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3. そうして私のこれからは

15枚目 秘密よ秘密

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 フワフワとした藤色のワンピースに、薄手のカーディガンを羽織っている。
 遠目から見ても、その子が一華だとわかった。
 一華から以前、日に焼けたくないから、という理由で年中上着を羽織っていると聞いた。

 一華のようなファッションをする同級生は葵の周りでは限られているし、何より一華自身がああいう服装を好むことを知っているからだ。

 (いや、違うでしょ! この状況を聞かれていたらまずい)

 葵は反射的にしゃがみ込み、うつむいて頭を抱える。
 思いがけない葵の行動に、ビクリと麗がひるんだ。

 何がどうまずいのか、理解しているつもりだ。
 今はまだ距離があるから、一華の方からでは声が聞こえない。
 しかし、遠くにいる一華から見て不自然にならない程度に接する必要があった。
 あれでなかなか幼馴染みはさとい。
 葵が何か隠し事をしていようものなら、瞬時に気付くだろう。今までもそうだったから、きっと分かる。

 そもそも小さな小学生のことを「和さま」と呼んでいたら、どうしたっておかしいと思われるのが目に見えている。

 (さまって何よ、さまって! いや私が呼んでいるんだけど!)

 どうしようどうしよう、とブツブツ繰り返す。
 そんな葵を見てか、麗がポンと頭を撫でてきた。

 ポン、ポン、ポン。

 何度も断続的に規則正しく繰り返されるそれは、まるで葵を安心させるかのようだ。

 「和さま……」
 「ん?」

 名を呟くと、目元を緩ませて見下ろされる。
 丸くてほんのりと色付く頬は、やはり子供特有のもの。小さいけれど、確かに体温がある手。
 前世、よく慣れ親しんでいた手だ。違うことといえば大きさくらいのものだが。

 当たり前だが、小学生と高校生では身長差がある。特に一年生とは。
 けれど、麗から──和則から見下ろされるのは久しぶりだった。
 今はまだ小さくても、これから──それこそ五年かそこら──で葵を追い越すだろう。

 「あ、くん」

 その時、葵はピンとひらめいた。いや、そもそも少し冷静になれば分かることだった。

 「は? え、なに」

 突然今世での名前を呼ばれたからか、ヒクヒクと丸い頬をひくつかせ、麗がジト目でこちらを見ている。
 どうやら葵には呼ばれたくないようだ。
 けれど、緊急事態の今は仕方ない。

 「麗くん、今日から学校よね? どうだった? お姉さんに教えてくれる?」

 にこにこと輝かしいばかりの笑顔で、麗に問う。
 ついでにまだ葵の頭に置いていた手を掴み、ぎゅっと握る。

 「え……? 美和?」

 心底分からない、という顔だ。
 突然どうしたんだ。大丈夫か? と麗から無言の圧を感じる。
 しかし、ここは合わせてもらうしかなかった。
 このまま「和さま」と紹介するのはまずい。どう考えたってまずい。
 前世の事を言おうにも、一華はそういうオカルト系全般に、とんと興味が無いのだ。

 「和さま、聞いて」

 キュッともう片方の手を掴む。
 だんだんと距離が縮まる一華に聞こえないよう、小声で問い掛ける。

 「あの子は私の幼馴染みなの、一華っていうんだけど。今の状況を見てどう思うと思う? おかしいと思われるでしょ? だって小学生と目下で話してる私なんて想像できないでしょうし……何より一華はこういう、記憶だとか前世だとか興味が無いから」

 当たり前だが、目下の相手には敬語を使わない。それを麗も分かっているはずだ。

 「ん、分かった」

 にこりと微笑んで首肯する麗に、ほっと胸を撫で下ろす。
 麗が一度深く呼吸したかと思うと、一拍おいて口を開く。

 「楽しかったよ! 友達も何人かできて、明日遊ぶ約束したんだ。ふふ、早く明日にならないかなぁ」

 と、ワントーン高い声で麗が言った。
 葵が提案したことだが、やはり突然声音を変えられると慣れない。事前に申告されてもきっと慣れる気がしないだろう。
 けれど、そんなことをおくびにも出さず葵はいっそう笑みを深くする。

 「そっかー。でももう少しでお日様が沈むから、それまでに早く帰らないとね」

 ちらりと空を見ると、ぼんやりとだが向こう側がオレンジ色に染まろうとしていた。

 「え~、そうなの? ……もっと葵ちゃんと話したいなぁ」

 ドキリと心臓が高なった。

 (いや、何よそれ。和さまはただ名前を呼んだだけでしょ)

 そう、今世での名前を呼んだだけ。ただそれだけなのに、上目遣いでこちらを見られると負けそうになる。
 その見た目も相まって、これが母性本能というやつか。

 「だぁめ。お母さんやお父さんに心配掛けちゃうのは嫌でしょ? だから今日はこれでおしまい」

 けれど、限られた理性でなんとか打ち勝つ。
 とんでもなく名残惜しいが、パッと麗の両手を離した。

 「んん……分かった」

 しゅん、といかにも落胆したという風で、自身の服の裾をいじっている。
 なんとも可愛らしいが、今だけは却下せねば。そう、今だけは。

 「葵~、あれ。その子は?」

 と、一華がちょうど葵たちがいる場所に辿たどいた。
 どうやら葵に隠れていて、一華の方では麗の姿が見えていないようだった。

 「ん? あぁ、一華」

 くるりと振り向き、幼馴染みを仰ぎ見る。

 やはり真近で見ると、麗とはまた違った可愛らしさがある。
 ぽってりと赤い唇、ほんのり色付いた頬。日に焼けていない白い肌。
 長年一緒にいた葵の目から見ても、しばらく見惚れるほど可憐だった。まるで大和撫子やまとなでしこを体現しているかのような、そんな錯覚におちいる。
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