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48 水美
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お腹の中の子供は順調に育っていった。理沙は一回生を終えたところで休学。長谷川家が用意してくれた広いマンションに移り住んだ。
しばらく僕は蒼士と住んでいた部屋と理沙の新居、二つを行き来する生活を送っていたが、五月頃に蒼士も引っ越して三人での生活が始まった。
伯父には本当のことを話しておいた。僕たちが特殊な家庭のあり方を作ることについては思うところもあるようだったが、美月が幸せなら、とまとまったお金を渡してくれた。その出所は聞かなかったけれど、おそらく蒼士が担保として預けていたものであろうことは想像がついた。
性別もわかった。男の子なのは間違いないだろうということだった。祖父にあたる蒼士と理沙の父親が名付けの案を出した。水美という。
「美月さんの字、一文字入れてくれてるし、なんだかんだでお父さん考えてくれたんやな」
つわりが酷い時期もあって、僕は理沙が食べられそうなものを探すのに奔走した。それが治まり、静かな妊婦生活を送る理沙であったが、こんなことがわかった。
「逆子やねんて……このままやと帝王切開になるみたい」
「お腹切るんか……」
「こわいけど、理沙頑張る」
水美の位置は臨月になってもそのままだった。それで、手術の日取りが決まったのだが、それは八月二十日だった。
「美月と同じ誕生日になるんかいな」
蒼士は理沙の腹をさすって笑った。こんな偶然もあるものだ。もう胎児は外からの音が聞こえているからと、蒼士はしつこく伯父さんやでぇ等と話しかけており、声を覚えてもらうのに必死であった。
理沙と一緒にベビー用品を揃えた。育児というものはこんなにも金がかかるのかと僕は驚いた。ベビーベッドに抱っこ紐に哺乳瓶に産着に、部屋の中はすっかり子供仕様になった。
理沙が入院し、後は無事に手術が終わるのを待つだけ。僕は落ち着かなかった。育児書は揃えたしネットでも調べたし、準備ならいくらでもしていたつもりだったのだが、いざとなると上手くできるか心配だった。
初めて水美を抱っこした時のことを僕は生涯忘れないだろう。手も足も小さくて、けれどもしっかりと人の形をしていて、ジタバタと動かして大きな声で泣くものだから、僕は頭を固定してゆっくりと揺らした。
「理沙……よう頑張ったなぁ」
「うん。これからよろしくね、パパ」
仕事が終わった蒼士も駆けつけてきて、デレデレと水美の頬を触った。
「可愛いなぁ……伯父さんがたっぷり面倒見たるからなぁ……」
入院中に沐浴のやり方を教わった。ガーゼを濡らしてこわごわと拭いた。水美はぽやんと視線をさまよわせており、自分に何が起こっているのかわかっていないようだった。赤子とはそんなもんだ。
よその人からパパだお父さんだと呼ばれるので、それがむずがゆかった。水美もいずれ喋るようになれば僕をそう呼ぶのだろう。
帰宅してから僕は本当の地獄を見ることになった。育児というのは本当に寝れない。まるで寝れない。何をやってもふえふえ泣くし、目を閉じたのでベッドにおろすと途端に起きるし、吐くし漏らすから洗濯機はフル稼動だし、僕も理沙もげっそりしていった。
しかし、蒼士が家事を一手に引き受けてくれた。買い物もメシの支度も掃除も全部。とにかく睡眠時間が欲しいと漏らした僕と理沙を寝かせてくれ、休みの日に水美を連れて半日ほど外出してくれることもあった。
蒼士がバカなのは知っていたが本当にバカだった。伯父バカだ。自分に似て青みがかった瞳になってきたのが拍車をかけたのか、他の赤子と比べて水美が一番だとか将来男前になるだとかとにかく褒めまくっていた。
写真も動画もたくさん残した。水美と一緒に写る自分の姿はどこか別人のようだった。カスみたいな人生を送っていた僕が親になるだなんて、昔の自分に言っても信じてくれないだろう。
「二人とも、たまには外行ってきたら?」
理沙が気を効かせてそう行ってくれることもあった。
「ほんまに大丈夫か、昨日もほとんど理沙寝てへんやん」
「大丈夫やって。理沙も後で息抜きさせてや。それでおあいこ」
蒼士が行きたがったのはラブホテルだった。三大欲求が睡眠欲に傾いていたのでほどほどにしてもらおうと思いながら入ったのだが、キスをされるとたちまち感覚を思い出してしまった。
「蒼士っ……」
「すーぐ目ぇとろけてきたなぁ……父親になっても美月はやらしいなぁ」
蒼士でないと与えてもらえないものがたくさんあった。僕の身体を知り尽くしているのは蒼士だけ。
「可愛い声たくさん聞かせてやぁ……?」
「んっ……」
終わると僕は蒼士に腕枕をされて寝てしまった。しまったと思って蒼士を見つめると、僕の髪を撫でて言ってくれた。
「よう寝とったなぁ」
「ごめん、蒼士」
「ええんやで。寝顔見とったら時間あっという間に過ぎたわ」
帰りに理沙の喜びそうな少し高めのチョコレートを買った。帰宅すると理沙は水美を抱っこしたままソファでうつらうつらしていて、僕たちの顔を見るとふわぁとあくびをした。
「ありがとうなぁ、理沙」
「ええんよ。美月さんもお兄ちゃんもいつも頑張ってくれとうし」
