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新たな埃が積もり始める 1
しおりを挟む懐妊がわかってすぐに籍は入れていたものの、式は子どもが生まれてからにするそうな。
舞が帰ったあとの室内の寒さ。重範にどこか連れて行ってもらいたかったけれども都合がつかなかった。おすすめされた本は手元にあるけれど読む気がしない。本当に好きな本はおたがいに知らないくらいがよかった。
日が暮れてから独りで散歩していて、前のマンションの下を通ると、煙草をやめられない良助がベランダで蛍になっているのが見えた。少し前までは優しい虫だったのに、さっこんは完全な害虫にされた蛍であった。
幸いこちらに気づかないのでそのまま通り過ぎた。
婦人服販売でも売り上げは好成績で、お客さまからの評価も高かった。
爽子がずいぶんなついていた。たびたびランチやお茶や、時には買い物やはしご酒にも連れ立った。そんなふうにして毎日の日々を、考えているのか考えていないのかわからないまま過ごしていると、重範から連絡があり、一緒に食事へ行っていた。
閑雅なレストランに入ったのだったが、テーブルに着いてすぐ重範は携帯電話を開き、顔をしかめて閉じた。お品書きを見ているあいだにも開いて、また顔をしかめて閉じる。美那子が見つめていると、
「一緒に住んでる妹が」と弁明した。「美那子さんのことを根掘り葉掘り聞いて来るんです。紹介してくれ紹介してくれってうるさくて」
美那子は店内を見渡して、
「それなら出ましょう。妹さんに紹介してください」
重範はエッと意表をつかれた様子で、激しく迷い始めたけれども、ウェイターが注文を聞きに来てしまったので、謝って店を出た。電車に乗って重範のマンションへ行った。
「兄がお世話になっています」だとか、「こちらこそお兄さまには」だとか言い合った。兄妹の年は一回りほど離れていた。
日南子といった。中学・高校とソフトボールをやっていて、今はおしとやかな大学生であるそうな。大学に近いので兄のマンションへ厄介になっているとのこと。みなことひなこ似てますね、と嬉しそうであった。
「日南子ちゃんは大学出たらなにになりますの」
「まだわかんないですけど、百貨店勤務なんて憧れますね、」
美那子と日南子で冷蔵庫にあったものを使ってよくわからない鍋を作り、三人でつついた。
「お兄ちゃんは脱いだズボンも洗濯機に入れられないし、トイレの床にオシッコこぼします」
「そんなこと言わないのよ」
と美那子がたしなめた。重範はただ立場がないような顔をしていた。
「料理はかなわないんです。と言うか家事全般お兄ちゃんのほうがうまいんですけど、オシッコこぼすの。座ってやってよって頼むんですけど――」
「いい加減にしろ」
けれども美那子が楽しそうに笑うので重範は怒りがそう高まらないらしかった。日南子は兄の怒りの度合いをちょっとうかがっていたが、本気で怒っていないと見るとたちまちのんきであった。
日南子は重範と違って下戸なようで、すぐに真っ赤になり、よく笑ったけれど、やがてぐったりしてしまったので、早々にお開きにして、重範に駅まで送ってもらった。鍋の具がよくなかったのか美那子も少々悪く酔っていた。重範だけは憎たらしいくらい涼しい顔だった。
「日南子は美那子さんが好きみたいですね。また遊びに来てやってください」
「それなら、日南子ちゃんと二人で遊びに行こうかな」
重範は「それは……」と後ろ頭をかいた。
「別に座ってしなくていいから、オシッコはこぼさないように」
「――ほんとに馬鹿な妹で」
「このままどこか行きませんか」
重範は美那子を見つめた。まるきり冗談というわけではない美那子の瞳であった。
「――……そうしたいけど、日南子の根掘り葉掘りがね。まだそういうところは気が回らないんです」
「そんなことないと思いますけど」
「まあ、だけど日南子に気を遣われるのもちょっと」
「そうですか。それなら、お気をつけて。今日はありがとうございました」
すると重範は「美那子さん」と大きな声で呼び止めて、「妹はもう紹介しましたから、次は二人で会いましょう」
「いいですよ」
「それじゃまた連絡しますから」
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