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#02 迷走飛行
しおりを挟む月影飛行
──君と僕と。
アスファルトすれすれを低く飛んでいる。後ろへ流れる風が強くなるその瞬間に高度を上げた。あっという間にアスファルトは見えなくなり、代わりに人が生きている灯りが視界一面に広がった。綺麗だと思ったけれど、長く見る物ではないとも思った。星の光なら何時間でも見ていられそうだが、これはすぐに飽きてしまいそうだ。上へ向かう風を捉まえて飛んだ。いつもだったら雲がありそうな高度まで飛ぶと、大きな金色の三日月を見付けた。今夜は随分と低い場所まで来ていたらしい。珍しいなと思うのと同時に、三日月の上に腰掛ける人影を見つけた。綺麗な女性だった。襟のあるシャツも長いスカートも長い髪も月の光の中で金色に輝いて見えた。
「今晩は。」
そう呟くように言った女性は、ほんの少しだけ悲しげな顔をしていた。僕は出来るだけ軽い調子で応える。
「今晩は、今日はここまで来てたんだね。」
「ええ。でも、」
そう言って彼女が見上げた黒い海で、幾つもの星が泳いでいた。
「貴方しか気付いてくれなかったわ。」
ぐるぐると渦を巻いた風が椅子のようになってくれて、僕はそこに座った。
「太陽が見えなくなったら、すぐに気付いて貰えるのに。」
彼女の不満はきっと僕には理解できないものなのだろう。月の光は太陽の光で、借り物の光では弱過ぎるとか、毎日形を変えるから覚えて貰えないとか、彼女はそんな事を言って儚げにため息を吐いた。
「ごめんなさいね、こんな事、言われても困るわよね。」
僕は少し考えてみた。
「借り物ばかりなのも、毎日違う姿をしているのも、誰だってそうだよ。」
彼女は僕を見て、優しげに笑ってくれた。
「それに、僕は月の方が好きだけど。」
彼女が顔を隠した理由を僕は知らない。
「そう、嬉しいわ。じゃあ、そんなに沢山じゃなくても良いから、またいつか同じ事を言って頂戴。」
「うん、約束。」
小指を絡めた時、幾つかの星が降りて来た。急に月が潜ったから心配になったのだろう。
「皆も心配してるんだね。」
「そうね、戻らなくちゃいけないわ。」
「うん。また今度。」
「ええ、また会いましょう。」
月は星の海へ向かった。風は少し腕を緩めて、僕を少しずつ地上へ近付けてくれた。逆さになって落ちる僕は、それでも月が遠ざかって行く方角を見ていた。
妖精
──机の端に。
昨晩は呑み過ぎたらしく頭が痛い。机に突っ伏したまま寝ていたらしい。別に良いだろう。何が壊れた訳じゃない。潰れる前に外したらしい眼鏡も無事だし、頭痛は酷いが喉は楽だ。まだ夜も明けていないようだ。半開きの窓から月の光が射し込んでいる。いつだったっけ、庭中に満月の光が広がって、まるで雪が積もったように見えた事があったな。あの頃とは違う、安アパートの一室だけれど、確かめてみようか。立ち上がりかけると机の端まで払いのけてしまったらしい酒瓶が目に入った。今にも滑り落ちそうになりながら、斜めになったまま止まっている。見ると蝶の様な、月灯りと同じ色の羽が見えた。手を伸ばして酒瓶を机に戻す。一筋、光が窓の隙間を擦り抜けて行った。
「ああ、ありがとな。」
まだ寝ぼけているのだろう。それでも一応礼だけは言って、窓とカーテンを閉めて布団へ潜り込んだ。
月の影絵
──カーニバル。
幼い頃、月が出た夜は飽きる事無くその光の中を眺めていた。月そのものでも、月明りでもなく、その中で遊ぶ影を見ていた。カーテンの隙間から長く伸びる青褪めた光の中を駆ける小さな猫を、横切る鳥を、跳ねる魚を。カーテンを一杯に開けると、それは部屋中に広がった。僕はベッドの端に座って、それと遊んだ。影から影へ飛び移る猿や、時には恐竜が現れて、その時は皆一斉に影に隠れた。僕も布団に潜って、その隙間から恐竜の様子を伺った。恐竜は、しょげてしまったのか小さくなっていた。僕や皆が影から出て来てやると、嬉しそうにはしゃぎ出した。
僕はいつも知らぬ間に眠ってしまって、朝になると痕跡の一つもなかった。ある夜、親が寝るのを待って月明りの溢れる庭へ出てみた。その夜の光景は、恐らく僕の生涯で一番賑やかな光景だろうと思う。沢山の鳥が飛び交い、様々な形をした動物や物が庭中を歩き回っていた。親が玄関の扉を開けて僕に声をかけるとすぐに消えてしまったけれど、楽しかった。
いつからそれが見えなくなったのか、いつの間に忘れてしまったのか、何故今日それを思い出したのか、僕にはよく分からない。
「ふむ、君は相変わらず興味深い生活を送っているのだね。」
白昼の喫茶店、眼鏡の位置を直しながら髪の短い少女がそう言った。
「残念だな、学生の身分でなければ今夜にでも一緒に探しに行きたいものだが。」
そう言う少女の心中もまたよく分からない。氷の溶けたアイスティーを飲みながらそう思った。
月
──降る。
其の色を形容する事ができなかった。青く褪めた。青白い。仄白く。どれも違う。真夜中、庭に降る光の色。きっともう誰にも伝えない。僕だけの。否、流石に勿体ないか。鋭く冷えた空気に降る色を、如何にかして伝えたい。
「そう。其れが、貴方、ね。良いんじゃない? 悪いとは思えないわよ?」
寄り添う少女の頭に猫の耳がある。紅茶でも淹れて居るんだろう遠くの影には犬の耳。真白の翼はもう眠ってしまったのだろう。
「其れでも、此の世はつまらない?」
「さて?」
柔らかい髪を撫でる。普段は何色だったか。月の光の中では思い出せなかった。
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