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〇2章【波乱と温泉】
9節~熱~ 5
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エアホッケー台に反射する照明の光が揺れ、銀のパックが左右へと鋭く跳ねる。
一進一退の攻防は、気づけば息も詰まるような同点のまま終盤へ入り込んでいた。
両者、額に滲む汗はすでに湯上りの熱気ではない。
残り時間は、ほんのわずか。
――次の一点。それが勝敗を決める。
「先輩、本気すぎません、かっ! そんなに後輩にウナギ、食べさせたくないん、ですかっ!?」
キリカが全身で勢いをつけながら腕を振る。
壁に跳ね返るパックの軌道に当たりをつけ、ヒロトはそれをカウンター気味に返す。
「バカ、俺は勝負に真剣なんだ。手ぇ抜かれて食べるウナギは美味しくない……だろっ!」
小柄な体を必死に左右に動かしながら、キリカは高速で迫る小さな円盤を防ぐ。
浴衣の袖がばさばさと揺れ、非常に動きづらそうだった。
「ウナギはどんな条件で食べても……美味しいですっ!」
ウナギへの情熱と共に、キリカは思い切りパックを叩く。
カァン、と鋭いショットが壁を二回叩きヒロトのゴールに迫った。
「うおっ!」
咄嗟に伸ばした手は、普段なら届かないような軌道をかろうじて撫でた。
かすかに触れたパックは、奇妙な回転をまとい――
「えっ」
「あっ」
くるりと曲線を描き、まるでキリカの手元を避けるかのような軌道でゴールに収まった。
その瞬間、タイムアップの音とともに『Win』の文字がヒロトのサイドに点灯する。
「ちょ……ちょっと! なんですか今の! ズルじゃないですか!」
「壁に反射させるだけが攻撃じゃないんだな、これが」
「うぅ……悔しい……! 絶対まぐれのクセに……!」
キリカが「うぐぐ」と拳を作って悔しがる。
負けたこと六割、ウナギを逃したのが四割、といったところだろうか。
と、そこへ――
「あ~~っ!! ずるい~~~~っっ!!」
弾丸のように、ももが飛び込んできた。
浴衣の裾をばたばた揺らしながら、勢いそのままヒロトと台の間に割って入る。
「なにやってるんですか! 二人だけでっ! 明坂せんぱいだけ、ずるいですっ!」
その声に、なんだなんだとしおりたちも寄ってくる。
「何で誘ってくれないんですか! 私とも遊んでください!」
「えぇ……俺、もう疲れたんだけど」
ヒロトのそっけない態度に、ももはぷくうと頬を膨らませる。
そんな彼を横目に見ながら、キリカは拗ねたように彼女に囁く。
「やめたほうがいいですよ……この人、ズルするから」
「えぇっ!? せんぱい、ズルしてまで勝ったんですか……?」
ほんのり距離を置くようなももの反応。
すみれやちひろからも軽蔑の視線が飛ぶ。
「うわぁ……大人げなー」
「ていうか、普通にやって明坂ちゃんに負けそうになるって……」
言いたい放題の周囲に、ヒロトは「人聞きの悪い嘘を流すな!」と叫ぶと、長い息を吐いた。
そして、今度はしっかりと右手を握る。
「よーし、来い。今度は言い訳の余地がないくらい、圧勝してやるから」
という彼の様子に、しおりから「大人げない」と呆れた声が漏れる。
しかし、今の彼にそんなことは関係なかった。
ももは少しだけ悩むような素振りを見せたあと、ひらめいたように笑い……ぎゅっとキリカの腕を取った。
「じゃあ、こっちは二人で!」
「えっ。いや、それは……」
と、困惑するヒロトだったが、強い言葉を使ってしまった手前、今さら引っ込めるわけにもいかず。
周囲がみんな敵だらけの中、無情にもゲームが開始された。
