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第二部 イェルフの子供たち
25頁
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アコイとトリンは、里の外れにいた。二人ともジイロに呼びだされたのだ。
「ジイロったら……人を呼びだしといて、何やってんのよ」
トリンはすっかりお冠である。
横目で見ながら、アコイは微笑を浮かべた。
食糧もろくになく、満足に眠れない日々も続いたせいか、一時トリンは体調を崩していた。今はそれも快復して、持ち前の明るさを取り戻している。
「ちょっとアコイ、何笑ってんのよ」
「何でもないよ」
憮然とするトリンだが、アコイの笑みに釣られるように笑った。
笑ったのは久しぶりだ。
風が二人の間を走り抜ける。
木々が揺れ、夏の匂いを漂わせた。
「もう、一年も経つのね」
「ああ」
「始めはどうなることかと思ったけど」
あの夜のことは、まだ鮮明に覚えている。戦火に落ちる家や、同胞たちの悲鳴。目の前で殺された赤子の姿。
「一年で、ここまで住めるようにしたんだ。凄いことだよ」
「みんな必死で頑張ったもんね。ジイロなんか、ほんとに死に物狂いって感じだったし」
「そうだな。そんな奴だよな、あいつは」
「あっ、もちろんアコイだって頑張ってたからねっ」
「思いだしてくれて嬉しいよ」
「もうっ、そういうんじゃなくて……」
慌てて弁明するトリンに、アコイはまた微笑んでみせる。
「ところでトリン、先延ばしになってたあの話なんだけど……」
「えっ?」
そのとき草むらが揺れ、ようやくジイロが姿を見せた。
「遅いじゃないの。何やって……」
文句を言いかけて、トリンは困惑した。
ジイロが旅装を整えていたからだ。
「よう」
腰の曲刀が、鳴る。
「俺、行くわ」
ジイロは言った。
「行くって、どこへ?」
トリンは怪訝な顔で訊いた。
「さあな」
「何よ、さあなって……」
「そうだな。さしずめ、俺の夢が実現できるところへ、ってとこかな」
「夢って?」
「イェルフの国を造るんだよ」
「あんた、まだそんなこと言ってんの!?」
トリンは思わず声をうわずらせた。
「そんなもの、できる訳ないじゃない!」
「やってみなきゃ、判んねえだろ」
「判るわよ!」
前にも、こんな会話を交わしたような気がする。
ジイロはあのときと同じように、目を輝かせていた。
「そりゃ、今すぐには無理だ。でも、いつかきっと……必ず造ってみせる。イェルフだけの国を。みんなのために。おまえのために」
「わたしの……」
その言葉に、トリンは頬を赤らめた。
ジイロは、寂しげに微笑んだ。
彼がそんなふうにして笑うところを、トリンは初めて見たような気がした。
「おまえは、アコイといっしょになれ」
「え……?」
だからその発言に、トリンは耳を疑った。
「な…なに言ってんの……?」
「そんで、たくさん子供を産め。たくさん子供を産んで、もっともっとイェルフを増やせ」
からかっているのではない。
ジイロの顔は真剣だった。
不意にトリンの視界がぼやけた。
彼は本当に真剣なのだ。
「いつか俺が、おまえたちを迎えにくる。そのときまでに、もっと仲間を増やしとけ。人間に負けないくらいにな」
「そんなの……」
「俺が無理でも、俺の子供が、必ずおまえたちの子供を迎えにくる。だからそれまで……」
ジイロは言葉を詰まらせた。
「それまで待ってろ」
トリンの頬を、涙がひと筋、伝って落ちた。ジイロの顔がよく見えなかった。
それがもどかしくて、トリンは何度も目を擦った。擦っても擦っても、彼の顔は見えなかった。何か言おうとして、言葉さえ浮かばなかった。
「やっぱり行くんだな」
アコイは呆れた様子で、ジイロを見つめている。
「何だよ、お見通しかよ」
「おまえのことなら、何でも知ってるつもりだ」
止めても聞きやしないこともな。アコイはそうぼやき、ジイロは苦笑した。
「トリンを頼む」
「おまえに言われるまでもないよ」
「それと部族のみんなもな」
「シダおばさんは?」
「ありゃ、殺したって死なねえさ」
「同感だ」
兄弟は互いに笑いあった。
ひとしきり笑った後、アコイは息を吐いた。
「本当におまえは、子供の頃から変わらないな」
「そうか?」
「待ってるぞ」
「ああ」
ジイロは二人に背を向けると、歩きだした。
声を掛けようとして、アコイは口を開いたが……言葉は意味をくれなかった。
「待ってよ!」
トリンが涙を振り払うように、大声で叫んだ。
「なんでよ……なんで勝手に行っちゃうのよ! ジイロのばか! ばか!」
その声が届いたのだろうか。ジイロが背を向けたまま、片手を挙げた。
「ばか……」
もう一度、トリンは呟いた。
泣きながら。
(第二部 完)
「ジイロったら……人を呼びだしといて、何やってんのよ」
トリンはすっかりお冠である。
横目で見ながら、アコイは微笑を浮かべた。
食糧もろくになく、満足に眠れない日々も続いたせいか、一時トリンは体調を崩していた。今はそれも快復して、持ち前の明るさを取り戻している。
「ちょっとアコイ、何笑ってんのよ」
「何でもないよ」
憮然とするトリンだが、アコイの笑みに釣られるように笑った。
笑ったのは久しぶりだ。
風が二人の間を走り抜ける。
木々が揺れ、夏の匂いを漂わせた。
「もう、一年も経つのね」
「ああ」
「始めはどうなることかと思ったけど」
あの夜のことは、まだ鮮明に覚えている。戦火に落ちる家や、同胞たちの悲鳴。目の前で殺された赤子の姿。
「一年で、ここまで住めるようにしたんだ。凄いことだよ」
「みんな必死で頑張ったもんね。ジイロなんか、ほんとに死に物狂いって感じだったし」
「そうだな。そんな奴だよな、あいつは」
「あっ、もちろんアコイだって頑張ってたからねっ」
「思いだしてくれて嬉しいよ」
「もうっ、そういうんじゃなくて……」
慌てて弁明するトリンに、アコイはまた微笑んでみせる。
「ところでトリン、先延ばしになってたあの話なんだけど……」
「えっ?」
そのとき草むらが揺れ、ようやくジイロが姿を見せた。
「遅いじゃないの。何やって……」
文句を言いかけて、トリンは困惑した。
ジイロが旅装を整えていたからだ。
「よう」
腰の曲刀が、鳴る。
「俺、行くわ」
ジイロは言った。
「行くって、どこへ?」
トリンは怪訝な顔で訊いた。
「さあな」
「何よ、さあなって……」
「そうだな。さしずめ、俺の夢が実現できるところへ、ってとこかな」
「夢って?」
「イェルフの国を造るんだよ」
「あんた、まだそんなこと言ってんの!?」
トリンは思わず声をうわずらせた。
「そんなもの、できる訳ないじゃない!」
「やってみなきゃ、判んねえだろ」
「判るわよ!」
前にも、こんな会話を交わしたような気がする。
ジイロはあのときと同じように、目を輝かせていた。
「そりゃ、今すぐには無理だ。でも、いつかきっと……必ず造ってみせる。イェルフだけの国を。みんなのために。おまえのために」
「わたしの……」
その言葉に、トリンは頬を赤らめた。
ジイロは、寂しげに微笑んだ。
彼がそんなふうにして笑うところを、トリンは初めて見たような気がした。
「おまえは、アコイといっしょになれ」
「え……?」
だからその発言に、トリンは耳を疑った。
「な…なに言ってんの……?」
「そんで、たくさん子供を産め。たくさん子供を産んで、もっともっとイェルフを増やせ」
からかっているのではない。
ジイロの顔は真剣だった。
不意にトリンの視界がぼやけた。
彼は本当に真剣なのだ。
「いつか俺が、おまえたちを迎えにくる。そのときまでに、もっと仲間を増やしとけ。人間に負けないくらいにな」
「そんなの……」
「俺が無理でも、俺の子供が、必ずおまえたちの子供を迎えにくる。だからそれまで……」
ジイロは言葉を詰まらせた。
「それまで待ってろ」
トリンの頬を、涙がひと筋、伝って落ちた。ジイロの顔がよく見えなかった。
それがもどかしくて、トリンは何度も目を擦った。擦っても擦っても、彼の顔は見えなかった。何か言おうとして、言葉さえ浮かばなかった。
「やっぱり行くんだな」
アコイは呆れた様子で、ジイロを見つめている。
「何だよ、お見通しかよ」
「おまえのことなら、何でも知ってるつもりだ」
止めても聞きやしないこともな。アコイはそうぼやき、ジイロは苦笑した。
「トリンを頼む」
「おまえに言われるまでもないよ」
「それと部族のみんなもな」
「シダおばさんは?」
「ありゃ、殺したって死なねえさ」
「同感だ」
兄弟は互いに笑いあった。
ひとしきり笑った後、アコイは息を吐いた。
「本当におまえは、子供の頃から変わらないな」
「そうか?」
「待ってるぞ」
「ああ」
ジイロは二人に背を向けると、歩きだした。
声を掛けようとして、アコイは口を開いたが……言葉は意味をくれなかった。
「待ってよ!」
トリンが涙を振り払うように、大声で叫んだ。
「なんでよ……なんで勝手に行っちゃうのよ! ジイロのばか! ばか!」
その声が届いたのだろうか。ジイロが背を向けたまま、片手を挙げた。
「ばか……」
もう一度、トリンは呟いた。
泣きながら。
(第二部 完)
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