冬王と鞠姫

チゲン

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第一話 冬王と鞠姫

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 右爪の重い一撃を、短刀の刀身で受け止める。
 風のうねりを感じて背後へ跳びすさった。異形の左腕の突きが空を切った。
「ウウ……」
 異形が体を捻り、苦しげにうめいた。背の傷が痛むらしい。そのためか動きにも切れがなかった。
「いける」
 冬王は心中でほくそ笑んだ。
 再び異形が飛びかかってきた。
 その足元に潜り込み、左のももを斬りつけた。異形が悲鳴をあげて、バランスを崩した。
 流れるような動作で斬り上げる。左手の爪を五本とも一気に切断した。
 異形が怯んだ隙に、背後に回り込み、今度は右腕に短刀を走らせる。
 二の腕をざっくりと切り裂いた。肉が裂け、どす黒い血が飛び散り、異形がまた絶叫をあげた。
 一旦離れて呼吸を整える。
「どうしたよ。もう終わりか?」
 冬王が余裕の笑みを浮かべ、異形を挑発する。
 その言葉を理解したのかどうか、異形は血が溢れでる右腕を押さえつつ、憎悪に満ちた目を冬王に向けた。
「北条ノォ……」
「さっきから北条北条うるせんだよ」
 北条と言えば、この鎌倉どころか日本じゅうで知らぬ者はいない家名だが、少なくとも今の冬王には関係がなかった。所詮しょせん、異形の戯言たわごとだ。
「これで終わりだ」
 トドメのひと太刀を浴びせるべく短刀を構える。
「オオオオオッ!」
 咆哮ほうこうをあげて異形が跳びかかってきた。
 だが遅い。左の拳を易々やすやすかわすと、隙だらけの懐に飛び込む。
 狙うは、その首。貰った。
 だがその短刀の刃を、異形がガチリとくわえこんだ。
「!」
 一瞬動揺した冬王の腹に、左の拳が叩き込まれる。
「がッ!」
 体が軽々と飛ばされ、大路に叩きつけられた。
「ぐ……」
 痛みで意識を失いそうになる。
「くそ……やりやがったな」
 力を振り絞って何とか立ち上がった。だが視界がくらくらと揺れ、姿勢を制御できない。
 まずい。
 異形がゆっくりと近付いてくる。
 このままではられる。
 異形が左腕を振り上げる。
「冬王!」
 いつの間にか、鞠が異形の背後に駆け寄っていた。
「ばか、来るな……」
 のどから声をしぼりだすが、鞠には届かない。
 異形が背後の気配に気付き、振り返ろうとした。だがそれより早く、鞠が手を伸ばして異形の背に触れた。
「ガアッ!」
 その瞬間、異形がびくりとり返った。
「え……」
 冬王は目を疑った。
 鞠が触れた部分から黒いもやが噴きだしていた。まるで肉が焼けげるように。
「ガアァァ……」
 異形は目をき、震えながら、苦悶の声をあげている。
「何だよこれ……」
「これが異形の正体です」
 鞠が告げた。
「アアアアア……」
 その醜悪な形相ぎょうそうが、徐々じょじょに人間のそれに戻りつつあった。
「まさか……」
「もう少しです。もう、少し……あった。きっとこれが核」
 鞠の額から汗が滲みでる。
「行きます!」
 ぎゅっと目を瞑り、まるでそこから何かを送り込むように、掌を強く異形の背に押しつけた。
 次の瞬間、異形の背からひと際大量の靄が飛び散った。
「ぐアッ!」
 異形が白目を剥き、その場に崩れ落ちた。
 いや、その姿はもはや人間そのものだった。髪や髭が伸び放題なこと以外、とくに変哲もない壮年の男だ。
「嘘だろ……」
 冬王は恐る恐る男の顔を覗き込んだ。
 傷だらけだが、まだ息をしている。
「ほんとに元に戻しやがった」
 今度は鞠の顔をまじまじと見つめた。
「良か……」
 微笑みかけた鞠の体が、不意にかしいだ。
「危ねえ!」
 咄嗟に抱き留める。
 柔らかい感触が腕を通して伝わってきた。
「おい」
 息が細い。顔色は蒼白で、体温もずいぶん下がっているようだ。
「しっかりしろ」
「私、うまくできましたよね」
「ああ」
 冬王が頷くと、鞠が満足げに微笑んだ。
「良かった……」
 今にも消え入りそうなほど弱々しい声だったが、安堵に満ちていた。その目蓋まぶたがゆっくり閉じられていく。
「おい、おい」
「ふゆおう」
「何だよ」
「ありがとう……」
 鞠の体から力が抜け、ずしりとした重みが伝わってきた。
「ちょっ……」
 最悪の事態を想定したが、鞠は安らかな寝息を立てていた。どうやら気を失っただけのようだ。
おどかしやがって」
 心の底から安堵の息が漏れた。
「……にしても」
 改めて倒れている男を見やる。
 返す返すも信じられない。幻を見せられているかのようだ。
「世迷い言じゃなかったんだな」
 腕のなかで安心したように眠る鞠を見て、少し困る。
「うーん、どうすりゃいいんだ」
 まずは彼女をどこかで休ませる必要があるだろう。さすがに地べたに寝かせるというのは酷だ。だがこの男を放っておくのも気掛かりだ。
「一旦こいつをウチに連れて帰ってから、また戻ってくるか」
「その必要はない」
「!」
 不意に、背後で何者かの声がした。
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