3 / 7
舞踏会にて
しおりを挟む
私とエリックの婚約破棄は陛下にも認められ、公式のものとなった。
と同時に、エリックとアンナ、エドヴァルドの私の婚約が成立する。それを祝うため、舞踏会が催される運びとなった。
「そのドレスは気に入ったか?」
「ええ、殿下。このような美しい品、私にはもったいないくらいです」
にこやかな微笑を作って、隣に立つエドヴァルドの腕に慎ましく触れる。コツは指先だけを触れさせることだ。あくまで恭しく、エスコートの範囲を出ない限りで。そうでなければ、はしたない女として社交界では笑いものにされる。
宮殿の大広間の中央、貴族たちから遠巻きにされるアンナ・マロウのように。
アンナはエリックの腕を鷲掴みにし、ベッタリと身を寄せていた。「エリックさまぁ、皆が私たちを祝福してくださっているのね」とかなんとか話している。エリックもそんなアンナを宝物でも見るみたいな目で見つめ、「そうだ。今日は僕たちのために開かれた舞踏会だからな」とか答えている。
周囲の貴族たちの冷たい視線などどこ吹く風。まるきり二人だけの世界、という感じだ。
うーん、良い。
しみじみ感じ入っていると、エドヴァルドに軽く肘を引かれてハッと我に帰る。見ると、宰相がこちらに近づいてくるところだった。
白いものの混じり始めた髪を綺麗に撫で付けた、壮年の男性である。柔和な面持ちだが、現王を影に日向に支え続けた立役者で、王太子として認められるには避けては通れない人物だ。
宰相はゆったりとした足取りで歩いてくると、迷いなくエドヴァルドに話しかけた。
「ご機嫌よう、エドヴァルド殿下。舞踏会は楽しんでおられますかな」
ざわり、と貴族たちがさざめく。宰相が、第一王子のエリックではなく、第二王子のエドヴァルドに先に声をかけた。その意味が分からぬものはここにはいない。
エドヴァルドはそつなく微笑して、胸元に手を当て一礼した。
「宰相殿におかれましてもご機嫌麗しく。今宵は良い夜です。愛する婚約者が隣にいるのですから」
エドヴァルドがさりげなく私の肩を抱く。私も逆らわずに身を任せた。
表面上、仲睦まじい婚約者同士のふりをする、というのは二人で決めたことだった。
第一王子に理不尽に婚約破棄された傷心の公爵令嬢を、第二王子が愛でもって救う、というのは支持を得やすい話だし、私たちが正しければ正しいほどエリックとアンナの立場は悪くなる。最高だ。
私たちの様子に、宰相はふっと眦を緩める。
「おやおや、一時はどうなるかと思いましたが、この分であれば何の心配もなさそうですね。リリアーナ様はエリック殿下の婚約者として常々苦労されていて、舞踏会を心から楽しむなんて初めてでは?」
そう言って、ちらりとエリックの方に目を向ける。周囲の様子には気づかず、アンナといちゃついて桃色の空気を醸し出す第一王子を。
私はほんのわずかに苦笑して、エドヴァルドを差し仰いだ。
「色々ありましたけれど……今夜は楽しく踊ることにいたします」
エドヴァルドも微笑とともに応じた。
「ああ。そうするといい。もうすぐ楽団がダンスのための演奏を始める。……お楽しみはこれからだからな」
そのとき美しい弦楽器の調べが聞こえてきて、私たちは手を取り合って大広間の真ん中へ進み出た。
宮殿の舞踏会で一番初めに踊るのは王族と決まっている。貴族たちの品定めの視線を一身に浴びながら、洗練されたダンスを踊ることが求められるのだ。
目の端に、エリックとアンナの姿をとらえる。二人とも頬を紅潮させて、けれどどこかぎこちない様子で向かい合っていた。農村の収穫祭の方がまだ見応えがあるだろう。当然だ。エリックはダンスの練習をサボって私のフォローに任せきりだったし、アンナは社交界にデビューしたばかりなのだから。
初々しいわね、と温かい気持ちになる。だが周りの貴族たちにとってはどうだろう。
「リリアーナ」
耳元で囁かれて私は目だけを上向ける。私と向かい合うエドヴァルドが、なぜか不満そうに眉間に皺を寄せていた。
「よそ見をしている場合か」
確かに、私がダンスに失敗したら目も当てられない。
だが、こっちがどれだけ場数を踏んできたと思っているのだ。エリックと比べたら、赤子と踊る方が容易いくらいだった。
ふふんと笑って、小さな声で答える。
「お任せくださいな。殿下の足を踏むような真似はしませんわ」
「そうではない」
背に回った手に力が込められて、エドヴァルドの方に体を近寄せられる。近い。不必要に近い。何?
