冬王と鞠姫

チゲン

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序話

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 源氏が勝とうが平氏が負けようが、それで冬王ふゆおうの腹がふくれることはない。
 現世うつしよことわりは、人間の営みなど意にも介さずに地表を飲み込む。ならば腹が減り、眠り、他者を憎む行為は、人の身勝手な情念なのだろうか。
 宵闇よいやみに包まれた大路。
 辻々に配置された篝火かがりびの炎が、潮を含んだ夜風に揺れている。
 昼間の喧騒けんそうが嘘のように、大都鎌倉は息を潜めていた。時折篝火からぜる火のだけが、ここがまだ現世であるということを懸命に言い立てている。現世であれかしと。
「ん……?」
 血の匂いに気付いて、少年冬王ふゆおうは足を止めた。
 誰かが倒れている。
 腰の短刀に手を掛けつつ、慎重しんちょうに近寄っていった。
「う……」
 思わず空いていた方の手で鼻を覆う。
 それはむくろだった。
 細い刃物のようなもので体中を切り刻まれている。
 身なりからして、どうやら武士のようだ。どこの家中の者かは判らないが、恐怖と苦痛に顔をゆがませたまま事切れていた。
「近くにいる」
 冬王はそう判断した。骸からは、まだ生暖かい血が流れていたからだ。
「!」
 かすかな悲鳴が耳朶じだを打った。
「あっちか!」
 冬王は顔を上げると、音の聞こえた方へ向けて駆けだした。よどんだ空気を切り裂く、疾風しっぷうのような勢いで。
 篝火が揺れ、火の粉が爆ぜた。

 (序話 完)
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