架空の夢

笹森賢二

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#14 ある日常

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   ──吹雪の前に。



 寒い。手足が冷たい。歩き難い。眼鏡に張り付いた雪で前が見えない。そもそも大きなリュックと入り切らなかった荷物が重い。流石に買い込み過ぎたか。どれもどうでも良い。できる事は二つ。塒にしている安アパートの自室の隣、依頼人の部屋まで歩き切るか、それよりは近い友人の部屋に荷物を土産に上がり込むか。何れすべき事は、歩く事だけだ。
 着いた頃にはほぼ思考は停止していた。数秒呆けてから呼び鈴を鳴らした。どたばたと音が聞こえて来て、扉が開いた。
「いやぁ、悪いねぇ、こんな雪の日に。」
 出て来たのは小柄な女性だった。在宅ワークのエンジニアらしいが、かなりの物ぐさで冷蔵庫やその他貯蔵庫が空になるまで気が付かないような奴だ。連絡が入ったのは一時間前。予報では十分もしないうちに雪が降り始め、数日居座る低気圧のお陰で吹雪が続くらしい。車を持っていない俺は仕方なく大きなリュックを背負って外に出た。最悪な事に自転車はパンクしていた。徒歩だろうがそう遠くない位置にスーパーがある。降り出す前に急ごう。とりあえず適当に食材をカゴに放り込んで、さっさと帰ろうとしたらもう外は吹雪いていた。タクシーを呼ぶような距離でもないし、金も無い。そう思って歩き出したのが運の尽きだったようだ。
「町中で遭難するトコだったぞ。」
「あはは。適当に雪払って入ってよ。」
 言われた通り雪を払って入った部屋は暖房が利いていたが、髪に滑り込んだ雪は溶けない。玄関先に掛けたコートの雪は、暫く溶けないだろう。同じく雪の残った矢鱈と重いリュックを床に置いた。重い理由は荷物の多くが液体だからだ。最小限にした心算だが、殆ど尽きかけていた調味料を一気に買い込み、数日吹雪が続くとの予報を信じて食材も同じくらい買った。そうしないと俺の部屋に貯蔵している物を分け合うか、吹雪の中の強行軍になる。それこそ遭難しかねない。
「いやぁ、悪いねぇ、片付けはボクがやるからお酒でも呑んでてよ。」
 置き場所は当人が決めた方が良いだろう。まぁ、恐らく俺の方が使う機会が多いのだろうが。ため息をつきながら炬燵へ向かうとウイスキーの瓶と常温の水で満たされたペットボトルが置いてあった。ビーフジャーキーも一袋だけあったが、恐らくこれが奴の最後の食糧だろう。
「お前さー。」
 狭い台所を動き回る奴に問い掛ける。
「何?」
「生活能力って知ってるか?」
「知ってるけど、私には無いよ。」
 即答されてしまった。都合良く、と言うより恐らくそろそろだろうと隣人の様子を見に行く俺の所為もあるのかも知れない。
「だから、キミが面倒看てよ。お金はちゃんと払うからさぁ。」
 恐らく洗っていないだろうグラスにウイスキーと水を放り込んでそのまま飲み込む。ついでにスマホで雪雲の動きを確認してみた。延々と濃い色が流れ込んで来ている。淡い期待を抱きながら範囲を広げても晴れている場所は殆ど無い。ため息を吐く。悪い予報は良く当たる。そんな時。レンジが動き始める音が聞こえた。
「おい、簡単に作れるのは残しとけって。」
「えー、だってキミ疲れてるでしょ?」
 こいつの手料理を食べられる日は恐らく来ないだろう。
 暫くしてテーブルに並んだのはせめて皿に盛られて暖められた缶詰の中や、そのまま食べられるパック食品、菓子。
「あ、お米送って貰ったから持って行っていいよ。」
 片付けを終えたらしいそいつは常温の水割りウイスキーを作りながら言った。実家が農家らしく、定期的に米やら食材が送られて来ている。足りない物は俺が買いに行かされるから、もう一年近く近所のコンビニ以外で買い物をしていないだろう。服の類さえ通販で揃えていると言っていた。
「ねー、キミー。」
「何だよ。」
 そいつはグラスの中身を一気に呷った。
「いっそ一緒に住んでくれない?」
 明後日の方を見上げた。偶に来て買い物に掃除をしているのに、次は洗濯でもさせるつもりか。
「お前在宅勤務だろ。家事くらい自分でやれ。」
「いやぁ、知ってるでしょ? 一回集中しちゃうと夕方になってるんだよねー。」
 頭を掻くそいつを眺めながら、その内呼吸まで忘れそうだなと思った。
「考えといてやるよ。」
 一瞬、そいつが止った。俺は気が付かないフリでグラスの中身を呷った。
「嫌じゃないんだ?」
「嫌なら今ここにいねぇよ。」
 そいつはゆっくりとグラスに唇を付けた。
「ふぅん。そう、そうなんだ。」
「なんだよ。」
「ううん? なんでも?」
 夜が更けて行く。瓶の中、琥珀色の液体が消えて行く。ペットボトルが何度か空になった。途中から入れ始めた輪切りのレモンが皿に積み上がって行く。明日も明後日も、次の週末も、恐らくこんな風に過ごすのだろう。酔いの回り始めた頭でそんな事を思った。
(了)
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