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#06 向日葵
しおりを挟む──夕涼み。
季節が変わる。否、終わるのか。首を傾げる向日葵を横目に秋桜が首を伸ばして始めた。何も変わらない、何時も通りの季節の移ろいだ。飛行機雲が鮮明になる頃にはすっかり秋になって居るだろう。
何時からだろう。
私は年の瀬と新年を気にしなくなった。幾ら雪が積もって面倒にしか思えなくなった。梅と桜を忘れた。新緑と薫る風に何も感じなくなった。梅雨に、夏の空に海に、花を広げた金木星に。紅い葉に、木枯らしに、訪れる冬に、何も思わなくなった。
君は其れを好ましく思わなかった。
「前は雨と紫陽花とを肴にして居たではありませんか。」
長い黒髪。凛とした涼やかな瞳。薄い紅を引いた唇。元々少々悪かった肉付きは最近さらに悪くなったように見える。
「其れは貴方の所為です。本当に心配したんですからね。」
初夏と真夏の間辺りか。私はこの世を捨てた。すっかり意識が戻る頃には晩夏になって居た。密閉した自動車の中で練炭を焚いたのだった。天気が悪かった所為か、如何やら湿気って仕舞って居たらしい練炭は十分な量の一酸化炭素を吐き出さなかった。其れでも二晩入院させられて、その後は呆けた様に過ごした。
君は溜息を吐き乍ら緑茶を淹れて呉れた。
「分かって居る訳がありませんよね。当座の資金は問題ありません。その先ですか。」
ごろり畳に寝転ぶ。僅かばかり人間を頑張っていた時期があった。その時の貯えが僅かばかりあるのだった。
「君は実家へ戻り給え。未だ間に合う。私の不始末は私が始末を付けるよ。」
「また、そんな、こっ、とっ、をっ!」
蟀谷に拳を押し付けられた。痛い。
「全く、貴方は如何してそうなのですか。」
そう訊かれても困る。理由はもう何度も君に告げたが、君は一度たりとも納得しては呉れなかった。唯、その度に悲しげな顔をされるのは厭だった。だから、もう私は何も答えない。唯笑って居れば、君は呆れたように笑うだけなのだった。
「あの向日葵と同じですか。」
「そうかも知れないね。」
晩夏に首を傾げた向日葵はもう枯れ落ちるのを待つだけだ。
「それならば、沢山の種を抱えて居る筈ですよね。」
頭を掻いた。向日葵は太陽を追って成長し、沢山の花を付ける。頭状花序。外側には黄色の舌状花を、そして内側に種子に至る筒状花を付ける。たった一夏に千を優に超える数の種を成す。
「いや、私には、」
「貴方一人では全て肥やしとなる運命でしょうから、先程の提案は却下です。」
涼やかな瞳が私を睨んだ。
「肥やしにも成らないさ。」
私はそう言い返すのがやっとだった。
「尚の事です。ご安心下さい。私が悲しみたくないだけですし、私だって座して死を待つ気はありません。」
君は強い人だった。
「まぁ、でも、今は少し位の時間ならばあるでしょう。」
夕暮れを迎えれば大分涼しくなるようになった。君は何時の間にか盆に載せていた麦酒の瓶と二つのコップを私と君の間にそっと置いた。昨晩だったかに茹でた枝豆もあった。
「夕涼みといきましょうか。」
私は黙ったまま二つのコップにビールを注いだ。君は両手でコップを手にする。私は苦笑しながらコップを手にする。何を言おうか、未だ僅かばかり濁っているらしい頭では何も浮かばない。
「また難しい顔をして。秋桜はもう直ぐですね。その次は金木犀ですか。」
「その前に、季節を変えるような雨が降るだろう。」
鈍い痛みが在った。何処に在ったのだろう。分からなかった。
「ふふっ、今は、良いじゃないですか。のんびりしましょう。」
コップを合わせた。一息で呑もうとは思わなかった。張り合いのない呑み方も厭だった。結局君と同じ位、適量と思える量を嚥下した。
「珍しい事もあるものですね。麦酒もお酒も蒸留酒も買い置きがあるんですよ?」
「いや、余りに美味しそうだったものでね。」
君は不思議そうにした目を微笑ませた。同じく微笑む唇をコップに付けた。
「如何ですか? 美味しいですか?」
私は急に恥ずかしくなってしまって、歩みを速めながら薄暗くなって行く季節の空を見上げ乍ら曖昧な言葉を返しただけだった。
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