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「家庭教師……?」
日向家の玄関先で、蒼の母・すみれは首を傾げた。
優太の心臓は、これまでにないほど激しく鼓動していた。サッカーの練習を外から眺めているだけでは、いつか「不審者」として通報されるカウントダウンがゼロになる。そんな強烈な危機感があった。 どうしても、合法的に、正々堂々と彼の隣にいたい。そのために、蒼と繋がっているLIMEを駆使し、母親が在宅している日を周到にリサーチした上での突撃だった。
「はい! 僕、こう見えても大学生なんです。蒼くんには以前、命を救われたと言っても過言ではないほどの恩がありまして……! ぜひ、そのお礼に勉強のお手伝いをさせていただけないでしょうか。もちろん、授業料は一円もいただきません!」
必死すぎる優太の形相に、すみれは「まあ」と少し驚いたように頬に手を当てた。
「無料だなんて、そんな。ねえ、蒼?」
すみれが背後の廊下へ声をかけると、ちょうど練習から戻ったばかりの蒼が、スポーツバッグを肩にかけ、面倒そうに顔を出した。 その周りでは、まだ幼い弟や妹たちが「誰?」「お兄ちゃんのお友達?」とはしゃぎながら、優太の足元を走り回っている。
「……別にいいんじゃね。やりたいなら、やってもらえば」
低く、温度のない声。蒼のクールな一言に、優太の脳内には幸せな火花が散った。
「蒼、算数の文章題がよく分からないって言ってたわよね?」
「ああ……あれ。言葉がいちいち回りくどくて、めんどくさいんだよね」
少し眉をひそめ、吐き捨てるように言った「めんどくさい」。 そのぶっきらぼうな口の利き方に、優太の胸は激しく撃ち抜かれた。
(……反抗期の入り口! 尖ってる! 鋭利なナイフのようなその眼差し……かっこいい……!)
もはや重症である。もはや信仰に近い。 そんな優太の内心など知るよしもないすみれは、穏やかに微笑んだ。
「助かります。下の子がいて、私はなかなか勉強を見てあげられませんし、主人の仕事も忙しくて。……それじゃあ、よろしくお願いします」
こうして、週に一度の「家庭教師」という名の、優太にとっての聖域へのパスポートが発行されたのだった。
*
「……で、この問題。時速4kmで歩くA君が、15分後に出発した時速12kmの自転車のB君に追い越されるのは、出発から何km地点か……っていうやつなんだけど」
「……うぜぇ。なんでわざわざ時間差で追いかけなきゃいけないんだよ。最初から一緒に行けよ」
蒼が吐き捨てるように毒づく。
「う、うざくない! 算数の世界ではよくあることなんだよ! 単位が『時速』と『分』でバラバラだから、そこに気をつけて」
優太は必死に虚勢を張っていたが、内心はそれどころではなかった。
蒼の子ども部屋。ブルーのカーテンに、憧れの海外サッカー選手のポスター。学習机の傍らには、表面が少し剥げかけた、使い込まれたサッカーボールが転がっている。わずか六畳一間の空間に、二人きり。丸椅子を引き寄せ、蒼のすぐ隣に座っているだけで、自分の鼓動が部屋中に響いているのではないかと不安になる。
蒼が鉛筆を動かすたびに、ふわりと石鹸のような、清潔な少年特有の匂いが鼻先をかすめる。ふと横を向くと、ノートを睨みつける蒼の横顔がそこにあった。まだ少し丸みを帯びた頬のライン、伏せられた瞬間に揺れる長いまつ毛、そして集中した時に少しだけ尖る唇。
(……ダメだ。近すぎる。俺、今どんな顔してる? 鼻血とか出てないか? ニヤついてないか!?)
優太が一人で自意識過剰の濁流に飲み込まれ、悶絶していたその時だった。カツン、と蒼が鉛筆を置いた。
「……さっきから、ジロジロ見すぎ。集中できないんだけど」
「えっ!? あ、いや、見てないよ! ほら、式が合ってるか確認してただけで……!」
「嘘つけ。顔、真っ赤じゃん」
蒼が椅子をくるりと回転させ、正面から優太を射抜いた。その瞳には、すべてを見透かしたような冷ややかな光が宿っている。
「お兄さんさ……本当は何しに来たの? 勉強を教えるのが、本当の目的じゃないでしょ」
冷たいトーンで突きつけられた言葉に、優太の背中を嫌な汗が伝う。目の前の少年は、大人が思っている以上にずっと鋭く、そして残酷なまでに「本質」を見抜こうとしていた。
「まさか、本当に俺のこと……『そういう目』で見てるわけ?」
優太の思考が、真っ白なノイズに埋め尽くされた。 もっとも恐れていた言葉が、もっとも聞きたくなかった声で放たれる。
「え、あ、それは……」
「気持ち悪い。……っていうか、ウケる」
蒼はクスクスと、肩を揺らして意地の悪い笑い声を上げた。それは憧れの少年の「可愛らしい笑顔」ではなく、対象を徹底的に見下し、排除しようとする拒絶の笑いだった。
「大学生にもなって、小学生相手に本気になってるの? 本気で付き合えるとでも思ってんの? 大学生が小学生に恋とか、ただの病気でしょ」
それは、子ども特有の無垢で、ゆえに研ぎ澄まされた純粋なナイフだった。 優太だって分かっていた。自分が抱いている感情が、世間から見ればどれほど歪で、危ういものか。友人に「変態」と揶揄されるたびに、ヘラヘラと笑って誤魔化してきた。
けれど、当の蒼に、ただの「嘲笑」の対象として突き放されること。その残酷さだけは、想像を超えていた。
「……あ」
視界が歪み、優太の目からぽろりと大粒の涙がこぼれ、算数のノートに染みを作った。 一度溢れ出すと、もう止められなかった。情けない。大学生の男が、小学生に正論で打ちのめされ、声を殺して泣いている。
「……え?」
蒼の声から、先ほどまでの余裕が消えた。からかい半分、優位に立ちたかっただけの彼にとって、目の前の大人がボロボロと涙を流し出すのは、完全に想定外の事態だったらしい。
「ごめん。……ごめんね、蒼くん。そうだよね、気持ち悪いよね。……俺、どうかしてた。全部、君の言う通りだ」
優太は震える手でノートを閉じ、無理やり口角を引き上げた。けれど、視界は涙でぐしゃぐしゃで、自分がどんな顔をしているのかも分からない。
「今日は、もう帰るね。……お母さんには、急用ができたって伝えておいて」
そう言うと、優太は逃げるように部屋を飛び出した。
「ちょっと、待てよ! 優太さん!」
背後で蒼が焦ったように呼ぶ声がしたが、振り返る勇気なんて一ミリも残っていない。玄関で迎えてくれようとしたすみれさんに挨拶する余裕もなく、優太はスニーカーをひっかけるようにして、夜の闇へと走り出した。
誰もいないブランコに座り、優太は一人で鼻をすすっていた。 夜の風が、涙で濡れた頬を容赦なく冷やしていく。
(……俺、何やってんだろう。本当に、蒼くんの言う通りだ。病気だよ。小学生を相手に、何を期待してたんだろ……)
分かっていたはずだった。あの時、危ないところを助けてくれた強さも、生意気な口の利き方も、サッカーに打ち込む時の眩しいほどの輝きも。 ただの大学生である自分が、遠くから「大人の余裕」を持って、微笑ましく眺めているべきものだったのだ。本気で傷つくような近さで、接していい相手ではなかった。
「……馬鹿だな、俺。本当に、最低だ」
自嘲気味に呟いた、その時だった。 暗闇の向こうから、タッタッタッという激しい足音が近づいてきた。 顔を上げると、そこには肩を大きく上下させ、必死に息を切らした蒼が立っていた。 街灯のオレンジ色の光の下で、小さな体が小刻みに震えている。
「……なんで、ここに……」
「……探したんだよ! どんくさそうな顔して、逃げるのだけは早いのかよ……!」
蒼は優太の目の前に仁王立ちになると、睨みつけてきた。
「……泣くなよ。大人のくせに。……あんなの、ただの冗談じゃん。ちょっと言ってみただけだろ!」
「冗談でも、きつかったよ……。でも、蒼くんの言う通りだから。俺、もう君の近くにいる資格なんてないんだ」
情けなく目を伏せる優太の言葉を、蒼が「チッ」と短い舌打ちで遮った。
「……バカなの? 資格とか、勝手に決めんな」
蒼が歩み寄り、乱暴に手を伸ばした。スポーツで鍛えられた、少し硬くて温かい指先が、優太の目尻に残った涙を拭う。
「……気持ち悪いなんて、本気で思ってねーよ。ただ……あんたが、俺のことずっと熱心に見てるから。……ちょっと、からかっただけだ」
蒼の声が、語尾に向かって微かに震えていた。
「……悪かったよ。言いすぎた。だからもう泣くな。来週も、教えに来いよ。……ちゃんと、勉強するから」
見上げると、蒼の耳元までが真っ赤に染まっていた。 それは、生意気な少年の、彼なりの精一杯の「謝罪」であり、不器用な「引き止め」だった。 優太は呆然としながら、自分の涙を拭った小さな手を見つめる。
(……ああ、やっぱり。俺、蒼くんには敵わないや)
胸の奥を焼いていた鋭い痛みは、蒼の指先の温もりに触れた瞬間、嘘のように溶けて消えていった。泣き腫らしてひどい顔をしている自覚はあったが、優太はふっと、今日一番の自然な笑顔を見せた。
「……ありがとう。やっぱり、蒼くんはカッコいいね。俺のヒーローだ」
「……っ、うぜぇ。やっぱ今のナシ。来なくていい、絶対来るなよ!」
直球すぎる優太の言葉に、蒼の顔が爆発したように赤くなる。彼は吐き捨てるように言うと、逃げるように背を向けた。
「あ! 今、来なくていいって言った! さっき『来い』って言ったばっかりなのに、どっちなの?!」
「うるせー! ほら、さっさと行くぞ!」
蒼は振り返りもせず、優太のシャツの袖をぐいっと掴んだ。 そのまま強引に、自分が走ってきた夜道を、今度は二人で引き返していく。
「ちょっと、蒼くん、引っ張らないでよ! 足、速いって!」
「あんたがノロマなのが悪いんだろ! 母さんが心配してっから、走るぞ!」
文句を言いながらも、蒼が袖を掴む手には、二度と逃がさないと言わんばかりの力がこもっていた。
日向家の玄関先で、蒼の母・すみれは首を傾げた。
優太の心臓は、これまでにないほど激しく鼓動していた。サッカーの練習を外から眺めているだけでは、いつか「不審者」として通報されるカウントダウンがゼロになる。そんな強烈な危機感があった。 どうしても、合法的に、正々堂々と彼の隣にいたい。そのために、蒼と繋がっているLIMEを駆使し、母親が在宅している日を周到にリサーチした上での突撃だった。
「はい! 僕、こう見えても大学生なんです。蒼くんには以前、命を救われたと言っても過言ではないほどの恩がありまして……! ぜひ、そのお礼に勉強のお手伝いをさせていただけないでしょうか。もちろん、授業料は一円もいただきません!」
必死すぎる優太の形相に、すみれは「まあ」と少し驚いたように頬に手を当てた。
「無料だなんて、そんな。ねえ、蒼?」
すみれが背後の廊下へ声をかけると、ちょうど練習から戻ったばかりの蒼が、スポーツバッグを肩にかけ、面倒そうに顔を出した。 その周りでは、まだ幼い弟や妹たちが「誰?」「お兄ちゃんのお友達?」とはしゃぎながら、優太の足元を走り回っている。
「……別にいいんじゃね。やりたいなら、やってもらえば」
低く、温度のない声。蒼のクールな一言に、優太の脳内には幸せな火花が散った。
「蒼、算数の文章題がよく分からないって言ってたわよね?」
「ああ……あれ。言葉がいちいち回りくどくて、めんどくさいんだよね」
少し眉をひそめ、吐き捨てるように言った「めんどくさい」。 そのぶっきらぼうな口の利き方に、優太の胸は激しく撃ち抜かれた。
(……反抗期の入り口! 尖ってる! 鋭利なナイフのようなその眼差し……かっこいい……!)
もはや重症である。もはや信仰に近い。 そんな優太の内心など知るよしもないすみれは、穏やかに微笑んだ。
「助かります。下の子がいて、私はなかなか勉強を見てあげられませんし、主人の仕事も忙しくて。……それじゃあ、よろしくお願いします」
こうして、週に一度の「家庭教師」という名の、優太にとっての聖域へのパスポートが発行されたのだった。
*
「……で、この問題。時速4kmで歩くA君が、15分後に出発した時速12kmの自転車のB君に追い越されるのは、出発から何km地点か……っていうやつなんだけど」
「……うぜぇ。なんでわざわざ時間差で追いかけなきゃいけないんだよ。最初から一緒に行けよ」
蒼が吐き捨てるように毒づく。
「う、うざくない! 算数の世界ではよくあることなんだよ! 単位が『時速』と『分』でバラバラだから、そこに気をつけて」
優太は必死に虚勢を張っていたが、内心はそれどころではなかった。
蒼の子ども部屋。ブルーのカーテンに、憧れの海外サッカー選手のポスター。学習机の傍らには、表面が少し剥げかけた、使い込まれたサッカーボールが転がっている。わずか六畳一間の空間に、二人きり。丸椅子を引き寄せ、蒼のすぐ隣に座っているだけで、自分の鼓動が部屋中に響いているのではないかと不安になる。
蒼が鉛筆を動かすたびに、ふわりと石鹸のような、清潔な少年特有の匂いが鼻先をかすめる。ふと横を向くと、ノートを睨みつける蒼の横顔がそこにあった。まだ少し丸みを帯びた頬のライン、伏せられた瞬間に揺れる長いまつ毛、そして集中した時に少しだけ尖る唇。
(……ダメだ。近すぎる。俺、今どんな顔してる? 鼻血とか出てないか? ニヤついてないか!?)
優太が一人で自意識過剰の濁流に飲み込まれ、悶絶していたその時だった。カツン、と蒼が鉛筆を置いた。
「……さっきから、ジロジロ見すぎ。集中できないんだけど」
「えっ!? あ、いや、見てないよ! ほら、式が合ってるか確認してただけで……!」
「嘘つけ。顔、真っ赤じゃん」
蒼が椅子をくるりと回転させ、正面から優太を射抜いた。その瞳には、すべてを見透かしたような冷ややかな光が宿っている。
「お兄さんさ……本当は何しに来たの? 勉強を教えるのが、本当の目的じゃないでしょ」
冷たいトーンで突きつけられた言葉に、優太の背中を嫌な汗が伝う。目の前の少年は、大人が思っている以上にずっと鋭く、そして残酷なまでに「本質」を見抜こうとしていた。
「まさか、本当に俺のこと……『そういう目』で見てるわけ?」
優太の思考が、真っ白なノイズに埋め尽くされた。 もっとも恐れていた言葉が、もっとも聞きたくなかった声で放たれる。
「え、あ、それは……」
「気持ち悪い。……っていうか、ウケる」
蒼はクスクスと、肩を揺らして意地の悪い笑い声を上げた。それは憧れの少年の「可愛らしい笑顔」ではなく、対象を徹底的に見下し、排除しようとする拒絶の笑いだった。
「大学生にもなって、小学生相手に本気になってるの? 本気で付き合えるとでも思ってんの? 大学生が小学生に恋とか、ただの病気でしょ」
それは、子ども特有の無垢で、ゆえに研ぎ澄まされた純粋なナイフだった。 優太だって分かっていた。自分が抱いている感情が、世間から見ればどれほど歪で、危ういものか。友人に「変態」と揶揄されるたびに、ヘラヘラと笑って誤魔化してきた。
けれど、当の蒼に、ただの「嘲笑」の対象として突き放されること。その残酷さだけは、想像を超えていた。
「……あ」
視界が歪み、優太の目からぽろりと大粒の涙がこぼれ、算数のノートに染みを作った。 一度溢れ出すと、もう止められなかった。情けない。大学生の男が、小学生に正論で打ちのめされ、声を殺して泣いている。
「……え?」
蒼の声から、先ほどまでの余裕が消えた。からかい半分、優位に立ちたかっただけの彼にとって、目の前の大人がボロボロと涙を流し出すのは、完全に想定外の事態だったらしい。
