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三木さんが居ない平日。客が居ないとはいえ店内の隅から隅まで、彼女は本当に丁寧に掃除していたのだなと感心した。すぐに埃は浮くし、ガラスは汚れるし、蜘蛛の巣も張る。
僕が代わって入念に掃除をするが、狭い店内といえどもあまりの隙間の多さとガラス部分の面積の広さに音を上げそうになる。
あまりの忙しさに今日が火曜日であることも忘れ掃除に熱中していると、カランコロン、と控えめなベルの音を立てて店の扉が開いた。
「いらっしゃいま、せー」
顔を挙げて客の顔を確認すると、僕は慌てて手を洗いに行きショーケースの後ろに立った。
「こんにちは」
彼女はいつもの可愛らしい笑顔ではんなりとはにかみ、ショーケースの前までゆっくりと歩いてくる。
僕は先週の、三木さんのあの横顔を思い出す。
恥ずかしくて、今にも消えたくて、気持ちが通じなくて絶望感に満ちて――それでも、ずっと隠していた気持ちを吐き出せたことによる達成感で、満足げな顔だったように思えるのだ。
――相当な勇気を出したんだろうな。
無邪気な笑顔でマカロンの陳列を指差す彼女と、三木さんの懸命な姿を重ねて、僕は目を細めた。
「あの、マカロンのピスタチオ一つください」
「は――、え?」
ピスタチオ? 今日はバニラも在庫があるはず。僕はマカロンの陳列に目をやった。
「すごく美味しかったんです。勧めていただいてありがとうございました」
そう言って彼女は、今までで一番の笑顔を僕に見せてくれた。
桜色の唇の口角が、半月型に細められた瞳が、緩んだ眉が、その全てが愛おしくてどうしようもなくって。
名前も、歳も、僕は彼女のことを何も知らない。知っているのはただ一つ、その笑顔だけだ――。
「あのっ!」
急に声を荒げたものだから、彼女の肩がぴくっと上がったのが分かった。
「あ、すみません……えっと、」
エプロンのポケットに手を入れようとして、止めた。
彼女の目を見て口を開く。
「ずっとあなたのこと、笑顔が素敵な人だなって気になってました。……もしよかったら、連絡先交換してくれませんか」
――言えた。渡すつもりだった手紙に書いてあること全部。ちゃんと目を見て。
彼女は口に手を当てて、目を見開いてこちらを見つめている。
「……その、迷惑だったら無理にとは言わないし、水曜と土曜は僕は確実にお店にいないから、マカロンが食べたかったら是非その日に――」
そこまで言いかけて、彼女がバッグから小さな紙切れを取り出していることに気付いた。
口をつぐみ、差し出されたその紙切れを受け取る。震える手つきで開くと、そこには、おそらく彼女の名前と連絡先が書かれてあった。
僕も思わず目を見開き口を手で押さえ、彼女の方を見た。まっすぐこちらを見据えた彼女が口を開く。
「……私も、ずっと話しかけたいなって思ってて。でも勇気が出なかったんです」
そう言う彼女の目には涙が浮かんでいて、店の照明に反射してキラキラと光っていた。
「……嬉しすぎて言葉が出てこないです」
「私も」
目に涙を浮かべたままはにかむ彼女を見て、僕も笑った。駄目だ、僕も泣きそうだ。
「僕、関谷正樹って言います」
「私は秋山果穂と申します」
あなたを初めて見たとき、あなたと僕の仕草が被ってあなたが笑ったとき、あなたが僕を捜していたと聞いたとき、あなたが僕の勧めを聞き入れてくれたとき。僕とあなたの間には何かがあるって思ったよ。
貰った紙切れを握り締め、僕はすうっと息を吸った。
「はじめまして」
僕が代わって入念に掃除をするが、狭い店内といえどもあまりの隙間の多さとガラス部分の面積の広さに音を上げそうになる。
あまりの忙しさに今日が火曜日であることも忘れ掃除に熱中していると、カランコロン、と控えめなベルの音を立てて店の扉が開いた。
「いらっしゃいま、せー」
顔を挙げて客の顔を確認すると、僕は慌てて手を洗いに行きショーケースの後ろに立った。
「こんにちは」
彼女はいつもの可愛らしい笑顔ではんなりとはにかみ、ショーケースの前までゆっくりと歩いてくる。
僕は先週の、三木さんのあの横顔を思い出す。
恥ずかしくて、今にも消えたくて、気持ちが通じなくて絶望感に満ちて――それでも、ずっと隠していた気持ちを吐き出せたことによる達成感で、満足げな顔だったように思えるのだ。
――相当な勇気を出したんだろうな。
無邪気な笑顔でマカロンの陳列を指差す彼女と、三木さんの懸命な姿を重ねて、僕は目を細めた。
「あの、マカロンのピスタチオ一つください」
「は――、え?」
ピスタチオ? 今日はバニラも在庫があるはず。僕はマカロンの陳列に目をやった。
「すごく美味しかったんです。勧めていただいてありがとうございました」
そう言って彼女は、今までで一番の笑顔を僕に見せてくれた。
桜色の唇の口角が、半月型に細められた瞳が、緩んだ眉が、その全てが愛おしくてどうしようもなくって。
名前も、歳も、僕は彼女のことを何も知らない。知っているのはただ一つ、その笑顔だけだ――。
「あのっ!」
急に声を荒げたものだから、彼女の肩がぴくっと上がったのが分かった。
「あ、すみません……えっと、」
エプロンのポケットに手を入れようとして、止めた。
彼女の目を見て口を開く。
「ずっとあなたのこと、笑顔が素敵な人だなって気になってました。……もしよかったら、連絡先交換してくれませんか」
――言えた。渡すつもりだった手紙に書いてあること全部。ちゃんと目を見て。
彼女は口に手を当てて、目を見開いてこちらを見つめている。
「……その、迷惑だったら無理にとは言わないし、水曜と土曜は僕は確実にお店にいないから、マカロンが食べたかったら是非その日に――」
そこまで言いかけて、彼女がバッグから小さな紙切れを取り出していることに気付いた。
口をつぐみ、差し出されたその紙切れを受け取る。震える手つきで開くと、そこには、おそらく彼女の名前と連絡先が書かれてあった。
僕も思わず目を見開き口を手で押さえ、彼女の方を見た。まっすぐこちらを見据えた彼女が口を開く。
「……私も、ずっと話しかけたいなって思ってて。でも勇気が出なかったんです」
そう言う彼女の目には涙が浮かんでいて、店の照明に反射してキラキラと光っていた。
「……嬉しすぎて言葉が出てこないです」
「私も」
目に涙を浮かべたままはにかむ彼女を見て、僕も笑った。駄目だ、僕も泣きそうだ。
「僕、関谷正樹って言います」
「私は秋山果穂と申します」
あなたを初めて見たとき、あなたと僕の仕草が被ってあなたが笑ったとき、あなたが僕を捜していたと聞いたとき、あなたが僕の勧めを聞き入れてくれたとき。僕とあなたの間には何かがあるって思ったよ。
貰った紙切れを握り締め、僕はすうっと息を吸った。
「はじめまして」
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