくださった贈り物です。
誰かに思ってもらえた。
それだけで、心がじわりと温かくなりました。
とうとう、箱の蓋に手をかける段になりました。
胸がどきどきします。
思わず目をぎゅっと瞑りました。
何が入っているのだろう。
見たいような、見るのが勿体無いような、そんな気持ちがしました。
「早く目を開けてごらんなさい」
呆れたようなサファイアさまのお声に促されて、私はようやくゆっくりと目を開けました。
そこには、真っ白の美しいウエディングドレスが入っていました。
* * *
「どうしましょう、ばあや……」
あれからのことは、よく覚えていません。
ただ、帰り際にいただいた書類が、これは夢ではないことを告げています。
――フレイローズ王国第二十姫ルコット王女。
そなたに、我が国陸軍大将、レインヴェール伯、ホルガー=ベルツの妻となることを命ずる。
レインヴェール伯は、先の戦での功績を讃えられ、つい一月ほど前に、我が国陸軍の大将になられた方です。
まだ齢三十にも満たない若さで、大将の位を授かるのは、まさに異例の大出世でした。
「そんな方と私が……? 何かの間違いだわ。恐れ多い……」
「恐れ多いだなんて、姫さま、家柄を考えてくださいまし」
「家柄?」
「大将殿はここよりずっと東方の辺境伯の三男坊だったのですよ。それが、あれほどの手柄を立てられたものですから、折良く跡取りを探されていた先のレインヴェール伯の養子に入られたのです。とても一国の姫君を迎えられるような方ではございません」
ばあやの目には涙が浮かんでいます。
ですが、私には何故ばあやが悲しんでいるのか分かりませんでした。
「でも、ばあや。レインヴェール伯のお噂は、王宮の端の私の耳にまで聞こえてくるほどよ。この国を救われた方なんでしょう?」
「そ、それはそうですが……しかし何故そのような方と姫さまが婚姻を結ぶ必要があるのでしょう」
私は、先ほどいただいたスノウさまからのお言葉を、必死に絞り出しました。
「レインヴェール伯は陛下からの褒美を一切受け取られなかったそうなの。だから、褒美として娘を一人取らせることになさったらしいわ」
「……それはレインヴェール伯も断れませんでしょうね。陛下からのご命令なら、姫さまとてお断りにはなれますまい」
「確かに大役だとは思うけれど、私にお断りする理由はないわ」
「ですが姫さま、ばあやにはどうも、スノウ殿下に利用されているようにしか思えぬのです」
ばあやは小さな体をさらに縮めてしょんぼりと肩を落としました。
そう思えるのも無理からぬことなのかもしれません。
誰の目から見ても、私は英雄の妻になるには、あまりに力不足だからです。
ですが、お姉さまが私を選ばれたということは、やはりそこには理由があるはずだと思うのです。
「ばあや、お姉さまはこの国を守る責務を負われた方よ。きっと、それがこの国のためになると考えられたんだわ」
そうは言ったものの、私に何ができるのか、彼の元でどうすることを求められているのか、皆目見当もつきません。
ただ、どうにもならないことを考えても仕方がないことだけは分かっていました。
「姫さま、田舎者の軍人など、乱暴者の狼藉者に決まっています!」
「大丈夫、そのときになれば、何とかなるわ」
さて、そんなことより、私には今考えるべき事柄があります。
「ばあや、今日のおやつは何にしようかしら?」
ため息をついてうなだれるばあやには、特別に私の秘蔵のサブレをプレゼントしようと思います。
ばあやには、いつも元気でいてほしいですから。
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