壁。

柚木よう

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恋慕

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最近暑い日が続きますが、お元気でしょうか。私は、とある一族に代々受け継がれてきた屋敷の壁をしているものです。現主人は若いながらにビジネスの才能に溢れ、歴代でも類を見ない程の傑物です。しかしながら、プライベートの方には少々難ありでして......。

トントントン、と続けて3回扉が叩かれる。主人は持っていた書類から目を離さないまま、投げやりに「入れ」と言葉を発した。
「失礼致します」
神経質そうな顔つきをした執事は、低く落ち着いた声でそう言うと、軽く礼をした。
「坊ちゃん、お父上から言伝がございます」
「坊ちゃんはやめろと言ってるだろ。もうすぐアラサーだ」
「ああ、そうでしたね。失礼致しました、智昭ともあき様」
執事は静かに笑うと、中指で眼鏡を押し上げる。
「わざとだろ......。で、言伝の内容は」
「......いい加減、浮いた話の一つや二つ無いのか、と」
主人は思わず飲んでいたコーヒーを吹き出した。口元からポタポタと茶色い液体が零れ、質の良い洋服に染みができていく。執事はすぐに主人の元へ歩み寄り、懐から取り出した白いハンカチでその口周りを丁寧に拭った。
「全く、いくつですか」
ヤレヤレと呆れた様子で言う執事に、主人はバツの悪そうな顔をする。
「仕方ないだろ。お前が急にそんなこと言い出すから」
「そう言われましても、私はお父上の言葉をそのままお伝えしただけですので」
主人は額に手をやり、大きなため息をついた。
「それにしても、なんだって急にそんな......」
「急ではございません。前々からお父上もお母上も、智昭様のことを心配してらしたのです」
「心配ったって......。跡取りなら弟の子供がいるだろ」
「そういう意味ではございません。智昭様が独り身のまま寂しく老後を迎えられる事を危惧してらっしゃるのです。お母上がおっしゃるには、あの子が独り身が合ってるタイプなら良いのだけれど、そうではないでしょう?どちらかというと、寂しがり屋で誰かにそばにいて欲しくてたまらないタイプ。それなのに奥手で素直になれない。きっとファーストキスもまだ.......」
「余計なお世話だ!お前もわざわざ母さんの真似しなくていい!」
主人は顔を真っ赤にして、母親の口調を真似る執事の言葉を遮った。対する執事の方は、主人の反応が面白くて仕方ないといった様子で目を細める。
「私の知る限り、智昭様は生まれてこの方恋人が出来たことはございません。見目麗しく、お家柄も良い。世間一般的に言う優良物件間違い無しなのですけれどね」
「......うるさい。そもそも簡単に恋や愛にうつつを抜かしている世間の方がおかしいんだ。よく知りもしない人間に夢中になって自分をさらけ出すなんて、正気の沙汰じゃない」
そっぽを向きながら、よく回る口で毒を吐く主人に、執事は揶揄うように言った。
「レディーの前でもそれくらい饒舌にお話なさればいいのに」
「なっ、お前な......!」
「智昭様はビジネス以外の才能はからっきしですからね」
「それ以上言ったら減給するぞ」
「......失礼致しました」
ようやく執事が口を閉じると、主人はすっかり不貞腐れていた。
「......でも、お父上もお母上も、貴方様の幸せを祈っておられるのですよ。無論、私も」
その声音には、どこか温かみがあった。しばしの沈黙の後、主人がおずおずと口を開く。
「......確かに、俺はプライベートの人付き合いとなるとかなり口下手だ。でも恋愛ができない原因はそこじゃない」
「と、言いますと......?」
「分からないんだ。人を好きになる気持ちが分からない」
「では、今まで本当に誰にも、恋愛感情を抱いた事がないのですか」
執事が驚いたように目を瞬かせた。
「そうだよ、悪いか。大体お前だって未だに独身だろうが。モテるだろうに、女の影一つ見えやしない。恋愛なんてもうすっかりご無沙汰なんじゃないのか」
主人はもうヤケクソになっていた。開き直って執事に矛先を向けるが、当の執事は顔色も変えずに言葉を返す。
「そうですね。でも、片想いならしておりますよ」
「ほらやっぱり......え?」
予想外の返答に、主人の方が狼狽える。
「そ、それは意外だったな。俺の知ってる人か......?」
「ええ。よく知ってる人です」
執事はいつもの神経質そうな顔で、淀みなく淡々と答えた。対する主人は好奇心を隠せず、まるで思春期の中学生のように執事に質問を浴びせ続けた。
「どれくらい前から......?」
「さあ、気づくのが随分遅かったもので」
「結構長いんだな......。どんな人?」
「不器用だけれど、心優しい人です」
執事の表情が和らぐ。普段憎まれ口を叩いている姿からは想像もつかないような、愛おしい人を想う穏やかな表情だった。
「お前も、そんな顔をするんだな」
「......私も人間ですからね」
「その、辛くはないのか」
主人は気遣わしげな表情で、そう問いかける。執事は少しだけ目を見開くと、優しく微笑んだ。
「お傍にいられるだけで、幸せですから」
主人は立ち上がると、励ますように執事の肩を軽く叩いた。
「お前ほどの男にそこまで想われるなんて、その人は幸せ者だな」
「......そうでしょうか。こんなに想っているのに、一向に気づいてくださらないのです」
「とんだ馬鹿だな、そいつは。あーあ、俺も誰かにそんなに想われてみ......」
突如、その口が白手袋の手で塞がれる。呆気にとられて固まっている主人を、執事はそのまま机に押し倒した。その瞳には、いつになく熱が篭っていた。
「ええ、馬鹿ですよ本当に。貴方は」
執事は主人の両手を机に縫い止めると、ゆっくりと、その震える唇に口付けた。
「憎らしいほどに鈍感で......愛おしい」
2人の瞳がかち合う。執事の深い想いが自分に向けられていたことに、やっと気づいた主人の顔は、困惑すると共にどこかほころんでいた。
「びっくり......したけど......なんか、嬉しい、かも」
「......は?」
今度は執事が困惑する番だった。
「俺なんかの事好きになってくれる人なんて、一生現れないのかと思ってた。......ずっと辛い思いさせて、ごめん」
「......そういうところです」
思わず顔を覆った執事の様子に、主人は首を傾げた。

「私は、この仕事を辞めようと思います」
主人の服装を正しながら、執事が言う。
「仕事に私情を持ち込んで、あろうことか主人を押し倒すなど、執事失格ですから」
「嫌だ」
「はい?」
「言っておくがな、俺は今しがたファーストキスを奪われたばかりのチェリーなボーイなんだ。挙句、お前に去られたら、俺は一生お前のことが頭から離れなくなるだろうが」
耳を赤くしながらも、大真面目な顔だった。そんな主人の様子に執事が吹き出す。
「......それはそれでいいですね」
「良くない!命令だ、そんな理由でここを辞めるなんて許さないからな。大体押し倒したって言ったって未遂だし」
主人が執事を指差しながらそう言うと、執事はその手首を掴み、主人を自分の胸元へ思い切り引き寄せた。
「なっ......!」
そして主人の肩に手を回し、耳元で低く囁く。
「承知しました。しかし、次は未遂で終わると思わないことですね」
「は、はぁ?!」
真っ赤に染まった耳を慌てて押さえる主人に、執事はにっこりと笑った。
「辞めるなと言ったのは貴方ですからね。覚悟はしておられるのでしょう?」
「い、いや......」
「チェリーなボーイであられる智昭様には少々刺激が強いかもしれませんが、後悔しないでくださいね」
「じ、上等だよ。受けてたってやる」

主人が売り言葉に買い言葉で虚勢を張ったことを後悔するのは、また別の話。
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