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ume_musubi

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 五月下旬の昼下がり。就活を終え無事内定を貰った大学四年生の僕は、大学を卒業するまでの間、空いた時間を利用して小遣い稼ぎに家のケーキ屋の手伝いをしていた。
 街から春の匂いはすっかり消え、じんわりと差し込む初夏の日差しが陽気だ。平日のため店内はガラガラで、僕はレジカウンターの前で斜め分けの前髪をいじりながら、ぼんやりと卒論のことを考えていた。アルバイトの女の子が、店内の窓という窓を拭きながら僕の方を振り向いて言う。
「まーちゃん。四時予約のバースデーケーキなんですけど、時間見てデコペンの湯煎しておいてくれませんか」
 彼女は専門学生の二年生で僕より年下だが、この店でのバイト歴は彼女の方がずっと長いので、僕からお願いしてあだ名で呼んでもらうようにしている。
「了解、三木さんもそろそろ休憩行きなよ。なんなら掃除代わろうか?」
「ありがとうございます、あとこれ一枚だけですから。これが終わったら休憩させてもらいますね」
 なんたってこんな小さいケーキ屋で、好き好んで三年間だったか四年間だったかアルバイトをしているのか気が知れなかったが、彼女はパティシエを目指しているそうで、学校でも製菓学科を専攻しているという。そのため、ケーキ屋の息子とはいえ手伝いを始めて二週間かそこらの僕よりもずっと頼りがいがあって、ラッピングは勿論、簡単なデコレーションなんかも彼女の担当だ。
「終わりました。お先に休憩いただきまーす」
「ゆっくりしてきて」
 水の入ったバケツを軽々と持ち上げ僕に会釈すると、彼女は奥の厨房に消えて行った。何気なく厨房を覗くと、ガラス張りの向こう側で父がホールのデコレーションケーキの仕上げに取りかかっていた。四時、か。あと二時間はあるな。
 ショーケースに目を落とすが、きちんと配列されていて手を加えるまでもない。店内は三木さんの手によって隅々まで掃除されており、この家の者と言えどもやることの無さに肩身が狭く感じる。
 店先に目をやると、小さくとも街の一角の数少ないケーキ屋ということで、窓から店内を覗きながら歩く通行人がちらほら見受けられるが、一向に客としては入って来そうになかった。
 二時半頃だっただろうか。
 いよいよ退屈すぎてレジカウンターで項垂れていたときだった。
 カラン、コロン。
 店の扉が控えめなベルの音を立てて開く。客だ、と顔を挙げた僕の前には、華奢な体つきをした、肩につくかつかないかくらいのショートヘアの女の子が立っていた。
「い、らっしゃいませ」
 つい、息を飲んだ。可愛い、しかし女優並に美人というわけでもない。学校のクラスでいうと三、四番目に可愛いといった感じの、親近感がある可愛さの顔立ちをした、至って普通の女の子だった。
 彼女はにこっと僕に会釈をし、店内をゆっくりと見始めた。初めて来たのだろうか、ショーケースだけでなく店内のあらゆるところに置いてあるクッキーや焼き菓子等の商品もじっくりと、時折「おー」と息を漏らしながら見て回った。
 フリフリというわけではないがレースを惜しげも無く使ったオフホワイトのカットソー、淡いピンクベージュの膝丈のタイトスカート、ヒールが低めのベージュのパンプス、丁寧に手入れされていそうな革製のブラウンのトートバッグ。なるほど、雰囲気美人とはこのことだなと僕は思った。
 一通り店内を見て回り、ショーケースの前まで戻って来た彼女はその小さな唇に折り曲げた人差し指を当てて、吟味するようにケーキの一つ一つに目をやる。
「……この、イチゴのショートケーキを一つください」
 顔を挙げた彼女は首を少しだけ左に傾け、ショーケースを隔てた僕を見上げる様にして言った。声も可愛い。
「かしこまりました。少々お待ちください」
 どうしてか震える手つきで、僕はショーケースの戸を開けイチゴのショートケーキを取り出す。あ、箱を用意するのが先だった。なんでこんなにテンパってるんだろう、僕。
「持ち歩きのお時間はどうされますか?」
 箱にケーキを入れ終えてから僕が聞くと、その客はまたショーケースを見ていた。
「……あの?」
「あ、すみません。何か仰いましたか」
 言葉遣いも丁寧だ。
「持ち歩きのお時間なんですけど」
「三十分くらいでお願いします」
 かしこまりました、と言いながら僕は冷凍室から保冷剤を取り出そうとしたときだった。
「……その、もう一つ注文してもいいですか」
 彼女が恥ずかしそうに、控えめな声でそう前置きをし、
「マカロンのバニラも一つ、別で付けていただけませんか」
 ショーケースの一番端に陳列しているマカロンのコーナーを指差して言った。
 別に、ということは、どちらかは人にあげるものなのだろうか。先にケーキを注文したということは、おそらくケーキの方を人にあげるのだろう。マカロンは彼女が食べるのだろうか。一つだけ、バニラ味のマカロンを、彼女が。
 ほんの一瞬のうちに様々なビジョンが頭をよぎり、それでもなんとか瞬時に我を取り戻し、マカロンも別に包装してナイロンの袋にケーキの箱と一緒に入れた。
「六百二十六円になります」
 レジカウンターで、バッグから財布を取り出す彼女を改めて見た。
 丸顔でどちらかというと色白、髪色は弄っていないのか自然なダークブラウン。前髪は僕と同じ右側の斜め分けで、後ろ髪はサラサラのショート、というよりセミロングかな。財布を持つ手に目をやると、その指と手首はとても細く、少し力を込めると今にも折れてしまいそうだった。
「六百五十円お預かりします。二十四円のお返しです。お待たせしました、またお越し下さいませ」
 何か気の利いた世間話をしたいところだが、業務的な言葉しか出てこない自分が歯がゆい。彼女は商品を受け取ると、店を出る前にもう一度僕に会釈をし、控えめに扉を開けて店を出て行った。あれ、僕ありがとうございましたって言ったっけ。
「可愛い人でしたね」
「うわっ!?」
 いつのまにか背後にいた三木さんの声に驚き、僕は一歩分飛び退いた。
「休憩ありがとうございました。まーちゃんも休憩行ってください」
「ああ、ありがとう……」
 にやにやと僕を見ている三木さんの視線を払うべく、逃げるように休憩室に向かう。
 あの女の子が僕の胸に落とした何とも言えないこの感情は……恋といえば恋なのだろうけど。たった一目見ただけの客に恋に落ちるなんてどうかしてると、その感情を何でも無かったこととして、胸の片隅に追いやった。
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