「俺と踊るのに、リリアーナが他の男ばかり見つめるのは面白くない」
「エリックがどんな調子か確認しないといけないでしょう?」
「見なくても分かる。どうせ操り人形の方がマシなくらいの動きだろう——ほら、始まるぞ」
指揮棒が振られ、優美な音楽が流れ出す。私はエドヴァルドに導かれるように踊り出した。
ターン、ステップ、またターン。
その度に、私のドレスの裾が花びらのように広がって、また足元に寄り添う。周囲から、ほうと感嘆のため息が漏れるのが聞こえた。
エドヴァルドはとてもダンスが上手かった。リードも確かで非常に踊りやすい。思わず唇が綻ぶ。相手に足を踏まれることを恐れないダンスとはこんなに楽しいのか。
「……そのドレス」
「はい?」
私にだけ聞こえるくらいの小声で、エドヴァルドがささめいた。
「よく似合っているな。手ずから選んだ甲斐がある」
「そうだったのですか?」
私は目を瞬かせた。今夜着ているドレス——緋色のシルク生地に、金色のサテンリボンがあしらわれたもの——は、昼間、公爵邸で舞踏会の準備をしている最中に手元に届けられたものだった。
贈り主は当然エドヴァルド。だが、わざわざ彼自身が選んだものとは思いもよらなかった。普通は使用人にやらせるものだ。少なくともエリックはそうしていた。
「リリアーナが一番美しく見える品を選ぼうとしてずいぶん手間取った。どれも似合うだろうと思ってな。届けるのが遅くなって悪かった」
「いえ、それは構いませんが……」
鼓動がとくんと跳ねる。エドヴァルドから一心に注がれる視線が気になった。注目を浴びるのなんて慣れているのに、その金の瞳で見つめられると、じわじわと頬に血が集まる。
「その、ありがとうございます。……このドレスを気に入ったというのも、あながち嘘ではありませんから」
「そうなのか?」
「綺麗な赤色で、好きです。……あなたの髪も」
思わず言葉がこぼれてしまって、ハッと口をつぐむ。余計な一言だった。この国には珍しい赤毛は、彼が異国の血を引く母から受け継いだものだ。私は綺麗だと思っているけれど、それがエドヴァルドをどれほど苦しめているのか、私には分からない。
流れるような動きに淀みはない。
けれど繋いだ手を、ダンスにはふさわしくないくらいの力で掴まれた。
「あの、エドヴァルド殿下……?」
「なんだ?」
エドヴァルドの表情に変化はない。完璧な第二王子の仮面を被って、優しくこちらを見つめている。
ただ瞳の底に強い決意の光が宿っている気がして、私は身震いした。
「その……」
何か言わなくては、と口を開き開けたとき。
「きゃあっ‼︎」
甲高い悲鳴が響いて、音楽が止まった。
しんと静まり返る大広間、その真ん中でエリックとアンナが床に転がっている。どうやらダンスの途中で転倒しまったらしい。アンナのドレスがまくれ上がり、白い足が太腿くらいまで晒されていた。辺りからはくすくすと忍び笑いが漏れる。アンナが気づいて、カッと赤くなって裾を直した。
「おや、兄上。ご無事ですか」
ゆっくりと私の手を離して、エドヴァルドがエリックの元まで歩いていく。私もその後ろからついていった。エリックはよく磨かれた大理石の床に両手をついて、よろよろと立ち上がるところだった。夜会服の襟がよれている。
「やあエド。うん、僕は大丈夫だよ。少しね、アンナが躓いてしまって。ほら、アンナはこんなに大きな舞踏会は初めてだから。でも誰にだって初めてはある。そうだろう?」
そう言って、まだ足元に転がっているアンナに手を差し伸べる。アンナは「ふぇ」と一声鳴いてエリックの手を取って立ち上がった。
そしてどうしてか、私を睨みつける。
「リリアーナ様、わたしに意地悪しないでくださいませっ」
「……はい?」
「王族が初めにダンスをするって、どうして教えてくださらなかったんですか? そしたらわたしはもっと練習したのにっ。いくらわたしがエリックさまに愛されていることが妬ましいからって、そういうのは良くないと思いますっ」
えぇ……。
大っぴらに顔をしかめなくて済んだのは、長年の妃教育の賜物だろう。私は優雅な微笑みを浮かべたまま、小首を傾げた。けれど唇がひきつるのは堪えられなかった。
そんなことを私に言われても困る。妃になるのだから、それくらいの情報は自分から調べるのが当然だ。宮殿の使用人に聞けば教えてくれただろう。それこそ私に聞く手もある。与えられるのを待っているのは愚者の振る舞いだ。
どう反論してやろうかと首を捻ったとき、私とアンナの間にエドヴァルドが立ち塞がった。
「……今の言葉は全て取り消してもらおうか」
背筋の産毛が逆立つほど、冷え冷えとした響きだった。
アンナがヒッと悲鳴をあげる。オロオロと辺りを見回し、どこからも救いの手が伸べられないと知ると、かたわらのエリックにすがりついた。そのエリックも顔を青ざめさせている。
エドヴァルドが、冴え凍る声音で続ける。
「俺の婚約者を侮辱することは許さない。道化の芸も、過ぎれば笑い事では済まなくなるぞ」
それからエリックの方に顔を向け、
「兄上。あなたの道化は、舞台に上がるにはまだ早いのではありませんか」
エリックの顔が凍りつく。アンナが「ひどいっ」と泣き声をあげた。
彼の表情はこちらからは窺えない。けれど私は後ろから近づいて、そっと袖口を引っ張った。
「エドヴァルド殿下、私は平気ですから、どうか……」
いくら仲睦まじい婚約者同士を演じるとはいえ、これはやり過ぎではないだろうか。一応相手は王太子とその婚約者なのだ。あまり言い過ぎるとこちらが不敬にあたる。
そんなことは彼だって分かっているはずなのに、どうしてこんなに怒っているのだろうか。
……私を守るため?
一瞬頭をかすめた思考を振り払う。エドヴァルドが、袖を引く私の指をなだめるように撫でた。
「わ、分かったから。すまないな、エド。彼女にはよく言って聞かせておくから」
エリックがアンナを連れて大広間を逃げ出した。アンナはまだ何かわめいており、大広間の分厚い扉が閉まっても、甲高い残響が白々とした空気を震わせた。
と同時に、エリックとアンナ、エドヴァルドの私の婚約が成立する。それを祝うため、舞踏会が催される運びとなった。
「そのドレスは気に入ったか?」
「ええ、殿下。このような美しい品、私にはもったいないくらいです」
にこやかな微笑を作って、隣に立つエドヴァルドの腕に慎ましく触れる。コツは指先だけを触れさせることだ。あくまで恭しく、エスコートの範囲を出ない限りで。そうでなければ、はしたない女として社交界では笑いものにされる。
宮殿の大広間の中央、貴族たちから遠巻きにされるアンナ・マロウのように。
アンナはエリックの腕を鷲掴みにし、ベッタリと身を寄せていた。「エリックさまぁ、皆が私たちを祝福してくださっているのね」とかなんとか話している。エリックもそんなアンナを宝物でも見るみたいな目で見つめ、「そうだ。今日は僕たちのために開かれた舞踏会だからな」とか答えている。
周囲の貴族たちの冷たい視線などどこ吹く風。まるきり二人だけの世界、という感じだ。
うーん、良い。
しみじみ感じ入っていると、エドヴァルドに軽く肘を引かれてハッと我に帰る。見ると、宰相がこちらに近づいてくるところだった。
白いものの混じり始めた髪を綺麗に撫で付けた、壮年の男性である。柔和な面持ちだが、現王を影に日向に支え続けた立役者で、王太子として認められるには避けては通れない人物だ。
宰相はゆったりとした足取りで歩いてくると、迷いなくエドヴァルドに話しかけた。
「ご機嫌よう、エドヴァルド殿下。舞踏会は楽しんでおられますかな」
ざわり、と貴族たちがさざめく。宰相が、第一王子のエリックではなく、第二王子のエドヴァルドに先に声をかけた。その意味が分からぬものはここにはいない。
エドヴァルドはそつなく微笑して、胸元に手を当て一礼した。
「宰相殿におかれましてもご機嫌麗しく。今宵は良い夜です。愛する婚約者が隣にいるのですから」
エドヴァルドがさりげなく私の肩を抱く。私も逆らわずに身を任せた。
表面上、仲睦まじい婚約者同士のふりをする、というのは二人で決めたことだった。
第一王子に理不尽に婚約破棄された傷心の公爵令嬢を、第二王子が愛でもって救う、というのは支持を得やすい話だし、私たちが正しければ正しいほどエリックとアンナの立場は悪くなる。最高だ。
私たちの様子に、宰相はふっと眦を緩める。
「おやおや、一時はどうなるかと思いましたが、この分であれば何の心配もなさそうですね。リリアーナ様はエリック殿下の婚約者として常々苦労されていて、舞踏会を心から楽しむなんて初めてでは?」
そう言って、ちらりとエリックの方に目を向ける。周囲の様子には気づかず、アンナといちゃついて桃色の空気を醸し出す第一王子を。
私はほんのわずかに苦笑して、エドヴァルドを差し仰いだ。
「色々ありましたけれど……今夜は楽しく踊ることにいたします」
エドヴァルドも微笑とともに応じた。
「ああ。そうするといい。もうすぐ楽団がダンスのための演奏を始める。……お楽しみはこれからだからな」
そのとき美しい弦楽器の調べが聞こえてきて、私たちは手を取り合って大広間の真ん中へ進み出た。
宮殿の舞踏会で一番初めに踊るのは王族と決まっている。貴族たちの品定めの視線を一身に浴びながら、洗練されたダンスを踊ることが求められるのだ。
目の端に、エリックとアンナの姿をとらえる。二人とも頬を紅潮させて、けれどどこかぎこちない様子で向かい合っていた。農村の収穫祭の方がまだ見応えがあるだろう。当然だ。エリックはダンスの練習をサボって私のフォローに任せきりだったし、アンナは社交界にデビューしたばかりなのだから。
初々しいわね、と温かい気持ちになる。だが周りの貴族たちにとってはどうだろう。
「リリアーナ」
耳元で囁かれて私は目だけを上向ける。私と向かい合うエドヴァルドが、なぜか不満そうに眉間に皺を寄せていた。
「よそ見をしている場合か」
確かに、私がダンスに失敗したら目も当てられない。
だが、こっちがどれだけ場数を踏んできたと思っているのだ。エリックと比べたら、赤子と踊る方が容易いくらいだった。
ふふんと笑って、小さな声で答える。
「お任せくださいな。殿下の足を踏むような真似はしませんわ」
「そうではない」
背に回った手に力が込められて、エドヴァルドの方に体を近寄せられる。近い。不必要に近い。何?
「俺と踊るのに、リリアーナが他の男ばかり見つめるのは面白くない」
「エリックがどんな調子か確認しないといけないでしょう?」
「見なくても分かる。どうせ操り人形の方がマシなくらいの動きだろう——ほら、始まるぞ」
指揮棒が振られ、優美な音楽が流れ出す。私はエドヴァルドに導かれるように踊り出した。
ターン、ステップ、またターン。
その度に、私のドレスの裾が花びらのように広がって、また足元に寄り添う。周囲から、ほうと感嘆のため息が漏れるのが聞こえた。
エドヴァルドはとてもダンスが上手かった。リードも確かで非常に踊りやすい。思わず唇が綻ぶ。相手に足を踏まれることを恐れないダンスとはこんなに楽しいのか。
「……そのドレス」
「はい?」
私にだけ聞こえるくらいの小声で、エドヴァルドがささめいた。
「よく似合っているな。手ずから選んだ甲斐がある」
「そうだったのですか?」
私は目を瞬かせた。今夜着ているドレス——緋色のシルク生地に、金色のサテンリボンがあしらわれたもの——は、昼間、公爵邸で舞踏会の準備をしている最中に手元に届けられたものだった。
贈り主は当然エドヴァルド。だが、わざわざ彼自身が選んだものとは思いもよらなかった。普通は使用人にやらせるものだ。少なくともエリックはそうしていた。
「リリアーナが一番美しく見える品を選ぼうとしてずいぶん手間取った。どれも似合うだろうと思ってな。届けるのが遅くなって悪かった」
「いえ、それは構いませんが……」
鼓動がとくんと跳ねる。エドヴァルドから一心に注がれる視線が気になった。注目を浴びるのなんて慣れているのに、その金の瞳で見つめられると、じわじわと頬に血が集まる。
「その、ありがとうございます。……このドレスを気に入ったというのも、あながち嘘ではありませんから」
「そうなのか?」
「綺麗な赤色で、好きです。……あなたの髪も」
思わず言葉がこぼれてしまって、ハッと口をつぐむ。余計な一言だった。この国には珍しい赤毛は、彼が異国の血を引く母から受け継いだものだ。私は綺麗だと思っているけれど、それがエドヴァルドをどれほど苦しめているのか、私には分からない。
流れるような動きに淀みはない。
けれど繋いだ手を、ダンスにはふさわしくないくらいの力で掴まれた。
「あの、エドヴァルド殿下……?」
「なんだ?」
エドヴァルドの表情に変化はない。完璧な第二王子の仮面を被って、優しくこちらを見つめている。
ただ瞳の底に強い決意の光が宿っている気がして、私は身震いした。
「その……」
何か言わなくては、と口を開き開けたとき。
「きゃあっ‼︎」
甲高い悲鳴が響いて、音楽が止まった。
しんと静まり返る大広間、その真ん中でエリックとアンナが床に転がっている。どうやらダンスの途中で転倒しまったらしい。アンナのドレスがまくれ上がり、白い足が太腿くらいまで晒されていた。辺りからはくすくすと忍び笑いが漏れる。アンナが気づいて、カッと赤くなって裾を直した。
「おや、兄上。ご無事ですか」
ゆっくりと私の手を離して、エドヴァルドがエリックの元まで歩いていく。私もその後ろからついていった。エリックはよく磨かれた大理石の床に両手をついて、よろよろと立ち上がるところだった。夜会服の襟がよれている。
「やあエド。うん、僕は大丈夫だよ。少しね、アンナが躓いてしまって。ほら、アンナはこんなに大きな舞踏会は初めてだから。でも誰にだって初めてはある。そうだろう?」
そう言って、まだ足元に転がっているアンナに手を差し伸べる。アンナは「ふぇ」と一声鳴いてエリックの手を取って立ち上がった。
そしてどうしてか、私を睨みつける。
「リリアーナ様、わたしに意地悪しないでくださいませっ」
「……はい?」
「王族が初めにダンスをするって、どうして教えてくださらなかったんですか? そしたらわたしはもっと練習したのにっ。いくらわたしがエリックさまに愛されていることが妬ましいからって、そういうのは良くないと思いますっ」
えぇ……。
大っぴらに顔をしかめなくて済んだのは、長年の妃教育の賜物だろう。私は優雅な微笑みを浮かべたまま、小首を傾げた。けれど唇がひきつるのは堪えられなかった。
そんなことを私に言われても困る。妃になるのだから、それくらいの情報は自分から調べるのが当然だ。宮殿の使用人に聞けば教えてくれただろう。それこそ私に聞く手もある。与えられるのを待っているのは愚者の振る舞いだ。
どう反論してやろうかと首を捻ったとき、私とアンナの間にエドヴァルドが立ち塞がった。
「……今の言葉は全て取り消してもらおうか」
背筋の産毛が逆立つほど、冷え冷えとした響きだった。
アンナがヒッと悲鳴をあげる。オロオロと辺りを見回し、どこからも救いの手が伸べられないと知ると、かたわらのエリックにすがりついた。そのエリックも顔を青ざめさせている。
エドヴァルドが、冴え凍る声音で続ける。
「俺の婚約者を侮辱することは許さない。道化の芸も、過ぎれば笑い事では済まなくなるぞ」
それからエリックの方に顔を向け、
「兄上。あなたの道化は、舞台に上がるにはまだ早いのではありませんか」
エリックの顔が凍りつく。アンナが「ひどいっ」と泣き声をあげた。
彼の表情はこちらからは窺えない。けれど私は後ろから近づいて、そっと袖口を引っ張った。
「エドヴァルド殿下、私は平気ですから、どうか……」
いくら仲睦まじい婚約者同士を演じるとはいえ、これはやり過ぎではないだろうか。一応相手は王太子とその婚約者なのだ。あまり言い過ぎるとこちらが不敬にあたる。
そんなことは彼だって分かっているはずなのに、どうしてこんなに怒っているのだろうか。
……私を守るため?
一瞬頭をかすめた思考を振り払う。エドヴァルドが、袖を引く私の指をなだめるように撫でた。
「わ、分かったから。すまないな、エド。彼女にはよく言って聞かせておくから」
エリックがアンナを連れて大広間を逃げ出した。アンナはまだ何かわめいており、大広間の分厚い扉が閉まっても、甲高い残響が白々とした空気を震わせた。
112
あなたにおすすめの小説
婚約破棄宣言をされても、涙より先に笑いがこみあげました。
一ノ瀬和葉
恋愛
「――セシリア・エルディアとの婚約を、ここに破棄する!」
煌めくシャンデリアの下で、王太子リオネル殿下が声を張り上げた。
会場にいた貴族たちは一斉に息を呑み、舞踏の音楽さえ止まる。
……ああ、やっと来たか。
婚約破棄。断罪。悪役令嬢への審判。
ここで私は泣き崩れ、殿下に縋りつき、噂通りの醜態をさらす――
……はずだったのだろう。周囲の期待としては。
だが、残念。
私の胸に込みあげてきたのは、涙ではなく、笑いだった。
(だって……ようやく自由になれるんですもの)
その瞬間の私の顔を、誰も「悪役令嬢」とは呼べなかったはずだ。
なろう、カクヨム様でも投稿しています。
なろう日間20位 25000PV感謝です。
※ご都合注意。後日談の方を一部修正しました。
心を病んでいるという嘘をつかれ追放された私、調香の才能で見返したら調香が社交界追放されました
er
恋愛
心を病んだと濡れ衣を着せられ、夫アンドレに離縁されたセリーヌ。愛人と結婚したかった夫の陰謀だったが、誰も信じてくれない。失意の中、亡き母から受け継いだ調香の才能に目覚めた彼女は、東の別邸で香水作りに没頭する。やがて「春風の工房」として王都で評判になり、冷酷な北方公爵マグナスの目に留まる。マグナスの支援で宮廷調香師に推薦された矢先、元夫が妨害工作を仕掛けてきたのだが?
【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!
雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。
しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。
婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。
ーーーーーーーーー
2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました!
なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!
悪役令嬢として断罪された聖女様は復讐する
青の雀
恋愛
公爵令嬢のマリアベルーナは、厳しい母の躾により、完ぺきな淑女として生まれ育つ。
両親は政略結婚で、父は母以外の女性を囲っていた。
母の死後1年も経たないうちに、その愛人を公爵家に入れ、同い年のリリアーヌが異母妹となった。
リリアーヌは、自分こそが公爵家の一人娘だと言わんばかりにわが物顔で振る舞いマリアベルーナに迷惑をかける。
マリアベルーナには、5歳の頃より婚約者がいて、第1王子のレオンハルト殿下も、次第にリリアーヌに魅了されてしまい、ついには婚約破棄されてしまう。
すべてを失ったマリアベルーナは悲しみのあまり、修道院へ自ら行く。
修道院で聖女様に覚醒して……
大慌てになるレオンハルトと公爵家の人々は、なんとかマリアベルーナに戻ってきてもらおうとあの手この手を画策するが
マリアベルーナを巡って、各国で戦争が起こるかもしれない
完ぺきな淑女の上に、完ぺきなボディライン、完ぺきなお妃教育を持った聖女様は、自由に羽ばたいていく
今回も短編です
誰と結ばれるかは、ご想像にお任せします♡
【完結】リクエストにお答えして、今から『悪役令嬢』です。
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「断罪……? いいえ、ただの事実確認ですよ。」
***
ただ求められるままに生きてきた私は、ある日王子との婚約解消と極刑を突きつけられる。
しかし王子から「お前は『悪』だ」と言われ、周りから冷たい視線に晒されて、私は気づいてしまったのだ。
――あぁ、今私に求められているのは『悪役』なのだ、と。
今まで溜まっていた鬱憤も、ずっとしてきた我慢も。
それら全てを吐き出して私は今、「彼らが望む『悪役』」へと変貌する。
これは従順だった公爵令嬢が一転、異色の『悪役』として王族達を相手取り、様々な真実を紐解き果たす。
そんな復讐と解放と恋の物語。
◇ ◆ ◇
※カクヨムではさっぱり断罪版を、アルファポリスでは恋愛色強めで書いています。
さっぱり断罪が好み、または読み比べたいという方は、カクヨムへお越しください。
カクヨムへのリンクは画面下部に貼ってあります。
※カクヨム版が『カクヨムWeb小説短編賞2020』中間選考作品に選ばれました。
選考結果如何では、こちらの作品を削除する可能性もありますので悪しからず。
※表紙絵はフリー素材を拝借しました。
「華がない」と婚約破棄された私が、王家主催の舞踏会で人気です。
百谷シカ
恋愛
「君には『華』というものがない。そんな妻は必要ない」
いるんだかいないんだかわからない、存在感のない私。
ニネヴィー伯爵令嬢ローズマリー・ボイスは婚約を破棄された。
「無難な妻を選んだつもりが、こうも無能な娘を生むとは」
父も私を見放し、母は意気消沈。
唯一の望みは、年末に控えた王家主催の舞踏会。
第1王子フランシス殿下と第2王子ピーター殿下の花嫁選びが行われる。
高望みはしない。
でも多くの貴族が集う舞踏会にはチャンスがある……はず。
「これで結果を出せなければお前を修道院に入れて離婚する」
父は無慈悲で母は絶望。
そんな私の推薦人となったのは、ゼント伯爵ジョシュア・ロス卿だった。
「ローズマリー、君は可愛い。君は君であれば完璧なんだ」
メルー侯爵令息でもありピーター殿下の親友でもあるゼント伯爵。
彼は私に勇気をくれた。希望をくれた。
初めて私自身を見て、褒めてくれる人だった。
3ヶ月の準備期間を経て迎える王家主催の舞踏会。
華がないという理由で婚約破棄された私は、私のままだった。
でも最有力候補と噂されたレーテルカルノ伯爵令嬢と共に注目の的。
そして親友が推薦した花嫁候補にピーター殿下はとても好意的だった。
でも、私の心は……
===================
(他「エブリスタ」様に投稿)
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
悪役令嬢ですが、今日も元婚約者とヒロインにざまぁされました(なお、全員私を溺愛しています)
ほーみ
恋愛
「レティシア・エルフォード! お前との婚約は破棄する!」
王太子アレクシス・ヴォルフェンがそう宣言した瞬間、広間はざわめいた。私は静かに紅茶を口にしながら、その言葉を聞き流す。どうやら、今日もまた「ざまぁ」される日らしい。
ここは王宮の舞踏会場。華やかな装飾と甘い香りが漂う中、私はまたしても断罪劇の主役に据えられていた。目の前では、王太子が優雅に微笑みながら、私に婚約破棄を突きつけている。その隣には、栗色の髪をふわりと揺らした少女――リリア・エヴァンスが涙ぐんでいた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる