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第一話 冬王と鞠姫
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その日の夜。
溜め息交じりに、冬王は人気のなくなった鎌倉の町を歩いていた。
異形は夜に多く出る。故に人々は日が落ちると家に閉じこもり、早々に火明かりを消してしまう。
外で多少の物音がしても……例え助けを呼ぶ声が聞こえても、決して戸を開けてはならない。
「まったく」
篝火に照らされた仄暗い道を歩きながら、冬王は再び溜め息を吐く。
目下、彼の頭を悩ませる問題は二つ。
ひとつ目は幕府の番兵による巡回。
犠牲者が増え始めて、ようやく幕府も異形対策に重い腰を上げていた。番兵による深夜の見回りもその一貫である。
庶民にとっては頼もしい限りだが、冬王にとってはありがた迷惑だった。もし見付かれば、昨夜のように不審者として追われてしまうからだ。
そして二つ目。
「いつまでついてくる気だよ」
冬王は強い口調で、背後の闇に声をかけた。正確には闇ではなく、彼が振り向いた瞬間に物影へ隠れた人物に向かって。
「……」
「バレバレなんだよ。いいから出てこいって」
すると物影から、小柄な少女が、決まり悪げな顔をしながら姿を現した。
「おまえさあ、跡つけるんなら、せめてもうちょっとうまくやってくれよ」
「……うまくやっておりました」
「どこがだよ」
「やっておりました」
小柄な少女……鞠が、拗ねたようにそっぽを向く。
冬王は溜め息を吐いた。
今朝のやりとりを思いだす。
「異形退治に連れてけぇ?」
冬王はまたか、と呆れて嘆息した。
「さすがに冗談よね?」
なづるが若干強張った笑みを浮かべて問い返す。
「いいえ、冗談などではありません」
鞠はきっぱりと否定した。
「私は何としても異形を人に戻さなければならないのです」
どうやら本気らしい。
「その……何があったか知らないけど」
なづるは少し困ったように、子供を諭すような優しい口調で鞠に言い含めた。
「危険すぎるわ。あなたも、夕べのことでそれは判ったでしょ?」
「……」
あれほど恐ろしい思いをしたのだ。大の大人でも、しばらく表を出歩く気にさえならないだろうに。
「確かに、私の見立てが甘かったのは認めます。でもだからこそ、冬王の力を借りたいのです」
「俺の力?」
「冬王の……異形を退けるほどの力です」
「力って何のことだよ」
冬王がわざとらしく恍ける。だが鞠は、かぶりを振って否定した。
「ごまかさないで下さい。冬王があの刀で斬りつけたときだけ、異形が苦しんでいたではありませんか」
「……気付いてたのか」
冬王の短刀は、新熊野という銘の妖刀だった。異形を斬ることができる数少ない刀である。これが無ければ、いくら冬王とて異形を屠ることはできない。
「ダメよ」
横合いから、なづるがきっぱりと言い放った。
「例え冬王がいっしょだったとしても、危険なことに変わりはないわ。相手は異形だし、何があるか判らない。ほんとは冬王にだって、異形退治なんてやってほしくないんだから」
「おい俺は……」
思わず冬王の方が反論しかける。が、なづるに目で制された。
「……承知しました」
案外素直に、鞠は説得を受け入れた。
「無理を言ってしまいました。どうか忘れて下さい」
「いいのよ」
「では私は失礼します」
必死だった割りには、あっさり引き下がってくれた。
とにかく冬王もなづるも、ほっとしながら鞠を見送った。
てっきり、それで諦めたと高をくくっていた。
「頼むからさっさと帰れ」
「嫌です」
頑なに鞠は拒絶する。
「ほんとに死ぬぞ」
しかも楽に死ねるとは限らない。四肢を引きちぎられたり、生きながら腸を喰われたという話もある。
「だいたい異形を人に戻すなんて、できる訳ねえんだよ」
「ですから、それを試してみたいのです」
「遊びじゃねえんだぞ」
「それくらい判っています」
「じゃあ、どうやるんだよ?」
「どうって……口では説明できません」
