軍事大国のおっとり姫

江馬 百合子

文字の大きさ
16 / 137
第一章 婚礼編

第十六話 婚礼期間 最終日 暇乞いの儀

しおりを挟む
――明日の暇乞いの儀、それが奴さんの最後のチャンスだ。

「ルコットさま、そろそろお時間でございます」

 ルコットは、はっと顔を上げると急いで立ち上がった。
 どこか嬉しそうなばあやの顔も、目に入らない。
 頭に浮かぶのは、昨日のアスラの言葉ばかりだった。


* * *


「儀式の間は、新郎である愚弟は聖堂内に入れない。これが最も大きな痛手だ」

 暇乞いの儀とは、王家の者が降嫁する際、最後に行われる決別の儀。
 この儀式を以て、王女は正式に王家を離れ、世の者と夫婦になることができる。

 その間夫となる者は、妻と顔を合わせてはならない。
 つまり、ホルガーは一歩も聖堂内に踏み入ることができないのだ。

「さらに悪い知らせだ。我々魔術師は、聖堂内で魔力を使うことができない」
「……どういうことだ?」

 それまで黙って床を睨んでいたホルガーが訝しげに眉を寄せた。
 
「倫理的にとか、そういうことじゃない。物理的に魔力が使えないんだ。どういうわけかね。時と場合にもよるし、多少の個人差もあるが。ね、団長?」

 視線を向けられたハントは、眉間を抑えた。

「君という人は……この国のトップシークレットをペラペラと……」

 ホルガーは、戦の際、寺院が焼き討ちされる理由にようやく得心がいった。
 魔術師が魔術を使えないとなると、戦況が大きく変わってくる。
 ちょうど今このときのように。

「つまり、我々はほとんど丸腰の状態で、相当の手練れを迎え撃たねばならない。さて、可愛い義妹よ、ここで主役である君に質問だ。そのとき、君の取るべき行動は?」

 ルコットは、アスラの黒い瞳をじっと見つめ、迷いなく答えた。

「儀式を、なるべく早く終えることです」
「その通り!」

 アスラはルコットの髪をくしゃくしゃと撫でた。

「恐ろしいかもしれないが、それしかない。この儀式は簡略化することも、延ばすことも、飛ばすこともできない。君は、なるべく早く儀式を終えて、堂外へ出るんだ」

 ルコットの瞳は不安げに揺れたが、それでも頭は自然に頷いていた。

「君が一歩でも外に出れば我々の勝ちだ。式後、来賓は国へ引き上げなければならない。つまり奴らは、この国に滞在する大義名分を失う。君が逃げ切れば、奴らは目的を果たせぬまま、国に帰るしかなくなるんだ」

 ルコットは、もう一度頷いた。
 取るべき策はとてもシンプルだ。
 儀式を滞りなく済ませ、扉外に待つ、ホルガーの元へ。
 振り返ると、彼は静かな眼差しでルコットを見つめていた。

「……殿下なら、大丈夫です」

 それから、しっかりと手が握られた。
 思えば彼に触れるのはこれが初めてだった。
 その手は大きく、無骨で、温かかった。
 この手の元へ帰りたい。
 そんな考えが自然と浮かび、ルコットはようやく自身の心を悟った。

 気づかぬうちに、彼はとても大切な存在になっていた。
 同志以上の感情を、既に抱えてしまっていた。
 しかし、それでも良いと思った。
 伝えない心は、有って無いようなものだから。
 帰ったら、ただこれだけ伝えよう。
 信じてくれて、ありがとう、と。


* * *


 金の衣を纏ったルコットが、祭壇へと進む。
 金は、この国の王族を象徴する色だった。
 儀式を終えると、この衣はたちまち雪のような白へと色を変える。
 これは王だけが為せる奇跡だった。

 壇上には、見届け人である司祭、そして国王。
 主賓席には王妃王女がずらりと並び、最前列にはスノウ、サファイア、メノウ、フィーユが座している。
 ルコットは、その前を通り過ぎると、不自然でない程度の速度で階段を上がった。

 結婚式の際は、あれ程周りの目が気になっていたのに、今はただ、使命感と穏やかな感慨があるばかりだった。
 壇上へ立つ。
 眼前の父の目に、いつになく真剣な自分の顔が映っていた。
 この瞬間、ルコットはしばし使命のことさえ忘れ、父親の姿に釘付けになった。

「汝、女神サーリの子、ルコット=ハイ=フレイローズ……」

 司祭の声がどこか遠くに聞こえる。

 思っていたよりずっと若い男だ。
 少なくとも、退位を考えるような歳では決して無い。
 しかし、かつては眩い輝きを放っていたであろう髪は、艶のない白髪となっており、その下に、意思のない疲れ切った瞳が覗いている。
 この人が、自分の父親なのか。
 妙な気持ちだった。
 絶対的な力を持っているのだと信じて疑わなかった王は、出会ってみれば病に侵されたただの一人の人間だった。
 
(……お父さま、あなたが私と同じ人間だって、もっと早くに知りたかった。そうすれば、私は一人の娘として、あなたを案じることができたかもしれない)

