2 / 17
#02 薄紅と白の交差点
しおりを挟む──白昼に舞う。
強い風が吹いていた。僕はそれを正面から浴びている。短くしたばかりの前髪は額から離れ、僅か眼球に何かが付着するような感触を覚えて顔を顰めた。
そこには春の薄紅が在ったのだ、と記憶の中で誰かが言った。
僕の貧相な脳はその事柄しか覚えていない。それが過去であるならば何時なのか、それが本当に妄想ではない現実であるのか、それは記録されていない。一つだけ確かである事は、現在の僕がその薄紅のある季節にはいないという事だ。
冷たい風があの日よりも強く吹いている。鋭く砥がれたそれはまるで白く染め上げられているようで、だからか。僕はこの白い季節に咲いている薄紅の花に気が付かなかった。
兄は朝にそんなに早く起きる必要はありませんが、私の朝食とお弁当の支度をする為に早くから起きています。私も何度も早く起きて手伝おうとしましたがその度に失敗して、兄に薄化粧をする時間はあるよ、とからかわれました。つまり私はそんな事すらできない高校生で、兄はそんな事ぐらい簡単にこなしてしまう大人でした。
「凛が寂しくないのなら、僕はそれで良いよ」
兄は今朝も私にそう言って呉れました。言い訳をしなければならないのは私の方なのに、兄は何時もそういう言い方をして呉れます。
兄は、本当の兄ではありません。それは兄の所為ではありません。再婚していた私の父と兄の母が離婚しました。それも兄の所為ではありません。けれど、兄は私を引き取って呉れました。兄には何の責任もないのに。
真っ白な陽が注いでいた。僕はソファに身を沈めている。凛が紅茶を淹れて呉れた。
「休みの日ぐらいのんびり寝て居たらどうだい?」
「お兄様こそ、偶には昼まで寝ていたらどうです?」
長い髪をくゆらせる少女はそう言いながら僕の隣に座った。
「お兄様ぁ。」
絡んだ腕に心地良い熱がある。鼻先に香るのは何か美しい花の匂いだろう。
「凛。」
「はい。何でしょうお兄様。」
僕がその名を呼ぶ。凛は応える。
「友達は良いのかい?」
「お兄様のお世話をしろと言われてしまいました。私は幸せです。」
僕は未だ見た事のないその友人を思い、ため息を吐いた。
兄がため息を吐きました。私は甘えます。兄は私の頭を撫でて呉れました。私は甘えます。兄は私が淹れた紅茶を飲んで呉れました。私も紅茶を飲みながら甘えます。兄は美味しいと言って呉れました。私は我ながら上手に淹れる事ができたと安堵しました。
「凛。」
兄が私の名前を呼んで呉れました。私は兄の腕に甘えながらその顔を見上げます。あの時から殆ど変わっていません。それは風の強い日でした。冬はすっかり過ぎ去ってしまっていて、温かい空気の中に桜の花が咲いていました。その日から一緒に暮らす事になっていたその人は私を散歩に連れ出して呉れて、私の髪に落ちた花弁を大切そうに拾って呉れました。あの日からずっと。
「お兄様、散歩に出ましょう。」
紅茶を飲み終えた兄にそう言いました。理由は幾らでも作れましたが、私はそれだけ告げ、兄も何も訊かずに頷いてくれました。
風は同じように強く吹いていた。色はまるで違う。あの日は花の色が移ったような、やがて巡り来る季節の緑を映すような、そんな色をしていたけれど、今日街を駆け回る風は色を失ってしまったようで、殆ど真っ白のように感じられた。隣を歩く凛の様子も違う。
「なんだか懐かしいですねぇ。」
あの頃の凛は未だ僕に懐いていなくて、少し距離を置いて歩いていた。今日は手を繋いでいる。同じ速さで、直ぐ隣を歩いている。見上げれば桜の枝がある。やがて来る薄紅を思い、そうして漸く何に気付いていないのか、何を忘れているのかを思い出した。
薄紅色の手袋を強く握った。
「お兄様?」
どこからか飛んで来た雪の欠片が凛の髪に落ちた。拾ってやる。あの日、其の微笑みを守ってやろうと思った。今日はこれから何を思うのだろう。薄紅の白が交差するこの場所で、幽かに色付いた頬に触れた。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる