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第2話
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合唱教室のパート講師である薫子は、24歳という若さながら、日々の練習に真剣に取り組んでいた。その教室では、毎回3時間の練習時間のうち、1時間は発声練習に費やされている。発声練習は、合唱教室における基本的な作業であり、声という道具を磨き上げるために欠かせないプロセスだ。薫子もその重要性を十分に理解していた。
しかし、薫子はどこか釈然としない思いを抱えていた。合唱における声楽的技法ばかりが重視され、発声練習があたかもすべてであるかのように扱われる風潮に疑問を感じていたのだ。そもそも、合唱とは「合わせて唱う」ことに他ならない。「合」と「唱」の両方に、それぞれの技術が必要であり、それを学ぶべきだと薫子は考えていた。
薫子の頭の中で、合唱において鍛えるべき能力は2つに要約されるように思えた。
一つ目は、自由自在に声をコントロールして表現する力。声楽技法そのものだ。
二つ目は、瞬間、瞬間の演奏状況を聴き取り、臨機応変に修正する力。これは「合」に関わる技術で、仲間と音を合わせるために必要な能力だ。
具体的に言えば、音程や音色の微妙な違いを聴き分け、テンポやピッチがずれた際にすぐに修正する力だ。声のコントロールに焦点を当てた発声練習も重要だが、それだけでは合唱の真髄には届かないと薫子は感じていた。もっと音を合わせるための訓練に力を入れるべきだ、と。
薫子の目には、一部の「優れた声」の持ち主が逆に合唱のバランスを崩している光景が浮かんでいた。もし、そうした個人に「二つ目」の能力が欠けていれば、合唱はハーモニーを失い、全体が崩れてしまうだろう。声量が大きく、影響力のあるメンバーであればあるほど、その影響は大きい。これが、ソリストとしては優秀でも、合唱教室では疎外感を生む典型的な例だ。
だが、薫子は知っていた。一つ目と二つ目の技術は、独立して存在しているわけではない。二つ目の技術を発揮するためには、まず一つ目の技術がある程度習得されていなければならないのだ。演奏中にピッチがずれていることに気づいても、それを修正できる技術がなければ意味がない。
そのため、一般の合唱教室では「良い声」に偏りがちで、こうしたバランスの取れた技術が育ちにくい現状があった。そして、薫子はそうした教室の状況を改善したいと願っていた。特に、忙しい社会人が通う合唱教室では、効率的に一つ目と二つ目の技術を鍛える方法を考えたいと、日々悩んでいた。
そんな薫子が最も頼りにしているのは、音楽大学時代に結婚した同級生の夫だった。しかし、彼は薫子の真剣な話をまともに聞くことはなかった。彼はいつも、「薫子はパートなのに、なんでそんなに必死になっているんだ? パートはパートらしく適当にやればいいんだよ。それとも教室に参加している男にでも気があるのか?」と冗談めかし、薫子を軽んじていた。
薫子は夫の言葉に失望しつつも、独りで考え続けた。彼女にとって合唱は、単なる趣味ではなく、音楽の高みを目指すための大切な一歩だったのだ。そして、教室での練習をどう改善すれば全体のレベルを上げられるのか、日々頭を悩ませていた。
そんな薫子が、やがて夫との距離を感じ始めるのは自然な流れだった。彼女の情熱を理解せず、むしろ嫉妬の目で見る夫に対して、薫子は次第に心を閉ざしていった。代わりに、合唱教室での時間が彼女にとって唯一の安らぎになっていく。そして、彼女の心の中で何かが静かに変わり始めていた。
つづく
しかし、薫子はどこか釈然としない思いを抱えていた。合唱における声楽的技法ばかりが重視され、発声練習があたかもすべてであるかのように扱われる風潮に疑問を感じていたのだ。そもそも、合唱とは「合わせて唱う」ことに他ならない。「合」と「唱」の両方に、それぞれの技術が必要であり、それを学ぶべきだと薫子は考えていた。
薫子の頭の中で、合唱において鍛えるべき能力は2つに要約されるように思えた。
一つ目は、自由自在に声をコントロールして表現する力。声楽技法そのものだ。
二つ目は、瞬間、瞬間の演奏状況を聴き取り、臨機応変に修正する力。これは「合」に関わる技術で、仲間と音を合わせるために必要な能力だ。
具体的に言えば、音程や音色の微妙な違いを聴き分け、テンポやピッチがずれた際にすぐに修正する力だ。声のコントロールに焦点を当てた発声練習も重要だが、それだけでは合唱の真髄には届かないと薫子は感じていた。もっと音を合わせるための訓練に力を入れるべきだ、と。
薫子の目には、一部の「優れた声」の持ち主が逆に合唱のバランスを崩している光景が浮かんでいた。もし、そうした個人に「二つ目」の能力が欠けていれば、合唱はハーモニーを失い、全体が崩れてしまうだろう。声量が大きく、影響力のあるメンバーであればあるほど、その影響は大きい。これが、ソリストとしては優秀でも、合唱教室では疎外感を生む典型的な例だ。
だが、薫子は知っていた。一つ目と二つ目の技術は、独立して存在しているわけではない。二つ目の技術を発揮するためには、まず一つ目の技術がある程度習得されていなければならないのだ。演奏中にピッチがずれていることに気づいても、それを修正できる技術がなければ意味がない。
そのため、一般の合唱教室では「良い声」に偏りがちで、こうしたバランスの取れた技術が育ちにくい現状があった。そして、薫子はそうした教室の状況を改善したいと願っていた。特に、忙しい社会人が通う合唱教室では、効率的に一つ目と二つ目の技術を鍛える方法を考えたいと、日々悩んでいた。
そんな薫子が最も頼りにしているのは、音楽大学時代に結婚した同級生の夫だった。しかし、彼は薫子の真剣な話をまともに聞くことはなかった。彼はいつも、「薫子はパートなのに、なんでそんなに必死になっているんだ? パートはパートらしく適当にやればいいんだよ。それとも教室に参加している男にでも気があるのか?」と冗談めかし、薫子を軽んじていた。
薫子は夫の言葉に失望しつつも、独りで考え続けた。彼女にとって合唱は、単なる趣味ではなく、音楽の高みを目指すための大切な一歩だったのだ。そして、教室での練習をどう改善すれば全体のレベルを上げられるのか、日々頭を悩ませていた。
そんな薫子が、やがて夫との距離を感じ始めるのは自然な流れだった。彼女の情熱を理解せず、むしろ嫉妬の目で見る夫に対して、薫子は次第に心を閉ざしていった。代わりに、合唱教室での時間が彼女にとって唯一の安らぎになっていく。そして、彼女の心の中で何かが静かに変わり始めていた。
つづく
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