「あのなあ」
冬王は頭を掻きむしった。
「世迷い言もたいがいにしろよ」
「私は本気です!」
「本気って……」
「私にはこれしかないのです」
そう呟いて、思い詰めたように拳を握りしめる。
「……」
判らない。何が彼女をここまで駆り立てるのか。
『おまえみたいなガキに異形退治なんかできる訳がねえ』
ある人に言われた言葉が蘇る。あのとき感じた悔しさも。
「くそ」
再び乱暴に頭を掻く。
「いいよ、もう。送ってってやるから、家まで案内しろよ」
「ですから……」
「今晩は終いだ。昨日の今日じゃ、どうせ見つかりっこねえし」
「そうなのですか?」
いくら頻発していると言っても、さすがにそう毎日毎晩出没する訳ではない。まして広い鎌倉で、そうそう都合よく遭遇できる訳がなかった。
昨夜の異形も、噂をもとに数日かけてやっと見つけたのだ。
「ですが……」
鞠が何か考え込んでいる。
「夕べの異形には、恐らくすぐに出会えると思います」
「はァ?」
妙に確信めいた物言いに、冬王は首を捻った。
「だから、そう簡単に見つけられんなら苦労……!」
そこまで言って、体が硬直する。
生ぬるい風が吹いてきた。
通りの先から、何者かがゆっくりと近付いてくる。
「まさか……」
微かな腐臭。これは血の匂いだ。
「北条ノ匂イガスル」
掠れた声が耳朶を打った。
暗闇から、のそりとそいつが姿を現す。
伸び放題の髪と髭。さながら刃のように長く伸びた爪。
眼窩の奥に光る、赤黒い眼。
口から溢れる瘴気のような息。
「昨日の異形……」
「北条ノ匂イガスル」
異形が呟く。
冬王は腰の短刀を抜いた。
「ほんとに現れやがった」
信じられないが、鞠の言った通りになってしまった。腑に落ちない部分はあるが、今はこの好機に感謝したい。
「ブッ殺してやるぜ」
舌舐めずりをする。
「冬王、待って下さい。あの方を殺めては……」
「うるせえ。引っ込んでろ!」
しゃしゃり出ようとする鞠を一喝した。
短刀を握る手に力を込める。体が熱を帯びてくる。
「さあやろうぜ、化け物!」
「オオオッ!」
異形が跳ね、冬王の短刀がきらめいた。
溜め息交じりに、冬王は人気のなくなった鎌倉の町を歩いていた。
異形は夜に多く出る。故に人々は日が落ちると家に閉じこもり、早々に火明かりを消してしまう。
外で多少の物音がしても……例え助けを呼ぶ声が聞こえても、決して戸を開けてはならない。
「まったく」
篝火に照らされた仄暗い道を歩きながら、冬王は再び溜め息を吐く。
目下、彼の頭を悩ませる問題は二つ。
ひとつ目は幕府の番兵による巡回。
犠牲者が増え始めて、ようやく幕府も異形対策に重い腰を上げていた。番兵による深夜の見回りもその一貫である。
庶民にとっては頼もしい限りだが、冬王にとってはありがた迷惑だった。もし見付かれば、昨夜のように不審者として追われてしまうからだ。
そして二つ目。
「いつまでついてくる気だよ」
冬王は強い口調で、背後の闇に声をかけた。正確には闇ではなく、彼が振り向いた瞬間に物影へ隠れた人物に向かって。
「……」
「バレバレなんだよ。いいから出てこいって」
すると物影から、小柄な少女が、決まり悪げな顔をしながら姿を現した。
「おまえさあ、跡つけるんなら、せめてもうちょっとうまくやってくれよ」
「……うまくやっておりました」
「どこがだよ」
「やっておりました」
小柄な少女……鞠が、拗ねたようにそっぽを向く。
冬王は溜め息を吐いた。
今朝のやりとりを思いだす。
「異形退治に連れてけぇ?」
冬王はまたか、と呆れて嘆息した。
「さすがに冗談よね?」
なづるが若干強張った笑みを浮かべて問い返す。
「いいえ、冗談などではありません」
鞠はきっぱりと否定した。
「私は何としても異形を人に戻さなければならないのです」
どうやら本気らしい。
「その……何があったか知らないけど」
なづるは少し困ったように、子供を諭すような優しい口調で鞠に言い含めた。
「危険すぎるわ。あなたも、夕べのことでそれは判ったでしょ?」
「……」
あれほど恐ろしい思いをしたのだ。大の大人でも、しばらく表を出歩く気にさえならないだろうに。
「確かに、私の見立てが甘かったのは認めます。でもだからこそ、冬王の力を借りたいのです」
「俺の力?」
「冬王の……異形を退けるほどの力です」
「力って何のことだよ」
冬王がわざとらしく恍ける。だが鞠は、かぶりを振って否定した。
「ごまかさないで下さい。冬王があの刀で斬りつけたときだけ、異形が苦しんでいたではありませんか」
「……気付いてたのか」
冬王の短刀は、新熊野という銘の妖刀だった。異形を斬ることができる数少ない刀である。これが無ければ、いくら冬王とて異形を屠ることはできない。
「ダメよ」
横合いから、なづるがきっぱりと言い放った。
「例え冬王がいっしょだったとしても、危険なことに変わりはないわ。相手は異形だし、何があるか判らない。ほんとは冬王にだって、異形退治なんてやってほしくないんだから」
「おい俺は……」
思わず冬王の方が反論しかける。が、なづるに目で制された。
「……承知しました」
案外素直に、鞠は説得を受け入れた。
「無理を言ってしまいました。どうか忘れて下さい」
「いいのよ」
「では私は失礼します」
必死だった割りには、あっさり引き下がってくれた。
とにかく冬王もなづるも、ほっとしながら鞠を見送った。
てっきり、それで諦めたと高をくくっていた。
「頼むからさっさと帰れ」
「嫌です」
頑なに鞠は拒絶する。
「ほんとに死ぬぞ」
しかも楽に死ねるとは限らない。四肢を引きちぎられたり、生きながら腸を喰われたという話もある。
「だいたい異形を人に戻すなんて、できる訳ねえんだよ」
「ですから、それを試してみたいのです」
「遊びじゃねえんだぞ」
「それくらい判っています」
「じゃあ、どうやるんだよ?」
「どうって……口では説明できません」
「あのなあ」
冬王は頭を掻きむしった。
「世迷い言もたいがいにしろよ」
「私は本気です!」
「本気って……」
「私にはこれしかないのです」
そう呟いて、思い詰めたように拳を握りしめる。
「……」
判らない。何が彼女をここまで駆り立てるのか。
『おまえみたいなガキに異形退治なんかできる訳がねえ』
ある人に言われた言葉が蘇る。あのとき感じた悔しさも。
「くそ」
再び乱暴に頭を掻く。
「いいよ、もう。送ってってやるから、家まで案内しろよ」
「ですから……」
「今晩は終いだ。昨日の今日じゃ、どうせ見つかりっこねえし」
「そうなのですか?」
いくら頻発していると言っても、さすがにそう毎日毎晩出没する訳ではない。まして広い鎌倉で、そうそう都合よく遭遇できる訳がなかった。
昨夜の異形も、噂をもとに数日かけてやっと見つけたのだ。
「ですが……」
鞠が何か考え込んでいる。
「夕べの異形には、恐らくすぐに出会えると思います」
「はァ?」
妙に確信めいた物言いに、冬王は首を捻った。
「だから、そう簡単に見つけられんなら苦労……!」
そこまで言って、体が硬直する。
生ぬるい風が吹いてきた。
通りの先から、何者かがゆっくりと近付いてくる。
「まさか……」
微かな腐臭。これは血の匂いだ。
「北条ノ匂イガスル」
掠れた声が耳朶を打った。
暗闇から、のそりとそいつが姿を現す。
伸び放題の髪と髭。さながら刃のように長く伸びた爪。
眼窩の奥に光る、赤黒い眼。
口から溢れる瘴気のような息。
「昨日の異形……」
「北条ノ匂イガスル」
異形が呟く。
冬王は腰の短刀を抜いた。
「ほんとに現れやがった」
信じられないが、鞠の言った通りになってしまった。腑に落ちない部分はあるが、今はこの好機に感謝したい。
「ブッ殺してやるぜ」
舌舐めずりをする。
「冬王、待って下さい。あの方を殺めては……」
「うるせえ。引っ込んでろ!」
しゃしゃり出ようとする鞠を一喝した。
短刀を握る手に力を込める。体が熱を帯びてくる。
「さあやろうぜ、化け物!」
「オオオッ!」
異形が跳ね、冬王の短刀がきらめいた。
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