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#10 雨粒の宝石箱
しおりを挟む──その少女の背に。
きっと誰も信じてくれない。けれど俺はそれが悔しいとは思わない。むしろ嬉しい。俺ともう一人、そいつの妹だけが知っている。
星降る夜のスターフィッシュ
──星空を泳ぐ魚。
鼻の先を煙草の煙が漂っている。その先ではしゃぐ二人を眺めながら、矢張り僕の顔は緩んでいるのだろう。
「おー、俊ちゃん、魚だー肴ー酒持ってこーい。」
藤沢小都子が夜空を指差して言った。癖のある髪が月明かりの中で跳ねた。
「小都子は酒飲めないだろ。」
その隣で瀬古俊秋が笑う。気弱そうな青年は、それでも楽しげな顔をしている。
「んー飲むのは螢也ちゃんの役目ー私は雰囲気だけー。」
藤沢が僕を見た。
「僕が飲んだら誰が車運転するんだね?」
「あー、裏切ったなー! 螢也ちゃんー!」
僕は笑い、携帯灰皿に煙草を預けた。
「それより、どれが魚だ?」
俊秋が訊いた。丁度良かった。僕も見つけかねていた。小高い山の展望台からは彼方まで続く星空が見えるが、どうにも上手く形を結べない。
「んー?」
藤沢は不思議そうに小首を傾げて、両手を広げた。
「ぜーんぶ! 大きいのも小さいのも結んだのも離れたのも全部魚ー!」
ああ、そうかも知れないな。瞬きをする魚、くるり点滅しながら旋回する魚、僕に向けて大口を開ける魚、ふらりと泳ぎ出す魚。僕にはそれぐらいしか見えないが、藤沢にはもっと多くの魚が見えているのだろう。
「長峰が聞いたら喜びそうだねぇ?」
「偶に店に来る絵描きさんですか?」
「ああ、アレもアレで不思議な奴だからねぇ? また面白い絵を描くだろうね。」
藤沢が愉しげに背を伸ばした。
「んー、キレーな魚は好きだよー? でも閉じ込められた魚は嫌いー!」
きっと、この世の中でこんな事を言えるのは藤沢ぐらいだ。そして長峰が納得してしまうであろう相手も。
「にひひー夜空すいすいーだからキレーなのだ!」
胸を張って空を指差す。瀬古が藤沢の肩に手を置いてやって、僕は夜空を見上げる。今にも降り出しそうな一面の星空で沢山の魚が泳いでいた。
雨の朝
──柔らかな雨の降る朝に。
朝から雨が降っていた。そう言えば昨日、馴染みの喫茶店によく来る古本屋の主が言っていた。
「本日は立夏、夏の立つがゆへ也と云われます。徐々に気温も高くなり、蛙の声も聞こえてくる季節になります。鮮やかに季節を塗り替える雨が降る頃です。」
あの人が言っている事はよく解らないが、雨が降るのは良い事だ。今日は何時もより早く家を出て、小都子の歩調に合わせて歩いていられる。惚気ている訳でも気を使っている訳でもなく、その方が愉しい。電信柱や漸く葉を広げ始めた樹木が雨に濡れる様、道端に咲いた小さな花に傘を傾ける少女、物陰に身を潜める小鳥。小都子と一緒でなければどれも見落としてしまっていただろう。
「あーめーあーめー、げっこげっこあっまがーえる~。」
公園の入り口辺りで小都子が歌う。俺は身を寄せて視線の先を探る。門の足元で雨蛙が喉を膨らませていた。それを見つけた後でその声に気付いた。
「にゃー、俊ちゃん今日は大胆ねー?」
その為に身を寄せていた所為か、小都子が少しだけ恥ずかしそうに俺の目を見上げた。
「早く起きれた時は大胆なんだよ。」
「んじゃー明日も早く起きてねー明後日はゆっくりー。」
毎日こんな調子では飽きるか。
「んー? 違うよ?」
小都子は何時も俺が言わない事まで汲み取る。
「私だって俊ちゃんに合わせて歩きたいー。」
俺の腕に抱きついて、次の瞬間にはもう違う景色を見つけている。それを悟られないように頬を摺り寄せる様が愛しくて、俺はその視線の先へと足を進められる。
「俊ちゃんもね、私が言わない事まで分かってくれてるよ?」
小さな、雨に消えそうな声が大切だと思う。その先で雨に濡れている紫陽花の葉には、あと少しだけ待って貰うとしようか。
翼
──雨の中で、きらめきながら。
その瞬間の感情を今でもうまく説明する事ができない。俺はそいつを知っている。同じ高校に通っていて、クラスも同じだ。名前は藤沢小都子。話す機会はそれ程多くなかったけれど、いつも藤沢の周りは笑い声で溢れていたような気がする。単に声が大きいだけなのかも知れないけれど。それはどうでも良くて、今俺は人に話したら笑われるような光景を見ている。通い慣れた通学路にある公園、開けた小さな草原になっているその場所に藤沢が居た。雨が降っているのに傘をさしていない。急に降り出した雨のせいで途方に暮れている訳ではないようだ。藤沢は空を見上げたまま両手を広げてくるくると回っている。何もなければ、他人の奇行と笑って通り過ぎたのだろうが、俺はその場から一歩も動けなかった。いつもは奔放に跳ねまわっているように見える髪が雨の雫を飛ばしながら螺旋を描いている。水を吸ったスカートは殆ど重さを感じさせない程軽やかで、切れかけた雨雲からこぼれた光を浴びて輝いていた。そして俺は、藤沢の背中に真っ白な翼を見た。嘘ではないと思う。現実なのかは分からない。大きな二枚の真っ白な翼と、その下にも一枚ずつ、光を撒く細く長い帯のような翼があった。
どれくらいの間だったか、雨が小降りになって、藤沢が少し残念そうに回るのを止めた時、目が合った。どんな感情が一番正しかったのか、違うか、どんな感情がここにあるのか分からなかった。綺麗とか驚いたとか、俺の少ない語彙では表現できなかった。だから俺は、「雨が好きなのか?」と自分でもよく意味が分からない事を言った。藤沢はもともと大きな目をさらに大きくさせて、「うん。」と言った。大きく頷いた。
それから色々な事があった。どれも大した事じゃないと思う。けれど、どれも大切だった。そして今日、どこからか忍び寄るように現れた雨雲と、隣を歩く小都子の何かを待ちきれないような笑顔があった。
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