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1『月の女神に愛された少女』
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「うわっ何だお前、本なんか読んで泣いてんのか?!」
兄の智則が突然私の部屋のドアを開けてそう言った。
「智兄ぃ(ともにぃ)こそ何! ノックもしないで。あたしが着替えとかしてたらどうすんのよ!」
「お前の着替えなんか見たら俺、吐くわ」
「なにぃ~花も恥じらう女子大生のあたしに向かって何て事言うんだよ、失礼な!」
「お前と漫才やってる暇はねえんだ。国語辞典貸りるぞ」
「国語辞典? はっ、智兄ぃが国語辞典見るなんて、雹でも降って来るんじゃないの?」
「うるせぇな、ちょっと調べ物があんだよ」
智兄ぃはそう言いながらあたしの机の上から国語辞典を探し出して持ち去った。
チェッ、せっかくの物語の余韻が台無しじゃない。
あたしはうつ伏せになって読んでいた本を閉じてベッドに仰向けになった。
あたしが読んでいた本は『月の女神に愛された少女』というライトノベル。
身分の低い貴族令嬢のリンがアカデミーで嫌がらせに遭いながらも王太子との愛を育み、身分の壁を越え結ばれるという何てことはないシンデレラストーリーだ。
今読んでいるのは、リンと王太子の婚約を妬んだ悪役令嬢ジュリエットがリンに毒を盛るというシーン。
内容はこんな感じだ・・・・。
_________
ごく平凡な午後だった。太陽は眩しく輝き、これから起こる凶事の欠片も感じさせないのどかな空気が流れている。
新しくジュリエットの侍女になったミナがお茶の用意を始めた。ミナはアカデミーでのジュリエットの同級生でもある。
「とてもいい香りがしますね。これは‥ラベンダーかしら?」
そう言いながらリン・パラディが現れると、そこだけまるでスポットライトに照らされたように明るくなった。いや、明るくなったように感じるのだ。
ピンクブロンドの柔らかな髪、琥珀色の大きな瞳、リンの愛らしい笑顔はそう思わせるほどのまばゆい美しさがあった。
「そうですわ、ジュリエット様が今日の為に特別に取り寄せたお茶なんです」いつになく緊張しているように見えるミナはお茶を淹れる手を止めてリンに微笑んだ。
「本当にいい香りだ。ラベンダーは君の好きな花だろう、良かったねリン」
リンと並んでやって来たこの国の王太子のゴードンがリンに笑いかけた。リンを見つめるその視線だけでこの王太子がどれほどリンを大切に思っているかが容易にうかがえる。
今日はゴードンとリンの婚約が決まったお祝いにジュリエットが王宮の一角を借りお茶の席を設けたのだ。
だがジュリエットの心内はお祝いとは正反対の、リンを憎む嫉妬の炎が渦巻いていた。
(本当なら・・本当なら私がゴードン様の隣に立つはずだったのに。リンに向けられた笑顔も優しい言葉も全て私の物だったはずなのに!)
そう、つい1年前までは王太子の花嫁の第一候補はジュリエットだった。
ジュリエット・クレイはクレイ公爵家の長女だ。身分の高さや美しい容姿、年齢などから王太子妃の第一候補とされ幼い頃から王宮に通い、厳しい妃教育を受けてきた。
家族や周囲からも次期王妃になるのは自分だと言い聞かせられてきたのだ。
ジュリエット自身もその期待に恥じない様にひたすら励んだ。難解な政治の話や沢山の外国語、王妃として必要な様々な知識、礼儀作法を何年もかけて詰め込んで行った。
その何年もの努力をリンが横からかっさらって行ってしまった。
ゴードンはアカデミーでジュリエットと同期に入学したリンに心奪われてしまったのだ。
「…エット様? ジュリエット様、どうかしましたか?」リンが心配そうにジュリエットの顔を覗き込んだ。
ジュリエットの意識は努力してきた過去の数年に飛んでいた。今までの努力は全て水泡に帰した。なんとむなしい事だろう。
そして自分から全てを奪ったこの女をこれから姉と呼ばなくてはいけなくなるなんて…。
