愛か、運命か(仮)

万里

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番外編「運命のその先で」2

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「……あんた、またそれか」

 仕事帰りの熱気に満ちた町中華。小気味よい鍋の音が響き、湯気と油の匂いが立ち込める店内で、湊は運ばれてきた餃子を口に運びながら、向かいに座る鷹志に呆れた視線を向けた。

 鷹志は、ビール瓶を手に取り、無意識に湊のグラスが空になるタイミングを読み、まるでお伺いを立てるようにビールを注いでいた。その所作は、いつもの傲慢さからは想像もできないほど慎重で、どこか「怯え」すら孕んでいる。

「……君は、麺は固めが好みだったか?」

「だから、何でも食うって言ってるだろ。あんた、俺を腫れ物に触るみたいに扱うなよ。気分悪い」

 湊は吐き捨てた。二人の距離は、この数ヶ月で確かに縮まっていた。仕事の後の食事、飾らない会話。鷹志は湊の「個」を知ろうと、必死に言葉を紡ごうとしていた。しかし、その必死さがかえって歪な違和感となって湊の肌に突き刺さる。鷹志が自分を気遣えば気遣うほど、その背後に「誰か」に対する深い後悔が透けて見えるからだ。

「……すまない。嫌な思いをさせた」 
「別にいいけどさ。……なんでこんなことするんだよ?」

 湊がチャーハンを口にし、不意に核心に触れた。鷹志の指先が、微かに凍りつく。

「……番がいたんだ。運命と言われる、Ωの番が。だが、去っていった……」 
「へえ、次長をフルなんて、骨のある奴ですね。で、なんでフラれたんです?」

「……俺が、あまりに勝手だったからだ。運命という言葉に甘え、番にさえしてしまえば、彼が俺の所有物になるのだと勘違いしていた。だから、彼は壊れていったんだ……。取り返しのつかないことをした」

 鷹志はぽつりぽつりと、まるで神父に懺悔するように言葉を零した。その横顔には、ただ過去の過ちに焼き苛まれる一人の男がいた。

「……だから、番を解消した。彼を自由にするために。彼の人生から、俺という番を消し去るために。彼が、俺ではない別の男の隣で、ただの人間として笑えるように……。俺には、それしかできなかった」

「ふうん。……でも、今はそうでもなさそうだけど。そんなに後悔してるから、一生懸命、こうやって俺のことを口説いてくれてるわけだ?」

 湊の直球すぎる言葉に、鷹志は虚を突かれたように目を瞬かせた。 

「ま……まあ、そう、だな。不快……だろうか?」

「……ま、あんたのその情けないほど必死なところは、嫌いじゃないよ。次長さまのクセに、こんな油っこい店まで付いてきてさ」

 湊がふっと柔らかく笑う。その笑顔に、鷹志は救われたような、けれど同時に鋭い痛みを感じた。

 店を出ると、湿り気を帯びた夜風が心地よかった。並んで歩く道すがら、湊がふと足を止めて、街灯に照らされた鷹志を見上げた。

「あんたさ、本当に俺でいいわけ? あんたが声をかければ付いてくるΩなんて腐るほどいるだろ。地位も名誉もあるαなんだからさ。……俺は、番になんてなれない、ただのβだぞ」

 鷹志は足を止め、真っ直ぐに湊を見つめ返した。その瞳は、嘘偽りのない真剣な光を宿している。

「……ああ。君がいい。君でなければ、ダメなんだ」

 それは、かつて凪に向けていた執着とは違うものだと、自分に言い聞かせるような声だった。だが、そう断言する鷹志の視界の端には、今もまだ、夜霧に消えていく凪の残像が揺らめいている。

「……わかったよ。そこまで言うなら、信じてやるよ」

 湊が照れ隠しに鷹志の肩を小突き、先に歩き出す。その後ろ姿を追いかけながら、鷹志は自分の胸に宿った熱を確かめた。

 これが、新しい愛だと信じたかった。 凪への罪悪感を、湊への献身で塗り潰せるのだと、傲慢にも思い込もうとしていた。


 そのまま、流れるようにホテルへ向かった。 これまでは食事をして送るだけの、どこか臆病なほど「清い交際」だった。だが、互いの歩幅を合わせるように言葉を重ねてきた時間の果てに、体温を求め合うのは自然な流れだった。

 広々としたベッドの上で、鷹志は湊を抱き寄せた。 βである湊からは、かつての凪のように、αとしての本能を暴力的に掻き乱し、理性を崩すような甘いフェロモンは漂ってこない。ただ、微かな石鹸の香りと、彼自身の生命力が生み出す、潔いほど真っ直ぐで力強い体温があるだけだ。

(ああ、これが……対等な相手を抱くということか)

 鷹志は湊の肌に触れ、その弾力を、熱を、ひとつひとつ刻みつけるように確かめる。支配するための蹂躙ではない。慈しみ、通じ合おうとするための指先。湊もまた、鷹志の広い背中に腕を回し、少しだけ乱暴な熱い吐息をその肩に漏らしていた。

 だが、快楽が限界まで高まり、絶頂が近づいて理性が外れかかった、その瞬間だった。 鷹志の脳裏に、かつて同じように腕の中にいた、白く儚い残像が鮮烈にフラッシュバックした。

 自分に怯え、震えながらも、逃れられぬ運命に絶望していたあの男の姿。血を吐くような拒絶の瞳。その強烈な罪の記憶が、今目の前にいる湊の熱い肌と重なり合う。

「……っ、……凪……」

 その名は、静寂を切り裂く毒液となって、密室の熱狂の中にぶちまけられた。

 湊の身体が、背骨に氷を流し込まれたかのように一瞬で強張った。 絡めていた腕が力が抜けたように離れ、つい数秒前まで二人を包んでいた甘やかな空気が、一瞬で凍りつく。

 鷹志は己が放った言葉の重さに、心臓を素手で握り潰されたような衝撃を受け、目の前が暗転した。血の気が引き、耳の奥で嫌な耳鳴りが響く。

「……いま、なんて言った?」

 湊の声は、これまで聞いたことがないほど低く、地を這うように冷たかった。 鷹志は震える唇で、名前を呼び間違えた相手の顔を見る。そこにあったのは、かつての凪が向けたような「絶望」ではなく、鷹志という男を心から信じようとした「一人の人間」としての、激しい憤りと剥き出しの屈辱だった。

「……あ、……湊。済まない、今の、は……」

 鷹志が慌てて身を起こし、湊の肩に手を伸ばす。しかし、湊はその手を烈火のごとき勢いで振り払った。

「触るなッ!!」

 湊はベッドから飛び起き、床に散らばっていた服を無茶苦茶に掴み取った。その肩は怒りと、そして隠しきれない屈辱で激しく震えている。

「湊、聞いてくれ。わざとじゃないんだ。ただ……」 
「わざとじゃない? じゃあ何だよ、無意識か? ベッドの中で抱き合ってる最中に、無意識に別の奴の名前が出るのかよ……っ!」

 湊は裏返った声で叫び、シャツを頭から被った。乱れた髪を乱暴にかき上げたその瞳には、今にも溢れそうな涙が溜まっていたが、彼はそれを凄まじい気概で押し留めていた。泣いてやるものかという、彼の矜持。それがかえって鷹志の胸を抉る。

「最悪だ……。あんたは、最初から……ずっと、俺の向こう側にそいつを見てたんだろ」

「違う! 俺は、君という人間を……」 

「何が違うんだよ! さっき言ってた、『運命の番』が凪ってやつか? 答えてみろよ!」

「……それは……」

 鷹志が言葉を詰まらせたことが、何よりの肯定となった。 湊の声は、怒りを通り越して、深い悲鳴のように震えていた。

「馬鹿にするなよ。俺は『代用品』じゃない。あんたの寂しさを紛らわせるための、都合のいい人形じゃないんだよ……! あんた、本当に最低だな!!」

「湊……」

「触るな。……あんたの顔なんて、もう二度と見たくない」

 湊は震える手でベルトを締め、靴を履くのももどかしそうに、ホテルの重いドアを叩きつけるように閉めて飛び出した。

 後に残されたのは、静寂という名の冷気が支配する密室。 鷹志はシーツを握りしめ、ただ自分の愚かさに打ちひしがれることしかできなかった。

 自分がしたことは、形を変えただけの、新たな「暴力」だった。 凪を力で支配したあの頃と、本質的には何も変わっていない。目の前にいる「一人の人間」そのものを見ていないという点において。自分はまた、愛という免罪符を掲げながら、誰かの尊厳を無残に踏みにじったのだ。
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