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#02 薄紅と白の交差点
しおりを挟む──白昼に舞う。
強い風が吹いていた。僕はそれを正面から浴びている。短くしたばかりの前髪は額から離れ、僅か眼球に何かが付着するような感触を覚えて顔を顰めた。
そこには春の薄紅が在ったのだ、と記憶の中で誰かが言った。
僕の貧相な脳はその事柄しか覚えていない。それが過去であるならば何時なのか、それが本当に妄想ではない現実であるのか、それは記録されていない。一つだけ確かである事は、現在の僕がその薄紅のある季節にはいないという事だ。
冷たい風があの日よりも強く吹いている。鋭く砥がれたそれはまるで白く染め上げられているようで、だからか。僕はこの白い季節に咲いている薄紅の花に気が付かなかった。
兄は朝にそんなに早く起きる必要はありませんが、私の朝食とお弁当の支度をする為に早くから起きています。私も何度も早く起きて手伝おうとしましたがその度に失敗して、兄に薄化粧をする時間はあるよ、とからかわれました。つまり私はそんな事すらできない高校生で、兄はそんな事ぐらい簡単にこなしてしまう大人でした。
「凛が寂しくないのなら、僕はそれで良いよ」
兄は今朝も私にそう言って呉れました。言い訳をしなければならないのは私の方なのに、兄は何時もそういう言い方をして呉れます。
兄は、本当の兄ではありません。それは兄の所為ではありません。再婚していた私の父と兄の母が離婚しました。それも兄の所為ではありません。けれど、兄は私を引き取って呉れました。兄には何の責任もないのに。
真っ白な陽が注いでいた。僕はソファに身を沈めている。凛が紅茶を淹れて呉れた。
「休みの日ぐらいのんびり寝て居たらどうだい?」
「お兄様こそ、偶には昼まで寝ていたらどうです?」
長い髪をくゆらせる少女はそう言いながら僕の隣に座った。
「お兄様ぁ。」
絡んだ腕に心地良い熱がある。鼻先に香るのは何か美しい花の匂いだろう。
「凛。」
「はい。何でしょうお兄様。」
僕がその名を呼ぶ。凛は応える。
「友達は良いのかい?」
「お兄様のお世話をしろと言われてしまいました。私は幸せです。」
僕は未だ見た事のないその友人を思い、ため息を吐いた。
兄がため息を吐きました。私は甘えます。兄は私の頭を撫でて呉れました。私は甘えます。兄は私が淹れた紅茶を飲んで呉れました。私も紅茶を飲みながら甘えます。兄は美味しいと言って呉れました。私は我ながら上手に淹れる事ができたと安堵しました。
「凛。」
兄が私の名前を呼んで呉れました。私は兄の腕に甘えながらその顔を見上げます。あの時から殆ど変わっていません。それは風の強い日でした。冬はすっかり過ぎ去ってしまっていて、温かい空気の中に桜の花が咲いていました。その日から一緒に暮らす事になっていたその人は私を散歩に連れ出して呉れて、私の髪に落ちた花弁を大切そうに拾って呉れました。あの日からずっと。
「お兄様、散歩に出ましょう。」
紅茶を飲み終えた兄にそう言いました。理由は幾らでも作れましたが、私はそれだけ告げ、兄も何も訊かずに頷いてくれました。
風は同じように強く吹いていた。色はまるで違う。あの日は花の色が移ったような、やがて巡り来る季節の緑を映すような、そんな色をしていたけれど、今日街を駆け回る風は色を失ってしまったようで、殆ど真っ白のように感じられた。隣を歩く凛の様子も違う。
「なんだか懐かしいですねぇ。」
あの頃の凛は未だ僕に懐いていなくて、少し距離を置いて歩いていた。今日は手を繋いでいる。同じ速さで、直ぐ隣を歩いている。見上げれば桜の枝がある。やがて来る薄紅を思い、そうして漸く何に気付いていないのか、何を忘れているのかを思い出した。
薄紅色の手袋を強く握った。
「お兄様?」
どこからか飛んで来た雪の欠片が凛の髪に落ちた。拾ってやる。あの日、其の微笑みを守ってやろうと思った。今日はこれから何を思うのだろう。薄紅の白が交差するこの場所で、幽かに色付いた頬に触れた。
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