王太子ゴードンがリンとの婚約を強行したため、王家は公爵家への体裁を取り繕うためにゴードンの弟ライオネルをジュリエットの婚約者にあてがったのだ。
「あ、いえ。少し寒気がして」ジュリエットは腕をさすりながら答えた。
「まぁ、それはいけません。あっ! そうだわ、こちらにいらして。 私と席を交換しましょう。ここの方が日当たりが良くて暖かいですから」
リンはサッと立ち上がった。「さあ遠慮なさらずにどうぞ」
ジュリエットは立ち上がり、亡霊の様にふらふらと席を移った。すかさずミナがジュリエットのお茶のカップを手に取った。
「カップは私が移動致しますわ」片手にジュリエットのカップとソーサーを。もう片方の手にリンのカップとソーサーを手にしたミナはそう言いながらカップを移動した。
「あの、今日はありがとうございます。私…実はジュリエット様には嫌われていると思っていたんです。でもこんな風にお祝いの席を設けて下さるなんて本当に嬉しくて」
幸福に輝くような笑顔をリンはジュリエットに向けた。対するジュリエットは色白の肌が更に青白く見える程顔色が悪かった。切れ長の目は深い海を思わせる蒼色だが暗く沈んでいる。だがなんとか笑顔を取り繕い言った。
「嫌っているなんてとんでもないわ。どうか今日は楽しんで行って下さいね」
「では早速ジュリエット様が用意して下さったお茶を頂きますわ」リンは満面の笑顔で暖かいお茶に口を付けた。
「本当にいい香りで美味しいわ。ジュリエット様、ありがとうございます」
ふた口目を口にしながらリンはジュリエットに視線を向けた。だがその美しい笑顔が突然苦悶に歪んだ。
「ゴホッ、ぐふっ」口元を押えながらリンが咳き込んだ。
「どうしたリン?」ゴードンが驚いてリンの背中をさすろうと手を伸ばしたが、その手は宙を舞った。
リンは椅子から崩れ落ちた。リンが手にしていたカップは地面に落ちて割れ、苦しそうに咳き込んだリンの口からは鮮血が吐き出された。
「きゃーーーっ」ミナの後方に控えていたメイド達が悲鳴を上げた。
「リン! これは一体…誰か医者を! 医者を呼べ!」
メイドの一人が急いで王宮に戻って行った。ゴードンは呆然と立ち尽くしているメイドに命じて水を持ってこさせ、リンに飲ませている。
ジュリエットは席に着いたまま虚ろな目で目の前の出来事が信じられないと言った表情をしていた。
医者はすぐ駆けつけた。
「これは毒です! パラディ令嬢が口にした物に毒が混入されていたに違いありません」
医者は助手と共にリンを王宮に運んで行った。「ひとまず王宮にて手当を行います」
ゴードンはそのままリンに付いて行きたかったが、騒ぎに呼ばれた王立騎士団の指揮をとった。
「今この場にいる者を全て拘束せよ! ここに在るものを王宮に運び、毒の所在を明らかにするのだ!」
すると後方でワッと泣き崩れる声がした。「も、申し訳ございません。こんな…こんな事になるなんて知らなかったんです。まさか毒物だったなんて」
ミナだった。がくがくと震えるミナは手で顔を覆い、ペタンと地面に膝をついた。
「茶を淹れたのはそなただったな。知らなかったとはどういう事だ?」ゴードンは険しい顔つきでミナの前に立った。
「それは・・その・・」ミナは顔を上げた。その視線は宙を泳いだが、未だにテーブルについたまま身動き一つしないジュリエットの元に辿り着いた。
その視線を追いゴードンは振り返った。「ジュリエット、説明して貰おうか」
ジュリエットは座ったまま青白い顔で、誰もいない前方を見つめながら独り言の様に呟いた。
「元々‥殿下の花嫁候補はわたくしでした。わたくしは幼い頃からずっと厳しい妃教育を受けて立派な妃になろうと努力して参りました・・」
「その座をリンに奪われたから、か? だからこのような事を?! 君がそこまで愚かだとは思わなかったぞ」ジュリエットを見下ろすゴードンの冷たい視線には憐れみと蔑みが混じっていた。
「だから『リン様がいなければ』とおっしゃっていたのですね・・」思わずミナが漏らした。
「ジュリエット・クレイを牢に連行しろ。ミナ、お前にも色々と聞かねばならぬ事がある。ミナを王宮に監禁し、見張りを付けておけ」
ジュリエットは王立騎士団に連れられ王宮の奥まった場所にある古い建物の地下牢に入れられた。
兄の智則が突然私の部屋のドアを開けてそう言った。
「智兄ぃ(ともにぃ)こそ何! ノックもしないで。あたしが着替えとかしてたらどうすんのよ!」
「お前の着替えなんか見たら俺、吐くわ」
「なにぃ~花も恥じらう女子大生のあたしに向かって何て事言うんだよ、失礼な!」
「お前と漫才やってる暇はねえんだ。国語辞典貸りるぞ」
「国語辞典? はっ、智兄ぃが国語辞典見るなんて、雹でも降って来るんじゃないの?」
「うるせぇな、ちょっと調べ物があんだよ」
智兄ぃはそう言いながらあたしの机の上から国語辞典を探し出して持ち去った。
チェッ、せっかくの物語の余韻が台無しじゃない。
あたしはうつ伏せになって読んでいた本を閉じてベッドに仰向けになった。
あたしが読んでいた本は『月の女神に愛された少女』というライトノベル。
身分の低い貴族令嬢のリンがアカデミーで嫌がらせに遭いながらも王太子との愛を育み、身分の壁を越え結ばれるという何てことはないシンデレラストーリーだ。
今読んでいるのは、リンと王太子の婚約を妬んだ悪役令嬢ジュリエットがリンに毒を盛るというシーン。
内容はこんな感じだ・・・・。
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ごく平凡な午後だった。太陽は眩しく輝き、これから起こる凶事の欠片も感じさせないのどかな空気が流れている。
新しくジュリエットの侍女になったミナがお茶の用意を始めた。ミナはアカデミーでのジュリエットの同級生でもある。
「とてもいい香りがしますね。これは‥ラベンダーかしら?」
そう言いながらリン・パラディが現れると、そこだけまるでスポットライトに照らされたように明るくなった。いや、明るくなったように感じるのだ。
ピンクブロンドの柔らかな髪、琥珀色の大きな瞳、リンの愛らしい笑顔はそう思わせるほどのまばゆい美しさがあった。
「そうですわ、ジュリエット様が今日の為に特別に取り寄せたお茶なんです」いつになく緊張しているように見えるミナはお茶を淹れる手を止めてリンに微笑んだ。
「本当にいい香りだ。ラベンダーは君の好きな花だろう、良かったねリン」
リンと並んでやって来たこの国の王太子のゴードンがリンに笑いかけた。リンを見つめるその視線だけでこの王太子がどれほどリンを大切に思っているかが容易にうかがえる。
今日はゴードンとリンの婚約が決まったお祝いにジュリエットが王宮の一角を借りお茶の席を設けたのだ。
だがジュリエットの心内はお祝いとは正反対の、リンを憎む嫉妬の炎が渦巻いていた。
(本当なら・・本当なら私がゴードン様の隣に立つはずだったのに。リンに向けられた笑顔も優しい言葉も全て私の物だったはずなのに!)
そう、つい1年前までは王太子の花嫁の第一候補はジュリエットだった。
ジュリエット・クレイはクレイ公爵家の長女だ。身分の高さや美しい容姿、年齢などから王太子妃の第一候補とされ幼い頃から王宮に通い、厳しい妃教育を受けてきた。
家族や周囲からも次期王妃になるのは自分だと言い聞かせられてきたのだ。
ジュリエット自身もその期待に恥じない様にひたすら励んだ。難解な政治の話や沢山の外国語、王妃として必要な様々な知識、礼儀作法を何年もかけて詰め込んで行った。
その何年もの努力をリンが横からかっさらって行ってしまった。
ゴードンはアカデミーでジュリエットと同期に入学したリンに心奪われてしまったのだ。
「…エット様? ジュリエット様、どうかしましたか?」リンが心配そうにジュリエットの顔を覗き込んだ。
ジュリエットの意識は努力してきた過去の数年に飛んでいた。今までの努力は全て水泡に帰した。なんとむなしい事だろう。
そして自分から全てを奪ったこの女をこれから姉と呼ばなくてはいけなくなるなんて…。
王太子ゴードンがリンとの婚約を強行したため、王家は公爵家への体裁を取り繕うためにゴードンの弟ライオネルをジュリエットの婚約者にあてがったのだ。
