壁。

柚木よう

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クソガキ

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学校の壁をしている者です。学校とは素晴らしいですよ。いるのは先生と生徒だけ。特殊な環境、特殊な立場。1年ごとに狭く広く、様々な変化が訪れ、どれだけ美しい青春もいずれ必ず終わりを迎えます。いえ、終わりがあるからこそ、青春は美しいのです。......おっと、少々前語りをしすぎてしまいましたね。それでは私のとっておきを、お話致しましょう。

この高校の最終下校時刻は、18時15分。市内に流れる18時を知らせる音楽を合図に、遅くまで残っていた生徒達も一斉に下校の準備を始める。2月のこの時期、高3生は自由登校だ。数ヶ月前まではあんなに騒がしかった教室も、今ではがらんとしていて物寂しい。そんな人気のない3年生の廊下を、1人の教師が見回っていた。外はすっかり暗く、どの教室にも明かりはついていない。教師は手元のスマートフォンの明かりを頼りに、残っている生徒が居ないか丁寧に1つ1つ教室の扉を開けていった。18時を告げる音楽も流れきって、教師の足音とガラガラという扉の音だけが廊下に響く。さて、教師が自身が担任する3年4組の扉に手をかけた、その時。
「せーんせ、待ってたよ」
暗闇の中から不意打ちに声をかけられ、教師は情けない声を上げる。持ってるスマートフォンを落としそうになりながら慌てて中を照らすと、そこには席に座り、いたずらっぽく手を振る教師の教え子がいた。
「佐々木か、なんだよ驚かせやがって」
教師がやれやれと溜息をつく。佐々木と呼ばれた生徒は、そんな教師の様子を見てケタケタと笑った。
「久しぶり、元気?」
「......まあな。お前の方こそ元気か?」
「うん!元気だよ、進路も決まってるし毎日遊び放題」
佐々木はあっけらかんと答えると、おもむろに立ち上がり、教師の元へ近づいていく。教師はどう反応したらいいか分からない様子で、ただそれを黙って見ていた。
「何しに来たのか聞かないの?」
小柄な佐々木が、わざとらしく下から教師の顔を覗き込む。教師は咄嗟に顔を逸らし、ぶっきらぼうに言った。
「いいから、お前も早く帰れ。もうすぐ下校時間だぞ」
教師らしく下校を促すその声は、何かを誤魔化そうとしているようだった。もうとっくに気がついてしまっている何かに、触れまいとしているようだった。
「そういうの、傷つくんだけど」
立ち去ろうとする教師の背中に向かい、佐々木は小さな声でそう言って、下を向いた。先程までの生意気な立ち振る舞いとはうってかわって、随分と弱々しかった。教師の動きが止まる。
「......分かったよ。言いたいことがあるなら、聞いてやる」
観念したようにそう言うと、教師は振り返った。佐々木と教師の瞳がかち合う。
「俺が気持ち伝えようとしてるの、ずっと避けてきたでしょ。知ってるからね」
不満げにそう言われ、教師はバツの悪そうな顔をした。
「......ああ。悪かったよ」
少しの沈黙。教師はもう、目を逸らさなかった。佐々木の方はもう一度下を向き、震える手をギュッと握った。そして、息を大きく吸い込み、吐く。1呼吸置き、意を決して、再び教師の顔を見た。教室が緊張感でピリッと張り詰める。
「俺さ、先生のこと好きなんだよね」
そう口にして、佐々木はほっとしたように緊張を緩めた。やっと言えた、というように。対して教師の方は、ぐっと喉に返事が詰まっているようだった。咄嗟に出てきたものを必死に飲み込み、教師らしい言葉を捻出しようとしているのか、考えを巡らしていた。そんな教師の様子を、佐々木はただ愛おしそうに眺めていた。
「気持ちは素直に嬉しいよ。ただ、お前は学生で俺は教師だ。だから......その想いに応えてやることは出来ない」
教師は佐々木の目を見てはっきりと、そう告げた。
佐々木はそれに対し、分かっていたというようにゆっくりと頷いた。
「......勇気がいっただろ。ありがとな」
その声音はとても暖かかった。教師は佐々木の頭をくしゃくしゃと撫でると、再び教室の扉に手をかけた。
「ね、せんせ」
佐々木が少し掠れた声で呼びかける。教師が振り返ると、佐々木は教師の白衣の胸元をぐいっと引っ張り、呆気に取られている教師の唇にキスをした。教師が目を見開くのを見て、佐々木はいたずらっぽく、憎らしいほど満足気に笑った。
「じゃ、またねー」
動けずにいる教師を置き去りに、佐々木は颯爽と教室を出ていった。後に残ったのは、まるで何事もなかったかのような暗闇と静寂だけだった。いや、何も起こらなかったはずはない。その証拠に、教師は思わず片手で顔を覆い、その手で持ち上がった眼鏡がカチャリと音を立てた。
「......あの、クソガキッ」
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