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5ジュリエットの世界
しおりを挟む周囲にはあたしと同じ位の年頃の男女が沢山いて、門をくぐって行く。みんなマリー・アントワネットみたいなドレスを着ているし、ぱっと見る限り日本人の姿はない。周囲に気を取られている間に、あたしを送り出した女性はまた馬車に乗り去って行ってしまった。
「あーっ、ちょっと待って! どうしよう。どうなってるのよ一体」
門の前で立ち尽くしているとすれ違う生徒の一人が挨拶してきた。「おはようございます、公爵令嬢様」
その後も何人もの生徒があたしに頭を下げてすれ違っていく。その内のひとりがあたしの横で足を止めた。
「おはようございます、ジュリエット様。ここで立ち止まって、どうなさいましたの?」
「い、いえ。その・・おはようございます」
「さ、一緒に参りましょう。夏の休暇の間は別荘に行かれてましたのよね? いかがでしたか? お話を聞きたいわぁ」
あたしはこの人を知らない、でもこの人は明らかにあたしの事を知ってるみたいだわ。この人に付いて建物の中に入ると人が大勢居てとても賑やかだった。あたしはふと窓ガラスに映った自分の姿に目を見張った・・。
誰、これ。
ガラスに映った人物は日本人ですらなかった。髪の色は黒っぽいが緑がかった色で綺麗にウェーブがかかっている。ちょっと病的なくらい色が白くてサファイアの様な濃い青色の瞳をしていた。すごく美人だけど・・血が通ってない人形みたいだわ。
てか、ジュリエットで公爵令嬢で・・イヤな予感しかしない。
「ね、ねぇあたしの休暇の話が聞きたいと言ってたわよね。あん‥あなたはどこへ行ってたの?」
危ない危ない、『あんた』とか言っちゃう所だったわ。なんだか分かんないけどここは丁寧に話しておかないとまずそう。
「私ですか? 私は伯爵家の領地に行ってまいりましたわ」
「それってどこにあるの?」
「ロバーツ家の領地はプロボスト王国の西ですわ。夏は暑いので本当はあまり行きたくなかったんですけれど」
この人はロバーツ伯爵家の令嬢、そしてここはプロボスト王国、あたしはジュリエット・・間違いないわ、あたしはジュリエット・クレイになっちゃってる!
「ジュリエット様、お顔色が悪いですわ」
「え、ええ。あたし・・気分が悪いみたい。めまいがしてきちゃった」
これは本当だった。きっとこれはリアルな夢なんだと思う一方で、こんな生々しい夢があるものかと理性が警鐘を鳴らしている。
「まぁそれはいけませんわ。保健室に参りましょう」
保健室はどこの世界の学校にもあるものなのね。
室内にはシスターの様な恰好をした女性が居て、あたしの熱を計ったり、症状を聞いたりしてからあたしをベッドに寝かせた。
「1時間ほど休息を取って下さい。身体が緊張状態にあるようです。休んでも良くならない場合は、今日はお帰りになったほうがいいかと存じます」
あたしは言われた通りに横になって目を閉じた。でも頭の中は混乱状態だった。
これってよく聞く異世界に来ちゃったって事? 小説の中も異世界って言うの? 元の世界のあたしはどうなってるの? これからあたしはどうなっちゃうの? どうしたら元の世界に戻れるの?
よりによって貴族令嬢になっちゃうなんて。自分で言うのもなんだけど、あたしは上品とかおしとやかには程遠いがさつな人間なのに!
目は閉じたが全く休めない。次から次へと疑問と不安が押し寄せてくる。すると何やらいい香りが漂って来た。
「クレイ嬢、薬草茶が入りましたからお飲みください」
ハーブティーみたいな物かしら? 以前大学近くの女子に人気のカフェで同じような香りのハーブティーを飲んだことがある。やはりそれと同じように優しい味と香りでほんのりと甘いお茶だった。
お茶を飲んでからまた横になると少しだけリラックス出来たような気がした。
目を閉じると不思議な情景が浮かんで来た。
美しい庭園に囲まれた白亜の建物。あたしは(ジュリエットは)メイド達が運んできた荷物を見ている。さっき言ってた別荘なのかしら。ジュリエットは王宮の近くに残りたかったと不平を垂らしている。これはジュリエットの記憶なのね。
次はまたアカデミーでの場面だわ。本が沢山あるから図書室ね。そういえば、リンとゴードンが出会う場面が確か図書室だったわ。
ジュリエットが図書室で勉強をしているとリンが入って来て奥の棚を見に行った。ほどなくしてゴードンも図書室に来てリンと同じ様に奥の棚に向かった。
リンが高い位置にある本を取ろうとしている所にゴードンが行き合わせてリンに本を取ってあげている。その本について二人は話が盛り上がったようで、そのまま楽しそうに二人で図書室を出て行った。
ジュリエットはその様子を見ながら胸の内に一抹の不安がよぎるのを感じている。
確か、この時点でリンはゴードンが王太子だってことを知らないのよね。だから他の生徒と違って物怖じしないで対等にゴードンと会話するんだけど、そのリンの姿がゴードンには新鮮に映り、リンを好きになるきっかけとなるんだった。
ゴードンとリンが仲良く図書室を出て行く後姿を見送るジュリエットの心情があたしには何となくわかる気がした。
藤本先輩が大塚奈美と楽しそうに台本を見ている姿を思い出してゴードンとリンに重なったのだ。
それから、これは・・アカデミーの入学式ね。ジュリエットが公爵家の娘だと知っている女子生徒がさっそく媚びを売りに来ている。同期で入学出来て光栄です、とかなんとかおべっかを言いまくってるわ。
