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#13 青紅葉
しおりを挟む──永遠の。
夏の陽射しが痛い。当たり前か。当たり前じゃないのは腕に抱き付く少女だ。
「お兄ちゃん?」
背は余り伸びなかったが、内面も外面も美しく成長した。大きな目に低い鼻と薄い唇。黒髪を首の後ろ辺りで一つに結んでいる。体の起伏はそれ程でもないが整っては居る。
「いや? 今日も暑いな。」
「梅雨が過ぎたらすぐコレだもんね、嫌になっちゃうよ。」
だったら離せ、とは言えない。それ位には大切に思っているし、理由もあった。
「今日は買い物多いんだっけか?」
「うん。でも、コレなら一軒で済むんじゃないかな。」
妹がメモを確認する。最近、母はリハビリと称して俺と妹に買い出しをさせる。エンジニアの父は、そもそも手伝う気も暇も無い。家にまで仕事を持ちこんで休日まで部屋で唸っている事が多い。
「二人とも大変なんだよ。」
「そりゃそうだろーが、」
言い掛けながら視線を巡らせると丁度公園に移動店舗のトラックが来ていた。確かアイスやらクレープやらを売っているハズだ。
「食べるか? 奢るぞ。」
「良いの?」
「ああ、つーか俺が暑くてやってられん。」
俺はグリーンティーのコーンアイスを、妹はチョコチップとイチゴが入ったアイスクレープを頼んだ。近くに屋根のある椅子とテーブルがあるからそこで食べる事にした。
「いただきまーす。」
この店はコーンもアイスも旨い。クレープの皮も厚過ぎず薄過ぎず丁度良い。二人で並んで座って、あっと言う間に食べ終わった。
「ごちそうさま。美味しかったね。」
また腕を掴まれて歩き出す。
「ね、次はさ、」
妹は何かを言い掛けて止めた。何かあるのだろうか。次の言葉を待つ。
「あはは、何でもない。急がないとまたお母さん心配しちゃうから、早く行こ。」
「ああ。」
傍から見たらどう見えるんだろうな。どうでも良いか。これでいつも通りだ。
夜。妹と二人で宿題と予習を片付ける。進学校ではないし、文武両道とか言っている割に量が多い。英語と古文に関しては予習を前提として授業をされるので片付けておかないと大変な目に合う。粗方片付けて、背伸びをした。
「少し休憩しよう。」
小説本に手を伸ばす。妹は漫画本を手にして俺のベッドに飛び込んだ。
「あ。お兄ちゃん、来月なんだけど。」
来月には夏休みに入っている。こんな面倒からは少しばかり解放されているだろう。
「花火大会。一緒に行かない?」
「友達は良いのか?」
数年前、妹は暴漢に襲われた。偶々近くにいたから助ける事ができた。妹のように小柄な相手に乱暴をしようとしていたらしく、持っていた凶器は小さな物だった。足と腹に少し穴が開いたが、周りの人の助けもあって、未遂に終わった。俺の方は傷害で済むか殺人未遂まで行ったのか、あの小さなナイフでも銃刀法に引っかかったのだろうか。詳細は知らない。もう思い出したくない。以来妹は一人で外出できなくなった。腕にしがみ付いていたのもその所為だ。家族か、昔から仲の良かった数人の女友達が居ないと外出できない。腕にしがみ付かれるのは俺だけらしいが。
「皆彼氏と行くんだって。」
「お前は居ないのか?」
「んー、今は未だ無理かな。」
酷いトラウマになってしまったらしく、同級生も友人達を除いた女生徒でさえ会話は苦手らしい。それは生来のような気もするが、男子生徒は近寄れもしない。初めは理解されず苦しい時期もあったようだが、最近では周りが気を使ってくれているらしい。
「そう言うお兄ちゃんは?」
暇が無い。言い訳だが。母からは四六時中用事を言いつけられるし、疲れ切った顔の父には趣味の将棋の相手をさせられる。仕事の人間の唯一の趣味らしい。断れるハズも無い。それでも間を縫えば、と思うが自信の無さと言い訳の多さに負けている。
「お兄ちゃんらしいね、で? どうかな?」
「予定は空けておくけど、もし行けそうな相手が居たらそっちを優先しろよ。」
少し間があった。
「うん。あ、時間やばいよ。」
時計を見ながら本を棚に戻す。ふと見た妹は何か複雑そうな顔をしていた。
翌日、妹を教室の友人達まで届ける。毎日の事なので誰も気にしない。代わりに勉強や趣味の話をしに来る後輩が何人かできた。妹を狙っている奴もいるらしく情報を求められるが、一キロ続く薄氷の上を徒歩で渡り切るぐらい慎重にやれとだけ伝えた。人はいつまでも止まったままではいられない。勿論、無理にいきなり立ちあがって走り出す必要はないが、それでも少しずつ立ち上がらなければ。
無事送り届けて俺も自分の教室へ向かう。途中でチャラチャラした女に会った。同じクラスの優美という奴だ。一応校則は守っては居るが、ギリギリだ。僅かに茶色に染めた髪に、クセをつけた頬にかかる髪。服装も校則を僅かに規定値に上乗せした程度。要領が良い、と言えばそれまでか。妹と違って大人びた顔をしている。
「お、巽君じゃん。今日も妹ちゃんのボディガード終わったトコ?」
皮肉に聞こえる。まぁ、事情は知っているらしいし、妹も何度か話して拒絶反応は弱かった。要領が良いのだ。妹の反応を見てすぐに離れる。
「ま、そんなトコ。」
優美は駆けるように隣に来た。切れ長の目は殆ど同じ位置にある。微かに香水が匂う。
「ふぅん、ところでさ、来月花火大会あるじゃん?」
「お前なら幾らでも男作れるだろ? そっちでやれよ。」
こっちはそれじゃなくても忙しいのだった。
「それがこんな時に限って掴まんなくてさぁ、あ、もう妹ちゃんと約束しちゃった?」
「ああ。」
「残念。妹ちゃん相手じゃ勝ち目ないもんね。他当たってみるわ。」
意味がよく分からなかった。話題はすぐに昨日のドラマに変わった。俺は観ていないから、優美から訊く。要領の良い奴は勉強も趣味も両立できるのだ。少し羨ましい。
放課後。妹を迎えに階段を降りていると上から大声が聞こえた。見上げると優美が男に絡まれていた。よくある事だ。軽そうな見た目の女と一夏のお遊び。しかし優美のお眼鏡には適わなかったらしく、断られたが必死に食い下がっているようだ。優美が怒声を浴びせる。仕方ない。どっちを助けるのか知らないが、見てしまった以上素通りは出来ない。ため息を吐きながら振り返って階段を登りかけると美優が降って来た。何を考えたのか、馬鹿が優美を突き飛ばしたらしい。後の事は良く覚えていない。抱き止めて、このまま転げ落ちたら死ぬと判断したのか、左足が反応した所までは覚えているが、それから先は記憶にない。
右足腓骨の単純骨折。背中に打撲。後頭部に浅い裂傷。検査機械にぶち込まれたが中身は無傷らしい。偶然見かけた奴の話によると優美を掻っ攫うように真横に飛んで壁にぶち当たったあと一回転して右足を楔にするように止まったらしい。角度が悪く足はその時に折れたようだ。すぐに駆けつけてくれた友人の顔は覚えているが、救急車の中やその後は覚えていない。医者が「頭は頑丈だけど足はそうじゃなかったみたいだねぇ。」と冗談を言っていた。優美は無傷だった。それなら良いか。ベッドの隣に置いた椅子の上でリンゴの皮を剥いている。
「いやぁ、ホント、ありがとね。」
「別に良いよ、これで暫く休める。」
全治は一ヶ月。経過観察や検査を兼ねて一週間程の入院となった。入院の必要は無いと思ったが、頭を打ったのが悪かったらしい。
「ねぇ、巽君?」
「ん?」
優美が切り分けたリンゴを素手で差し出して来た。
「妹ちゃんも、あんな風に守ったの?」
「さぁ? 覚えてない。つーか一々覚えてねぇって。」
リンゴを受け取って食べる。少し酸っぱい。
「ふぅん?」
優美の顔が近い。
「何してるの?」
妹の声が飛んで来た。その隣に居た友人は額に手を当てた。
「あー、やだなー、妹ちゃん変な誤解してるでしょ? 巽君がリンゴ食べたいって言ったから。」
言い訳するより話題を逸らそうとしているようだった。それも言い訳なのだろうか。俺にはよく分からない。
「手は無事なんですから、兄は自分で食べれます。それに、仮にお礼と称するにしても顔を近付ける必要はないでしょう?」
妹様は完全にお怒りモードだった。こうなると二、三日は機嫌が悪いままだ。
「ところでお兄ちゃん。」
「移動は母さんも友達も居るから大丈夫だろ。」