「ごめん。……ごめんね、蒼くん。そうだよね、気持ち悪いよね。……俺、どうかしてた。全部、君の言う通りだ」
優太は震える手でノートを閉じ、無理やり口角を引き上げた。けれど、視界は涙でぐしゃぐしゃで、自分がどんな顔をしているのかも分からない。
「今日は、もう帰るね。……お母さんには、急用ができたって伝えておいて」
そう言うと、優太は逃げるように部屋を飛び出した。
「ちょっと、待てよ! 優太さん!」
背後で蒼が焦ったように呼ぶ声がしたが、振り返る勇気なんて一ミリも残っていない。玄関で迎えてくれようとしたすみれさんに挨拶する余裕もなく、優太はスニーカーをひっかけるようにして、夜の闇へと走り出した。
誰もいないブランコに座り、優太は一人で鼻をすすっていた。 夜の風が、涙で濡れた頬を容赦なく冷やしていく。
(……俺、何やってんだろう。本当に、蒼くんの言う通りだ。病気だよ。小学生を相手に、何を期待してたんだろ……)
分かっていたはずだった。あの時、危ないところを助けてくれた強さも、生意気な口の利き方も、サッカーに打ち込む時の眩しいほどの輝きも。 ただの大学生である自分が、遠くから「大人の余裕」を持って、微笑ましく眺めているべきものだったのだ。本気で傷つくような近さで、接していい相手ではなかった。
「……馬鹿だな、俺。本当に、最低だ」
自嘲気味に呟いた、その時だった。 暗闇の向こうから、タッタッタッという激しい足音が近づいてきた。 顔を上げると、そこには肩を大きく上下させ、必死に息を切らした蒼が立っていた。 街灯のオレンジ色の光の下で、小さな体が小刻みに震えている。
「……なんで、ここに……」
「……探したんだよ! どんくさそうな顔して、逃げるのだけは早いのかよ……!」
蒼は優太の目の前に仁王立ちになると、睨みつけてきた。
「……泣くなよ。大人のくせに。……あんなの、ただの冗談じゃん。ちょっと言ってみただけだろ!」
「冗談でも、きつかったよ……。でも、蒼くんの言う通りだから。俺、もう君の近くにいる資格なんてないんだ」
情けなく目を伏せる優太の言葉を、蒼が「チッ」と短い舌打ちで遮った。
「……バカなの? 資格とか、勝手に決めんな」
蒼が歩み寄り、乱暴に手を伸ばした。スポーツで鍛えられた、少し硬くて温かい指先が、優太の目尻に残った涙を拭う。
「……気持ち悪いなんて、本気で思ってねーよ。ただ……あんたが、俺のことずっと熱心に見てるから。……ちょっと、からかっただけだ」
蒼の声が、語尾に向かって微かに震えていた。
「……悪かったよ。言いすぎた。だからもう泣くな。来週も、教えに来いよ。……ちゃんと、勉強するから」
見上げると、蒼の耳元までが真っ赤に染まっていた。 それは、生意気な少年の、彼なりの精一杯の「謝罪」であり、不器用な「引き止め」だった。 優太は呆然としながら、自分の涙を拭った小さな手を見つめる。
(……ああ、やっぱり。俺、蒼くんには敵わないや)
胸の奥を焼いていた鋭い痛みは、蒼の指先の温もりに触れた瞬間、嘘のように溶けて消えていった。泣き腫らしてひどい顔をしている自覚はあったが、優太はふっと、今日一番の自然な笑顔を見せた。
「……ありがとう。やっぱり、蒼くんはカッコいいね。俺のヒーローだ」
「……っ、うぜぇ。やっぱ今のナシ。来なくていい、絶対来るなよ!」
直球すぎる優太の言葉に、蒼の顔が爆発したように赤くなる。彼は吐き捨てるように言うと、逃げるように背を向けた。
「あ! 今、来なくていいって言った! さっき『来い』って言ったばっかりなのに、どっちなの?!」
「うるせー! ほら、さっさと行くぞ!」
蒼は振り返りもせず、優太のシャツの袖をぐいっと掴んだ。 そのまま強引に、自分が走ってきた夜道を、今度は二人で引き返していく。
「ちょっと、蒼くん、引っ張らないでよ! 足、速いって!」
「あんたがノロマなのが悪いんだろ! 母さんが心配してっから、走るぞ!」
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