好きの手前と、さよならの向こう

茶ノ畑おーど

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〇2章【波乱と温泉】

9節~熱~ 6

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昔流行ったリズムゲームに盛り上がる女子たちの姿を眺めながら、ヒロトはふと視線を横へ滑らせた。
その喧騒からわずかに離れた場所。
古びたクレーンゲームの前で、ぽつんと立つキリカの姿が目に入った。

周囲の明滅する光から取り残されたように、彼女は静かにガラスの向こうを見つめている。
その横顔には、誰も近寄りがたいような静けさと、なにかを思い出している気配が漂っていた。

「何見てるんだ?」

そっと近づき声をかけると、キリカは小さく肩を跳ねさせて振り向いた。
驚きが先に走り、そのあとで、声の主がヒロトだと分かった瞬間、胸の奥に溜めていた息が抜けるように表情が和らぐ。

「あ。えっと……」

ちら、とキリカの視線がガラスの向こうに鎮座する、物言わぬ景品に向く。

「ああ、ぬいぐるみか?」

ヒロトもまた、つられるようにして筐体の中を覗き込んだ。
並んでいたのは、キーホルダーサイズの小さな女の子のぬいぐるみたちだった。
どこかレトロなデザインで、様々な色の制服姿のキャラクターがいくつも積み重なり静かに佇んでいる。

「……なんか、見たことあるな」

うっすら思い出す。
日曜の朝。
眠い目をこすりながら、母親が用意したトーストをかじり、明日からまた学校か……と憂鬱な月曜の気配を遠ざけるようにぼんやり眺めていたアニメ。

「子供の頃、好きだったんですよ」

キリカがぽつりと言った。
その横顔は、懐古に満ちた無防備な表情。

「毎週楽しみに見てて、ノートいっぱいに絵を描いたりして」

懐かしそうに微笑んだ。
大切な思い出を抱えるように、彼女はガラス越しのキャラクターたちを眺めている。
随分と長いこと、誰にも操作されていないであろう筐体のアームが、淡いオレンジの光を反射して鈍く光った。

「ふぅん……」

ヒロトはポケットを探り、財布の中から百円玉を一枚取り出す。
そしてそのまま、それを投入口に落とし入れた。

カラン、と金属の小さな音が響き、古ぼけた機械は、一転してまるで若返ったみたいに軽快な音楽を鳴らし始める。

「な、なにしてるんですかっ」

キリカが慌てたように声を上げた。
ヒロトは、操作ボタンに指を置きながら、あっけらかんと答える。

「え? だって、欲しかったんだろ?」

「い、いや、ただ懐かしかっただけで……」

キリカの声は、言い訳を探すようにしながら、次第に弱くなる。

「こんなの、子供用だし……お金も、もったいないですし……」

そんな言葉とは裏腹に、彼女の視線はずっとガラスの向こうに向けられたままだった。
彼女の小さな声を聞きながら、ヒロトは矢印のついたボタンを押し込む。
ガクンと引っ張られるようにアームが揺れ、頼りない調子で動き出す。

「いいんだよ、せっかく遊びにきたときくらい」

ボタンを離すと、停止したアームが大げさに左右に揺れた。
キリカはそんな彼の言葉と横顔に、ふっと嬉しそうに頬を緩ませる。

「……そもそも、遊びに来たんでしたっけ」

ぽそりとした声に、ヒロトはなにも答えない。
今回の旅が研修の名目を取った決起集会だということなど、もはや誰の頭からも抜け落ちていることだろう。

ごほんと一つ咳ばらいをして、ヒロトはもう一つのボタンを押す。
奥へと進むアームを目で追いながら、穏やかな口調で言った。

「まぁ、さっきのエアホッケーでの負けぶんだと思っておいてくれ」

言葉とともにボタンから手を離す。
ゆっくりと降下していくアームは――ぬいぐるみの横腹を軽く撫でただけで、ほとんど掠りもせずに元の位置へと戻っていった。

「……ヘタクソですね」

「うるさいな。じゃあお前がやってみろよ」

言いながら、ヒロトは次の百円玉を投入する。
キリカは浴衣の袖をまくりながら、意気揚々とボタンに触れた。

「いいですか? こういうのは、頭の方がちょっと重くなっているので、上の方を狙って……」

偉そうに解説をしながらアームを操作するキリカだったが、今度は掠りもせずに爪が床を引っ掻くだけだった。

「……あれ?」

「どっちもどっちじゃねぇか」

間抜けな声を上げながら首をかしげるキリカ。
そんな彼女の様子に、ヒロトは苦笑する。

「お、おかしいな……私、結構クレーンゲームの必勝動画とか見るの好きなのに……」

「見るだけと実戦は違うってことだな」

言いながらコインを投入し、今度はヒロトがボタンに触れる。

「あっ、先輩。私、あっちの青い髪の子が欲しいです」

「……先に言えよ。一番遠いし」

そこから、二人で交互に挑戦し続けた。
外して、外して、また外して――ときどき成功しかけ、悔しがり、笑い合いながら、ゆっくり、少しずつ、ぬいぐるみが出口へと転がっていく。

あちこち寄り道をした小さな景品は、プレイ開始から九百円目で、ようやく素直にその体をアームへと預けた。
がっちりと掬い上げられた青い髪の女の子は、そのまま抵抗することなくぽとりとゴールに落ちる。

「やった! 取れました!」

キリカが思わず高揚した様子で声を上げる。
そっと手を伸ばし、取り出し口に横たわるその小さなぬいぐるみを、大事そうに拾い上げた。

「俺たちの粘り勝ちだな」

ヒロトが笑う。
キリカは少しだけ俯いたまま、手の平に乗せた『成果』をじっと見つめていた。

「……ありがとうございます」

顔を上げたとき、その表情には感謝よりも強く、安堵の色が浮かんでいた。
ヒロトには、その感情の意味は分からない。
分からないけれど、ただ何も言わずに、小さく頷いた。

「さて。そろそろ行くか」

ヒロトが時計を見る。
宴会の開始時刻が近づいていた。おそらく、麻衣はもう会場にいることだろう。

「……はいっ」

キリカはぬいぐるみを鞄にしまいながら、今度は自然な足取りで彼の横に並んだ。
ヒロトは振り返ると、まだゲームコーナーではしゃいでいるメンバーたちに声をかける。

「おーい、そろそろ時間だぞ」

「えっ、もう!?」

「思ったより楽しめたねぇ」

「やった~、お酒、お酒!」

その明るい声の中、ももがぴょんとヒロトの横に寄ってきて、キリカの顔を覗き込んだ。

「……明坂せんぱい、何かありました?」

「へっ!? べ、別になにも……」

「……ふーん?」

じろりと観察するような目つきでキリカを見て、それからヒロトへ一瞬視線を送るもも。

「……ほら、とっとと行くぞ。遅れたら面倒だ」

その視線から逃げるように、彼は女子たちを連れて歩き出した。

浴衣の裾がふわりと揺れ、笑い声がついてくる。
そしてその少し後ろで――
キリカの鞄にしまわれた、青い髪の小さなぬいぐるみが、そっと揺れた。
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