水美はすくすくと成長していった。初めて歩いた時はよろけた水美を僕が受け止めた。そうして水美は一歳の誕生日を迎えた。
しばらく僕は蒼士と住んでいた部屋と理沙の新居、二つを行き来する生活を送っていたが、五月頃に蒼士も引っ越して三人での生活が始まった。
伯父には本当のことを話しておいた。僕たちが特殊な家庭のあり方を作ることについては思うところもあるようだったが、美月が幸せなら、とまとまったお金を渡してくれた。その出所は聞かなかったけれど、おそらく蒼士が担保として預けていたものであろうことは想像がついた。
性別もわかった。男の子なのは間違いないだろうということだった。祖父にあたる蒼士と理沙の父親が名付けの案を出した。水美という。
「美月さんの字、一文字入れてくれてるし、なんだかんだでお父さん考えてくれたんやな」
つわりが酷い時期もあって、僕は理沙が食べられそうなものを探すのに奔走した。それが治まり、静かな妊婦生活を送る理沙であったが、こんなことがわかった。
「逆子やねんて……このままやと帝王切開になるみたい」
「お腹切るんか……」
「こわいけど、理沙頑張る」
水美の位置は臨月になってもそのままだった。それで、手術の日取りが決まったのだが、それは八月二十日だった。
「美月と同じ誕生日になるんかいな」
蒼士は理沙の腹をさすって笑った。こんな偶然もあるものだ。もう胎児は外からの音が聞こえているからと、蒼士はしつこく伯父さんやでぇ等と話しかけており、声を覚えてもらうのに必死であった。
理沙と一緒にベビー用品を揃えた。育児というものはこんなにも金がかかるのかと僕は驚いた。ベビーベッドに抱っこ紐に哺乳瓶に産着に、部屋の中はすっかり子供仕様になった。
理沙が入院し、後は無事に手術が終わるのを待つだけ。僕は落ち着かなかった。育児書は揃えたしネットでも調べたし、準備ならいくらでもしていたつもりだったのだが、いざとなると上手くできるか心配だった。
初めて水美を抱っこした時のことを僕は生涯忘れないだろう。手も足も小さくて、けれどもしっかりと人の形をしていて、ジタバタと動かして大きな声で泣くものだから、僕は頭を固定してゆっくりと揺らした。
「理沙……よう頑張ったなぁ」
「うん。これからよろしくね、パパ」
仕事が終わった蒼士も駆けつけてきて、デレデレと水美の頬を触った。
「可愛いなぁ……伯父さんがたっぷり面倒見たるからなぁ……」
入院中に沐浴のやり方を教わった。ガーゼを濡らしてこわごわと拭いた。水美はぽやんと視線をさまよわせており、自分に何が起こっているのかわかっていないようだった。赤子とはそんなもんだ。
よその人からパパだお父さんだと呼ばれるので、それがむずがゆかった。水美もいずれ喋るようになれば僕をそう呼ぶのだろう。
帰宅してから僕は本当の地獄を見ることになった。育児というのは本当に寝れない。まるで寝れない。何をやってもふえふえ泣くし、目を閉じたのでベッドにおろすと途端に起きるし、吐くし漏らすから洗濯機はフル稼動だし、僕も理沙もげっそりしていった。
しかし、蒼士が家事を一手に引き受けてくれた。買い物もメシの支度も掃除も全部。とにかく睡眠時間が欲しいと漏らした僕と理沙を寝かせてくれ、休みの日に水美を連れて半日ほど外出してくれることもあった。
蒼士がバカなのは知っていたが本当にバカだった。伯父バカだ。自分に似て青みがかった瞳になってきたのが拍車をかけたのか、他の赤子と比べて水美が一番だとか将来男前になるだとかとにかく褒めまくっていた。
写真も動画もたくさん残した。水美と一緒に写る自分の姿はどこか別人のようだった。カスみたいな人生を送っていた僕が親になるだなんて、昔の自分に言っても信じてくれないだろう。
「二人とも、たまには外行ってきたら?」
理沙が気を効かせてそう行ってくれることもあった。
「ほんまに大丈夫か、昨日もほとんど理沙寝てへんやん」
「大丈夫やって。理沙も後で息抜きさせてや。それでおあいこ」
蒼士が行きたがったのはラブホテルだった。三大欲求が睡眠欲に傾いていたのでほどほどにしてもらおうと思いながら入ったのだが、キスをされるとたちまち感覚を思い出してしまった。
「蒼士っ……」
「すーぐ目ぇとろけてきたなぁ……父親になっても美月はやらしいなぁ」
蒼士でないと与えてもらえないものがたくさんあった。僕の身体を知り尽くしているのは蒼士だけ。
「可愛い声たくさん聞かせてやぁ……?」
「んっ……」
終わると僕は蒼士に腕枕をされて寝てしまった。しまったと思って蒼士を見つめると、僕の髪を撫でて言ってくれた。
「よう寝とったなぁ」
「ごめん、蒼士」
「ええんやで。寝顔見とったら時間あっという間に過ぎたわ」
帰りに理沙の喜びそうな少し高めのチョコレートを買った。帰宅すると理沙は水美を抱っこしたままソファでうつらうつらしていて、僕たちの顔を見るとふわぁとあくびをした。
「ありがとうなぁ、理沙」
「ええんよ。美月さんもお兄ちゃんもいつも頑張ってくれとうし」
水美はすくすくと成長していった。初めて歩いた時はよろけた水美を僕が受け止めた。そうして水美は一歳の誕生日を迎えた。
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