軍事大国のおっとり姫

江馬 百合子

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第五章 南国 エメラルド

第百十三話 ならば私は愛のために

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「……私は、許せなかった」

 優しい彼にあんな最期を与えた世界が。
 あんなにも彼に救われておきながら、彼の命を奪った人間が。

「故に私は、諸国の戦を次々制圧し……人の子の魔力を奪った」

 愚かな人間が、再び争い合う気を起こさぬように。

「それから、彷徨うように諸国を放浪した」

 彼と暮らした家が気にならなかったわけではない。
 しかし、あの懐かしい村人たちに会うとき、自分は何を思うのだろう。
 それを考えると、あの村に戻る気にはなれなかった。

 ただ、たまらなく気がかりだったのは、あの子――可愛い我が子だ。
 会いたい。
 また共に暮らしたい。
 いっそのこと、夜間にでも迎えに行き、共に諸国を巡ろうか。
 何度そう考えたか知れない。
 しかし、リュクの忘れ形見に人の世を捨てさせる――それだけは、どうしてもできなかった。

「何千年そうしていたか。人々の服装が変わり、街並みが変わり、地形までもが変わっていった。その間も人の争いは絶えなかった」

 魔力を失ってもなお争い続ける人々。
 サーリはとうとう、決意した。
 人の世を滅ぼしてしまおうと。

「……その、つもりだったのだ。しかし」

 そのときサーリの前に現れたのは、半神である我が子だった。

「……あの子はこう言った」

――大国を一つお創りください。私が、その地を治めます。皆がこれ以上不要な争いを繰り返し、皆が傷つくことがないように。

 それが、数千年越しの我が子との会話だった。
 幼かったあの子は、リュクによく似た、優しげな瞳を持つ青年に育っていた。

 期待したわけではない。
 しかし、リュクに似たこの子ならあるいは――そうどこかで思ってしまった。

 こうして、世界に誇る軍事大国、フレイローズが誕生した。


* * *


「しかし結局、争いは消えなかった。そう仰りたいんですね」

 ホルガーの言葉にサーリは頷いた。

「そうだ。故に私は人を滅ぼす。どれほど忍耐を重ねても、貴様らは変わらず醜く愚かだった」

 サーリの緋い瞳から温度が消える。

「私がこの手で人間を消し、もう一度、世界をやり直す」

 こんな理不尽と不条理の世界など、いらぬ。
 身勝手で卑怯な人間の世界など、我慢ならぬ。
 サーリはうわごとのように呟いた。

 ルコットはそれを黙って聞いていた。
 何かを静かに考えているようだった。
 とうとう、サーリが片手を振りかざした、そのとき、ルコットはようやく一言だけ、言葉をこぼした。

「……それは違うと、感じますわ」

 いつになく静かな言葉だった。
 彼女の口から「違う」という言葉が出てきたことに、ホルガーは内心驚く。
 大抵のことは受け入れる彼女が、初めて何かを訴えようとしていた。
 ルコットは、自分の気持ちを探るように、慎重に言葉を続けた。

「うまく、言えないのですが……サーリさまが人間を滅ぼしたい理由は、本当に、私たちの愚かさに絶望したからなのでしょうか」

 サーリは微かに目を見開き、「何?」と手を下げる。
 彼女に促され、ルコットは意を決したように告げた。

「……愛する人を失った悲しみのため。そんな風に見えるのです」

 サーリはしばし呆然とルコットを見つめた。
 それから口の中で「愛、愛……」と何度もその言葉を転がす。まるで何かを確かめようとしているかのように。
 そしてとうとう、こう呟いた。

「……残念だが、私は愛など知らぬ。何故なら、私には心がない」

 今度はホルガーが「……そうでしょうか」と控えめに問いかけた。
 自問するかのような、静かながら内に響く声だった。

「あなたのそれは……幾星霜の時を経ても変わらない、とても眩しい愛に見えます」

 ルコットもそっと頷く。

「私も、あなたに心がないとは思えません」

 神としての自分の居場所を捨て、人の世に身を置いたのは。
 唯一の人を奪われても、世界を滅ぼさなかったのは。
 我が子への想いを捨てきれていないのは。
 全て、心故のこと。

 もし彼女が本当に、この世界に絶望しているなら、この世界はとっくの昔に終わっていただろう。
 我が子の言葉にだって、耳を傾けることはなかったはずだ。

「ですから私は、サーリさまが本当に、世界に絶望されているとは思えないのです」

 彼女は、最愛の人を失い、悲しみに沈みながら、それでも希望を捨てきれずにいたのではないか。待っていたのではあるまいか。
 いずれ、彼が目指した平和な世界がやってくるそのときを。

「あなたがこの世界を否定するのは、絶望のためなんかじゃない。悲しみに、耐えられないから。愛する人がここにいない悲しみに。愛する人の望みが、どうしたって叶えられない悲しみに」

 ルコットの茶色い瞳を、サーリは食い入るように見つめた。

「……全ては、あなたの愛のためですわ」

 心が愛を生み、愛が悲しみを生んだ。
 気の遠くなるほど悩み続けた胸の絡まりが、ようやく一本の線になるような気がした。
 サーリの眉間のシワが薄くなる。
 何かが吹っ切れたような、憑き物が落ちたかのような、そんな表情だった。

「……そうか、そうだったのか」

 同じ愛を返せないと悩みながら、本当は、同じだけの愛を返せていたのか。
 心がわからぬと悩みながら、この胸には、彼と同じ心が、あったのか。

 しばらくの沈黙の後、サーリはようやく一言だけ、こう呟いた。

「……それを、あやつに、伝えてやりたかった」

 そして、一度下ろした手を、もう一度掲げた。
 その手の先に、光が集まる。
 光は徐々に実体化し、幾ばくもたたないうちに、それは一本の巨大な槍になった。
 サーリは感触を確かめるように、その槍を握る。
 それから、まっすぐに、眼前の二人に視線を向けた。

「……わかった」

 発された言葉は穏やかで、そこには、先ほどまではなかった明確な意思があった。

「……ならば私は愛のために、この世界を滅ぼそう」

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