虚構の影絵

笹森賢二

文字の大きさ
9 / 12

#09 夜の底

しおりを挟む

   ──毎夜、毎夜。
 

 這い回る影
   ──其処に。

 踵を返して足を速めた。遠回りをして帰ろう。一歩でもそっちへ向かいかけた自分を恨んだ。真っ白な服を着た長い黒髪の女が這っていた。具合でも悪いのかと一瞬だけ思ったが、直ぐに違うと分かった。妙に長い手足が波打つように暴れ回っている。振り回しているようにも見えなくないが、絶対に違う。殆ど雑音のない住宅地の外れで、あれだけ暴れるような仕草を、少しの音も立てずにできる訳が無い。
 
 


 見下ろす赤
   ──上から。

 週末、呑み過ぎて終電を逃した。タクシーも捕まらずビジネスホテルも満室だった。仕方なくネットカフェで朝まで時間を潰す事にした。客はそれなりに入っているようだったが、大分遅い時間だったせいか時折いびきが聞こえるくらいで静かなものだった。喫煙席はリクライングシートしか空いていなかったから、ろくに眠れはしないだろうが、どうせ明日は休みだ。始発まで時間を潰してさっさと安アパートに戻ろう。
 割合と居心地は良かった。少し冷房が強いようだったが貸出品の薄いブランケットは柔軟剤の匂いがしたし、珈琲もドリンクも飲み放題だ。食べ物は注文すれば届けて貰えるらしいが、腹は減っていない。適当に動画でも見ながら微睡んでいれば酔いも醒めるだろう。比較的大きなシートの座り心地も悪くない。少しだけ後ろに傾けて、天井を見上げる。まだ酔っているな。僅かばかり頭がぐらつく。それでも泥酔まではしていないか。薄暗い天井、エアコンと、送風機の羽根は三枚か。ブースを区切るパーテーションは二メートルそこそこと言ったところか。パソコンの上は棚になっていて、そこにはナンバーロック式の収納スペースもあった。それなりにはっきりと認識できる。手近にあったメニューを見ると、どうやら酒も注文できるらしい。
 もう一杯くらいならいいかも知れない。
 そう思いながらまた天井を見上げると、何かがあった。パーテーションの上辺りだ。すぐに引っ込んだように見えた。まさか隣のブースから、と思ったが、そんな事もないだろう。弱めのアルコールを注文して、ついでにトイレも済ませた。戻り際に確認すると両隣は空いたらしかった。引き戸は開いていて、片方は店員が掃除をしていた。
 相変わらず冷房が効き過ぎていたが、暑いよりは良いか。適当にブランケットを巻き付けながら届いたアルコールを呷る。暫く画面を眺めながらそうしていると、流石に微睡んできた。一応値段を確認しておく。多少寝過ごしてもホテルに泊まるよりはずっと安く済むようだ。シートをすっかり倒してしまって、足を伸ばす。大きな足置きがあるから思ったよりは楽だ。もしかしたら眠れるかも知れない。
 そんな時だった。コツコツと床を叩く音が聞こえた。足音だろう。時間はもう午前二時を回っている。誰かが出たような足音は聞いていない。新しい客だろうか。その音は隣辺りのブースに入ったようだった。音だけでは判断がつかないが、気にする事もないか。目を閉じる。夜用だろうか、浅く静かな曲が流れていた。鼻は芳香剤の匂いに慣れてしまった。シートの感触も悪くないから耳ばかりが鋭くなる。それも慣れてしまえば眠れるか。
 今度はコンコンと何かを叩くような音が聞こえた。丁度木製のパーテーションを叩くような音だった。回った椅子がパーテーションに当たったのだろう。それ程大きな音じゃない。気にせずに眠ろう。そう思うしかなかった。また足音が聞こえる。叩く音が聞こえる。赤い二つの瞳がパーテーションの上から見ている。固く目を瞑ったまま、朝が来るのを待った。
 
 


 潜む声
   ──吹き抜ける風の隙間に。

 風の強い夜だった。夏の少し手前、季節が不安定なのだろう。気密性も遮音性も無いあばら屋には様々な音が届く。風が窓を叩く音、揺らされた何かが軋む音、何か飛ばされてきたのか、鉄かアルミか何かが転がる音。モグラ避けの風車が回る音。一つ一つが何であるのか理解はできても次に何が来るのか、そもそも次の風がいつ通り抜けるのか分からない。だから気が付かないフリができた。ひひひ、と低く笑う女の声は。
 
 


 小道の幻
   ──延々と続く影との夜。

 住宅街の外れ。囲うように巡る小道の一角。ぽつりぽつりと街灯が並んでいる。左手に住宅街、右手には田畑。寂しい場所だ。夜になれば人通りは無いに等しい。時折車が一台、ヘッドライトで辺りを照らしながら通るぐらいだ。その光の中に、様々なものが居る。足だけの何かが歩いている。複数の骸骨が絡み合って立っている。日傘を翳してにたりと笑う女。草に紛れた苦痛に絶叫するような顔。重なり合って蹲る小さな体。全てを通り過ぎて目当てのコンビニへ入る。光が溢れる店内に幻視は無い。酒と食料をレジにおけば顔を知った店員が応じてくれる。
「大分おつかれのようですね。」
「ああ。」
 そしてまた、光の乏しい道へ戻った。
 
 


 夢と現
   ──夜明けに。

 眠っているのか、起きているのか分からない。とりあえずベッドの上、タオルケットに包まって眠りかけている俺か、すっかり眠ってしまって夢を見ている俺が居る。どっちでも良かった。明日も早い。目を閉じたままの時間が必要だ。
 けれど、意識か、似たようなものがあって、それでも真っ暗なままだと耳が冴える。
 そんな時には不要な客が来る。
 トン、トン。と軽い足音だった。同じリズムで近付いて来る。眠りかけの俺は呆けていて、夢の中の俺はその正体を知っていた。呆けている俺はぼんやりと音を聞いている。夢の中の俺は身構えた。誰かの両手がタオルケットの端をぐっと掴んだ。
 体を起こす。
 呼吸が荒い。
酷い夢だった。
いつもの事か。毎晩同じ事の繰り返しだ。眠ったと思えば妙な夢に叩き起こされる。どうせ時計を見たって二時間と経っていない。近くのデスクにあるケトルに残っていた水をそのまま注ぎ口から飲み込む。ため息を吐きながら煙草を咥える。火を点けて、煙を吐く。真っ白な煙は漂いながら姿を変えた。知りもしない、男の、苦痛に歪んだような顔。
また目を覚ました。
かなり汗をかいていた。
 寝ている間にタオルケットを被ってしまっていたらしい。何も見えなかった。吐きかけた息を飲み込んだ。足音と声が回っている。家の外だろう。いや、ここは二階? いや? ここはどこだ?


 漸く朝になった。熱いコーヒーを飲みながら煙草を二本吸った。時間はまだ余裕がある。とりあえず顔でも洗おう。立ち上がって、やっとここが自分の借りている狭い部屋だと信じられた。洗面台で顔を洗う。適当にかけてあるタオルで顔を拭い、妙な気分させられた。鏡の中、俺の後ろに知らない女が立っている。
 ここは夢か現か、誰か教えてくれないか?
 
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

まばたき怪談

坂本 光陽
ホラー
まばたきをしないうちに読み終えられるかも。そんな短すぎるホラー小説をまとめました。ラスト一行の恐怖。ラスト一行の地獄。ラスト一行で明かされる凄惨な事実。一話140字なので、別名「X(旧ツイッター)・ホラー」。ショートショートよりも短い「まばたき怪談」を公開します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

処理中です...