 そのとき、王の背後のステンドグラスが、鋭い音を立て、爆ぜた。

 数多の破片が飛び散り、司祭と王に降りかかる。
 王は一瞬目を見開いたが、すぐに自身の法衣を掴むと、司祭をその下へ隠した。
 その際、露出した左腕から鮮血が滴る。
 式典用の重厚な法衣は、大抵の破片を弾いたが、いくつか大きな破片が刺さっていた。

 ルコットの頬を、小さなガラスが掠める。
 それを見た王は、今度はルコットの法衣を掴むと、彼女を包んだ。
 ようやく我に帰ったルコットは、すぐに法衣を手繰り合わせ、破片の嵐から身を守り、叫んだ。

「構いません! 続けてください!」

 その声を皮切りに、スノウが右手を上げると、アスラとハントが躍り出て、三人を守るように囲んだ。
 主賓席に座していたサファイア、メノウ、フィーユも一斉に声を上げる。

「落ち着きなさい!」
「陸軍第一部隊配置につけ! 構え!」
「式は続行する!」

 続行。その言葉にルコットは奮い立った。
 震える足を叱咤し、司祭にもう一度告げる。

「司祭、続けてください」

 老年の司祭は、臆することなく頷くと、不安も怯えも滲ませぬ堂々たる声色で聖読を続けた。
 王もまた、破片が全て落ちきると、法衣を正し、常と変わらぬ姿勢に戻った。

 その様子に、取り乱しかけていた人々も、俄かに落ち着きを取り戻し、各々の席にそろそろと座る。
 非常時であるのに、色とりどりのステンドグラスに囲まれた壇上は、まるで天上のようだった。
 
「ルコット」

 聖読の最中、微かに王の唇が動いた。
 名を呼ばれるのは、これが初めてだった。

「頬の血を拭きなさい」

 白地に金の刺繍が入ったハンカチが差し出される。
 ルコットは、反射的にそれを受け取ると、両頬を拭った。

「ありがとうございます……お父さま」

 父と呼ぶのもこれが初めて。
 咎められるだろうか、それとも。
 不安と僅かな期待を胸に様子を伺った。
 しかし、王の表情が変わることはなかった。

 それでも、ルコットは嬉しかった。
 頬の血に気がついたということは、自分の顔を見ていてくれたということだから。
 そして、一枚のハンカチを持たせてくれた。
 最後に、言葉を交わすことができた。

 ルコットは剣戟飛び交う中で、光さす空を見上げた。
 彼が、待っている。
 あの青空の下で。
 帰ったら、話そう。
 父が私の名を呼んでくれたのだ、と。
 彼はきっと優しく笑って、ともに喜んでくれるに違いない。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

そのまさか

ハートリオ
恋愛
「そのまさかですわ、旦那様!」 ーーベナ・マギネは、16才の誕生日の前日、ギネオア邸3階からロープで脱出しようとして失敗、その際、残念前世をうっすら思い出し、今世をちゃんと生きようと、先ずは旦那様を色仕掛けで骨抜きにしようとトッチラカル・・! 前世が残念な事もある・・・何のスキルも無い事だってある・・・そんなベナが全力でトッチラカリます! 設定ゆ~るゆるです。緩い気持ちで読んで頂けると助かります。 第15回恋愛小説大賞にエントリーしました。 読んで、良いなと思ってもらえたら、投票お願いします。 短編ではないので長編選びますが、中編だと思います。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚

きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」 新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。 それもそのはず。 2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。 でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。 美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。 だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。 どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったオノールに、やがてクラウディオの心は……。 すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?  焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。

妃殿下、私の婚約者から手を引いてくれませんか?

ハートリオ
恋愛
茶髪茶目のポッチャリ令嬢ロサ。 イケメン達を翻弄するも無自覚。 ロサには人に言えない、言いたくない秘密があってイケメンどころではないのだ。 そんなロサ、長年の婚約者が婚約を解消しようとしているらしいと聞かされ… 剣、馬車、ドレスのヨーロッパ風異世界です。 御脱字、申し訳ございません。 1話が長めだと思われるかもしれませんが会話が多いので読みやすいのではないかと思います。 楽しんでいただけたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚した。これは金が欲しい父の思惑と、高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない。 そもそもヴィンセントには恋人がいて、その恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ。 結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら屋に住むように言われて…… 表紙はかなさんのファンアートです✨ ありがとうございます😊 2024.07.05

恋詠花

舘野寧依
恋愛
アイシャは大国トゥルティエールの王妹で可憐な姫君。だが兄王にただならぬ憎しみを向けられて、王宮で非常に肩身の狭い思いをしていた。 そんな折、兄王から小国ハーメイの王に嫁げと命じられたアイシャはおとなしくそれに従う。しかし、そんな彼女を待っていたのは、手つかずのお飾りの王妃という屈辱的な仕打ちだった。それは彼女の出自にも関係していて……? ──これは後の世で吟遊詩人に詠われる二人の王と一人の姫君の恋物語。

【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中

白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。 思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。 愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ 向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。 アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。 そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___ 異世界恋愛 《完結しました》

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

処理中です...