あら、次は随分と小さな頃に遡ったわね。幾つ位かしら、小学校の低学年くらいかしらねぇ。ん、なになに初めて王宮に来たって? うわぁこの立派な宮殿は王宮なのね。
へえ~、この頃は随分と表情豊かじゃない。美人なのは今と同じだけど今よりずっと生き生きとしてるみたい。
しかし広い庭園ね、これじゃあ子供なんかすぐ迷子になっちゃうわ。両親とメイドとはぐれたのね、蓮の池に映った顔は随分と不安そうだ・・あー転んじゃったわ。
ん? 手が差し出された‥ジュリエットとそんなに変わらない年かさの男の子ね。なんて優しい表情をしてるのかしら。ジュリエットと手を繋いで道案内してあげている。ジュリエットを探していたメイドが二人を見つけた。
ジュリエットが恥ずかしそうに男の子の名前を尋ねている、ああ~これが王太子との出会いだったのね。
あたしの中にジュリエットの気持ちが流れ込んでくる。そうか・・このジュリエットの気持ち、ジュリエットは王太子の事が、ゴードンの事が好きなんだ。ゴードンの優しい笑顔が何度もジュリエットの頭の中に描き出される。あの笑顔にノックアウトされたのねぇ。
あたしはてっきり王太子妃の座をリンに奪われたからリンを憎んでいたのかと思っていたけど。そういえば地下牢獄で側室でもいいから傍に居たいって言ってたもんね。
ああ、ジュリエットのつぶやきが聞こえるわ。
『私が立派な王太子妃になればゴードン様はきっと私の事を認めて下さる。そうしたら私はゴードン様に告白するの、ずっと好きでしたって。私が欲しかったのは王太子妃の地位じゃなくゴードン様の愛情なんです、とお伝えすればきっとゴードン様も嫌な気持ちはしないはずよ。もしかしたら私の事を好きになってくださるかもしれないわ・・』
しばらく保健室で休息をとった後あたしは教室に戻った。(正確には場所が分からないあたしは自分の教室に連れて行って貰った)
時折ふっと浮かぶジュリエットの記憶を頼りにこの日はなんとかやり過ごした。
帰りは行きと同じく迎えに来たメイドと共に馬車で帰宅したあたしは、その公爵邸の荘厳さに目を剥いた。
「どうされましたジュリエット様」
正面玄関に続く階段の前で呆けているあたしにメイドのマリアンが後ろから声を掛けてきた。一向に中に入ろうとしないあたしのせいで玄関前では若い執事が困った表情でまごまごしている。
ここがジュリエットの住む公爵邸・・。小説の中では王宮に次ぐ立派な邸宅としか表現されていなかったから、こんな、こんな・・うん、あたしの語彙力では凄い! 大きい! 立派! としか表現できないわ!
ひとまず自分の部屋に行ってみたが、そこもまた素晴らしい部屋だった。
何畳くらいあるのかしら、大きな天蓋付きのベッドに白い応接セット、暖炉の上には風景画が飾られている。応接セットの前の大きな窓の外にはバルコニーがあり、そこから美しい庭が一望できた。部屋のあちこちに花が飾られていて、まるで映画の中の貴族部屋のセットみたいに完璧だった。
こういう部屋でまずやる事は決まってるわ!
そぉ~~~れ!!
あたしは大きくてフカフカのベッドにダイブした。うわぁ気持ちいい。しかもリネンからいい香りがする。 スーハースーハー。
コンコン。ノックの音にあたしは飛び起きて素早くベッドの端に腰かけ直し返事した。「どうぞ」
マリアンが入って来た。彼女はあたし付きのメイドらしい。でもいくらジュリエットが無表情だからってメイドまで無表情な人間を選ばなくてもいいと思うんだけど。
マリアンは余計なおしゃべりもせず、もくもくと仕事をこなしている。応接セットのテーブルに茶器と小さなケーキを置いて言った。「お茶のご用意が出来ました」
あたしがソファに腰かけるとマリアンがお茶を注いだ。マリアンはテーブルの横で待機している。こんな風に見られながらお茶するのって慣れてないから落ち着かない。
「ね、あなたもそこに座ったら?」向かいの席を指したあたしをマリアンは目を丸くして見ている。
「いえ、その様な事は出来ません」
仕方ないなぁ、このまま頂きますか。小さいけど美味しそうなケーキ! 甘い物はあんまり好きじゃないけど、お腹すいてるのよ。ジュリエットは体重管理が必須だって言ってたからケーキが小さいのかしら。こんなの一口で食べちゃうわよ、あたしだったら。
パウンドケーキの様な小さな塊の真ん中をフォークでぶっ刺してパクっとひと口で放り込むと、マリアンは持っていた銀のトレーを床に落とした。ガランガランと派手な音を立ててトレーが回る。
「し、失礼致しました」慌ててトレーを拾い上げたマリアンの顔には驚きの表情が浮かんでいる。
なぁんだちゃんと表情があるじゃない。あたしはモグモグやりながらお茶を一気に流し込んだ。が、熱かった。ダァーー。口からまたカップにお茶を戻したあたしは「アッチチチチ」と涙目になってしまった。
マリアンは直立不動で石の様に固まっている。そしてハッと気を取り直すと「お水を持って参ります」と慌てて部屋を出て行った。
夕食もとっても美味しかった。見た事のない洋食ばっかりだったけど、基本あたしは好き嫌いがないから問題ないわ。でも夕食も少なめだったなぁ。もう少し増やしてくれないか聞いてみようかな。
それにしても貴族ってみんなこんなに寡黙なの? 家族全員、食事中はほとんど口をきかないし、食後もみんなすぐそれぞれの部屋へ戻ってしまった。
はぁ~あ息が詰まりそう。
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