ヨコハマ・イン・コード――心旅の果てに、港は語る――

しらかわからし

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第6章:仮の人生と赦しの影――幻想の果てに再生はあるか

第4話:夜の鎧を纏う女と綾香の誘惑と村瀬の揺れる良心

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十八歳の綾香は、夜の街で男たちを翻弄する一方、弟たちを守るために危うい生活を続けていた。彼女の魅力と哀しみは、村瀬の良心と欲望を揺さぶり、物語はさらに深い闇へと進んでいく。

綾香は何も言わず、木製のデスクの横の椅子に腰を下ろした。書類の山をちらりと見やり、バッグから細身のタバコを一本取り出す。その動きは、まるでルーティンのように滑らかだった。ライターの金属音が小さく響き、火が灯るまでの一瞬、彼女の横顔が炎に照らされる。

吸い口を唇に添え、静かに火をつける。煙がゆっくりと立ちのぼり、事務所の空気がわずかに揺れた。村瀬は言葉を飲み込んだまま、彼女の仕草に目を奪われていた。その姿は、場違いなはずなのに、なぜか完璧に『そこにいる』ように見えた。 
「おれもオッサンだけどな」
「マーちゃんはいいのよ。以前に客に絡まれた時に助けてくれたし、厭らしい目では見ないから」
村瀬の事務所で、綾香が小休憩する理由は、煙草を吸う場所に困ってのことだった。しかし、五十過ぎて、マーちゃんと呼ばれると、胸がざわつく。子供の頃を思い出すのかもしれない。

 来客用の紙コップを灰皿がわりにしながら、「今のまんまだったら、ジリ貧だもんねぇ」と綾香は甘えた口調で言った。
「そんなことないだろうよ」
 綾香がどうやって中年男をたぶらかしているのか、村瀬は見知っているからだ。

空が群青色に染まる時刻、本通りに近いビジネス街の暗がりで人待ち顔の中年男に近づき、煙草の火を貸してくれと言って相手の顔をのぞきこみ、「どっか遊びに行かない?」と誘うのだ。
たいていの男は戸惑う。その種の女性に見えないからだ。損保研修生時代の同期の三宅と待ち合わせていた村瀬は見るともなしに見ていた。

「いくら……?」と男が尋ねると、綾香は長髪を結った頭をかしげながら、「オジサンの思うだけでいいですよ」と彼女がふと顔を上げた瞬間、空気がわずかに張り詰めた。

アイラインは鋭く、まつげは扇のように広がっている。頬には艶やかなハイライトが走り、唇は深いローズ色に染められていた。その表情は、誰かに見られることを計算しているようでいて、どこか突き放すような冷静さもあった。

実際には十代のはずなのに、彼女の顔には「経験」という名の影が差していた。視線を交わすだけで、年齢を測ることが無意味に思えるほど、彼女は『自分』を纏っていたその表情で答える。

「カネによって、サービスがかわる事はないよな?」
「それはないですよ」と綾香は言って手を開いて出す。

男は札入れから札びらを出す。その瞬間、綾香の手がさっと伸び、札びらを抜きとる。それと察した男が彼女の手首をつかみ、「その手にはのらないよ」と言った。

彼女は押し殺した悲鳴をあげた。村瀬はなぜ、綾香を助ける気になったのか、今もわからない。男を突き飛ばし、彼女の手を引っ張って駆け出した。

「まじめに働けよ」と、そのとき、村瀬は綾香を叱った。
 街灯の灯る本通りまで逃げてきていた。
「母親が働かないから仕方ないの」綾香は頬をふくらませて言った。
「なんでもいいから、あぶない仕事はやめとけ」
  綾香はふふんと鼻で笑うと、「オジサンが、養ってくれますか?」
「おれには妻子がいる」
 そこへ三宅がやってきた。高層ビルが立ち並ぶ川崎のビジネス街の青雲損害保険株式会社に三宅は勤めている。もうすぐ独立して代理店の社長になる。生真面目を絵に描いたような男で、時間にうるさかった。
ラインで待ち合わせ時間と場所の変更を報せたが、三宅は綾香をひと目見て、落ち着きがなくなった。遅れたことに腹を立てているのだろうと思い、謝ったが機嫌はよくならなかった。
 三人で村瀬の事務所へ行き、コンビニで買ったもので飲み食いした。口を動かしている間中、三宅は上目遣いに綾香を盗み見ていた。一方の綾香は、三宅の視線に気づかないふりをした。
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