架空の華

笹森賢二

文字の大きさ
10 / 13

#10 雨粒の宝石箱

しおりを挟む

   ──その少女の背に。


 きっと誰も信じてくれない。けれど俺はそれが悔しいとは思わない。むしろ嬉しい。俺ともう一人、そいつの妹だけが知っている。
 
 


 星降る夜のスターフィッシュ
   ──星空を泳ぐ魚。

  鼻の先を煙草の煙が漂っている。その先ではしゃぐ二人を眺めながら、矢張り僕の顔は緩んでいるのだろう。
「おー、俊ちゃん、魚だー肴ー酒持ってこーい。」
 藤沢小都子が夜空を指差して言った。癖のある髪が月明かりの中で跳ねた。
「小都子は酒飲めないだろ。」
 その隣で瀬古俊秋が笑う。気弱そうな青年は、それでも楽しげな顔をしている。
「んー飲むのは螢也ちゃんの役目ー私は雰囲気だけー。」
 藤沢が僕を見た。
「僕が飲んだら誰が車運転するんだね?」
「あー、裏切ったなー! 螢也ちゃんー!」
 僕は笑い、携帯灰皿に煙草を預けた。
「それより、どれが魚だ?」
 俊秋が訊いた。丁度良かった。僕も見つけかねていた。小高い山の展望台からは彼方まで続く星空が見えるが、どうにも上手く形を結べない。
「んー?」
 藤沢は不思議そうに小首を傾げて、両手を広げた。
「ぜーんぶ! 大きいのも小さいのも結んだのも離れたのも全部魚ー!」
 ああ、そうかも知れないな。瞬きをする魚、くるり点滅しながら旋回する魚、僕に向けて大口を開ける魚、ふらりと泳ぎ出す魚。僕にはそれぐらいしか見えないが、藤沢にはもっと多くの魚が見えているのだろう。
「長峰が聞いたら喜びそうだねぇ?」
「偶に店に来る絵描きさんですか?」
「ああ、アレもアレで不思議な奴だからねぇ? また面白い絵を描くだろうね。」
 藤沢が愉しげに背を伸ばした。
「んー、キレーな魚は好きだよー? でも閉じ込められた魚は嫌いー!」
 きっと、この世の中でこんな事を言えるのは藤沢ぐらいだ。そして長峰が納得してしまうであろう相手も。
「にひひー夜空すいすいーだからキレーなのだ!」
 胸を張って空を指差す。瀬古が藤沢の肩に手を置いてやって、僕は夜空を見上げる。今にも降り出しそうな一面の星空で沢山の魚が泳いでいた。
 
 


 雨の朝
   ──柔らかな雨の降る朝に。

 朝から雨が降っていた。そう言えば昨日、馴染みの喫茶店によく来る古本屋の主が言っていた。
「本日は立夏、夏の立つがゆへ也と云われます。徐々に気温も高くなり、蛙の声も聞こえてくる季節になります。鮮やかに季節を塗り替える雨が降る頃です。」
 あの人が言っている事はよく解らないが、雨が降るのは良い事だ。今日は何時もより早く家を出て、小都子の歩調に合わせて歩いていられる。惚気ている訳でも気を使っている訳でもなく、その方が愉しい。電信柱や漸く葉を広げ始めた樹木が雨に濡れる様、道端に咲いた小さな花に傘を傾ける少女、物陰に身を潜める小鳥。小都子と一緒でなければどれも見落としてしまっていただろう。
「あーめーあーめー、げっこげっこあっまがーえる~。」
 公園の入り口辺りで小都子が歌う。俺は身を寄せて視線の先を探る。門の足元で雨蛙が喉を膨らませていた。それを見つけた後でその声に気付いた。
「にゃー、俊ちゃん今日は大胆ねー?」
 その為に身を寄せていた所為か、小都子が少しだけ恥ずかしそうに俺の目を見上げた。
「早く起きれた時は大胆なんだよ。」
「んじゃー明日も早く起きてねー明後日はゆっくりー。」
 毎日こんな調子では飽きるか。
「んー? 違うよ?」
 小都子は何時も俺が言わない事まで汲み取る。
「私だって俊ちゃんに合わせて歩きたいー。」
 俺の腕に抱きついて、次の瞬間にはもう違う景色を見つけている。それを悟られないように頬を摺り寄せる様が愛しくて、俺はその視線の先へと足を進められる。
「俊ちゃんもね、私が言わない事まで分かってくれてるよ?」
 小さな、雨に消えそうな声が大切だと思う。その先で雨に濡れている紫陽花の葉には、あと少しだけ待って貰うとしようか。
 
 


 翼
   ──雨の中で、きらめきながら。

 その瞬間の感情を今でもうまく説明する事ができない。俺はそいつを知っている。同じ高校に通っていて、クラスも同じだ。名前は藤沢小都子。話す機会はそれ程多くなかったけれど、いつも藤沢の周りは笑い声で溢れていたような気がする。単に声が大きいだけなのかも知れないけれど。それはどうでも良くて、今俺は人に話したら笑われるような光景を見ている。通い慣れた通学路にある公園、開けた小さな草原になっているその場所に藤沢が居た。雨が降っているのに傘をさしていない。急に降り出した雨のせいで途方に暮れている訳ではないようだ。藤沢は空を見上げたまま両手を広げてくるくると回っている。何もなければ、他人の奇行と笑って通り過ぎたのだろうが、俺はその場から一歩も動けなかった。いつもは奔放に跳ねまわっているように見える髪が雨の雫を飛ばしながら螺旋を描いている。水を吸ったスカートは殆ど重さを感じさせない程軽やかで、切れかけた雨雲からこぼれた光を浴びて輝いていた。そして俺は、藤沢の背中に真っ白な翼を見た。嘘ではないと思う。現実なのかは分からない。大きな二枚の真っ白な翼と、その下にも一枚ずつ、光を撒く細く長い帯のような翼があった。
 どれくらいの間だったか、雨が小降りになって、藤沢が少し残念そうに回るのを止めた時、目が合った。どんな感情が一番正しかったのか、違うか、どんな感情がここにあるのか分からなかった。綺麗とか驚いたとか、俺の少ない語彙では表現できなかった。だから俺は、「雨が好きなのか?」と自分でもよく意味が分からない事を言った。藤沢はもともと大きな目をさらに大きくさせて、「うん。」と言った。大きく頷いた。
 
 


 それから色々な事があった。どれも大した事じゃないと思う。けれど、どれも大切だった。そして今日、どこからか忍び寄るように現れた雨雲と、隣を歩く小都子の何かを待ちきれないような笑顔があった。
 
 


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...