吐き出されたパックを力いっぱい弾くが、いとも簡単にガードされてしまう。
右、左と浴衣の裾を翻しながら打ち込んでくる二人。
ヒロトの得点がひとつ増えるまでに、相手の得点はその四倍を叩き出していた。
「……そういえば、先輩に買ったらウナギを奢ってくれるらしいですよ」
「えっ! ウナギ!?」
「ま、待て待て……!」
ももの目が一気に星を宿す。
それどころか、なぜか参加していない女子たちまで、スマホを構えながら色めき立った。
「高級ウナギ五人前なんて、太っ腹!」
「さすが、先輩はやることが違うなぁ」
「よっ、サブリーダー!」
口々に適当な声が飛ぶ。
ヒロトが「こいつら、酔ってるんじゃないか……」と呆れ果てていると、軽い音を立ててパックが自陣のゴールに滑り込んだ。
結果は、無惨なものだった。
ものの数分でボコボコにされ、言い訳のしようのない惨敗。
「やったぁ~!」
ももが嬉しそうにキリカとハイタッチを交わす。
キリカも、慣れない動作に少し戸惑いながら腕を掲げ、それでもいつもより柔らかな笑みを返した。
その無邪気な勝利の光景を、ちひろたちはお腹を抱えて笑いながら撮影している。
そして、容赦なくエアホッケー台に表示された悲惨なスコアと、対照的な二人の表情を写真に収めていた。
「中町さんの本気、大したことなかったね」
「浴衣とか胸元ばっかり見てたんじゃないの~?」
好き放題の野次が飛ぶ。
女子たちはすでに「ウナギいつにする?」と真剣に相談し始めており、そこに彼の意思は欠片も反映されていない。
ヒロトはエアホッケー台に片手をつき、魂が抜けたように深い息を吐いた。
視界の端で、勝ち誇った二人の浴衣の袖が揺れる。
……まぁ、楽しそうならいいか。
そう思うのと同時に、強く心に誓う。
どんな手を使ってでも、ウナギだけは阻止してみせる――と。
温泉旅館の古びたゲームコーナーに、そんな大人げない決意が静かに刻まれた。
一進一退の攻防は、気づけば息も詰まるような同点のまま終盤へ入り込んでいた。
両者、額に滲む汗はすでに湯上りの熱気ではない。
残り時間は、ほんのわずか。
――次の一点。それが勝敗を決める。
「先輩、本気すぎません、かっ! そんなに後輩にウナギ、食べさせたくないん、ですかっ!?」
キリカが全身で勢いをつけながら腕を振る。
壁に跳ね返るパックの軌道に当たりをつけ、ヒロトはそれをカウンター気味に返す。
「バカ、俺は勝負に真剣なんだ。手ぇ抜かれて食べるウナギは美味しくない……だろっ!」
小柄な体を必死に左右に動かしながら、キリカは高速で迫る小さな円盤を防ぐ。
浴衣の袖がばさばさと揺れ、非常に動きづらそうだった。
「ウナギはどんな条件で食べても……美味しいですっ!」
ウナギへの情熱と共に、キリカは思い切りパックを叩く。
カァン、と鋭いショットが壁を二回叩きヒロトのゴールに迫った。
「うおっ!」
咄嗟に伸ばした手は、普段なら届かないような軌道をかろうじて撫でた。
かすかに触れたパックは、奇妙な回転をまとい――
「えっ」
「あっ」
くるりと曲線を描き、まるでキリカの手元を避けるかのような軌道でゴールに収まった。
その瞬間、タイムアップの音とともに『Win』の文字がヒロトのサイドに点灯する。
「ちょ……ちょっと! なんですか今の! ズルじゃないですか!」
「壁に反射させるだけが攻撃じゃないんだな、これが」
「うぅ……悔しい……! 絶対まぐれのクセに……!」
キリカが「うぐぐ」と拳を作って悔しがる。
負けたこと六割、ウナギを逃したのが四割、といったところだろうか。
と、そこへ――
「あ~~っ!! ずるい~~~~っっ!!」
