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#09 夜の底
しおりを挟む──毎夜、毎夜。
這い回る影
──其処に。
踵を返して足を速めた。遠回りをして帰ろう。一歩でもそっちへ向かいかけた自分を恨んだ。真っ白な服を着た長い黒髪の女が這っていた。具合でも悪いのかと一瞬だけ思ったが、直ぐに違うと分かった。妙に長い手足が波打つように暴れ回っている。振り回しているようにも見えなくないが、絶対に違う。殆ど雑音のない住宅地の外れで、あれだけ暴れるような仕草を、少しの音も立てずにできる訳が無い。
見下ろす赤
──上から。
週末、呑み過ぎて終電を逃した。タクシーも捕まらずビジネスホテルも満室だった。仕方なくネットカフェで朝まで時間を潰す事にした。客はそれなりに入っているようだったが、大分遅い時間だったせいか時折いびきが聞こえるくらいで静かなものだった。喫煙席はリクライングシートしか空いていなかったから、ろくに眠れはしないだろうが、どうせ明日は休みだ。始発まで時間を潰してさっさと安アパートに戻ろう。
割合と居心地は良かった。少し冷房が強いようだったが貸出品の薄いブランケットは柔軟剤の匂いがしたし、珈琲もドリンクも飲み放題だ。食べ物は注文すれば届けて貰えるらしいが、腹は減っていない。適当に動画でも見ながら微睡んでいれば酔いも醒めるだろう。比較的大きなシートの座り心地も悪くない。少しだけ後ろに傾けて、天井を見上げる。まだ酔っているな。僅かばかり頭がぐらつく。それでも泥酔まではしていないか。薄暗い天井、エアコンと、送風機の羽根は三枚か。ブースを区切るパーテーションは二メートルそこそこと言ったところか。パソコンの上は棚になっていて、そこにはナンバーロック式の収納スペースもあった。それなりにはっきりと認識できる。手近にあったメニューを見ると、どうやら酒も注文できるらしい。
もう一杯くらいならいいかも知れない。
そう思いながらまた天井を見上げると、何かがあった。パーテーションの上辺りだ。すぐに引っ込んだように見えた。まさか隣のブースから、と思ったが、そんな事もないだろう。弱めのアルコールを注文して、ついでにトイレも済ませた。戻り際に確認すると両隣は空いたらしかった。引き戸は開いていて、片方は店員が掃除をしていた。
相変わらず冷房が効き過ぎていたが、暑いよりは良いか。適当にブランケットを巻き付けながら届いたアルコールを呷る。暫く画面を眺めながらそうしていると、流石に微睡んできた。一応値段を確認しておく。多少寝過ごしてもホテルに泊まるよりはずっと安く済むようだ。シートをすっかり倒してしまって、足を伸ばす。大きな足置きがあるから思ったよりは楽だ。もしかしたら眠れるかも知れない。
そんな時だった。コツコツと床を叩く音が聞こえた。足音だろう。時間はもう午前二時を回っている。誰かが出たような足音は聞いていない。新しい客だろうか。その音は隣辺りのブースに入ったようだった。音だけでは判断がつかないが、気にする事もないか。目を閉じる。夜用だろうか、浅く静かな曲が流れていた。鼻は芳香剤の匂いに慣れてしまった。シートの感触も悪くないから耳ばかりが鋭くなる。それも慣れてしまえば眠れるか。
今度はコンコンと何かを叩くような音が聞こえた。丁度木製のパーテーションを叩くような音だった。回った椅子がパーテーションに当たったのだろう。それ程大きな音じゃない。気にせずに眠ろう。そう思うしかなかった。また足音が聞こえる。叩く音が聞こえる。赤い二つの瞳がパーテーションの上から見ている。固く目を瞑ったまま、朝が来るのを待った。
潜む声
──吹き抜ける風の隙間に。
風の強い夜だった。夏の少し手前、季節が不安定なのだろう。気密性も遮音性も無いあばら屋には様々な音が届く。風が窓を叩く音、揺らされた何かが軋む音、何か飛ばされてきたのか、鉄かアルミか何かが転がる音。モグラ避けの風車が回る音。一つ一つが何であるのか理解はできても次に何が来るのか、そもそも次の風がいつ通り抜けるのか分からない。だから気が付かないフリができた。ひひひ、と低く笑う女の声は。
小道の幻
──延々と続く影との夜。
住宅街の外れ。囲うように巡る小道の一角。ぽつりぽつりと街灯が並んでいる。左手に住宅街、右手には田畑。寂しい場所だ。夜になれば人通りは無いに等しい。時折車が一台、ヘッドライトで辺りを照らしながら通るぐらいだ。その光の中に、様々なものが居る。足だけの何かが歩いている。複数の骸骨が絡み合って立っている。日傘を翳してにたりと笑う女。草に紛れた苦痛に絶叫するような顔。重なり合って蹲る小さな体。全てを通り過ぎて目当てのコンビニへ入る。光が溢れる店内に幻視は無い。酒と食料をレジにおけば顔を知った店員が応じてくれる。
「大分おつかれのようですね。」
「ああ。」
そしてまた、光の乏しい道へ戻った。
夢と現
──夜明けに。
眠っているのか、起きているのか分からない。とりあえずベッドの上、タオルケットに包まって眠りかけている俺か、すっかり眠ってしまって夢を見ている俺が居る。どっちでも良かった。明日も早い。目を閉じたままの時間が必要だ。
けれど、意識か、似たようなものがあって、それでも真っ暗なままだと耳が冴える。
そんな時には不要な客が来る。
トン、トン。と軽い足音だった。同じリズムで近付いて来る。眠りかけの俺は呆けていて、夢の中の俺はその正体を知っていた。呆けている俺はぼんやりと音を聞いている。夢の中の俺は身構えた。誰かの両手がタオルケットの端をぐっと掴んだ。
体を起こす。
呼吸が荒い。
酷い夢だった。
いつもの事か。毎晩同じ事の繰り返しだ。眠ったと思えば妙な夢に叩き起こされる。どうせ時計を見たって二時間と経っていない。近くのデスクにあるケトルに残っていた水をそのまま注ぎ口から飲み込む。ため息を吐きながら煙草を咥える。火を点けて、煙を吐く。真っ白な煙は漂いながら姿を変えた。知りもしない、男の、苦痛に歪んだような顔。
また目を覚ました。
かなり汗をかいていた。
寝ている間にタオルケットを被ってしまっていたらしい。何も見えなかった。吐きかけた息を飲み込んだ。足音と声が回っている。家の外だろう。いや、ここは二階? いや? ここはどこだ?
漸く朝になった。熱いコーヒーを飲みながら煙草を二本吸った。時間はまだ余裕がある。とりあえず顔でも洗おう。立ち上がって、やっとここが自分の借りている狭い部屋だと信じられた。洗面台で顔を洗う。適当にかけてあるタオルで顔を拭い、妙な気分させられた。鏡の中、俺の後ろに知らない女が立っている。
ここは夢か現か、誰か教えてくれないか?
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