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#09 愛しの眠り姫
しおりを挟む──貴方に会う為に。
そいつの名前は宮津鈴子という。瘦身にして容姿端麗。物腰は柔らかく、優しい性格をしていて人気があるらしい。俺がどう思おうと、鈴子はそう評価されている。ならばその通りであって欲しいが、無理だな。呼び鈴を鳴らしながら腕時計を見ると午前九時を回ったところだった。丁度梅雨の晴れ間に当たった週末に俺は何をしているのだろう。家の中から返事と足音が聞こえて来て、玄関の扉が開くと見慣れた人が居た。鈴子の母親だ。
「あら、今日も来てくれたのね。」
「ええ、まぁ。ところで、」
「まだ寝てるんじゃないかしら。ついでに起こしてあげてくれる? ご飯あっため直しておくから。」
先週も同じやり取りをした。恐らく来週もそうなんだろう。宮津鈴子の本当の姿は恐らくクラスメイトには見せられないものだ。どうせ寝ているだろうとノックもせずに部屋の扉を開けると、やっぱり寝ていた。昨晩は暑かったのだろう。薄いピンクのパジャマははだけたり捲れたりしていて、腕や腹や胸元が露出している。すぐ傍の床にはタオルケットが落ちていた。
「鈴子。」
とりあえず名前を呼んでみる。起きる気配はない。仕方がない。悪戯してやろう。タオルケットを拾い上げ、そのまま顔に押し付けてやった。
「起きろー、朝だぞー、おばさんが朝ごはん作って待ってるぞー。」
聞こえたのか別の理由があるのか、鈴子の手足がバタバタと動き始めた。タオルケットを引き剥がそうともがいているらしい。離してやると、鈴子は漸く起きたらしかった。
「暑いよぅ、苦しいよぅ。」
涙目になっていた。
「おはよう。」
「おはよう徹ちゃん、優しさを感じなかったのでやり直しって事でもう一回寝ても良いですか。」
傷を付けずに痛めつけるのは難しいな、と呟いたら絶対に二度寝しないので一度部屋を出て欲しいと言われた。着替えるらしい。廊下に出た俺はいつもと同じ場所にある掃除機を引っ張って来た。部屋から出てきた鈴子はTシャツとジーパン姿になっていた。基本的に女性らしさは皆無なのである。
「あー、いつもごめんねー。」
「良いからさっさと飯食って来い。」
「あーい。」
眠そうに返事をして階段を下りて行く背中を見送った。本当に、俺は何をしているのだろう。半開きだった窓を大きく開けて、床に転がっている本を片付けて、同じく放り投げれていた衣類も籠に纏めた。後で洗濯機に放り込んでおこう。ハンドモップで適当に埃を払い、掃除機をかけた。一応の掃除が終わると、鈴子が戻って来た。顔を洗って髪も纏めたようだが、それだけだった。前髪は寝癖が残っているし、全体的な動作も鈍い。
「さて、じゃあ始めるか。」
そう言いながらノートと教科書を広げる。俺は遊びに来た訳ではない。当人と母親に頼まれて、勉強をしに来たのだ。理由は簡単。そうしないと鈴子は一日中寝て過ごすからだ。
「えー? お茶飲んでからにしようよー。」
「お前、食べたばっかりだろ。」
「あー、じゃあ徹ちゃんが、」
「まだいらない。ほれ、ノートを開けペンを握れ。」
「ぐわー何をするーやめろー私は鈴子だぞー。」
多少無理やり準備をさせると、鈴子は妙な声を上げながらも宿題として出されていた数式を解き始めた。動き出しは嫌になる程遅いが、やる気や根気はあるらしい。
「何これ?」
能力は足りないらしい。
「この前もやっただろ。加法定理にねじ込め。」
「えーっと?」
とりあえず使うツールを提示してやると鈴子は楽しげに計算を始めた。玩具を与えられた子供のようだった。宿題分と、少し先も解いてから英語に移った。こっちは単純作業だ。ひたすら英文を書き写し、訳を作る。どうやら鈴子はこっちの方が好きらしい。鼻歌交じりで作業を続けていると昼になった。
「お昼ご飯どうする?」
鈴子が俺の答えを知っているのに訊いてきた。それを知っていると意地悪な事をしたくなる。
「んじゃ一回帰るかな。」
「えー? ウチで食べようよぅ。」
やや寝癖が力をなくし始めたのか、鈴子の前髪が瞳にかかっていた。特に考えもせず直してやる。
「毎回だけど良いのか?」
「うん。そしてお父さんと将棋打ってあげてよ。私はその間寝てるから。」
将棋なら指すだろうな。わざわざ指摘はしないが。十分くらいで食事を済ませて、十五分ずつ三局指して丁度時間だ。そう思いながら蕎麦を御馳走になって、おじさんと将棋を指した。序盤で無理やり高い駒を交換する順を選んだら四十分くらいかかった。しかも負けた。すぐにもう一局と思ったが、時間になっていたので鈴子を叩き起こして部屋に戻った。おじさんには今度は勝ちますと言っておいた。自信は無い。
午後は古文から始めた。英語と同じく単純作業だ。その後物理を消化し、おばさんが持って来てくれたお菓子とコーヒーで休憩しながら暗記系で遊んでいると夕方になっていた。
「今日も終わっちゃうねー。」
鈴子は少し寂しそうな顔をしていた。
「別に、明日になるだけだろ。」
「分かってないなー、徹ちゃんが居ない夜は寂しいんだよ?」
「そうか、じゃあ今夜は一緒に寝るか?」
からかってやった心算だったが、鈴子は割と本気で受け止めてしまったようだ。少しだけ残っていた寝癖を直し、慌てて着替えを始めようと服を脱ぎ出したところで止めた。
「悪かった、言葉の綾と思考の乱れだ。」
「すっごく残念です。」
がっかりさせたついでに小言も零しておくか。
「着替える気があるなら最初からやれよ。」
「ん? ヤだよ。最初からまともにやったら徹ちゃん安心して来なくなるでしょ?」
成程。言いたい事はよく分かった。しかしそれは実は逆効果なのだが、何も言わずにいてやろう。荷物を纏め、寝癖のなくなった頭を軽く叩いてやった。
「んじゃ、明日と、来週も来るから。」
鈴子は少し緊張したように、少し照れたように体を固くさせただけで何も言わなかった。明日はどこへ連れて行こうかとか、明日はどんな風に起こしてやろうかとか、そんな事を考えながら帰路についた。
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