「あ、いえ。少し寒気がして」ジュリエットは腕をさすりながら答えた。
「まぁ、それはいけません。あっ! そうだわ、こちらにいらして。 私と席を交換しましょう。ここの方が日当たりが良くて暖かいですから」
リンはサッと立ち上がった。「さあ遠慮なさらずにどうぞ」
ジュリエットは立ち上がり、亡霊の様にふらふらと席を移った。すかさずミナがジュリエットのお茶のカップを手に取った。
「カップは私が移動致しますわ」片手にジュリエットのカップとソーサーを。もう片方の手にリンのカップとソーサーを手にしたミナはそう言いながらカップを移動した。
「あの、今日はありがとうございます。私…実はジュリエット様には嫌われていると思っていたんです。でもこんな風にお祝いの席を設けて下さるなんて本当に嬉しくて」
幸福に輝くような笑顔をリンはジュリエットに向けた。対するジュリエットは色白の肌が更に青白く見える程顔色が悪かった。切れ長の目は深い海を思わせる蒼色だが暗く沈んでいる。だがなんとか笑顔を取り繕い言った。
「嫌っているなんてとんでもないわ。どうか今日は楽しんで行って下さいね」
「では早速ジュリエット様が用意して下さったお茶を頂きますわ」リンは満面の笑顔で暖かいお茶に口を付けた。
「本当にいい香りで美味しいわ。ジュリエット様、ありがとうございます」
ふた口目を口にしながらリンはジュリエットに視線を向けた。だがその美しい笑顔が突然苦悶に歪んだ。
「ゴホッ、ぐふっ」口元を押えながらリンが咳き込んだ。
「どうしたリン?」ゴードンが驚いてリンの背中をさすろうと手を伸ばしたが、その手は宙を舞った。
リンは椅子から崩れ落ちた。リンが手にしていたカップは地面に落ちて割れ、苦しそうに咳き込んだリンの口からは鮮血が吐き出された。
「きゃーーーっ」ミナの後方に控えていたメイド達が悲鳴を上げた。
「リン! これは一体…誰か医者を! 医者を呼べ!」
メイドの一人が急いで王宮に戻って行った。ゴードンは呆然と立ち尽くしているメイドに命じて水を持ってこさせ、リンに飲ませている。
ジュリエットは席に着いたまま虚ろな目で目の前の出来事が信じられないと言った表情をしていた。
医者はすぐ駆けつけた。
「これは毒です! パラディ令嬢が口にした物に毒が混入されていたに違いありません」
医者は助手と共にリンを王宮に運んで行った。「ひとまず王宮にて手当を行います」
ゴードンはそのままリンに付いて行きたかったが、騒ぎに呼ばれた王立騎士団の指揮をとった。
「今この場にいる者を全て拘束せよ! ここに在るものを王宮に運び、毒の所在を明らかにするのだ!」
すると後方でワッと泣き崩れる声がした。「も、申し訳ございません。こんな…こんな事になるなんて知らなかったんです。まさか毒物だったなんて」
ミナだった。がくがくと震えるミナは手で顔を覆い、ペタンと地面に膝をついた。
「茶を淹れたのはそなただったな。知らなかったとはどういう事だ?」ゴードンは険しい顔つきでミナの前に立った。
「それは・・その・・」ミナは顔を上げた。その視線は宙を泳いだが、未だにテーブルについたまま身動き一つしないジュリエットの元に辿り着いた。
その視線を追いゴードンは振り返った。「ジュリエット、説明して貰おうか」
ジュリエットは座ったまま青白い顔で、誰もいない前方を見つめながら独り言の様に呟いた。
「元々‥殿下の花嫁候補はわたくしでした。わたくしは幼い頃からずっと厳しい妃教育を受けて立派な妃になろうと努力して参りました・・」
「その座をリンに奪われたから、か? だからこのような事を?! 君がそこまで愚かだとは思わなかったぞ」ジュリエットを見下ろすゴードンの冷たい視線には憐れみと蔑みが混じっていた。
「だから『リン様がいなければ』とおっしゃっていたのですね・・」思わずミナが漏らした。
「ジュリエット・クレイを牢に連行しろ。ミナ、お前にも色々と聞かねばならぬ事がある。ミナを王宮に監禁し、見張りを付けておけ」
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