弾丸のように、ももが飛び込んできた。
浴衣の裾をばたばた揺らしながら、勢いそのままヒロトと台の間に割って入る。
「なにやってるんですか! 二人だけでっ! 明坂せんぱいだけ、ずるいですっ!」
その声に、なんだなんだとしおりたちも寄ってくる。
「何で誘ってくれないんですか! 私とも遊んでください!」
「えぇ……俺、もう疲れたんだけど」
ヒロトのそっけない態度に、ももはぷくうと頬を膨らませる。
そんな彼を横目に見ながら、キリカは拗ねたように彼女に囁く。
「やめたほうがいいですよ……この人、ズルするから」
「えぇっ!? せんぱい、ズルしてまで勝ったんですか……?」
ほんのり距離を置くようなももの反応。
すみれやちひろからも軽蔑の視線が飛ぶ。
「うわぁ……大人げなー」
「ていうか、普通にやって明坂ちゃんに負けそうになるって……」
言いたい放題の周囲に、ヒロトは「人聞きの悪い嘘を流すな!」と叫ぶと、長い息を吐いた。
そして、今度はしっかりと右手を握る。
「よーし、来い。今度は言い訳の余地がないくらい、圧勝してやるから」
という彼の様子に、しおりから「大人げない」と呆れた声が漏れる。
しかし、今の彼にそんなことは関係なかった。
ももは少しだけ悩むような素振りを見せたあと、ひらめいたように笑い……ぎゅっとキリカの腕を取った。
「じゃあ、こっちは二人で!」
「えっ。いや、それは……」
と、困惑するヒロトだったが、強い言葉を使ってしまった手前、今さら引っ込めるわけにもいかず。
周囲がみんな敵だらけの中、無情にもゲームが開始された。
吐き出されたパックを力いっぱい弾くが、いとも簡単にガードされてしまう。
右、左と浴衣の裾を翻しながら打ち込んでくる二人。
ヒロトの得点がひとつ増えるまでに、相手の得点はその四倍を叩き出していた。
「……そういえば、先輩に買ったらウナギを奢ってくれるらしいですよ」
「えっ! ウナギ!?」
「ま、待て待て……!」
ももの目が一気に星を宿す。
それどころか、なぜか参加していない女子たちまで、スマホを構えながら色めき立った。
「高級ウナギ五人前なんて、太っ腹!」
「さすが、先輩はやることが違うなぁ」
「よっ、サブリーダー!」
口々に適当な声が飛ぶ。
ヒロトが「こいつら、酔ってるんじゃないか……」と呆れ果てていると、軽い音を立ててパックが自陣のゴールに滑り込んだ。
結果は、無惨なものだった。
ものの数分でボコボコにされ、言い訳のしようのない惨敗。
「やったぁ~!」
ももが嬉しそうにキリカとハイタッチを交わす。
キリカも、慣れない動作に少し戸惑いながら腕を掲げ、それでもいつもより柔らかな笑みを返した。
その無邪気な勝利の光景を、ちひろたちはお腹を抱えて笑いながら撮影している。
そして、容赦なくエアホッケー台に表示された悲惨なスコアと、対照的な二人の表情を写真に収めていた。
「中町さんの本気、大したことなかったね」
「浴衣とか胸元ばっかり見てたんじゃないの~?」
好き放題の野次が飛ぶ。
女子たちはすでに「ウナギいつにする?」と真剣に相談し始めており、そこに彼の意思は欠片も反映されていない。
ヒロトはエアホッケー台に片手をつき、魂が抜けたように深い息を吐いた。
視界の端で、勝ち誇った二人の浴衣の袖が揺れる。
……まぁ、楽しそうならいいか。
そう思うのと同時に、強く心に誓う。
どんな手を使ってでも、ウナギだけは阻止してみせる――と。
温泉旅館の古びたゲームコーナーに、そんな大人げない決意が静かに刻まれた。
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