20 / 79
9章
温室 ①
しおりを挟むアンセルは心持ち緊張した面持ちでいた。
それもそのはず、アンセルは初めて屋敷の外に出るのだ。
今までのアンセルは脚の骨折の為、ベッドの上か若しくはイスカンダーに抱かれないと移動手段がなかった。その為、イスカンダーが連れて行ってくれる場所しかこの屋敷の中も知らない。
一緒に食事を、と言われ食堂には連れて行ってもらった。
何脚もある椅子を無視して、イスカンダーはアンセルを隣に座らせ手ずから一つ一つを口に運んだ。
「イスカンダー様、自分で食べます。」
困り顔でそう伝えても、
「いや、アンセルはまだこのカトラリーに慣れてはいないだろう?」
と言って許してくれない。
確かに、この屋敷には人間用の小さなカトラリーは用意されていなかった。
アンセルにとっては少し大きすぎるカトラリーは確かに慣れていないと上手に料理を掬う事も難しそうに見えた。
それならばしょうがないか、といつもドキマギしながら口を開け料理を待つアンセルの姿はイスカンダーだけではなく、屋敷の全ての者にとって癒しの存在になり得ていた。
他に屋敷の中で知っている場所と言えば、イスカンダーがしきりに利用させようとしている浴室と抱き上げたまま連れて行かれるイスカンダーの私室ぐらいだ。
その全てをイスカンダーの腕の中からしか覗いた事がないアンセルはこの屋敷がどれほど大きく、広大な敷地に建てられているのか知らなかった。
今日の外出は、先日のお祈り代わりの口付けをイスカンダーに施した後唐突に言われた事だった。
「アンセルもずっとベッドにいるのは飽きただろう。今日は少し外に出てみないか?」
そう言われたアンセルの顔は輝き、イスカンダーの心を温めた。
「ありがとうございます、イスカンダー様。」
この屋敷に来て初めて外に出られる。
その事実はアンセルの気持ちを酷く軽くした。
気付かない内に鬱々とした気持ちにもなっていたようだった。
「では、早速着替えをしよう。外はまだ少し寒い。アンセルが風邪などひかないようにしないと。」
そうイスカンダーが言うより早く、エドマンドが袖のたっぷりとしたシャツを差し出してきた。これなら温かいでしょうと言わんばかりの表情にアンセルが思わず小さく笑った。
「ありがとう、エドマンド。ここから先は私がやろう。お前は下がっていて良い。いや、外出の準備をしていてくれ。今日はアンセルをあそこに連れて行こうと思っているのだ。」
「はい、心得てございます、イスカンダー様。」
エドマンドは、そんなイスカンダーの態度を面白がるように笑みを浮かべながら頭を下げた。
腕を従順に上げて素直に服を着替える。
以前はもっとイスカンダーに着替えさせてもらう事に戸惑いがあったはずなのに次第にその気持ちも薄らいでいく。
それもこれもイスカンダーがとても嬉しそうにアンセルの世話をするからだ。
そんな笑み崩れるイスカンダーを見る事がアンセルは好きだった。
「さぁ、出来た。では行こうか。」
そう言われてアンセルは素直に手を伸ばした。
それは無意識の行動だったが、イスカンダーに全幅の信頼を寄せている証に見えた。
「イスカンダー様?」
なぜ、イスカンダーが動きを止めたのか、不思議そうな顔でアンセルが気遣う。
そんなアンセルの額にイスカンダーはキスを落とした。
「私もアンセルの幸運を祈ろう。」
「は、はいっ。」
真っ赤になって顔を埋めるアンセルの姿に目尻を下げたイスカンダーの姿は屋敷の誰にも見られる事はなかった。
50
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
平民男子と騎士団長の行く末
きわ
BL
平民のエリオットは貴族で騎士団長でもあるジェラルドと体だけの関係を持っていた。
ある日ジェラルドの見合い話を聞き、彼のためにも離れたほうがいいと決意する。
好きだという気持ちを隠したまま。
過去の出来事から貴族などの権力者が実は嫌いなエリオットと、エリオットのことが好きすぎて表からでは分からないように手を回す隠れ執着ジェラルドのお話です。
第十一回BL大賞参加作品です。
執着騎士団長と、筋肉中毒の治癒師
マンスーン
BL
現代日本から異世界へ転生した治癒師のレオには、誰にも言えない秘密がある。
それは「定期的に極上の筋肉に触れて生命力を摂取しないと、魔力欠乏で死んでしまう」という特異体質であること!
命をつなぐため、そして何より己のフェティシズムを満たすため、レオがターゲットに選んだのは「氷の騎士団長」と恐れられる英雄ガドリエル。
「あぁっ、すごい……硬いですガドリエル様ッ!(大胸筋が)」
「……っ、治療中にそんな熱っぽい声を出すなッ」
生きるために必死で揉みしだくレオを、ガドリエルは「これほど俺の身を案じてくれるとは」と都合よく勘違い
触られたいムッツリ攻め×触りたい変態受け
【完結】運命の番に逃げられたアルファと、身代わりベータの結婚
貴宮 あすか
BL
ベータの新は、オメガである兄、律の身代わりとなって結婚した。
相手は優れた経営手腕で新たちの両親に見込まれた、アルファの木南直樹だった。
しかし、直樹は自分の運命の番である律が、他のアルファと駆け落ちするのを手助けした新を、律の身代わりにすると言って組み敷き、何もかも初めての新を律の名前を呼びながら抱いた。それでも新は幸せだった。新にとって木南直樹は少年の頃に初めての恋をした相手だったから。
アルファ×ベータの身代わり結婚ものです。
転生エルフの天才エンジニア、静かに暮らしたいのに騎士団長に捕まる〜俺の鉄壁理論は彼の溺愛パッチでバグだらけです〜
たら昆布
BL
転生したらエルフだった社畜エンジニアがのんびり森で暮らす話
騎士団長とのじれったい不器用BL
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
【完結】王子様たちに狙われています。本気出せばいつでも美しくなれるらしいですが、どうでもいいじゃないですか。
竜鳴躍
BL
同性でも子を成せるようになった世界。ソルト=ペッパーは公爵家の3男で、王宮務めの文官だ。他の兄弟はそれなりに高級官吏になっているが、ソルトは昔からこまごまとした仕事が好きで、下級貴族に混じって働いている。机で物を書いたり、何かを作ったり、仕事や趣味に没頭するあまり、物心がついてからは身だしなみもおざなりになった。だが、本当はソルトはものすごく美しかったのだ。
自分に無頓着な美人と彼に恋する王子と騎士の話。
番外編はおまけです。
特に番外編2はある意味蛇足です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる