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第6幕
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昼を過ぎて、入間宿に到着した。
武蔵野の土は乾燥していて、水場が少ない。
小高い丘陵からは、草原が地平の果てまで続いているような、壮観な景色を望むことができる。
ここまで何事もなく来られたのは僥倖だった。
戦のせいで、村々や宿場の空気は張り詰めている。一歩外に出れば、野には北条の残党や、それを狙う野伏もいる。
武蔵野の原野が、不安と緊張の最中にあった。
ここ入間宿も、人も少なく寂しげである。いつもなら坂東や信濃からの旅人で賑わっているのだが。
一件の宿屋の前で、照隠は立ち止まった。ちょうどなかから、三十過ぎの細身の女が出てきて、照隠の顔を見るなり驚きの声をあげた。
「和尚じゃありませんか」
おきりという名で、女だてらにこの宿屋を切り盛りしている。格別に美人というのでもないが、愛嬌のある女だ。
「この前、鎌倉に向かったばかりじゃあ」
鎌倉に向かって南下している途中……つまり由茄と出会う数日前に、照隠はこの宿屋に逗留していたのだ。
「事情があって引き返してきた」
そのおきりの視線が、背後に控える由茄の姿を捕らえる。
「あらあら、美しい娘さんですこと」
揶揄するような口調で、照隠と由茄を見比べるのである。
「美しいけれど、まるで死人のようでございますなあ」
照隠は身を強張らせた。
その言葉が、やけに鮮明に残ってしまった。
おきりの宿屋に荷を置くと、照隠は一人で入間川のほとりに足を運んだ。
流れは緩やかである。おきりの話では、数日前まで、死骸が流れてくることもあったらしい。
そのおきりが、彼の跡を追うようにしてやってきた。
「鎌倉が落ちたというのは、真なのか」
「そのようにございます」
世間話でもするような顔つきで、二人は話しだした。話し声は川の音に消され、よほど近付きでもしないと聞こえない。
「まさか、ここまで新田が強いとはな」
そう呟いてから、照隠は入間川を睨みつける。
川の流れが、少し急になった気がした。
「詳しいことは存じませんが、足利の一党も鎌倉攻めに加わっていたという話があります」
「なるほど。抜け目ないことだ」
新田と足利の名が連なれば、日和見だった周辺の武家もこぞって同心したことだろう。
それにしても早い決着であることには変わりないが。
「得宗家は間違いなく死んだのか」
「はい。一族一党も共に果てたと聞いております」
「首は……」
「はい?」
「得宗家の首はどうなった」
「首でございますか。そこまではさすがに……」
おきりは質問の意図を汲みかねて、首を傾げた。
「すまぬ、忘れてくれ」
「はあ」
咳払いをした照隠に対して、おきりはさらなる一報を付け加えた。
京の六波羅探題にいた幕府軍も、すでに壊滅したという報だ。
「何という目まぐるしさだ」
これで幕府は、完全に瓦解したと言っていいだろう。
もはや鎌倉に用はない。
「鎌倉に向かわなくてもよろしいのですか」
「落ちたとなれば、わざわざ参る必要もなかろう」
「これからどうなさるおつもりで」
照隠は、川を見つめたまま、しばらく答えない。
「由茄殿を故郷にお連れする」
「ずいぶんご執心でございますこと」
「年寄りの冷や水と、からこうておるのか。まあ、それも当然かもしれんな」
苦笑いとも、自嘲ともつかない笑みを、口元に浮かべる。
「とんだご無礼を」
おきりは口に手を当てて笑う。だが、瞳の奥では笑っていない。
「あの由茄という御方は……」
「わしの遠縁の娘だ」
おきりの問いを途中で遮ると、照隠は彼女から目を逸らした。
「…………」
おきりも口を閉ざし、しばらく二人は川の流れを眺めた。
「わたしが、口を出すことではありませんねえ」
川のせせらぎが身を包む。
息を吸い込むと、すっとするような冷気が肺に満ちた。
武蔵野の土は乾燥していて、水場が少ない。
小高い丘陵からは、草原が地平の果てまで続いているような、壮観な景色を望むことができる。
ここまで何事もなく来られたのは僥倖だった。
戦のせいで、村々や宿場の空気は張り詰めている。一歩外に出れば、野には北条の残党や、それを狙う野伏もいる。
武蔵野の原野が、不安と緊張の最中にあった。
ここ入間宿も、人も少なく寂しげである。いつもなら坂東や信濃からの旅人で賑わっているのだが。
一件の宿屋の前で、照隠は立ち止まった。ちょうどなかから、三十過ぎの細身の女が出てきて、照隠の顔を見るなり驚きの声をあげた。
「和尚じゃありませんか」
おきりという名で、女だてらにこの宿屋を切り盛りしている。格別に美人というのでもないが、愛嬌のある女だ。
「この前、鎌倉に向かったばかりじゃあ」
鎌倉に向かって南下している途中……つまり由茄と出会う数日前に、照隠はこの宿屋に逗留していたのだ。
「事情があって引き返してきた」
そのおきりの視線が、背後に控える由茄の姿を捕らえる。
「あらあら、美しい娘さんですこと」
揶揄するような口調で、照隠と由茄を見比べるのである。
「美しいけれど、まるで死人のようでございますなあ」
照隠は身を強張らせた。
その言葉が、やけに鮮明に残ってしまった。
おきりの宿屋に荷を置くと、照隠は一人で入間川のほとりに足を運んだ。
流れは緩やかである。おきりの話では、数日前まで、死骸が流れてくることもあったらしい。
そのおきりが、彼の跡を追うようにしてやってきた。
「鎌倉が落ちたというのは、真なのか」
「そのようにございます」
世間話でもするような顔つきで、二人は話しだした。話し声は川の音に消され、よほど近付きでもしないと聞こえない。
「まさか、ここまで新田が強いとはな」
そう呟いてから、照隠は入間川を睨みつける。
川の流れが、少し急になった気がした。
「詳しいことは存じませんが、足利の一党も鎌倉攻めに加わっていたという話があります」
「なるほど。抜け目ないことだ」
新田と足利の名が連なれば、日和見だった周辺の武家もこぞって同心したことだろう。
それにしても早い決着であることには変わりないが。
「得宗家は間違いなく死んだのか」
「はい。一族一党も共に果てたと聞いております」
「首は……」
「はい?」
「得宗家の首はどうなった」
「首でございますか。そこまではさすがに……」
おきりは質問の意図を汲みかねて、首を傾げた。
「すまぬ、忘れてくれ」
「はあ」
咳払いをした照隠に対して、おきりはさらなる一報を付け加えた。
京の六波羅探題にいた幕府軍も、すでに壊滅したという報だ。
「何という目まぐるしさだ」
これで幕府は、完全に瓦解したと言っていいだろう。
もはや鎌倉に用はない。
「鎌倉に向かわなくてもよろしいのですか」
「落ちたとなれば、わざわざ参る必要もなかろう」
「これからどうなさるおつもりで」
照隠は、川を見つめたまま、しばらく答えない。
「由茄殿を故郷にお連れする」
「ずいぶんご執心でございますこと」
「年寄りの冷や水と、からこうておるのか。まあ、それも当然かもしれんな」
苦笑いとも、自嘲ともつかない笑みを、口元に浮かべる。
「とんだご無礼を」
おきりは口に手を当てて笑う。だが、瞳の奥では笑っていない。
「あの由茄という御方は……」
「わしの遠縁の娘だ」
おきりの問いを途中で遮ると、照隠は彼女から目を逸らした。
「…………」
おきりも口を閉ざし、しばらく二人は川の流れを眺めた。
「わたしが、口を出すことではありませんねえ」
川のせせらぎが身を包む。
息を吸い込むと、すっとするような冷気が肺に満ちた。
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