架空の夢

笹森賢二

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#07 花

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   ──或る季節に咲いた花。


 居間のソファに身を沈めてだらけている。真っ昼間。ウイスキーの水割りが旨い。充分だろう。
「兄様。」
 美しい義妹は当然のように寄り添って呉れる。仄かに香るのは何だろう。香水でも石鹸でも無い。
「紫。」
 名前を呼ぶ。少女の様な瞳が見上げる。鼻は高くない。胸元で二つ結んだ見事な黒髪と薄い口紅が善く似合って居る。
「はい、何でしょうか兄様。」
「近い近い。全く。年頃の娘が昼間から酒臭い男に近寄るもんじゃ無いよ。」
 不思議そうな顔をされた。
「はぁ、兄様の匂いですから、紫はもっとくっ付きたいくらいですが。」
 少なくとも僕と紫の間の言葉は余り意味を持って居ないらしい。
「そもそもですね。」
 悪い予感しかしない。温かな塊が近付く。
「紫は全部兄様のものです。お望みなら、」
「莫迦め、君は君のものだ。」
 一瞬だけ間が在った。腕に抱き付かれた。
「兄様ぁ? それは悪手ですよぉ? 紫が止まらなくなってしまいます。」
 如何やら、バレたな。
「紫の匂いも気に入って頂けたようですね、嬉しいです。」
「少し離れて呉れると嬉しいのだがね。」
「はっきり言って頂ければそうします。紫は優しい優しい兄様を困らせる気はありません。」
 其れで突き離せない自分は、恐らく情けないのだろうな。
「兄様? 兄様が今考えた事を、他の誰かが言ったのなら紫がその人を刺します。」
「そんな物騒な事は言うもんじゃ無いよ。」
 本気だと言いたいのだろう。腕に力が入って、身体が近付く。
「ふふっ、お酒と、煙草と、兄様の匂いがします。」
 勝ち目なんざ初めから無い。
「紫は兄様の為にあるんです。勝ち負けなんて、意味がありません。」
 思考まで完全に読まれている。仕方なく頭を撫でてやる。甘えるような仕草も、無邪気な微笑も、其れなら良いか。僕は諦めて隣に咲く花を愛でる事にした。
(了・“咲く花”)


「お蕎麦、ねぇ?」
 昼前、昼食の支度をする嫁が困り顔をしていた。素直にざる蕎麦にして山葵でも生姜でも添えれば良いだろうと思うが、不満らしい。長い髪を揺らし目つきの悪い目で冷蔵庫と食材置き場を漁っている。
「困ったわ。」
「お前が困るならよっぽどだな。」
 娘が食材置き場から玉葱と茄子を持って来た。
「……ん、揚げて添えれば良いだよ。」
「そうね。そういえば、海老もあったわね。」
 今日買って来て酒の肴に塩焼きと思っていたが、仕方が無いか。カボチャと、隣人がくれた大葉もある。とりあえず粉とトレイを用意している間に嫁と娘が揚げる準備を終えていた。嫁は手際よく粉を塗して次々に油に放り込んで行く。娘は何かショーでも見ているような目でそれを見ていた。
「智也、クッキングペーパー広げてくれるかしら?」
 トレイと網で充分だと思うが、こだわりがあるらしい。その上にクッキングペーパーを広げる。見事に揚がった食材が次々に乗せられて行く。娘は忙しそうに余計な油を落とした揚げ物を大皿に並べて行く。玉葱、茄子、大葉、海老、海苔、南瓜、ピーマン。逆に食べきれるか心配になって来た。残りは夕飯か、肴にすれば良いかと直ぐに諦めたが。蕎麦は直ぐに茹であがった。冷水にさらしてほぐしながら別の大皿に乗せる。後は各々の手元に好みの味にした汁を並べれば完成だ。嫁は山葵のみ。俺は生姜も淹れる。娘は麺汁だけだ。
「……ん、頂きます、だよ。」
「はい、頂きます。」
「頂きます。」
 蕎麦も揚げ物もあっと言う間に三人の胃に収まった。
「……かーちゃんの料理ってすっげぇだよ。」
「ああ、料理屋でも始めるか?」
 サクサクの衣に完璧な火の通り具合。蕎麦は安物だが、それさえ高級に思えてしまう。
「褒めても何も出ないわよ。」
 食べ終わると嫁と娘はソファに深く座りこんだ。量が少しばかり多かったようだ。
「二人はそのまま寝てろ。片付けは俺がやっとく。」
「……んぃー。」
「悪いわね。」
 別に夕飯の支度をする時に済ませても良いんだろうが、手間は少ない方が良い。油はまだ手が付けられないから他の洗い物だけ済ませた。三角の残飯コーナーは、まだ入るから夜で良いか。排水溝のネットは玉葱の皮やら何やら詰まっていたので替えた。残せば面倒だが、やってしまえばすぐだ。狭いシンク周りを拭いて居間に戻ると二人は眠っていた。俺もそうしようか。娘の隣にできるだけ静かに座ると手を握られた。空調は問題無い。このまま眠ってしまおう。
(了・“夏の日”)


 体が重い。昨日呑み過ぎたか。とりあえずケトルに水を入れて電源を入れる。これでカップ麺と味噌汁ぐらいは食べれる。狭い部屋の真ん中のテーブルに並べてベッドに戻った。お湯が沸くまで起きていれば食べる。眠ってしまっても問題はない。ケトルは勝手にお湯を作って冷めて行くだけだ。そう思いながら目を閉じかけた時に呼び鈴が鳴った。一応カメラは付いているが、午前八時。休日のこんな時間に来る奴は一人しかいない。一応いつもの格好に着替えて、ドアを開けた。
「朝からどうした?」
 小日向ゆかりはいつも通り、呆けたような顔と仕草で立っていた。両手で持っているビニール袋が重そうだ。
「ん。朝ご飯。作りに来た。」
 フリルの多い服。頭に着けている物も黒いフリルが付いているが、髪型をキープするものではないらしい。後ろ髪はそのまま後ろに。前髪は目に、頬にかかっている。眠たそうな目をして、背は低いが出る所は出ている。
「ああ、悪いが。」
「二日酔い? でも、大丈夫。」
 部屋に上がったゆかりの歩幅は狭い。セキレイに似ている。
「うん、冷ご飯があるなら、テーブルのそれは要らない。」
 台所を確認しながらビニール袋の中身を冷蔵庫に放り込んで行く。金は、言っても受け取ってくれない。代わりに散歩や買い物に付き合わされるだけだ。そんな事を考えているうちにゆかりは水で満たした鍋を二つ火にかけた。後は梅干しにネギとシジミと乾燥ワカメ。俺が自分で用意したカップの味噌汁とラーメンをしまっている間に整腸剤と水が用意されていた。とりあえず飲んでおく。
「もうできる。そのまま座ってて。」
 ゆかりが薬の空袋とコップを片付ける。戻って来る時にはネギを散らしたおかゆと、シジミとワカメのみそ汁を持って来てくれた。
「ゆかり相手に遠慮しても仕方ないか。頂きます。」
「ん、召し上がれ。」
 塩の利いたおかゆには柔らかい種の無い梅干しが乗せられていた。腹に入ると楽になってくる。持って来たらしいナスとキュウリの漬け物も丁度良い味だった。それでも詰まる喉にはシジミの味噌汁が嬉しい。ゆかりはいつも通り眠たそうな目をしたままグレープジュースを啜っていた。
「拓郎? どうかした?」
「いや?」
 小日向ゆかり。朝倉拓郎。知り合いはよくセットで見る。それぐらい幼い頃から一緒に居た。年は二つ違ったが、家も近く二人の母親同士の仲が良かった所為か、よく母親にくっ付いて俺の家に遊びに来た。俺にもゆかりにも兄弟は居たが、年が離れていて、どちらかと言えばいつも一緒に居る俺がゆかりの兄だと思われる事が多かった。
 高校時代までそれは続いた。一部の友人は本気で俺とゆかりが兄妹だと思っていたらしい。それでも、終わりはある。先に高校を卒業した俺は伯父の紹介で就職して一人暮らしを始めた。その後大学へ進学したゆかりとは、それで疎遠になると思っていた。
「ゆかり。」
「何? 拓郎。」
 大学へ進学したゆかりは俺の隣の部屋に引っ越して来た。最初は女の一人暮らしを両親は心配し、反対したらしいが、隣の部屋に俺が住んでいると行ったら納得したらしい。俺は納得していない。
「あの狭い角部屋で本当に良いのか?」
「うん。」
 呑み終えたジュースの容器をゴミ箱に放って、ゆかりは俺の後ろに回った。
「この背中が近くにあれば、私はどこでも良い。」
 ため息を吐く。少しだけ笑うような声が聴こえた。俺達はまだ寄り添い合うだけの、互いの影だ。
(了・“寄り添う影”)
 
 


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