「巽君、心配するトコが違うと思うよ?」
優美が横槍を入れる。妹は目を吊り上げた。
「嫌です。なので、私もここに泊まります。」
「無理だって、ここ病院だよ?」
優美が笑う。俺は窓の外に視線を向けた。火に油。残念ながらこの炎を消す方法は無い。
「貴方には何も訊いてません。」
「うぉ、巽君、妹ちゃんってこんなに怖かったっけ?」
「それに、私は翼って名前があります。そろそろ妹ちゃんは止めて下さい。」
ため息の数ばかりが増える。幸い病院の近くに住んでいる友人が毎日授業のノートを見せてくれるし、もう直ぐ夏休みだ。心配事は少ない筈なんだけれど。
「じゃあ翼ちゃん。」
「なんかムカつきますけど、それなら良いです。」
なんでこんな事になってんだ? そういえば優美を突き飛ばした奴はどうなったんだろうな。停学か、警察沙汰になってなければ良いが。
「巽君ってさぁ、なんかの教祖様でもやってんの?」
「いや?」
「ふぅん、じゃあ、なんでそんな聖人みたいな振舞いなのサ。」
言っている意味がよく分からなかった。俺は俺が思うようにしているだけだ。誰のお告げも受けちゃいないし、教祖にも聖人君主になる気もない。
「お兄ちゃんだからですよ、それすら分からないんですか?」
「おおぅ、翼ちゃんは手厳しいね。」
とりあえず妹の泊まりに関しては病院としても家族としても認められず友人に連れられての帰宅となった。優美も帰った。母の負担が増えるだろうな。心配事が増える。壊れたのは片足だけだ。今まで通りとは行かなくても、できる事はある。俺に寝てる暇なんて無い。
「兄ちゃん、随分張りつめた顔だな。」
隣のベッドの老人に声をかけられた。
「ええ、色々ありまして。」
「そうか。まぁ、若い内はそうだろう。将棋か囲碁か、どっちかできるかい?」
将棋なら少しは、と言うと老人はゆっくりとした動きで小さなテーブルに大きな将棋台を乗せて駒を散ばせた。
「いてて、儂は膝が悪くてのぉ、リハビリもどうなるか。」
そんな事を言いながら駒を並べて行く。
「はぁ、あの、俺、そんなに強くないですよ?」
「構わん構わん、遊びじゃ遊び。」
老人は居飛車党らしかった。付き合ってみる。古い棋譜で見た相掛かり。何とか再現はできたが完敗だった。
「お前さん、遠慮せんで良いんだぞ?」
また駒を並べる。飛車先を突いて来る。構わず飛車を振る。老人の目が光った、ような気がした。長い将棋になりそうだった。
「犠牲は付き物、だが、結果が伴わなければ意味が無い。」
大駒が突っ込んで来る。口に手を当てた。老人はにやりと笑った。
「そこまで読めるなら、もっと好きにすれば良いだろう。人生なんぞ一度きりの遊びじゃ。」
穴とは思っていなかったが、十数手後には負けていた。
「ん、晩飯の時間じゃな。ま、後悔の無いようにな。」
駒と将棋台は俺が片付けた。夕飯は、安価で薄味。母や妹が作る物とは全く違う物だった。隣の老人は何か楽しげに笑いながら旨そうに平らげた。俺も同じようにする。後悔、か。考える暇もなかった。いや、考えようともしなかった。忙しいフリをして、全てから逃げていた。
退院の日、結局その日まで老人には一勝しかできなかった。
「元気でな。暇になったらまた指しに来い。なんなら囲碁も教えてやるぞ。」
「ええ。お願いします。貴方も、リハビリ頑張って下さい。」
必要の無くなった荷物は前日に父が持って行ってくれた。残ったリュックに入るだけの荷物を背負って病室を出た。外はすっかり夏だ。陽射しが痛い。父が駐車場で待って居るらしいので松葉杖をつきながらエントランスの階段を降りていると何やら喧嘩が始まっていた。無視しよう。
「優美さん、お兄ちゃんは私がエスコートします。」
「お、翼ちゃん難しい言葉知ってるねぇ、でも、巽君は私が支えてあげるのサ。」
妹と優美が言い争っている。良い傾向だ。遠くにまだ青い楓の葉が見えた。青紅葉。花言葉は。少し笑った。あの二人には、よく似合う。そう思いながら階段を降り切った時、二人に見付かった。大きな二人の声が俺を呼んだ。
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